2010年、ヴァンクーバー・オリンピックでは、女子フィギュア・スケートのフィンランド代表が、
ラヤトン(Rajaton)のオリジナル曲「バタフライ」を採用、なんて事態も起きたそう。母国での人気をうかがわせるエピソードだが、ベスト編集盤の
『北欧の森の物語』、そしてステージを通じて彼らのの歌声に触れてみて感じるのは、アカペラで歌われるフィンランド語、その響きの多様な美しさ。一方で、男性3名、女性3名から成る6人が、1曲ごとに立ち位置を替えながら歌っていく。ライヴならではのそうした演出も観ていて楽しく、このユニークなグループを生んだ北欧の小さな国が、以前より近しく思えてもくる。メンバーのちょうど半数。エッシ・ヴゥオレラ(ソプラノ)、ハンヌ・レポラ(テノール)、アハティ・パウヌ(バリトン)の3人が、インタビューに答えてくれた。
――昨夜(11月19日・銀座王子ホール)のステージで歌われた「ワイルドグース」での声の重なりが、山中に響く木霊のように聞こえたのが印象的でした。
エッシ 「素敵だわ」
アハティ 「あの曲では特に、6人の声がひとつに溶け合った“ワン・サウンド”に聞こえるよう心がけたからね。バス担当のユッシ(・キューデニウス)の低音が、空を舞っているみたいでしょう。自分でも歌っていて、フィンランドの自然を目の当たりにしているような感覚をおぼえる曲なんだ」
――フィンランドの自然と言えば、フィヨルドに象徴される、地形の複雑さが有名ですよね。
エッシ 「そう。フィヨルドって、切り立った崖の向こうがすぐ海。すごくドラマチックな地形なの」
アハティ 「僕たちの曲に似てるかも(笑)。ふわふわと浮遊していたかと思えば、ずど〜ん! 奈落が待っていて、聞き手はものすごくびっくりする(笑)」
――と同時に、フィンランド語の響きの美しさにも、目を開かされました。「ワイルドグース」のようなに母音を強調した曲がある一方、「花婿を待ち焦がれて」では、“t”や“k”といった子音がスタッカートされることで、ハキハキと楽しい印象を与えていて。
ハンヌ 「フィンランド語の特徴として、書き文字のひとつひとつが、決まった“音”と規則的に対応している、という点がある。例外はなし。論理的な言語なんだ。母音は8種類あって……」
エッシ 「その響きを活かした〈ワイルドグース〉のような曲だと、柔らかい、流れるような曲調になって……」
アハティ 「曲によっては、イタリアのオペラみたいに聞こえる」
エッシ 「一方で子音を強調すると、“コッコ、コッコ”って、ニワトリが鳴いてるみたいなコミカルな雰囲気になるの」
ハンヌ 「20年くらい前までは、フィンランド人自身が“フィンランド語ってダサい”。そう思っていたんだけどね。まして歌うなんて、かっこ悪いにきまってる、ってね」
――そうだったんですか。
エッシ 「若い頃アメリカに旅行した時、アメリカ人男性から言われたことがあるの。私が歌手だと言ったら、“フィンランド語で歌ってるなんて、あり得ない〜”ですって。目の前で歌ってみせたら、“う〜む、そうか”って納得してたけど(笑)。ただ、そうした評価はフィンランド人の側にもあった」
アハティ 「国民性もあるんだよね。フィンランド人って、“俺が俺が”って自己主張するタイプじゃないから。遠慮がちというか、自分たちなんてたいしたものじゃない。そう卑下する傾向が強いんだ。自分たちがそう思うんだから、外国人は余計そうだろう、って」
エッシ 「ラヤトン結成当時(1997年)、まず念頭に置いていたのは、フィンランド語は音楽的にも美しい言語だと、フィンランド人自身にわかってほしい、ということだった。ユッシが伝統詩や古代詩から、歌うのにふさわしい作品を選んで、そこに自分で書いたメロディをつける。ラヤトンは、そういった作業からスタートしたんです」
ハンヌ 「フィンランド語の歌詞の美しさにこだわっていたから、外国の聞き手の反応については、正直言って想像の埒外だった。海外ツアーするようになって、“フィンランド語って美しいですね”と言われた時には、びっくりしたよ」
エッシ 「自分たちの意図をはるかに超えた、素晴らしい反応に出会えたというわけ」
――6声によるハーモニーが素晴らしいですが、コーラスはどのようにアレンジしていくんですか。
ハンヌ 「基本的には、曲を提供したメンバーが、アレンジも担当する場合がほとんど。今やユッシ以外のメンバーも作曲するし、6人それぞれが、異なる音楽的なバックグラウンドを持っているからね」
――古くからあった古典や伝統詩に曲をつける場合、原詩に備わった韻律から、メロディが生まれることもありそうです。
