――約3年ぶりのアルバムですね。前作のツアーを終えてからのこの1〜2年で、とりわけ印象に残っていることはなんですか? すごく嬉しかったこととか、辛かったこととか。
「嬉しかったのは、結婚したこと。そういう答えじゃなきゃまずいでしょ(笑)? 辛かったのは……今回はアルバムのレコーディングをイギリスでやったんだけど、旅立つ前日のあの不安が忘れられないわ。すごく怖かった。イギリスには知り合いもいないし、プロデューサーのイーサンのこともまだよく理解していなかったからね。実際イギリスに行ってしばらくは、彼とコミュニケーションをとることだけでもたいへんだった。正直、“ここに来たのは失敗だった”と思ったわ。でも、やり続けていくうちにイーサンとも理解し合えるようになって、結果的には最高のレコーディング体験になったの。はじめは脅えていたけど、思いきって行ってよかったわ」
――イーサンは気難しい人だったんですか?
「そういうわけじゃないんだけど、あまり感情を顔に出さないし、やっぱり新しい関係性を一から築いていくのは、私にとってたやすいことじゃないのよね。前作は
ジョーイ・ワロンカーと一緒に作ったわけだけど、彼は以前からの友人だったので、コミュニケーションもとりやすくて。でもイーサンとはまったく初めてだったから、はじめは彼がどんなサウンドを目指しているのかわからなかったのね。たとえば〈クライ・ベイビー〉という曲があるんだけど、彼はこの曲がラジオ・ヒットになりうるものだと思ったようで、ポップなサウンドにしたほうがいいって考えだったの。私にしたら“ええっ?”って感じで。そんなつもりで書いた曲じゃなかったからね。だから、“私としてはもっと散らかった感じで、少し汚れたようなサウンドにしたい”って言ったの。そうやって意見を伝えながらもレコーディングを進めていくなかで、彼が“うん。この曲はもうラジオ・ヒットを狙うようなものではなくなった。いい意味でね”って言ってくれて。で、あとから聞いたら、彼自身、ポップなサウンドが好みだったというわけじゃなくて、私がEMIと契約しているからラジオ・ヒットを意識したものを作ったほうがいいのだろうと気を遣ってくれていたらしくてね。そんな一件を経て私たちはどんどん互いを信頼するようになっていったのよ」
――いい人じゃないですか(笑)。
「ええ。イーサンは本当に卓越したプロデューサーだわ。レーベルは私にもっとポップでヒット性の高い曲を書いてほしいと思っていて、でも私はそういうものをやりたいわけじゃないという考えだったんだけど、あまり聞いてもらえなかったのね。そうしたらイーサンが“いや、彼女の曲はこのままで十分素晴らしい”って言ってレーベル側を説得してくれて。彼がそこまで私の曲を信じてくれたのが本当に嬉しかった。そうしてこのように心から満足できる作品が仕上がったのよ」
――オーガニックで音数が少ないという作りは前作にも増して徹底されていて、より一層あなたのヴォーカルのよさが際立ってますね。
「そう感じてもらえると、とても嬉しいわ。それはイーサンのおかげでもあるの。そもそもイーサンと仕事をしようと思ったのは、彼の手掛けたレイ・ラモンターニュのアルバムが大好きで、それはどんなサウンド・アレンジであろうともレイのヴォーカルが中心にあるからだった。で、イーサンにそのことを伝えたのね。彼は20年代〜40年代のアルバムを好きでよく聴いていて、なぜならそれらは本来声が占めるべきスペースに余分な楽器を入れたりしないからだと言ってたわ。自分はそういう音楽を求めているんだって。それはとても共感できる話だった。彼はどうやってヴォーカルを際立たせればいいのかを本当によくわかっているの」
――とくにあなたが気に入っている曲はどれですか?
「〈エンプティ・ハウス〉ね。とてもパーソナルな内容だから。この曲には古くからの私の想い出がつまっている。子供の頃に感じた孤独とか。この曲を聴いて、自分の子供の頃を思い出したと言ってくれた人がいたわ。そういうふうに私意外の人が同じ気持ちになってくれたというのが嬉しかった。そういうことってあるのね。だからこれは特別な一曲。ミックスが終わって、電気を消してこの曲を部屋でひとりで聴いたとき、私、泣いてしまったの。自分の曲を聴いて泣いたことなんか一度もなかったんだけどね」
取材・文/内本順一(2011年2月)