聖書の黙示録によると、世界の終わりには天使がラッパを吹くという。その音を仏教の世界に置き換えるならば、それは迦陵頻伽の美しき歌声に違いない。2014年秋に
『風神界逅』『雷神創世』とアルバムを2枚同時リリースしてから2年2ヶ月。男女ツインヴォーカルで人の世に生まれ出づる喜怒哀楽、悲喜交々を歌ってきた“妖怪へヴィメタルバンド”
陰陽座の最新作は、この世のものとは思われない美しい姿と声を持つ半人半鳥の生物
『迦陵頻伽』として、今、まさに孵化した。これより真の美声をもって、我々を生と死の狭間にある極楽浄土へと誘ってゆくだろう。
――新作の到着を本当に待ちわびてましたよ! 特に今回は2016年明けて早々に『迦陵頻伽』というタイトルだけは発表されていましたから、余計に待った感があるんです。
瞬火(vo, b) 「『迦陵頻伽』というアルバムを今年出しますと言って、1年近くお待たせしたわけですからね。でも、早い段階でタイトルだけ発表したのには理由があるんですよ」
――その理由とは?
「非常に美しい声で鳴く半人半鳥の伝説の生き物という特質といい、漢字四文字の名前と響きといい、日本的なものをベースに歌というものに重きを置く陰陽座にとって、迦陵頻伽はその存在自体が最上級のモチーフなんです。なので結成当時から“いつか〈迦陵頻伽〉という曲を入れた『迦陵頻伽』というアルバムを作るぞ”と決めていたんですけど、なんと言っても美しい声で歌う伝説の生き物ですからね。まさに“これが迦陵頻伽だ!”と言うに相応しい楽曲が作れる力が備わるまで我慢してきて、結果“ここだ”と定めたのが今回、13作目というタイミングだったんです。それだけ思い入れのあるモチーフであるがゆえに、他のアーティストに取られることが絶対に許せなかったんですよ。だから、少しでも早く宣言しておきたかったんです」
――……同じような話、今までにもありましたよね。で、“いや、瞬火さん以外そのテーマ取りませんよ!”っていうやりとりを、もう何度もしているような気が。
「僕、そんなんばっかりですよ。ただ、その中でも半人半鳥のこの世のものとは思えない姿で美しい声で歌う迦陵頻伽というモチーフは、いつ誰が使ってもおかしくないと本当に焦ったんです。実際〈迦陵頻伽〉っていう曲自体はこの世にありますからね。僕の大好きな
BUCK-TICKの曲にもあります。だから別に陰陽座が初ということではないんですけれど、陰陽座の黒猫というヴォーカリストが持っている声と歌の力というのは、この地上で迦陵頻伽と呼ぶに相応しい唯一のものだと僕は信じているので」
――ええ。ジャケット写真の黒猫さんも、まさしく“これぞ迦陵頻伽!”と舌を巻く神々しさでしたし、確かに今回いつにも増して歌やメロディを大事にした作品のように感じました。それに伴いシンセやピアノといったバンド以外のサウンドも多彩に盛り込まれて、例えば1曲目の「迦陵頻伽」の冒頭にもガムランのような音色が入っていたり。
「お耳が高い! とにかく黒猫という歌い手の歌を全ての角度から全て見せるということが命題だったので、それを彩るためであればどんな音のアイディアも一切躊躇せずに全て盛り込むと、今回は決めていたんです。ああいうオリエンタルな音とメロディを絡めることで、迦陵頻伽の幻想的な部分を強調したいという思惑もありましたし、迦陵頻伽の成り立ち自体が仏教と密接に関係がありますからね。仏教が誕生したインド方面の西方大陸を少し匂わせるような音を入れた結果、陰陽座としては斬新なイメージが出せたと思います」
――曲頭に入っている黒猫さんの神秘的なファルセットも、まさしく迦陵頻伽の鳴き声を彷彿させますが、一番驚いたのが歌い出しの“胚なる”の頭の“は”の音なんですよね。一瞬“これ、瞬火さんの声?”と思ったら黒猫さんで、そのミステリアスな響きに驚かされました。
