世界を舞台に活躍するソプラノであり、NHK『紅白歌合戦』への連続出場などでオペラ・ファン以外にも広くその名を知られる歌姫、
佐藤しのぶ。最新作は“愛する日本の心をたっぷりと歌に込めた”という
『日本のうた〜震える心』。オペラ創作で名高い作曲家の
三枝成彰が独創的な発想でアレンジを手がけ、長く親しまれてきた愛唱歌に新たな生命が吹き込まれた注目のアルバムだ。
また、11月には歴史と伝統に培われた東欧の名門、ソフィア国立歌劇場の来日公演に参加し、
プッチーニの人気作『トスカ』のタイトルロールを歌うことが決まっており、熱い期待が寄せられている。
――『日本のうた〜震える心』を聴かせていただき、三枝さんのアレンジが本当に独創的なので驚きました。曲はどれも小学校で習うような、素朴な唱歌ばかりなのに、すごくドラマティックにアルバム全体が彩られています。
佐藤しのぶ(以下、同)「小学校も昔とはだいぶ変わり、今は教科書からこのような唱歌は姿を消しつつあるようです。それで、このままだと“日本のうた”がなくなってしまうのではないかという危機感を感じて、次の時代を担う世代にも興味を持ってもらえるような、今までにない画期的・独創的なアルバムが作れたらと思っていました。すでにたくさんの方がこのジャンルに名盤を残されていますので」
――まるでロシア・オペラのワンシーンのような「五木の子守唄」。「茶摘」の壮大なオーケストレーションはフランス近代歌曲を思わせます。
「最初に楽譜を見たときは驚くことばかりでしたが、レコーディングはとても楽しいものでした。ピアノ伴奏の〈村祭〉はサンバのリズムですし(笑)。「早春賦」「からたちの花」は、まるでジャズ。どれも私の想像を超えていましたが、三枝さんらしい、高い芸術性を感じます」
――とくに思い出深い楽曲はありますか?
「どの曲もそうです。母は歌うことが好きで、ごはんの支度や編み物をしながらいつも、こういった歌を口ずさんでいました。今回のアルバムには、私のそんなノスタルジックな思いも込められています」
――日本語歌唱がとてもナチュラルで、歌詞の世界から季節の匂いや懐かしい風景などが浮かび上がってきます。
「ありがとうございます。原曲のメロディはとてもシンプルですし、日本人が聴いて美しいと感じる響きを大切にしたいと思いました。私たちの言葉で歌い、伝えることが重要なのです。どうかこの“うた”を忘れないで、先祖から受け継いだ宝物のような遺産を絶やさないで、と願いを込めて歌いました」
――小さなお子さんから、親の世代、そのまた親と、世代を超えて聴き手がひとつになれるアルバムですね。
「先日、台湾でのコンサートで民謡の〈茉莉花(モーリーホァ)〉を中国語で歌ったら、会場中が一緒に大合唱になって、とても嬉しかった。“うた”には心をつなぐ力があると思います。みんなで繋がることができたら嬉しいです。今の日本にはそれが必要だと思います」
――今回のアルバムの曲を、ぜひコンサートでも聴いてみたいです。
「娘の出産を機に、毎年5月の母の日に続けているコンサートがあり、もう18回目を迎え、今年はこのアルバムからの楽曲を中心に歌いました。毎年新しい扉を開けるように、楽しんでいただけたらと思い、プログラミングをしています」
――今年の後半はソフィア国立歌劇場との『トスカ』も控えていて、ファンはすごく楽しみです。
「6月に、まずソフィアに行って現地で歌い、11月のツアーで一緒に日本を回ります。何度も共演していますが、会うたびに、あの大地のようなたくましさと、情熱的なスラヴ気質に圧倒されます。今回の来日公演は『トスカ』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』だけに、その魅力がさらに舞台で大爆発しそうです」
――何度も演じられている『トスカ』ですが、佐藤さんが考えるこの作品の聴きどころ、ヒロイン像とは?
「主役が3人とも舞台で命を落とすという壮絶なドラマと、ロマンティックな音楽とが見事に調和した、オペラ史上の傑作のひとつで、絶品アリアが随所に散りばめられています。そして、どんな場面でも“歌に生き恋に生きる”トスカの存在感が際立っている。20代の頃からずっと演じてきた役で、昔はおそれ多いディーヴァとしての印象が強かったのですが、年齢を重ねるに従って、信心深い彼女の純粋さゆえの愚かさや、精神的な弱さの部分が見えてきたように思います。カヴァラドッシを救える、一緒に逃げられると一途に信じて疑わなかった彼女が、最後に運命に裏切られるなんて……これ以上ドラマティックな結末ってそうありませんよね」
取材・文/東端哲也(2012年4月)