2000年に“労働者階級の集まるクラブから生まれた新世代テノール”としてセンセーショナルなアルバム・デビューを飾って以来、クラシカル・クロスオーヴァー・シーンを牽引してきた
ラッセル・ワトソン。9作目となる新譜
『ラ・ヴォーチェ』は巨匠
エンニオ・モリコーネの愛するオーケストラと本拠地ローマでレコーディングしたアルバム。映画音楽やクラシックの名旋律、ヒット曲のカヴァーからイタリアン・ポップスまで、聴く者すべてを魅了する“La Voce”(=The Voice)の詰まった素敵な一枚だ。
――ようこそ日本へ。
ラッセル・ワトソン(以下、同)「これまでにもう10回以上、日本でコンサートを開いているけど、とくに今回はファンのみんなが心配で、早く会いに来たかったよ。日本のファンが大好きなんだ。コンサートのはじめはとても礼儀正しく席について聴いているのに、僕がおやすみの挨拶をする頃には、いつも会場は熱狂の渦に包まれている……そういうところが最高だよ!」
――最新アルバムはレコード会社移籍後の第1弾。これまでのあなたの集大成でもあるし、新しいあなたを予感させる内容ですね。難病を克服されて、以前より身体も逞しくなって、声も豊かになったような気がします。
「ありがとう。歌手としてだけでなく、人間的にも成長した部分を感じてもらえたら嬉しい。3度にわたって大手術を経験したおかげで人生観が変わって、他人に対する態度を改め、自分自身をコントロールすることを学んだよ。それに、以前よりもっと情熱的になったような気がする(笑)。それらが音楽にも反映されていると思う」
――アルバム・タイトルからも“イタリア愛”が感じられます。あなたのパッションを表現するのに、イタリア歌唱ほどぴったりなものはありませんね。
「イタリア語はテノールをいちばん美しく響かせてくれる言語だと思う。歌の表情が豊かになるし、母音で終わっているから、とくに高音部に広がりが出せるところがいい」
――オペラ的な歌唱とポップスの歌い方とを自在に使い分けて、ふたつの世界を自由に行き来しているところも見事です。
「クラシカル・クロスオーヴァーは、今でこそいろんなアーティストで賑わっていて楽しみなジャンルだけど、僕がデビューした頃はまだこうではなかった。だから自分でもクラシカル・クロスオーヴァーのパイオニアとしての自負があるんだ」
――オペラ的な歌唱も、デビュー当時と比べるとさらにパーフェクトな粋を極めてきていると感じます。
「音楽大学などで正式にクラシックを学んだわけではないので、以前はどうしてもキャリアの方が勉強より先行していたところがあったと思う。それで長い闘病生活の間、ベッドの上で今までできなかった勉強に集中した。声楽についての専門書からテキストを深く理解するための語学まで、あらゆる分野にチャレンジしてみたんだ。自分の身の不運を嘆くよりも、これをチャンスだと思って、前向きな姿勢で努力したことが実を結びつつある」
――英国の大御所、
ダスティ・スプリングフィールドのヒット曲「この胸のときめきを」をオリジナルのカンツォーネで歌ったものは、アレンジがとても印象的でした。
「彼女のヴァージョンは最初から全力疾走しているような歌い方なので、今回は車をギア・チェンジするようなイメージで徐々に加速していって、最後に最速で走り抜けるような感じにしたら面白いんじゃないかと思って」
――イタリアン・ポップス「ラ・ヴィータ・センツァ・テ」のナチュラルな発声もすごくカッコいいと思います。
「この曲では、ローマ・シンフォニエッタのドラマティックかつロマンティックな演奏も楽しんでほしい」
――ラストを英語歌唱の「サムワン・トゥ・リメンバー・ミー」で締めくくっているのも聴きどころですね。
「録音したら素晴らしい仕上がりになったので、アルバムの流れを邪魔しないように最後に収録した。幸いファンにも好評でよかったよ」
――デビューしてもう10年以上になりますが、まだ叶えていない夢はありますか?
「自分のことは人一倍ラッキーだと思っているので、これ以上多くは望まないよ(笑)。ここ数年、英国でもTVの公開オーデション番組が人気で、僕も好きでよく観ているけど、新しい才能がファスト・フードのように消費されていく現状はいただけないと思う。最初のアルバムはヒットしても、2枚目3枚目と続けて成功させるのはやっぱり難しいからね。僕も息の長いシンガーになりたいし、そのための努力も惜しまないよ」
取材・文:東端哲也(2011年5月)