風格のある歌唱で演歌界を席巻するベテラン、西方裕之がデビュー35周年を飾る豪華3曲入り記念盤「帰郷/おふくろ便り/赤とんぼ―新録版―」をリリース。テーマは「いま、感じたい故郷」。父親とのひさしぶりの再会をドラマティックなサウンドで歌い上げた新曲「帰郷」を筆頭に、母親との絆を温かい旋律にのせて綴った「おふくろ便り」、そして20年来の代表曲である望郷歌「赤とんぼ」のセルフ・カヴァーと“ふるさと”への想いにあふれた作品たちを収録した一枚だ。
――コロナ禍も終息まで、まだまだ先が見えないですね。
「本当にこんな長く続くとは想像つかなかったですよね。そのうち終わるだろうと思っていました。昨年からエンタメ業界もずっと打撃を受け続けています。無観客・ネット配信と言われてもなかなかね……皆さん頑張っていますが」
――12月に東MAX(東貴博)さん率いるFIRE HIP'S(ファイヤーヒップス)の生配信ライヴにゲスト出演されていたのを楽しく拝見しました。
「今の事務所(佐藤企画)に移ってから、東MAXさんのおかげもあっていろんな番組に出させてもらっていますが、お笑いのコントやるのは初めてだったので緊張しました(笑)。最初、じつは自分はトラ(エキストラ出演)だったんです。もともとやるはずだった人の代役で、ギターが弾けるからってことでやることになったんですが、全然上手くないのに抜擢されたので、何をどうすればいいのやらで、ただ迷惑だけはかけないようにしなきゃと思って必死でした(笑)」
――東MAXさんにいじられて、微笑ましかったです。お人柄が出ていましたよ。
「そうですか、お恥ずかしい(笑)。ご覧になったのは演歌ファンではなくお笑いのファンだと思うので、“何だかわけのわからないギターを持ったおじさん”という体でやらせていただきました。コロナ禍でなかったらああいう機会もなかったと思うので、そういうところはプラスに考えるようにしています。前向きなので」
――前向きなのはいいことですね。さて、新曲「帰郷」は前作「出世灘」と雰囲気もがらりと変わりました。
「〈出世灘〉は(作詞家の)星野哲郎先生がデビュー曲の候補として書いてくれた幻の作品で、ずっとお蔵入りになっていたのですが、35周年を目前にした勝負の年に満を持して発表することができました」
――出身地の佐賀県・唐津市が面している「玄界灘」とも掛けたタイトルで、荒波に揉まれて出世していく新人歌手にはぴったりの曲ですが、ベテランとなった今、歌うとまた味わいも違いますよね。
「そうですね。新人の時にはまだ歌いきれなかったかもしれません。あの頃は声も未熟で、高音は出るんですが下のほうはペラペラで、響かせることができなかった。そういう意味ではいい時期に歌うことができてよかったと思います」
――たしかに「帰郷」の出だし“帰る帰ると言いながら”から、哀切のある低音に魅了されます。
「ありがとうございます。エレキがシャウトしたりするロックっぽいアレンジで、かと思えば途中に三味線が入ったりして、今までの自分にはなかった斬新なサウンドで気に入っています。哀愁を出しつつ、しんみり暗くならないよう、ドラマティックな雰囲気を大切にしました。レコーディグも結構すんなりといったんですよ」
――作詞・作曲・編曲のすべてが初顔合わせの制作陣なんですよね。(作曲家の)杉本眞人先生の作品を歌うのも意外にも今回が初めてだそうで。
「はい。自分は地元・佐賀県で行なわれた『第1回ザ・スターカラオケ選手権大会』で優勝したのがデビューのきっかけで、第2回からは毎年ゲストとして出演させてもらっています。この大会は徳久広司先生、弦哲也先生、岡千秋先生、杉本眞人先生(※第10回目から)……と演歌界の名だたる作曲陣が審査員を務めることでも有名で、自分も先生方とは仲良くさせてもらっていて、打ち上げや次の日のゴルフとかいつも楽しみなんです。で、これまで徳久先生、弦先生、岡先生の作品は歌わせてもらったのですが、杉本先生だけがまだでした。ずっと歌いたかったので、この35周年をきっかけに念願が叶ってすごく嬉しかった」
