なんじゃい、この脳味噌とろけそうな音楽は。
サッチャル・アンサンブル(サッチャル・ジャズ・アンサンブル、サッチャル・スタジオズ・アンサンブルなどとも表記される)による
デイヴ・ブルーベック曲のカヴァー「テイク・ファイヴ」を聴いたなら、誰もがそう感じ、つきぬ妄想の世界に遊んでしまうのではないか。
パキスタンの伝統音楽 / 伝統楽器 ミーツ・ザ・ワールド……。1977年のクーデターに端を発する“イスラーム化”、その過程での“イスラームは音楽を必要としない、との解釈”により、隅に追いやられていた演奏家たちによる、吹っ切れた表現活動が抱えた妙味はあまりにデカかった。結果、どんどん外の世界からの注目が高まり、ついには彼らを扱ったドキュメンタリー映画
「ソング・オブ・ラホール」が製作 / 公開されてもしまう。同映画は彼らのパキスタンの古都ラホールでの姿や、面々がニューヨークで
ウィントン・マルサリス率いる
リンカーン・ジャズ・オーケストラと共演する模様を紹介している。
この9月には、クラウドファウンディングにより、サッチャル・アンサンブルの選抜隊の来日が実現。
〈東京JAZZ〉の無料ステージにも出演し、彼らは壮絶と言っていい反応を獲得している。そのライヴの前に持たれたインタビューには、スタジオ所有者 / プロデューサーのイザット・マジード、指揮者 / ハーモニウム奏者のニジャート・アリー、ギター奏者のアサド・アリーの3人が出席した。
イザット 「僕は昔、日本でジャズのCDを買っていた。日本には70〜80年代に2度来て、今回が3度目となる」
――それは、仕事でいらっしゃったのですか。
イザット 「観光だね。ニューヨークとか回った途中に寄ったんだ」
――ニジャートさんとアサドさんは、日本は今回が初めてですか?
ニジャート 「うん、僕たちは初めてだ」
――でも、映画にあるように、すでにニューヨークに行ってライヴをなさっているので、東京に来てもそんなに驚きはないですよね。
ニジャート 「ニューヨークはテンポが速すぎる。でも日本は慎ましやかで、温かい感じがあって、いやすいよね」
――映画を作ろうという話が持ち込まれた時、皆さんはどんなふうに思いましたか。
イザット 「そんなことは思いもしなかったからね。よくわからないうちに撮影が始まっていたんだ。じつはパキスタンで撮った監督とはあまりうまくいかなくて、残りをアメリカで(アメリカ人の監督が)撮影して帳尻を合わせ、なんとかまとめたという感じなんだ」
ニジャート 「映画については、ノー・コメントとしたい。『ソング・オブ・ラホール』といえば、僕たちサッチャル・アンサンブルのことであり、僕たちを扱った映画ではあるのは間違いないけど」
――僕は映画を観て、サッチャル・アンサンブルはこういう成り立ちを持ち、こういうことをやるようになったんだというのはわかりました。だから、知らない人にあなたたちのこと、パキスタンのことを紹介するためには有効ではないかと思いますが。
イザット 「パキスタン人以外の外国人には、そうかもしれないね。でも、パキスタン人はまったく興味を持たないと思うし、いちばん良くないのは我々のことを貧しい人みたいに描いたことだ」
――あの映画を観て、ウィントン・マルサリスのことをイヤな奴だと思ってしまったんです。あなたたちを対等なミュージシャンとして扱っているのかもしれませんが、なんか上から目線な感じがしたんですよ。
イザット 「そうか。でも、ウィントン・マルサリスと共演できたのは良かった」
――映画ではリハーサルでマルサリスのビッグバンドと音を合わせるのに苦労する姿が写し出されているんですが、実際そうだったのですか?
イザット 「でも、1日のリハーサルでまとまったんだよ。実力はあったんだ。たしかに映画に収められたようなことはあったけど、ちゃんと仕上げたしね」
――いっぽう、映画と同じタイトルを持つ新作のこともお尋ねしたいのですが。このアルバムはどんな経緯で作ることになったのですか?さまざまなアメリカ人の実力者が関わっている内容ですが。
イザット 「まあ、ジョークみたいな内容だよね。ファニーなアルバムだ。サッチャル・アンサンブルが演奏しているから、音楽としてはそれぞれ素晴らしい。曲もいいと思うよ。でも、我々と関係のない人にまとめられて、それが気に入らない」
――アルバム『ソング・オブ・ラホール』はポップ側にある名曲にいろいろトライしています。それを聴くと、パキスタンの伝統音楽の楽器や手法は魔法のじゅうたんのように思えてしまいますが。
イザット 「自分たちが継いでいる伝統音楽はジャズと共通点が多い。ラーガという旋律があるんだけど、同じような構造がジャズにも見られ、ともに自由な創造性を発揮できる」
――最初、「テイク・ファイヴ」をやろうというアイディアを出された時に、ニジャートさんやアサドさんはどう思ったのでしょう?
ニジャート 「〈テイク・ファイヴ〉を演奏する前に、イザットがジャズをみんなに聴かせたんだ。それで、まずみんなでジャズに慣れていった。その後、自分たちのアレンジを施し、自分たちで弦楽器を差し込んでいった。ブルーベックのヴァージョンだとピアノが重要だと思うんだけど、我々はオーケストラの中でヴァイオリンを効かせる手法をとった」
アサド 「デイヴ・ブルーベック本人から手紙をもらったんだ。〈テイク・ファイヴ〉のこんなアレンジは聴いたことがないってね」
ニジャート 「サッチャル・アンサンブルはイザットと僕の亡くなった父のアイディアで、進んできた。とても面白いし、びっくりするようなことができている」
――ニューヨークやロンドンやパリに行ったり、こうして東京にもやってきたり。現在、外からの反響は大きいわけですよね。それについては驚きでした?
ニジャート 「そりゃ、すごくうれしかった」
アサド 「私も同じだ」
ニジャート 「そして、やはり驚きでもあった」
イザット 「YouTubeには載せたものの、どんな反響が起こるかは考えなかった。ブルーベックも含めて、こんなの聴いたこともないという多大な賛辞を受けるとは思っていなかった」
――ブルーベックはかつて米国政府から依頼を受けて、外国に出向き、ジャズという米国文化を国外に広げる役割りを担ったことがあります。そして、今同様にあなたたちが国外の人々に向かってパキスタンの文化 / 音楽財産を伝える大使のような役割りを果たしているのでないかと思いますが。
イザット 「そう言ってもらえるのはありがたい。実際そうなら、こんなにうれしいことはないね」
――今後、あなたたちはどんなふうに活動していくのでしょう?
ニジャート 「自分たちで新しいことを始め、そしてここまで来た。だから、パキスタンの伝統音楽とジャズの融合を極めていきたい。そこに幸福も感じるし、より高いところを目指していきたい」
――パキスタンの伝統や積み重ねてきたことを、もっと知りたいです。あなたたちの表現に接すると、そう感じずにはいられません。
イザット 「パキスタンに、ぜひ来てください」
ニジャート 「お待ちしていますよ」