「つまり、男性かと聞き違えるくらいの低い声で歌う力を黒猫が持っているということですね。黒猫といえば綺麗なハイトーンのイメージが強いですけれど、この曲では黒猫という“生き物”が、どういうレンジで声を操ることができるかを見せたいという意図があったので、低音から高音まで、曲の中で幅広く移り変わっていくんです。一応伝えておくと、この“胚なる”の部分は僕もユニゾンで歌っているんですよ。ただ、絶対に言われなければわからない程度の音量なので、耳に聴こえる声は100%黒猫の声なんですが、そうして黒猫にとっては低く、僕にとっては高いキーをブレンドすることで、なんとなく顔が一瞬わからない不思議な感じが醸し出されて。卵から迦陵頻伽が……何者かわからないものが孵化してゆく歌詞の情景とシンクロしてゆくんです」
――もともと瞬火さんと黒猫さんって声のシンクロ率が高いというか、重なったときのマッチングが非常に良いですもんね。
「そのマッチの良さは昔からで、実際、声の波形がちょっと似てるんです……っていうのは専門的な話ですけど(笑)、このマッチの良さが僕が黒猫の声に対してコーラスを重ねたときに真価を発揮して、この『迦陵頻伽』でもいわゆるコーラスパートは基本的に全部僕なんですが、黒猫の自ハモか?と思うくらい混ざりがいいとこが沢山あります。なので今回、僕がメインで歌っている曲の比率が少ないので、ちょっとサボってるみたいですけど、実は黒猫の何倍もブースに入ってますから! だからと言ってコーラスが目立つのではなく、あくまでも歌が纏う空気として感じてもらって、よくよく聴くとコーラスも重厚だなぁってくらいが理想ですね」
――そう感じる箇所はアルバム中に幾つもありました。ちなみに、美しい声で歌う迦陵頻伽が孵化したあと、歌詞には“その聲を探すの”とありますが、この“声”とは誰の声なんでしょう?
「この迦陵頻伽は黒猫であり、もちろん陰陽座でもあるんですが、迦陵頻伽というのは卵の中にいるときから既に美しい声を聴かせられる存在なんですね。そんな迦陵頻伽たる陰陽座が、この13作目の1曲目で卵から孵って本当の声をあげ始めたということは、つまり、陰陽座のこれまでの12作、17年は卵の中にいる状態だったということなんです」
――なんと! これからが真なる美声を聴かせる時だと。
「そうです。ところが卵から孵ってみて周りを見渡してみたら、そこはなんの生き物もいない孤峰で、たった一人で卵から孵ったことを知るんです。それなのに自分に対して盛んに声をかけてくれる存在を感じて、だから探したところで気づくんですね。その声は陰陽座のファンの声であり、傍にいるというレベルではなく、一心同体となって今、まさに一つの迦陵頻伽として生まれたから……自分の中に一緒にいるから姿が見えないんだと。要するに、この音楽シーンで全く取り残された孤独な存在のように見えて、陰陽座はファンと一体化してそこに確かに存在している。これこそ至上の喜びだと」
――その想いは陰陽座というバンドの生き様を歌った2曲目の「鸞」にも繋がっていますね。
「その通りです。鸞というのは中国では鳳凰と並び称さられるくらいの伝説の鳥で、“鸞凰”という熟語もあるくらいなんですけど、誰も知りませんよね。鳳凰は知らない人のほうが珍しいのに、それと並ぶはずの存在が誰にも知られていないなんて……ゾクゾクするじゃないですか? しかも、鳳凰が年月を重ねると鸞へと変化するという説もあり、だから自らも鳳凰たらんとして鳳凰を守護神に掲げてきた陰陽座ですけれど、バンドとして年月も経た今、むしろ鸞たる存在なのだと宣言しているんです」
――“天を 蹴りて 地へと 昇れ”というリリックも、まさしく陰陽座のスタンスを表していますし、勇ましいメタルチューンではあっても勢い任せではない地に足のついた響きに、まさに鳳凰を超えた鸞を感じました。
「そこが曲がりなりにも20年近くやってきているバンドならではというか。もちろん若い漲った勢いというのも過去の作品にはありますし、それも愛おしいんですけれど、どっしりしているからこそ出る勢いというのは、きちんと年月を重ねないと得られるものではないので。表現できるようになっていることが素直に嬉しいですし、それが今の陰陽座の……あえてサポートの方も含めれば6人が出し得る音の姿ってことですね」
