1月27日に待望のニュー・アルバム
『オーケストリオン』をリリースしたスーパー・ギタリスト、
パット・メセニー。本作ではたくさんの生楽器を自動演奏させてアンサンブルを作り出す装置、“オーケストリオン”に着想を得て制作されたといいます。今回の特集では、パット・メセニー本人によるライナー用コメントとともに、今回使用された装置やテクノロジーをわかりやすく解説しつつ、作品の魅力に迫ります。
仮想的デジタルでもなく、生身の人間の表現でもない
その間をいく第3の未開の音楽世界
20世紀に花開いた音楽文化は、振り返ってみればエジソンの蝋管録音機が発端だった。もっとも蝋管時代の初期の記録はほとんど演説などで、これが音楽の爆発的普及に活用されるとは想像できなかったかもしれない。その後蝋管は円盤となり大量に複製され、家庭の中に入り込む。さらに、ラジオの普及で、多くの人が同じ音楽を楽しむ時代になり、レコードによって、音楽はもはや所有する時代になったわけだ。
一方、トーキー映画の発達とともに、スピーカーやアンプの技術が開発され、大勢の人が同じ会場で同じ映像を見ながら同じ音楽を楽しむ時代になったということも重要だ。これら一連の技術革新は20世紀前半のほんの数十年の間に起こったのである。
では、こうした録音技術がなかった時代はどうだったのか。音楽は、当然生で楽しむしかなかったが、一方で19世紀の機械文明は、オルゴールに始まり、さまざまな自動楽器演奏装置を生み出した。手回しオルガンや自動ピアノ(プレイヤー・ピアノ)が有名だが、ハーモニカ、ギター、ハープなど思いのほかたくさんの楽器の自動化が進んでいた。そして、当然その集合体としてオーケストラルな装置も開発されていた。
(C)Jimmy Katz
さて、前置きが長くなったが、パット・メセニーの最新作『オーケストリオン』は、こうした知識を頭に入れておくと、ずっと面白くなる。というのは、このアルバムは、こうしたかつて存在し、レコードの普及によって歴史を閉じた自動演奏装置を復活させようという試みだからだ。もっとも、1980年代以後急速に発展をとげた音楽のデジタル化により、楽器音のサンプリング、そしてシーケンサーによるプログラミングされた自動演奏装置が普及した今、なぜこんなことに夢中になるんだ? と言いたくなるかもしれない。これはなかなか一言で説明できないが、簡単に言えば作られた音よりも楽器が生み出す生の音にこだわるということだ。プログラミングされスピーカーからステレオで流れる音楽と、生の演奏される楽器の音楽は違う、というこの確信のようなものは、即興演奏家パット・メセニーが、音楽とどういう風に向き合っているかを考えるとき、とても重要な鍵になる。
足踏み式の自動ピアノ。中央の筒状のペーパーが回転し、鍵盤が動く。
浜松市楽器博物館提供
自動演奏と言っても、それは所詮機械に過ぎず、生身の人間の表現ではない。けれど、レコードが普及した後でも、実をいうと自動ピアノは、かなり長く存続し、ホテルのラウンジなどで時折見かけるように、今でも一部にしっかりと生きている。それはスピーカーから出てくる音とは違った、実際のピアノが奏でる音楽に不思議な魅力があるからだ。メセニーは、アルバムの解説で、子供のとき叔父さんの家にあった自動ピアノに夢中になり、一生懸命フイゴを踏んで汗をかいたとあるが、それはかなり昔の自動ピアノで、40年代になると鍵盤を動かす装置は空気からソレノイド(コイル)を使った電気的な動力に変わっているという。そして、そうした自動楽器演奏を最先端の技術で再構築し、そこから生み出されたのがこの新作の音楽というわけである。
