俳優であると同時に、歌い手としての活動も息長く続けてきた経歴は、つとに知られているところ。一方で、こと音楽に特化したインタビューというのは、寡聞にして目にしたことが多くない気がする。最新シングル
「ならば風と行け」リリースに続き、10月1日からは、毎年恒例の
全国ツアーもスタート。“歌うこと”と演技との関係、影響を受けたミュージシャンのことなど、ざっくばらんに語っていただきました。
「まさか自分が歌手になろうとは、デビュー前は夢にも思ってなかったんですよ。文学座という劇団にいて、ラッキーなことにいきなり学校の先生役で主役デビューしてしまった(74年
『われら青春!』)。東宝の学園青春ドラマの通算5代目で、先生役の人には歌を歌わせるのが決まりだったんです」
――歌がもれなくついてきたんですね(笑)。
「歌の内容に合わせて、ドラマを1話分つくることになっていたから。4月にドラマ・デビューして、7月には主題歌の
〈ふれあい〉を出すことが決まっていた。そしたらまあ想定外で、いきなりオリコンで10週連続1位になっちゃった」
――ということは、音楽にはさほど興味がなかった?
「それが、学生時代に100曲ぐらい曲をつくってはいたんです。自分がつくった曲がレコードになったらいいなという夢はあった」
――もともとソングライター志望だったということですか?
「作曲といっても、日記を書くようなもんだったけどね。家でギター弾いて歌をつくって、次の日には部活の連中に無理やり聴かせていた。俺、バスケット部の部長だったから(笑)。あくまで高校生の夢のレベルですよ。まさかそれで生きていけると思うほどには、自分の才能を信じてはいなかったし」
――高校時代、どんな音楽がお好きでしたか。
「それこそ洋楽のフォーク。その前だったら、僕らの世代は
ビートルズだよね。中学高校とバスケットをやっていたんだけど、高校時代、合宿で泊まり込んだりすると、先輩がギター持ってきていて弾いている。そこから始まった」
――バンドではなく、ギターの弾き語りだったんですね。
「そうそう」
――そこは分かれ道だったかもしれないですよね。一人ではなくバンドでやってらしたら、芝居の道には進まなかったかもしれない。
「そうだよね。(宮城県)女川出身なんですけど、電車が1日8本しかなくて。しかも高校があったのが、高さ300メートルくらいの丘の上。放課後バスケの練習やって、時間が来たら駅まで走り下りて電車に乗らなきゃいけない。バンドをやるなんて、考えもしなかった」
――電車の都合で、おのずとソロ活動になっちゃった(笑)。
「高校3年の頃には、それなりにギターも弾けるようになっていたので、文化祭ではハーモニカも吹いて4、5曲歌った。それが人前で歌った最初の経験でした」
――ハーモニカ吹いてギターというスタイルのもとは、やっぱりボブ・ディランですか。 ――中村さんのアルバムを聴いていると、サザン・ロック的なニュアンスのある演奏が少なからずありますよね。ディランがロック化してからの演奏に通じるものがある……と感じるんですが、共演しているミュージシャンの方たちが、中村さんの音楽背景に反応している部分もあったんでしょうか。
「どうなんだろう……。俺自身は、ディラン以上にニール・ヤングが好きなんです。ボブ・ディランのああいう歌い方を自分でやるのはちょっと…と思っていたし、かと言ってPPMというのも違う。どちらかと言えば、
ニール・ヤングのほうがよかった」
――中村さんからニール・ヤングの名前を聞けるなんて、なんだかうれしい気がします(笑)。
「自分のコンサートでも、
〈サザン・マン〉をカヴァーしたりしているんですよ。他人の曲を歌うことって、あまりやらないんだけど。ほかに取り上げるとしたら、ビートルズぐらいかな」
――中村さんのライヴで〈サザン・マン〉が出てきたら、わかる人は全員驚きます。
「そうだよね。ニール・ヤングのうまいんだかへたなんだかわかんないギターとか、大好きなんですよ」
――どちらかと言えば、へたなんだと思います(笑)。でも、あの訥々としたところがいいんですよね。
「いいんだよね。自分なりに、いろんな人への憧れはあるんですよ。
ブライアン・アダムスの声が俺にとっての理想なんだけど、俺のとは全然違う。でも俺の声もまた、神様から与えられたものなので。憧れはあるけど、じゃあ真似するかと言ったら、それは違うと思うんです」
――最新シングルでも、〈ならば風と行け〉では喉を絞った男性的な発声。一方、〈夜空に〉では透明感のあるある優しい歌い方をされている。歌い手・中村雅俊のふたつの面が出ていると思うんです。
「〈夜空に〉は、すごく優しく歌おうと思ったんですよ」