――だからこそ“今”が『迦陵頻伽』を出すべき時だったのだと納得できます。そこからさまざまな世界が広がっていって、3曲目の「熾天の隻翼」が勇壮なシンフォニックメタルなら、続く「刃」は和音階を組み込んだ歌謡チューンで、洋と和の対比が面白い。
「〈熾天の隻翼〉は僕が常日頃から“いつかハッキリ言ってやろう”と思いつつも、何度か遠回しに歌ってきたことをハッキリ歌った曲ですね。いつ何時、陰陽座が無くなるかもわからないのだから、“いつか”じゃなくて“今”言おうと。一方、〈刃〉は最大限に和音階をフィーチャーして作った曲ですが、これまで和音階は和を醸す力が強すぎるがゆえに、安易には使ってこなかったんです。そうすることで、むしろ精神性としての和を体現するというコンセプトがあったからですが、もしも陰陽座が“これでもか!”と和音階を使った場合、どんな曲ができるのか?ということを、一度示しておきたかったんです」
――結果、CMで流れていそうなほど強力なキャッチーさがあるのに驚きました。
「ありますね。何にも使われませんけどね(笑)。黒猫のヴィヴィッドな歌がキャッチーでアップテンポな曲とマッチしている、そんな曲がしれっと4曲目に収まってるところで、この『迦陵頻伽』というアルバムの底知れなさを味わってほしいなと」
――妖怪を通じて人間の喜怒哀楽を描いてきた“妖怪ヘヴィメタルバンド”陰陽座だけに、妖怪をモチーフにした楽曲が今回も多数収録されていますが、5曲目の「廿弐匹目は毒蝮」も妖怪の歌なんでしょうか?
「これは、この世によくあることについての歌で、僕らは日々生きていく中で、確率という数字を目安にすることが多いじゃないですか。例えば天気予報が最たる例で“20%なら雨は降らないだろう”とか、“80%なら傘を持っていこう”とか。同じように“この草むらから毒蛇が出る確率が1%あるから気をつけて”と言われても、まず出ないだろうと安心しますよね。でも、出るときは出るんだから、そのたった1回に当たった人からしたら確率100%なんですよ。つまり、1%だから大丈夫とか50%だからマズいとかって、確率を目安にすることは本当に正しいのか? 10回踏み入って大丈夫で、調子に乗ってもう10回、と試していたら、中途半端に22回目くらいで出たりもするよねという曲です」
――あの……なんでそんなことを歌おうと思ったんでしょうか?
「僕もわからないです(笑)。ただ、とにかく人生には確率という数字を頼りにしてしまう局面があって、でも、1%でも当たることもあれば90%でもダメなときがある以上、本当にその草むらを踏むべきか自分でちゃんと考えて決めたほうがいいのに、どうしても人は数字に惑わされるよなぁ……っていう」
――こんな苛烈で掛け合い満載のパワフルなメタルチューンに、そんな意味合いが隠されていたとは予想外すぎます。でも、次の「御前の瞳に羞いの砂」こそは、あの有名すぎる妖怪の歌ですよね?
「そうです。
水木しげる先生のお描きになった『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な砂かけ婆の。でも実際の言い伝えにある砂かけ婆って、森とか神社を人が歩いていると、どこからともなく砂をかけてくる婆さんがいる、以上!っていうだけの妖怪なんですよ。なんで砂をかけるのか?という理由は全く不明で、これは想像のし甲斐がありますよね。そこで僕が想像したのが、若い頃に再会を約束した男性と別れてしまい、彼が戻ってくるのを今か今かと何十年も待ち続ける間に老婆になってしまった女性がいて。もちろん相手もお爺さんになってはいるんですけど、その愛しい人が戻ってきたときに、こんな老いさらばえた姿は見られたくない!と、目つぶしに砂をかけるんです。ただ、その愛しい人だと確認してから砂を投げるのでは、自分の姿を見られた後になって手遅れなので、人影を見るや否や砂をかけるという」
――一体どこから、そんなロマンチックな発想が出てくるんですか?!
