この“歌心”を、クラシック・ギター好きだけに独占させるのは、あまりにもったいない。そう実感させるのが、今年デビュー10周年を迎えた
大萩康司、初のベスト・アルバム
『フェリシタシオン! 〜そして新たな日々へ〜』だ。新曲4曲、再録音4曲を含む全19曲、そのどれを取っても、人の肉声につながる情感が、てらいなく伝わってくるからで、ラテン・ファンには「おやすみネグリータ」の名で知られる「キューバの子守唄」など、器楽曲であるのを一瞬忘れてしまいそう。ほんと、“歌声”が聞こえてくるような演奏であり、音色なのだ。
大萩康司(以下同) 「クラシック・ギターのレパートリーとして知られている曲でも、原曲に歌がある場合は聞くようにしているんです。〈キューバの子守唄〉がまさにそう。ギター曲としても有名な曲ですが、
ボラ・デ・ニエベがピアノで弾き語りしているヴァージョンを耳にして、どう弾くべきか、初めて理解することができた気がした」
――タンゴの名歌手、
カルロス・ガルデルの持ち歌として名高い「想いの届く日」も素晴らしいです。文字通り“歌って”いるようなギターで。
「ガルデルの歌声がまた、格別ですもんね。あの声を聞くと、男の僕でも、ちょっとグラッと来ます(笑)」
――そう思うと、ラテン音楽との接点が、大萩さんのギターを独特のものにしているような。
「1998年にハバナ国際ギター・コンクールに出場した時、
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブだったり、ギターの
レイ・ゲーラだったり、キューバ音楽との素晴らしい出会いがあったんです。レイ・ゲーラにはその後師事することになったし、そういう意味でラテンとの出会いは、自分にとっての節目ですよね」
――逆にとまどいはなかったんですか。
「レイ・ゲーラに“譜面なんか見るな。心で弾け”と言われた時には、どうすりゃいいんだと思いました(笑)。“いい演奏をするためには、人を愛しなさい”とも言われましたね。そう教えられて初めて、“人を愛する”ことの深さについて、思い至るようになったり」
――クラシックのギタリストが“譜面は見るな”って、ずいぶん思いきってるというか。
「僕自身は、譜面があるかぎり、必ず目を通すようにはしているんです。ただキューバに限らずラテン・アメリカの音楽家って、たとえ譜面があっても、演奏と違ってる場合がけっこうある(笑)。結局、実際の音を尊重したほうがいい場合が多いんですよね」
――『フェリシタシオン!』には再録ヴァージョンが収録されている「エストレジータ」も印象的です。メロディの向こうから、リズムが浮き立ってくるようで。
「ハバネラのリズムですね。2001年の
『シエロ』で録音した時には、リズムの捉え方がまだあいまいだった。今回の再録で、落とし前をつけた感じですね。おもしろいもので、一見ルーズに思えるラテン音楽を通過してクラシックに戻ってみると、より的確にリズムを把握できるようになっているんですよ」
――大萩さんにとっては、クラシックもラテンも、大きな意味でつながっているんですね。
「『フェリシタシオン!』に収録した〈ショティッシュ・ショーロ〉もそうですけど、作曲した
ヴィラ=ロボス自身
バッハが好きで、それをブラジル人なりに表現しようとしていたわけですよね。音楽って、お互い影響し合っているものであって、クラシックが上でラテンは和声が単純だから下だとか、そういう区分けができるものではないと思うんです」
――
ショパンだってそうですもんね。じつは当時の庶民の音楽から、モチーフをいただいてる(笑)。
「あの音楽は、この音楽とこんな風につながり合っている。そういう関係が自然に伝わるような選曲も、今後のアルバム作りには反映させっていきたい、と思っているんですけど」
――6月からは、大規模なツアーが始まります。
「ジャズ・ギタリストの
小沼ようすけさんとも共演する予定です。小沼くんの自由な演奏を音符に“翻訳”することで、僕なりの表現も探っていきたい。“即興”を得意とする彼と、一度は音符に置き換えて演奏したい僕。どういう世界が生まれるか、楽しみにしています」
取材・文/真保みゆき(2010年5月)