聴いてみれば分かるが、決してオルゴールのような単純なものではない。“一人メセニー・グループ”と呼ぶように、ドラムは細やかにさまざまなリズムを自在に刻み、いろいろな楽器が素晴らしくコントロールされてアンサンブルを作り、音楽が痛快に疾走する。その中でメセニーのギターの即興が展開される。さまざまな楽器が、ギターの演奏にも制御され連動する。まるでギターの新しいアタッチメントと言ってもいい。デジタルで仮想的に作られたものでもなく、また、生の人間の表現とも違う。その間をいく第3の未開の音楽世界を目指すと大胆に言えばそうなるだろう。むろん、これをぼくたちはステレオ装置で聴くことになるが、そこにいささか矛盾を感じないわけではない、けれどその矛盾を誰よりも感じているのがメセニー自身に違いない。彼は早速この大掛かりな装置とともにワールド・ツアーに走り出した。現時点で日本公演はまだ決まっていないが、是非ともこのファンタスティックな音楽世界を生で聴きたいものである。
文/青木和富
パット・メセニーからのコメント
(C)Jimmy Katz
このプロジェクトは、19世紀末から20世紀初頭にかけて興ったあるアイディアを、現代のテクノロジーを使って機能させ、作曲、即興音楽、パフォーマンスのための自由な新しいプラットフォームを作り出そう、というコンセプトの元に行われた。
「オーケストロニクス」という言葉を使って僕が説明するこのメソードは、アコースティック楽器およびアコーストエレクトリック(音響電気)楽器を、さまざまな機械による操作によって(中略)、アンサンブル的な音楽を作り出すというものだ。
****(中略)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、プレイヤー・ピアノ(筒になった紙を動かして行くことによって、物理的に鍵盤が動く仕掛けの、機械演奏のピアノ)が広まり、次のステップはその原理をほかのオーケストラ楽器に応用して行くことだ、という動きが自然に起こり、パーカッションやマレットなどの楽器の「自動化」が進んで行った。この全体を「オーケストリオン」と呼んだ。
1978年に、僕はニュー・シャトークァというアルバムをつくった。これは、数本のギター音源を重ねることによってアンサンブルをつくり出し、スタジオそのものをひとつの楽器に見立てて音楽をつくろう、というアイディアを元に制作したものだった。ただ、ライブでは実現不可能な作品だったね。時代が進み、今ではある程度のものはライブ・ルーピング・テクノロジー(サンプリング)を使って再現できるようになったけど、僕が一番大好きな、シフトするハーモニーのようなものになると、やはりステージでの再現には限界があるんだ。
現代の音楽テクノロジーの最先端の部分を使いこなしながら、実際のアコースティック楽器のパワーをしっかりと持った曲を書きたい。そんな環境が整うことは、僕にとって長年の夢だった。
****(中略)
本作の制作に先んじて、何年ものあいだ、僕は優秀な発明家や技術者を全国から集め、オーケストリオンの新しいかたちとして、僕が組み上げることのできるアコースティック・サウンドの再現デバイスをたくさん作ってもらっていた。
依頼を出していた複数の発明家たちから、次々と楽器が「発明」されて届くに従って、それらのための役割を考え、楽曲を完成させるという作業は、膨大な時間と体力を要する、大変な、しかし非常に楽しく、やりがいのある仕事だった。その作品をみなさんに紹介できるときがやってきて、本当に喜んでいる。ひとことで言って、大変ユニークな作品に仕上がっているよ。これらの楽器を完成させ、それぞれの得意分野を理解し、そのための楽曲を書いて行くというプロセスの中で、僕も新しいことをたくさん学ぶことができた。僕自身も進化したような気がしているし、今までだったら思いつかなかっただろうと思えるような音楽がどんどん出てきたような感じがしている。ここまで完成度の高いものができるとは、僕にとっても実は驚きだった。新しい世界に足を踏み入れ、そこで発見した要素が、僕を未踏の領域に連れて行ってくれたんだ。みなさんに楽しんでいただければ、幸いです。
パット・メセニー
2009年11月
(本人によるライナーより抜粋)