「いや、僕ほどロマンチックな人間はいないですから(笑)」
――否定はしません(笑)。時に女性以上の細やかさをお持ちですもんね。
「だから僕は人間の心の機微だの、そこから生まれる妖怪と呼ばれるものを本当に愛しているんですよ。普通なら“へぇ、そうなんだ”で終わるものでも、想像次第でこんな愛おしい話になるわけで、この老婆も年は取っても心は乙女なんです。老けた顔を見られたくないから砂を投げて、でも、愛しい人が自分を迎えに来たという事実は欲しいから“早く 逢いに来て”と歌う、この我儘な感じ! もう、乙女ですよ」
――切ないけれど哀しいだけの歌ではないから、それで曲はファンクなんですね。
「いや、もうノリノリですよ。老婆になっているのに乙女の心で人に砂をかけるって、ハッキリ言って滑稽というか愉快というか、でも、素敵じゃないですか? だから楽しい曲にしたくて、黒猫のヴォーカルも非常に伸び伸びとした素晴らしい歌になったと思います」
――男を待つ女の歌というのは続く「轆轤首」も同じですが、斬新なジャズアレンジにキャッチーな歌謡感、さらに黒猫さんの悪女感たっぷりの巻き舌から妖艶な笑い声と、バラエティ豊かなヴォーカルに圧倒されました。
「なので陰陽座に初めて触れる方には“メタルバンドだって聞いてたけど、こういう聞きやすい曲もあるんだ”と感じてもらえるでしょうね。でも、それだけじゃないんです。陰陽座4枚目のアルバム
『鳳翼麟瞳』に〈飛頭蛮〉という曲がありまして、これも読みは同じ“ろくろくび”なんですよ。轆轤首は首が伸びる妖怪、飛頭蛮は首が飛んでいく妖怪という違いはあるんですが、陰陽座の〈飛頭蛮〉は男を作って逃げた女房を未練がましく、首をすっ飛ばして追いかけていく亭主の歌で、そのとき逃げた女房を主人公にしたのが今回の〈轆轤首〉。で、男を作って逃げた……努めてソフトに表現すればアバズレが、その男にあっさり捨てられたとみるなり、どうせ旦那も私に未練があるんだろうから早く迎えに来ればいいのにと首を長くして待っている歌ですね。それでジャジーになる部分では〈飛頭蛮〉のサビのメロディが使われていたりもするんです」
――なるほど! しかし『鳳翼麟瞳』は13年も前のアルバムなのに、なぜ今のタイミングでアンサーソングを書こうと?
「〈飛頭蛮〉を作ったときから、“このアバズレの曲を〈轆轤首〉としていつか作ってやる”と温めていて、“これだ!”と思えるものができたのが今回だったということですね。身勝手で全ての男が自分の都合よく動いて当然と信じている女房殿の不埒な感じと、それでも惑わされる男がいるという悲しい現実が、この『迦陵頻伽』というアルバムではスパイスとして活きるとも感じましたし、今後はライヴで“次の曲、聴いてください。ろくろくび”と言っても、音が出るまでどっちの曲かわからないわけです。そういう面白い試みをいつかやろうと考えていたので、やっと実現できたのが嬉しいですね」
――いや、長くキャリアを積んできたバンドならではの仕掛けですね。もう一つ、妖怪の曲としては11曲目に「絡新婦」がありますが、こちらは対照的に、どストレートで美しく、哀しいバラード。
「絡新婦に関する伝承は数多くあるんですけど、基本的には人間の女性に化けて、人間の男を騙したり誑かして精気を啜る妖怪なんですね。で、ここで歌われているストーリーは僕の創作なんですが、相手の男を本当に愛してしまい、とても殺すことができなくなった絡新婦がいて、罪の意識に耐えかねて自分の正体を明かして許しを請うたら、“許さない、この化け物が!”と殺されかけるんです。ただ、自分が斬り殺されるのはともかく、一緒に連れていた子蜘蛛たちだけは絶対に守りたくて、やむなく愛する男と刺し違える……つまり愛するものを守るために、もう一方の愛するものを殺すことを選ぶんですよ。そんな究極の状況を、まさに黒猫が絶唱をもって表現していますが、こんな感情をこれだけ炸裂させられる歌い手は本当に黒猫しか存在しないですね」