アハティ 「おっしゃる通りで、元来フィンランドの古代詩って、ある種の“節”をつけて詠じられるものだったんだ。千年、ひょっとして二千年と受け継がれてきた詩って、おのずと旋律をはらんでいるものなんだよね」
エッシ 「そういう作品であるほど、歌いやすくもある。ユッシがここにいないのが残念だけど、以前彼から直接聞いたところによれば、読んでいてバス・パートが浮かんでくるような詩を選ぶんですって。 そこを基点に作曲していくから、おのずとラヤトン向きの曲になるみたい」
アハティ 「当初の姿とは、似ても似つかないアレンジになる場合もあるけどね。お互いの意見をやりとりしながら磨きをかけていくのが、僕たちのやり方だから」
Photo by Toru Fujishima
――もうひとつ、昨晩歌った「私たちは霧の中を行く」や、日本編集盤に収録されている「死」のように、人生のダークな面にフォーカスした歌も、レパートリーにされています。
エッシ 「〈死〉だけは、自宅で練習しないようにしていたわ。ちいさい子どもが耳にするには、あまりにしんどい内容だから」
――“子どもたちをサウナから連れ出す”といったくだりがありますよね。
ハンヌ 「死をもたらす存在を擬人化した歌だからね。たとえば疫病みたいな」
エッシ 「“私たちを放っておいて。どこか他所に行ってちょうだい”そう願っている歌でもあるの」
――“祈り”が込められているんですね。
エッシ 「一方で、この歌を歌うことが、一種の“みそぎ”になるとも感じている。自分の子どもには聞かせたくないんだから、矛盾してはいるんだけど。浄化作用というのかしら。怖い歌を聞いても、そばにいる母親に慰めてもらうことができる。“癒し”の効果があるのよね」
アハティ 「そこにも国民性が反映されていて、フィンランドには、長年(隣国ロシアに代表される)大国からの支配に苦しんできた歴史がある。暗い冬が続くという、気候の特質もあるよね。光の射さない時期は、膝をかかえて、黙って耐えて過ごすのさ」
――アキ・カウリスマキ監督の映画にも、そうしたフィンランド人気質をうかがわせるところがありますよね。 エッシ 「(取材者が持参した映像ソフトを見て)『レニングラード・カウボーイズ』ね!」
ハンヌ 「この映画は、そこまで暗くはないよ(笑)」
――とはいえ、登場人物全員が、無表情のまま、苦難をじっと耐えています(笑)。
アハティ 「言えてる(笑)。シリアス・ジョーク。まじめな顔して冗談を言う、ってやつだね。確かにフィンランド的だ。光と闇のコントラストが激しい。先ほど触れた〈ワイルドグース〉も、渡り鳥の視点からフィンランドの夏の美しさを歌い上げた作品なんだ」
エッシ 「私の母の友人が、極北のラップランド地方出身なんだけど、彼女が言うには、あまりに太陽がうれしくて、住民が夏中ハイになってるんですって(笑)」
ハンヌ 「クマとおんなじ(笑)。長くて寒い冬に備えて、ベリーを食べて食べて食べまくる(笑)」
Photo by Toru Fujishima
――ラヤトンには、ポップやロックの有名曲を、楽しくカヴァーする側面もありますよね。アバの「フェルナンド」とか。 ハンヌ 「あの曲にも、冗談の感覚が込められているんだ。歯にものがはさまった、というか。好きな曲である半面、からかいながら歌っているところもある」
エッシ 「私がリード・ヴォーカルを取っているんだけど、ライヴだと他のメンバーがあれこれおかしな声を出しているのが、背後から聞こえてくるの(笑)」
アハティ 「僕たちのステージの原則は、“まず笑わせよう。それから思いきり泣かせよう”なんだ(笑)」
――日本の観客はいかがですか。
エッシ 「大好き!」
アハティ 「フィンランドと共通する国民性というのかな。“絆”のようなものを感じてもいる。ひかえめだけど、熱心。心から歓迎してくれる」
ハンヌ 「アメリカで公演すると、ものすごい反応が返ってくる。口笛を吹いたり、スタンディング・オベーションしたり。ただ、あまりに騒がしいので、“本気で好きなのかな?”と、疑わしく思えることがあるんだ(笑)」
アハティ 「昨夜は、ホールの音響も素晴らしかった。完全なアコースティックで、お互いの声の響きをたしかめ合いながら歌える機会って、かならずしも多くないんだ」
――帰国後の予定をうかがえますか。
アハティ 「12月いっぱいは、フィンランド国内でのクリスマス・コンサート。その後ひと月ほど休暇を取ってから、ニュー・アルバムの制作に入る予定だ」
ハンヌ 「2017年にはグループ結成20周年を迎えるから、再来年に向けての準備も、ぼちぼち始めるつもりだよ」