ソリッドな叙情とでも言おうか。ポップス、ジャズ、クラシックなど多彩なジャンルとコラボを重ねつつ、フラメンコの魅力を全身で体現してきた実力派ギタリスト・沖仁。そのデビュー20周年を飾る最新作『20 VEINTE〜20年の軌跡〜』は音数を絞ったシンプルな構成と、奥深く豊かな情感とが見事に響き合う会心作だ。故郷の長野に拠点を移し、制作のアプローチも一新。音楽との距離感がぐっと近付いたことで、頭の中でイメージした音像をシンプルに抽出することに成功している。新たなステージに入った彼の目には、どんな風景が映っているのか。創作の裏側を聞いた。
――前作『Spain』からじつに4年ぶりのアルバムです。コンセプトやビジョンのようなものはありましたか?
「たまたまデビュー20周年の節目でもあったので、集大成というと大げさですけど、これまでのキャリアで得たもの、積み上げてきた経験をうまく生かした内容にできればいいなと。そういう漠然としたイメージは当初からありました。と同時に、音楽的にはなるべくシンプルな構成にしたい思いもあったんです。実際に制作を始めてから、今の自分が求めているサウンドがあらためて見えてきた部分もあって。結果的には原点回帰というか、デビュー当時の作り方や質感に近い内容になったと思います」
――昔の手法というのは、具体的にはどういうことでしょう?
「僕にとってレコーディングは、大きく3つの要素に分かれます。まず自分のギター演奏。次に共演者へのディレクション。最後に編集やミキシングの作業。インディーズ時代の僕は、これらすべてのプロセスに深く関わっていました。ただ近年はスケジュールの都合もあって、ディレクションをしながらギターも同時に録ることが増えていた。するとやっぱり、細部まで神経が行き届かないケースも出てくるんですね。スタジオではこれで大丈夫と思っても、帰宅して聴き直すと微妙に違和感があったり」
――そのときは気付かなかった点が見えてくる。
「そうなんです。でもその段階で録り直すのは、現実的には難しい。共演者の方々にも迷惑がかかってしまうし、結局は諦めるしかなかった。そこで今回は、まず最初に仮のギターを入れたデモ音源を制作して。レコーディングでは参加ミュージシャンの演奏を聴くほうに意識を集中しました。で、納得のいくオケが完成したところで、最後に自分のギターをダビングしています」
――演奏とディレクションの工程を切り離したと。メンバーの方々は沖さんが仮で弾いたギターを聴きながらレコーディングに臨むわけですね。
「はい。そのためには、最初のギターの精度をものすごく上げる必要がある。プリプロの段階でどれだけ本チャンに近い仮音が録れるかで、一体感がまるで違ってくるので。そこはすごく苦労しました。レコーディング後の編集作業もほぼ自分でやっていますし。ミキシングに関してもここ数作エンジニアさんにお任せしていたのを、今回は二人三脚で立ち会わせてもらって。その意味でもかなり、インディーズ時代の作り方に戻った感じですね」
――精度とクオリティを上げつつ、かつてのシンプルな手法に回帰したのには、何か理由があったんですか?
「2020年の春に、東京から軽井沢に拠点を移したんですが、その影響は大きい気がします。都会はどうしても情報過多になりがちなので。どこかで意識して耳を閉じなきゃいけなかった。でないと暮らしていけない部分が、僕の場合はあったんですね。その点こちらでは、聞こえるのは鳥の声ぐらいなので(笑)。知らないうちに感覚が開かれていくというか」
――なるほど。
「たとえば自分のギターに関しても、前に比べて弾くことより聴くことの割合が高まった気がします。生まれ育った場所なので、ぐるっと一周してスタートに戻れた感じもしますし。たまたま同時期に事務所を立ち上げたこともあって、制作の面でもいろんなことがダイレクトになりました。たしかにこの2年間、音楽業界全体がコロナで大変な思いをしてきていますが、自分自身に関してはポジティブな変化もあった。それは今回の『20 VEINTE〜20年の軌跡〜』というアルバムにも、はっきり出ているんじゃないかと思う」
――そういえばアルバムの最後に入っている〈樫と樅〉には、鳥のさえずりがフィーチャーされていますね。森の中を散歩しているような穏やかなリズムと、ギターの柔らかな音色が印象的です。
「〈樫と樅〉はまさに軽井沢での生活にインスパイアされた曲で、SEで入れた鳥の声も自宅のすぐ近くで録りました。今回はタイトルのとおり、20年の軌跡を凝縮した内容になったと思うので、最後は日常世界に静かに戻るような感じで、アルバムを閉じられたらいいなと」
――拠点を移したことで、レコーディング手法にも変化がありましたか?