――物語の展開に沿って歌声に乗る感情の抑揚と波打ち具合が、本当に素晴らしいです。振り返ると妖怪曲は全て男女間の恋情を歌った曲になっていますが、やはり妖怪が人間の感情により生み出された存在である以上、どうしても誰かに対する強い情念がベースになっているものが多く、必然的にその物語を描こうとすると、恋愛にまつわるものになってしまうんでしょうね。
「一言に恋愛といっても、傍から見れば眉を顰めたくなるものがあったり、笑っちゃうような滑稽なものがあったり、悲しいとしか思えないものがあったり、人間の全ての感情がそこにあるんですよ。でも、恋に落ちている当事者は常に真剣で、その想いが時に叶ったり叶わなかったり……それが人の営みってものですよね。まぁ、陰陽座の場合は今、恋をしている人が“ああ、わかる!”と感情移入できるような上質なラブ・ソングが提供できないぶん、こういうドロッとしたラブ・ソングをお届けしているわけですが、つまり何が言いたいかというと、陰陽座ほど愛を歌っているバンドはない。エロスとタナトスですよ!」
――それも否定しません。陰陽座のアルバムでは必ず1曲入っている長編曲を今回担っている「人魚の檻」も、生と死という人間の根源とも言えるテーマを基盤に、悲しいまでの男女のすれ違いを描いているじゃありませんか。
「食べた者を不老不死にするという伝説のある人魚の肉を食べさせられた妻と、食べさせてしまった夫が織りなす深い愛ゆえの悲劇を歌っていますからね。とにかく妻を愛しすぎて死に別れる瞬間を恐れるあまりに、夫は妻に不老不死を与えて、それが究極の愛だと思い違いをしているんですよ。でも、妻にしてみれば永遠に死ねない苦しみを与えられたわけで、不老不死の身では普通の人間社会で生きていくこともできないと、水底に沈むんです。水底に生きる不老不死の存在と言ったら、それはいわゆる人魚じゃないですか。だから、あなたこそ私の肉を食べて不老不死になりに来なさい……と歌っているんです」
――そんな二人の心のズレを表すために、サビでは瞬火さんと黒猫さんのお二人で、微妙にズレた歌を歌っているんですね。
「そう。ズレた音でズレた気持ちを二人それぞれ歌っているんですが、その重なった音とズレた音を一つずつ拾って組み合わせると、どちらの歌とも違う新たな一文が現れるんですよ! 別々の言葉を歌っているのに交わるという手法は今までにもやってきましたが、ズレているところを繋いだら別の意味を持つ一つの文が浮き上がるように歌詞を書いたのは初めてで、これは血反吐を吐くほど大変なんです」
――いや、自分がやることを考えたらゾッとしますよ。絶対に無理。
「じゃあ、そこまでして歌詞に仕掛けをする意味はあるのか?と問われるかもしれませんが、男女のすれ違いを描いた物語と男女ツインヴォーカルというバンドの特性をこれ以上なく活かせる手法に、どうしても挑戦したかったんですね。もちろん、もっと素直に自分の言葉で心の叫びを綴るという手法もあるでしょうし、僕も聴く分にはそういう歌詞も大好きなんですが、あえて歌という形で伝えるからには何か施したい。例えば短歌だとか俳句だとかいう古来からの"歌"にも、五七五の定型だとか掛詞とかの仕掛けがあるのは、より深く言葉を胸に刻むため、そのために歌を作ったんだと信じたいんです。このサビも二人のズレた気持ちを合わせた結果、また別の言葉が出てきたと思うと、すごくグッとくるじゃないですか?」
――きますね。もちろん楽曲展開もドラマティックで、冷たい水底を思わせる静謐な始まりからエモーショナルに荒ぶっていき、妻への愛に浸った瞬火さんのヴォーカルも一際甘い。
「ほぉ。まぁ、僕ほどスイートな男はいませんからね(笑)。要するに、全ては愛ゆえなんですよ。なのに相手には否定されるのって一番やるせない。もっとも、怒られて当然のことをしているから仕方ないんですが、そういった想いが歌声にも表れているんでしょうし、つまり、愛というのは恐ろしいものですねということです」
――誰かを想う気持ちというのは際限なく高まりますから、時に最も恐ろしい凶器になる。まさにエロスとタナトスと言いたいところで、10曲目の「素戔嗚」はそんな陰陽座の性質から生まれた曲だとか。