――導入部が、すんなり聞こえるわりにメロディに複雑な動きがある。むずかしい展開をさらりと歌ってらっしゃるなと思ったんですが。
「作曲が鈴木キサブロー。長いつきあいになるんですよ。昔、俺のバンドでギターを弾いてくれてた時期もあったくらいで、今でも“キサブロー”って呼び捨てにしている。作曲家の先生、という感覚ではないんですよね。去年のツアーでたまたま彼の曲を数曲歌うことになって、やっぱりキサブローの曲はいいな、という話になった」
――都会的な繊細さの感じられる曲調ですよね。キサブローさんは中村さんのことをよくご存知なわけだし、この歌にあるようなアーバンさを、歌い手・中村雅俊の中に見いだされていたのかなと。
「かもしれない。また、
売野(雅勇)さんがメロディに合った世界観の詞をつくってくださった。売野さんと俺、誕生日が近いんですよ。俺が3週間兄貴なだけで。だから、通り過ぎてきた景色が似ているの」
――“名画座のオールナイトが贅沢だったよね”というフレーズを、共有できる間柄なんですね。
「“名画座”と言っただけで、お互いの背景がなんとなくわかる。時代の風景が浮かんでくるような感じなんです。それが若い人たちにそのまま通じるかはさておくとして、自分たちなりの世代の背景、キーワードをふまえた上での表現になっているとは思う」
――〈ならば風と行け〉は、対照的に骨っぽい、男性的な曲ですね。
「一聴するとけっこう上から目線の歌詞だよね(笑)。作詞の
松井五郎さんも、作曲の
都志見 隆さんも、ずっと長く一緒で。松井さんとは、2013年に宮城の小学校(東松島市立鳴瀬桜華小学校)の校歌(
〈花になろう〉)をつくらせてもらった時、詞を書いていただいたんです。一緒に宮城に行って、どんな歌にしようか語り合った経験を通じて、互いの距離が近くなったし、“歌う人”“詞を書く人”という関係性を超えて、分かり合えるようになったところがある。もう30年以上一緒にやってますからね」
「〈ならば風と行け〉に関して言えば、松井さんと話しているうちに、“叱ってやろうじゃないか”みたいなイメージが出てきた。“拳を誰に振り上げてきたんだ”とかね。若い人たち、まあ俺より下の世代って意味ですけど、彼らからすると、“叱られたい”“強く言ってほしい”という願望があるんじゃないかという話になったんですよ。一方で、長い間生きてきて、ある地点でふと立ち止まって、自分の人生を振り返ってみる。でも、前を見るとまだ道は続いていて。そんな時、応援歌じゃないけど、背中を押してあげられる曲になれたらいいな。そんなことも思った。若い人たちに向けて歌っているだけじゃない、自分に対してのメッセージ・ソング。それで、歌い方も意識的に強めにしてみたんです」
――デビューされて以来、40年あまり歌い続けてこられた中で、歌い手としてのうまみとか喜びといったものを、だんだんと広げてこられた感じなんでしょうか。
「うまみというのはよくわからないけど、いろんな表現がある中で、自分としてはこっちのほうがベターなんじゃないか。そんな意識は働かせてますよね」
――メロディや歌詞に反応して、歌い方を見つけていったり。
「それもあるし、あと、最近のコンサートでアコースティック・ヴァージョンをよくやるんですが、楽器の数とか音色に応じて、歌い方にも変化はつけます。楽器編成によって、同じ曲でも歌い方を軽めにしたり、反対に骨太に歌ったり、バランスを考えてやったりはしますね」
――歌と演技をすべて同列に語ることはできないとは思いますが、ある種のコンビネーション、ほかの人が出す音とのかかわりという意味で、共通する部分というのはありますか。
「ありますよね。たとえば“好きだ”という気持ち、エモーションを表現する時、演技では台詞に乗せたり、歌ならメロディに乗せていく。その上で、シチュエーションの重要性というのもあるんです。ものすごく近くにいる相手に向かって、大声で“お前よ〜”って怒鳴るやつはいないでしょ(笑)」
――半面、遠くにいる相手には遠くまで届くように発する、ということですね。
「そう。その時々のシチュエーションで、台詞の言い方とか間の取り方、相手の顔を見ているのかいないのかとか、ひとつひとつが変わってくる。表現という意味では歌だってそうで、伴奏がギターだけの時と、20人の大編成をバックにしてやるのとでは、歌い方も変わってくるんです。あと、その日の気分ね(笑)。けっこう大事なんですよ、これ」
――そこは、実際ステージに立ってる人じゃないと、わからない感覚かも。
「俺の曲のひとつに、
〈心の色〉(81年)というのがあるんですけど、詞を書いてくれた