「都内のスタジオに比べて設備に限界があるぶん、いい意味で割り切りができるようになりました。たとえば今回、ゲスト・ミュージシャンに足を運んでもらって、リズム録りも軽井沢でしたんですね。プリプロ用の小さめスタジオだったので、ブースも一つしかなく、そのまま録るとパルマ(手拍子)とパーカッションの音がかぶってしまう。だったらチャンネルを分けずに、あえて一つのマイクで部屋の空気感をそのまま録ってしまおうとか。楽曲に応じてレコーディングのコンセプトを絞らないと作業が進められなかった。逆に言うといろんな工夫が必要だったからこそ得られたものも多々ありました」
――へええ、たとえばどういう部分ですか?
「ワンブースの録音って、音が多少かぶってしまう反面、各ミュージシャンの立ち位置や距離感がクリアにイメージしやすいんですよ。そうなると、自分の頭の中にある音像と照らし合わせつつ、マイクのセッティングもすっと決まるようになってきて。いわゆる一発録りとは違いますが、全員が同じ部屋で演奏している空気がかなり出せたと思います。今回、エンジニアの林原正明さんもヴィンテージの機材を持ち込んで、すごく存在感のある音を録ってくれました。レコーディングって結局、存在感じゃなく存在そのものを録る行為なんだなって。ふとそんなことを感じる瞬間もあって(笑)。インディーズ時代のように2人でアイディアを出し合いながら進められたのが、結果よかったのかなと」
――オープニング曲の「サパト・ビエホ」、軽やかな導入部のメロディから強く引き込まれました。爽やかな疾走感の中にもちょっとした翳りやせつなさが滲み、後半にかけてどんどんギターが加速していくなど、豊かな表情を見せています。この曲はどこからインスパイアされたのですか?
「タイトルはスペイン語で“古い靴”という意味なんです。自分の中に漠然と、使い古されたフラメンコシューズのイメージがあって。そこからストーリーを膨らませてみました。この〈サパト・ピエホ〉もそうですが、オリジナル曲を作る際には、僕なりの錬金術みたいなものがありまして(笑)」
――錬金術? どういうことでしょう?
「曲を書くとき、僕はいつもフラメンコを通して何か別のものを表現したいと思っています。たとえばそれは魂が震える経験かもしれないし。誰かの思い出や架空のお話でもかまわない。そういう僕にとって切実なモチーフが、自分の中の旋律とリンクする瞬間があって。そのフレーズが曲の核になっているんですね。でも本場のフラメンコ・アーティストの作り方は違う気がする。何だろう、彼らはフラメンコという形式を用いてフラメンコそのものを表現するとでも言うのかな(笑)。言葉にしにくいけれど、彼らを見ていると、フラメンコであろうとする強烈な意志を感じるんです。そこは僕のスタンスとは違いますね」
――見方を変えると、そこにオリジナリティが生まれる。
「そうですね。実際問題、彼らの作ってきた伝統の世界ではとても太刀打ちできないという現実もありますが(笑)。僕としてはやっぱり、自分が表現したいものとフラメンコのトラディショナルな世界が重なる一点を探したい。本場の人からすれば違和感もあるでしょうが、あえてそのスタンスを大事にしてきた部分があって。その意味で〈サパト・ピエホ〉の導入部は象徴的かもしれません」
――2曲目「言葉のない世界」には、スペインで活躍するフラメンコギタリストのアルベルト・ロペスと日本人タブラ奏者のユザーンがゲスト参加しています。緩急自在な打楽器のリズムが、非常にユニークな効果を生んでいますね。
「かなり冒険でしたが、自分でもうまくハマッたかなと(笑)。この曲に用いたソレア・ポル・ブレリアというリズム自体は、けっこういじりにくいというか。かっちり固まっていて、フラメンコ以外の要素を入れづらい形式なんですね。そこにあえて異質な楽器を入れたかった。一曲の中にすごくトラディショナルなパートと、比較的自由なパートがあって。その中でテーマが転調を繰り返し、思いがけない展開を見せたり……。それこそ曼荼羅絵のようにさまざまな要素が並び、連なっていく感覚が出せたら面白いなと」
――まさにそんな印象を受けました。ゲストの2人はどのような経緯で?