「はい。素戔嗚はもちろん日本神話に出てくるスサノオの命のことなんですが、とある研究者のスサノオ評に、陰陽座のことを言っているとしか思えない一文があるんですね。“スサノオノミコトは無垢と残虐と知恵を併せ持つ、死と再生、エロスとタナトス、破壊と創造、天と地、男と女、童と翁を内包しながら相反するものの一致をはかり、その両極を股にかけて結び織りなすものである”と」
――完全に陰陽座のことじゃないですか! 日本神話をモチーフにした曲は初めてなので、なぜ?と不思議だったのですが、それを聞いたらぐうの音も出ない。
「うん。僕がぐうの音も出ない! それでスサノオという存在に陰陽座をなぞらえた曲を作ってみたんです。神話がベースなので何か神を祭るような神秘的な雰囲気もありつつ、やはり陰陽座を重ねているので、自分たちの意志をハッキリ歌っている面もありますね」
――ハードかつ荘厳なサウンドに乗る黒猫さんのヴォーカルにも、神々しさと人間味あふれる迸りが同時に感じられました。ちなみに陰陽座のアルバムには毎回長編曲と、女忍者を主人公にした勇ましい“忍法帖”シリーズが収録されるのが恒例になっていますが、今回の「氷牙忍法帖」のヒロインはどんな人物なんでしょう?
「これも過去曲と繋がっていて、前作『雷神創世』の〈神鳴忍法帖〉に登場する死にたくても死ねないほど無敵の女忍者の曲ですね。ただひたすらに戦うことを虚しく感じていた彼女の諦めの境地を、さらに以前に発表した
〈甲賀忍法帖〉(2005年発売シングル)のカップリング曲〈卍〉でも描いていたんですが、今作はさらに時間が進んで、そうして唯々諾々と人を斬る修羅の道へと自分を落としている組織への反逆を志すという話です。だから、その組織との最終決戦が、今後別の“忍法帖”で描かれるかもしれませんね。まぁ、無敵の忍者が組織に反逆するだの、えらい中二な発想ですねと笑われるかもしれませんが、僕が忍者にハマッたのは小学四年生のときなので、中二じゃなくて小四です!」
――わかりました(笑)。そして「甲賀忍法帖」といえば、山田風太郎氏の同名小説を原作にしたアニメ『バジリスク〜甲賀忍法帖〜』の主題歌として書き下ろされた陰陽座の代表曲ですけれど、今回のリード曲である「愛する者よ、死に候え」も同じ物語について歌っていますよね。 「はい。今回、パチスロ『バジリスク〜甲賀忍法帖〜』の最新機種リリースにあたり、全く違った視点で新しい主題歌をつけてほしいというオファーを頂いたんです。ただ、〈甲賀忍法帖〉という楽曲は『バジリスク』の主題歌として絶対的で、もうこれ以外には無い!と僕は自負していたので、最初はお断りするつもりだったんですよ。でも“全く違う視点”といえば、〈甲賀忍法帖〉はヒロインである朧の視点から描いていたので、彼女と愛し合いながらも殺し合う運命になった弦之介の視点というのは一切歌われていないなと。じゃあ、一族を統べる立場でありながらも敵である朧を愛おしく想う、その選びようのない苦境に立たされた弦之介の覚悟を歌おうということで、この〈愛する者よ、死に候え〉を書き上げたんです。結果として主人公二人の気持ちを両方描くことができて、これは本当に良い機会を与えていただいたなと」
――それでMVでは「甲賀忍法帖」のMV映像が挟み込まれていたり、黒猫さんが同じ帯の締め方をしていたりするんですね。映像の中では黒猫さんが朧に、瞬火さんが弦之介となってのイメージシーンもあって、ファンの方々からも“二人がイチャイチャしてる!”と大好評だったようですよ。
「まぁ、だから伊賀と甲賀に分かれて殺し合うしかない二人だけど、心の中では二人こうやって寄り添っていたいというメタファーですね。しかし、あんな後ろからハグしてるだけの映像をイチャイチャって、本当にファンの想像力は凄い! 他にも聞いた話だとMVで初めて登場した楽器を見て、“これはどこのメーカーだ?!”といって気にしてくれたりするらしいですけど、ありがたいことです。確かに今回は〈愛する者よ、死に候え〉と〈素戔嗚〉で、初めて七弦ギターを使っているんです」