大津あきらさんって、俺より1歳上なだけなのに、40ちょっとで亡くなっているんです。その曲を歌ってる時、突然涙が出てきて歌えなくなったことがあった。それまで歌ってきた時には全然大丈夫だったのに、ですよ。あと
〈俺たちの旅〉(75年)ね。
同名のドラマを担当された
斉藤光正監督が、2012年に亡くなられたんですが、午前中がお葬式で、その夜、中野サンプラザでコンサートがあった。〈俺たちの旅〉を歌ってたら、2コーラス目でいきなり、嵐のように悲しくなってきてね」
――ご自分でも驚いたくらい、突然に。
「そうなんです。それまでずっと監督のことを考えてたわけでもないんですよ。その時観に来てくれていた脚本家の
鎌田敏夫さんに、妙なところをほめられましたけどね。“急に歌えなくなったけど、監督が亡くなったことには触れなかった。あれはえらい”って(笑)。とにかく、日々表現するってことには、それくらいいろんなファクターがある。同じ歌でも毎日違うんです。そこは歌も芝居も一緒だと思ってます」
――デビュー以来、絶えることなくツアーを続けられてきたことの理由のひとつとして、そうした日々の変化も挙げられますか?
「同じことをやっているんだけど、でも毎日全然違う。その日の出来もあるし、お客さんが違えばレスポンスも変わってくる。暗闇に向かって歌っていても、今日はみんなよく聴いてくれているなとか、手に取るように分かるんですよ」
――あとは体力のコントロールくらいでしょうか。3ヵ月にわたる長丁場ともなると。
「気をつかうのは喉の調子くらいかな。踊りながら歌うってわけじゃないから(笑)。意外に思われるかもしれないけど、ツアー中って規則正しい生活になるので体調がいいんですよ。ドラマ撮影のほうがじつは不規則。朝早かったり、出番待ちで夜が遅くなったりするから」
中村雅俊
コンサートツアー2016「L-O-V-E」
■2016年10月1日(土) 東京 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール開演 16:00 S席 6,500円 / バルコニー席¥6,000■2016年10月2日(日) 静岡 三島市民文化会館 大ホール ※開演 17:00 全席指定 6,500円■2016年10月10日(月) 群馬 笠懸野文化ホール・パル ※開演 16:00 全席指定 6,300円■2016年10月15日(土) 栃木 那須野が原ハーモニーホール 大ホール ※開演 16:00 全席指定 6,300円■2016年10月16日(日) 埼玉 熊谷文化創造館 さくらめいと開演 16:30 全席指定 6,000円■2016年10月22日(土) 広島 福山市神辺文化会館 大ホール ※開演 18:30 全席指定 5,500円■2016年10月23日(日) 香川 三豊市文化会館 マリンウェーブ ※開演 15:30 全席指定 6,000円■2016年10月30日(日) 愛知 愛知県芸術劇場 大ホール開演 16:00 全席指定 7,000円■2016年11月3日(木) 大阪 岸和田市立浪切ホール 大ホール ※開演 16:00 全席指定 6,000円■2016年11月5日(土) 茨城 日立市民会館 ※開演 16:00 全席指定 6,300円■2016年11月12日(土) 岐阜 タウンホールとみか 大ホール ※開演 19:00 全席指定 4,000円■2016年11月13日(日) 兵庫 福崎町エルデホール ※開演 18:00 全席指定 5,000円■2016年11月20日(日) 石川 津幡町文化会館 シグナス ※開演 17:00 全席指定 5,500円■2016年11月25日(金) 福岡 なかまハーモニーホール 大ホール ※開演 18:30 全席指定 5,000円■2016年11月26日(土) 熊本 菊池市文化会館 ※開演 16:00 全席指定 4,500円■2016年11年27月(日) 宮崎 新富町文化会館 大ホール ※開演 18:30 全席指定 5,000円■2016年11月30日(水) 山形 庄内町文化創造館 響ホール ※開演 18:30 全席指定 6,000円■2016年12月3日(土) 東京 中野サンプラザホール開演 17:00 全席指定 7,000円■2016年12月11日(日) 大阪 新大阪メルパルクホール開演 17:00 全席指定 7,000円■2016年12月24日(土) 福井 ハートピア春江 ※開演 19:00 全席指定 5,300円※の会場は〈中村雅俊コンサートツアー2016「L-O-V-E」 Acoustic Unit〉となりアコースティック編成です。