「アルベルトの名前は、かなり早い段階で浮かんでいました。ギターの力量は折り紙付きなので。最初にデモ音源を送り、リモートの打ち合わせで“こことここにギターを入れてね”とお願いしたくらい。細かいディレクションはほぼしていませんが、素晴らしい演奏を送ってくれました。ユザーンはひさしぶりにライヴで共演する機会があり、すごく楽しかったんですね。それで“せっかくだから1曲入ってもらえないかな”と声をかけた。いわば思い付きです(笑)。逆に彼はフラメンコの12拍子に慣れてなかったので、わざわざ軽井沢まで足を運んでくれて。一緒に練習をしながらレコーディングしました。実際はすぐにコツを掴んじゃいましたけどね。ああ見えて、演奏に対してはすごく生真面目なんですよね。厳格と言っていいくらい」
――タブラの正統的な技術を身に付けるために、今でも定期的にインド修行に行かれていたり。伝統に対するリスペクトがすごい。
「そうそう。だから他ジャンルの曲にゲスト参加するときも、ここは譲れないという一線がはっきり存在するんですね。あらかじめ、フラメンコとタブラが共演している音源をいくつか参考に送ったんですけど、どれも“箸にも棒にもかからない”とバッサリでしたから(笑)」
――たしかに真剣勝負の緊張感が伝わります。先行シングルとして配信された「ランドセル」は、非常に爽やかで躍動感に満ちたナンバーですね。沖さんのギターも全編、軽やかなステップを踏みながら歌っているようで。
「二人目の子どもが小学校に入ったときに作り始めた曲なんですが、その子が今年中学生になって、ランドセルから卒業してしまった。さすがに形にしなきゃと(笑)。6年越しでやっと完成させました。ちょっと親ばかですが、ランドセルを背負った小さい子どもたちが、未来に向かって元気に歩いていくイメージがベースになっています」
――イギリス人のピアニスト、アレクシス・フレンチがゲスト参加した9曲目「キリアの街」。エモーショナルなフラメンコギターと幽玄なピアノとが絶妙に響き合った、情感たっぷりのスロー・ナンバーです。アレクシスさんとはすでに共演されてるんですね。
「はい。2019年の〈live image 19 dix-neuf〉で出会い、今年リリースされたアレクシスの新作では僕も1曲客演させていただきました。〈キリアの街〉はリモート録音で、彼が弾き始めてから作業を終えるまですべてリアルタイムで共有させてもらいましたが、これは衝撃的な経験でしたね。とにかく洗練されていて無駄がない! やはりプリプロの音源を前もって送り、そこに鍵盤を乗せてもらったんですが、“こうやって録ってるんだ”という発見の連続で。一流のレコーディングの進め方を見せてもらった気がします」
――他にもアイアート・モレイラの名曲「Tombo 7/4」や、パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンの共演で有名な「Our Spanish Love Song」のカヴァーなど、聴きどころたっぷりです。今回の『20 VEINTE〜20年の軌跡〜』は沖仁というアーティストの核と言える何かをシンプルに表現しつつ、次の領域へ大きな一歩を踏み出した新作だと感じました。
「ありがとうございます。軽井沢に拠点を移し、新たな環境で作った1作目で、何もかも初めてづくしのアルバム制作ではありましたが、自分なりのやり方を確立できた気がします。音楽との向き合い方という意味では原点に帰りつつ、視界は広がったというか。より遠くまで見渡せるようになったという手応えもしっかりあるので。この感覚でどんどんいければいいなと(笑)」
――11月からはツアーもありますね。
「はい。アルバムのアレンジには囚われず、より自由に。楽しいお祭り騒ぎができればと思っているので。ぜひ遊びにきてください!」
取材・文/大谷隆之
Photo by 高木由利子
〈デビュー20周年 / アルバムリリース記念ツアー 〜20 VEINTE[ベインテ]〜〉東京 第一生命ホール
11月23日(水・祝)14:30開演
※その他、各地での公演を予定。詳細は沖仁の
オフィシャル・サイトをご覧ください。