――七弦 / 五弦も躊躇なく取り入れたことで、さらに曲の幅が広がったように思います。そしてラストの「風人を憐れむ歌」は、やはりローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」から来ているのでしょうか? 「そうそう。あのタイトル、カッコイイじゃないですか。一回聞いたら忘れられない印象的な曲名なので、そのタイトルに引っ掛けて〈風人を憐れむ歌〉と。風人というのは歌を作る人のことで、古くに作られた言葉ですから、その“歌”が意味するのは短歌だとか俳句でしょうけれど、広義に捉えれば現代の音楽も入るだろうということで、この曲ではミュージシャンである僕自身のことを指しています。じゃあ、その音楽を作る人間の何を憐れんでいるのかというと、世間ではミュージシャンだとかアーティストというものが、一般的な職業に比べて一段高いところに据えられがちな風潮がある気がするんですよ」
――確かに“芸術に携わる仕事ってカッコいい!”と、憧れられる傾向があるのは否定できません。
「もちろん僕は自分の生業に対して誇りも、職業に貴賤なしという持論も持ってはいますよ。それでも、例えば米を作り世に流通させて調理して提供する……というような、どう考えても社会の役に立つ仕事と比べて、誰の役にも立たない無意味な音の配列で人からお金を取る仕事の何が偉いのか納得がいかない。音楽なんて人々の胃袋が満ちて、その後で余裕があるときにやっと楽しんでもらえる程度のものなのに、ともすれば食べ物を作るよりも尊いことのように扱われていることが気に食わないんです。つまり、誰が求めているわけでもない、音楽だとか歌詞だとかいうものを作って得意げにしている、この行為自体が哀れだなと憐れんでいるんですね」
――だから“己が 声を 求めるのは 己のみ”といった、やや自虐とも取れかねない表現が入っているんですね。
「……なのですが、そうして自虐で終わったら極度にセンチメンタルなだけですが、最終的な結論は、この曲でアルバムを聴き終え、また1曲目の〈迦陵頻伽〉に戻ったときに用意されているんです。僕らが作っている音楽というのは、その程度の価値しかないはずなのに、ファンの方々はそれ無しでは生きていけない!というくらいに、陰陽座の音楽を求めてくれている。だからこそ有り難いのだと」
――なるほど! つまり、曲の最後に出てくる“無双の 声”こそ、1曲目で孵化したばかりの迦陵頻伽が探していた“その聲”であるということですね。
「まさに。陰陽座の音楽を一心同体の身で求めてくれるファンの方への感謝が、そこで歌われているのです」
――いや、アルバムの冒頭と終わりをバンドからの力強いメッセージで繋ぐ手法は流石です。ただ、それだけに気になるのが“忘れたくない 無双の 声も 嗄れ果てる 前に 音を消す”というラストの一文なのですが。
「まぁ、何か救われない感じがしますよね。“嗄れ果てる 前”って、僕が常日頃から言っている“死ぬまで生きる”というポリシーと、ともすれば相反するように思われてしまうかもしれませんが、これは違うんですよ! “死ぬまで生きる”というのはあくまでも本人の意志であり希望であって、実際に100%叶えられるとは限らない。それはミュージシャンとしてという意味かもしれないし、歌い手という意味かもしれないし、人生そのものなのかもしれないですけど、いつ誰に何が起きるかなんてわからないですからね。求める声はまだ嗄れていないのに、その歌が止まってしまうことも起こり得るんだよ……ってことです」
――そんな想いがあるからこそ、毎回“これが最後だとしても悔いのないように”という心構えで作品創りをされていると仰っていますよね。
「そのいつもと変わらないスタンスに輪をかけて、今回は本当にこれで最後になったとしても一切悔いはない!と、作り終えた時点で断言できるだけのものを作ろうと考えていたんです。昨今のシーンを見渡せば、本当にいつ誰が次の一歩を踏めなくなるかわからないですし、もちろん陰陽座とて例外ではない。自分でも思いますもん。“なんでこんなに続いてるんだろう?”って」
――いや、それは無双の声の強さゆえですよ!
