祝復活! 「エノラ・ゲイの悲劇」のヒットで知られるリヴァプール出身のエレクトロニック・ポップ・デュオ、
OMD(オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク)が、アンディ・マクラスキーとポール・ハンフリーズのデュオ形態で再起動を果たした。叙情的なメロディとモダンなシンセ・ポップ・サウンドをミックスさせてきた彼らが14年ぶり(デュオ形態では24年ぶり)の新作
『ヒストリー・オブ・モダーン』に込めた思いとは? “最後のモダニスト”を自認するアンディに話を聞いた。
――『ヒストリー・オブ・モダーン』は、ポールさんが復帰した形態でのOMDを待ち望んでいた人間にとって、最高に興奮させられるアルバムでした。アンディさんご自身はどうでしたか?
アンディ・マクラスキー(以下、同)「すごくエキサイティングだったよ。何年か前まではOMDは存在していなかったし、再び一緒に音楽を作るようになるなんて想像することもできなかったからね」
――ポールさんの復帰は、2005年にドイツのテレビ番組にOMDとして出演したのがきっかけだったそうですね。
「そもそもテレビに出た理由は……何だったんだろうね。ポールに電話して、“なぁ、ポール、最近こういう依頼がたくさんきていて、いつも俺たちは、ノーって答えてるけど、一回イエスって言ってみるか?”って話したのは覚えてるんだけど(笑)。それで彼が、“いいね。じゃ、週末にドイツに行くか!”って答えたんだよ。そしてその番組でのプレイがとても楽しかったから、ツアー、レコーディングって発展していった。いくつものステップを踏みながらね」
――レコーディングの作業自体はどのように進めていったのですか?
「ポールはロンドンに住んでいて、僕はリヴァプールに住んでいる。だから、最初はファイルをインターネットでやり取りしていたんだけど、あまりに時間がかかりすぎるっていうことで、最終的にはポールがリヴァプールまでやってきた。そこで一緒になって初めて、やっと正しいケミストリーやエネルギーが沸き起こってきた。イギリスのことわざに、“自転車に乗るみたいに”って表現があるんだ。何度も何度もやったことは、たとえ10年やらないでいたとしても、やり方を忘れたりはしないってこと。僕らもかつては一緒にスタジオに住みこんでいたくらいに、ずっと長い間一緒に曲を作ってきた。だから作業のやり方っていうのが、身体に染みついているんだよ。昔は僕が椅子に座って、テープレコーダーを回し、何かを録音する。そこにポールが何かを弾く。それがいいとかダメだとか、言い合いながら曲を発展させていくんだ。今はテープレコーダーの代わりにコンピュータを使うけど、基本は変わらないよ」
――『ヒストリー・オブ・モダーン』というタイトルには、あなたがたがモダニズムの末裔であるという意味が込められているように思えます。このタイトルにした理由は?
「モダニズムは20世紀のアートだって考えられることが多い。モダニズムはキュービズムやコンストラクティビズム(構成主義)から始まり、フューチャリズム(未来派)みたいなものに発展し、建築、タイポグラフィ、バレエ、映画などの文化に広がり、やっと
クラフトワークや
シュトックハウゼンを経て、イギリスのポップ・ミュージックの世界にまで到達した。僕らだけじゃなく、
ヒューマン・リーグやダニエル・ミラー、
キャバレー・ヴォルテールみたいなアーティストにね。僕ら自身は、自分たちのことを最後のモダニストだと思っている。そして今、僕らが生きている時代は、ポスト・モダンと呼ばれている。そこに問題がある。年取ったモダニストは、ポスト・モダンの時代に何ができるだろう? そういうアイディアから、僕らは自分たちがきちんと状況を認識していることや、そこに発生しうる軋轢みたいなものを表現できたらって思ったんだ。スリーブもデザインもタイトルも、そういうアイディアをいろんな視点から反映したものだよ。でも、これを原稿に書く君は大変かもしれないね(笑)。普通のロックンロール・バンドの取材では、誰もこんなことは話さないだろうから。“ヘイ、ベイビー、君と今夜セックスしたいよ”みたいなことは、OMDは歌わないからさ(笑)」
取材・文/小暮秀夫(2010年9月)