――美空ひばり「リンゴ追分」「津軽のふるさと」、北島三郎「帰ろかな」、千昌夫「北国の春」、松村和子「帰ってこいよ」など、“故郷(ふるさと)演歌”は名曲の宝庫ですが、この「帰郷」もそこに名を連ねそうです。
「自分は九州出身なのですが、地方から東京に出てくる心情はきっとみんな同じです。親や兄弟、大切な人たちと遠く離れて暮らしている人なら誰もが感情移入できると思う。自分も構えずに歌えました。とくにコロナ禍で帰省もままならない今、いろんな人の心に寄り添えたらいいですね」
――“あんな女をのち添えに入れたばかりに”気兼ねして“十五で郷里をあとにした”とか、歌詞もリアル。お互いに素直じゃない父親と息子が久々に再会し、黙ってお酒を酌み交わしながら、わだかまりを溶かしていく様子が目に浮かびます。
「詞を書いてくださった朝比奈(京仔)さんは女性ですが、男同士の親子感情の描き方が絶妙です。自分は喧嘩して家を飛び出したわけではないけれど、デビュー3年目の平成元年に父を亡くしていて。当時はお酒をあまり飲めなかったこともあって、親父とは結局、一度も一緒に杯を酌み交わすこともなかったので、ああこういうのいいなって思いながら、憧れの気持ちも込めて歌いました」
――一方、母親との繋がりを軸にした「おふくろ便り」は懐メロっぽいかんじが味わい深いです。サビの“WOW WOW”みたいな掛け合いコーラスも素敵です。
「編曲担当の川村(栄二)さんはオールディーズっぽいのを狙ったとおっしゃってました。“WOW WOW”は杉本先生からいただいたデモテープの段階ですでに入っていて、レコーディングの時に“どう歌えばいいんですか?”って訊いたら“こうやるんだよ”って先生みずから手本を見せてくれて、その2人のやりとりが掛け合いとしてそのまま使われているんです。先生はすごくいい声なんです。だから、負けないように“杉本眞人が歌ったほうがいいんじゃないの?”ってみんなに思われないように気張りました」
――「赤とんぼ」はデビュー10周年を前にした1996年発売のシングル曲のセルフ・カヴァーです。出だしのロングブレスがとても美しいです。
「以前のレコード会社でリリースして、かれこれもう20年来ずっと歌っていて、ステージでも定番の人気曲。新録音にあたっては、オリジナルに寄せつつも“老けた”歌い方はやめようと意識しました」
――「赤とんぼ」というタイトルもいいですよね。
「これは弦先生が書いてくれたメロディが先にできた曲なんです。仮のタイトルはたしか〈流れ雲〉だったと思います。でも覚えてもらいやすいから〈赤とんぼ〉でいこうってことになった。今、あらためて昔の歌唱を聴くと、少し固いなと感じます。もっと肩の力を抜いて歌ったほうがいいのにって。今回、あの頃の自分を見守るような温かい気持ちで歌っています」
――故郷演歌ってじつにいいですね。戦後・昭和の歌謡界“黄金期”を代表する春日八郎さんや三橋美智也さんも得意としていました。
「どちらもキングレコードの大先輩。自分も子どもの頃から聴いていた雲の上のお2人です。三橋さんとはとうとう会うことができませんでしたが、春日さんの前では歌うことができて“いい声してるね”と言ってもらえたのが、宝物のような想い出です」
――今年はキャリアで節目の年に加えて、還暦になられます。
「気持ちとしては20代のままなので、赤い衣装は着ないつもりです(笑)。声も衰えていないし、キーも変わらない。下の音も響くようになりました。まだまだいきますよ!」
取材・文/東端哲也
撮影/西田周平