「ホントにね、有り難いことです。今回『迦陵頻伽』というアルバムはCDを中心にリリースされますが、音楽をCDで手に取ろうということだって、あと何作やってもらえるかわからない。そういったギリギリのところにいる実感は本当にあって、だからこそ、これが最後になるとしても一切の悔いを残さず歌い切るんだという信念を、このアルバムには込めたんです」
――それで“最後の天に響く、無双の声”だとか“最後の天を舞うが如き信念と覚悟の聲”といった、ちょっとドキッとしてしまうようなキャッチフレーズが付けられているんですね。
「確かに“最後”とか“ファイナル”とかっていう単語をバンドが使うと誤解を招いてしまいがちですが、その可能性もわかった上で、どうしてもこう言いたかったんです。もちろん、これで最後のアルバムですという話では全くありませんが、だからって“最後の天に響く〜”っていう文言の下に、CMの注釈みたいに“ラストアルバムというわけではありません”って付けるのはおかしいでしょう? そのぶんインタビューでもちゃんとお話ししますし、ちゃんと次の構想もありますから、これは大丈夫だなということをもって発表と代えさせていただきます(笑)」
――だいいち迦陵頻伽は今、まさに生まれたところですからね。今後の成長が楽しみですし、まずはこの『迦陵頻伽』を広く聴いてほしいと切に願います。
「まぁ、それほど広くは聴いてはもらえないでしょうけどね」
――そんな! 一度聴けば“こんな良いバンドがいたなんて!”と、目から鱗な人続出なはずですよ。
「いや、これは別に自虐とか何かを卑下してるわけじゃなく、ホントに聴いてもらえないんですよ! この世の音楽シーンにおいて、陰陽座は理論値としては存在していないバンドですから、ファンの方以外にはまず聴いてはもらえない。でも、この世界の誰もが知る存在ではないところに、この陰陽座の生まれた意義があるんじゃないかとも思いますし、誰もいない孤峰に生まれたようでも、ファンの方々は確実に共に在るから全く問題はありません。そして何かしらの奇跡が起こって、この『迦陵頻伽』を耳にしてくれた人は、絶対に目から鱗が滝のように落ちるという確信もあります」
――では、それだけの自信作を引っ提げたツアーが、何故ホール4箇所だけなんでしょう?
「もちろんホール4本で終わるわけないじゃないですか(笑)。生きていれば、また良いお知らせをすることができるでしょうし、そもそもホールツアーのファイナルがパシフィコ横浜というバンド史上最大規模の会場ですからね。つまり最大規模でライヴをお届けしたいほどの力作ができたということなので、まずはそちらにお越しいただきたいです」
取材・文 / 清水素子(2016年11月)
2016年12月13日(火)
愛知 名古屋 日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール(旧 名古屋市民会館中ホール)
開場 18:00 / 開演 19:00
物販先行販売時間 16:00〜17:30
6,000円(全席指定 / 税込)
※3歳以上のお客様はチケットが必要になります
お問い合わせ サンデーフォークプロモーション 052-320-9100
2016年12月16日(金)
埼玉 三郷市文化会館 大ホール
開場 18:00 / 開演 19:00
物販先行販売時間 16:00〜17:30
6,000円(全席指定 / 税込)
※3歳以上のお客様はチケットが必要になります
お問い合わせ ディスクガレージ 050-5533-0888
2016年12月20日(火)
大阪 NHK大阪ホール
開場 18:00 / 開演 19:00
物販先行販売時間 16:00〜17:30
6,000円(全席指定 / 税込)
※3歳以上のお客様はチケットが必要になります
お問い合わせ 大阪ウドー音楽事務所 06-6341-4506
2016年12月23日(金・祝)
神奈川 パシフィコ横浜 国立大ホール
開場 17:00 / 開演 18:00
物販先行販売時間 15:00〜16:30
6,000円(全席指定 / 税込)
※3歳以上のお客様はチケットが必要になります
お問い合わせ ケーエムミュージック 045-201-9999