これほどまでにヘッズたちから待ち望まれたアルバムもなかなかないだろう。
MONJU およびDOWN NORTH CAMPの一員にして、
SEEDA や
NORIKIYO など数々の楽曲にフィーチャーされてきたラッパー、
仙人掌 。2013年にはCREATIVE PLATFORMから会員限定盤『Be In One's Element』がリリースされ、同作の
リミックス盤 も一般発売されたが、オフィシャルな形でのソロ・アルバムは今回の
『VOICE』 が初。すでに大きな話題を集めているそのアルバムについて、WDsounds代表のMERCY、DOWN NORTH CAMPのSORAにも同席してもらいながら話を聞いてみよう。インタヴューは仙人掌が2000年代初頭まで暮らしたという東京・新小岩のディープな逸話から始まる――。
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――地元は新小岩ですよね。育ったのはどんな環境だったんですか。
「低所得のお母さんと子供が住む母子アパート(福祉住宅)で育ちました。18歳以上の成人男性は住めないところで、18まで風呂もない四畳半に住んでましたね」
――新小岩にはそういうアパートは多いんですか。
「新小岩といっても僕が育ったのは江戸川と葛飾の境あたりのエリアなんですけど、僕が都心に住むようになってから数年後にはなくなって、今は大きな駐車場になってます。大島のほうにマンモス団地がたくさんできてますけど、母子アパートの住人のなかにはそっちに移った人も多いみたいですね」
――やっぱりいろんな人がいました?
「そうですね、変わった人たちが多かった(笑)」
SORA 「探偵社のことは?」
「あ、それ話す?(笑)ディープな話なんですよ」
――ぜひ聞きたいです(笑)。
「“たっちゃん”っていう近所では有名なおにいさんが同じフロアに住んでたんですよ。僕より6つぐらい上なんですけど、結構ぶっとんだ人で。あるとき、近所のガキを集めて"俺たちは今日から探偵社を作る"と言い出したんです(笑)。“あの化学薬品の工場には何千人という人たちを殺すことができる薬品があるから、何とかしなきゃいけない”と。それはマズイということで、夜中に忍び込んだんです」
――えっ。
「たっちゃんはなぜか工場のどの窓が開いてるか知ってて、そこから入って薬品をいくつか持って帰ってきたんです。“これで何千人もの命を救うことができた”って」
――いきなりすごい話ですけど(笑)。
「あと、夜になると団地の前でずっと水を撒いてるシンナー中毒のオバちゃんもいましたね。8時以降にその団地の前を通ると“ガキがこんな時間に外に出てるんじゃねえ!”って怒鳴られたり。……やたら朝からカラスが鳴いてなあと思ったら、そのオバちゃんの住む団地の前に新聞社が来てて、後から聞いたら玄関先でオバちゃんがぶっ倒れて死んじゃってたという。高齢者も多かったし、住んでる男の人もガラが悪かったり、そういう世界を子供のころから見てましたね」
――その環境で育ったことは今の仙人掌さんの世界観に影響を与えていると思いますか?
「うん、すごく影響を与えていると思います。そういう環境に育っていなかったら、ヒップホップに今ほど関心を持っていなかったと思うし。向こう(アメリカ)のヤツらもプロジェクト出身だということを知って、共感みたいなものを感じたところもあるんでしょうね」
Photo by CENJU
――ラップを始めたのは高校2年生だそうですけど、中学時代にリリックは書いていたそうですね。
「そうですね。ヒップホップに触れた中学生のころはファッション雑誌じゃ情報が足りなくて、『FRONT』みたいな雑誌を読むようになったんですよ。そうこうするうちに活字で何かを表現することに関心を持つようになって、リリックを書くようになりました。ただ、当時は韻の踏み方とか小節のことも分かってなかったから、いっちゃえばポエムみたいな感じですよね。ガキが作るZINEみたいなノリで、自由帳にそういうものを書き溜めてたんです。高校生になってからパーティで遊ぶようになって、自分も自然とラップを始めるようになりました」
――SORAさんが仙人掌さんと初めて会ったのもその頃ですか?
SORA 「うん、その頃でしょうね」
――当時の仙人掌さんのラップはどうでした?
SORA 「初めて(仙人掌のライヴを)観たのは池袋のBEDだったと思うんですけど、肩にタオルをかけてて、とにかくステージングが格好良かったということは覚えてますね。あと、仙人掌は最初から今までラッパーというより“MC”というイメージがありますね」
「ステージングに関しては見ていても楽しいほうがいいと思うんですよ。海外アーティストのステージングにしてもショウアップされてるもののほうが好きだし、そういう意識は昔からありましたね」
――高校生の時点からプロ意識があったと。その段階ですでに遊びの延長ではなかった?
「いや、今まで遊びの延長としてしかやってこなかったんですよ。十代の頃からずっと思ってることなんですけど、50歳や60歳になってもライヴハウスでバンド活動をしてる人っているじゃないですか。他の仕事をしながらも、ずっとミュージシャンとしてのスキルを磨き続けている人たち。そういう人たちこそ凄い存在なんじゃないかな?ということは心のどこかでずっと思っていて。十代の頃に付き合っていた彼女には“どうせ売れないんだし、どうすんの?”と言われてたんですけど(笑)、50歳や60歳になっても楽しそうにバンドをやってる人たちはいるわけで、自分もそんな風に続けていきたいということはずっと考えてきました」
――今回のアルバム『VOICE』の話に移りたいんですけど、今回のアルバムはDogear RecordsとWDsoundsのタッグによるリリースですよね。こういうリリースになった経緯は?
「それは……いつのまにかそういう形になってたっていうか(笑)。僕もその形が一番しっくりきたし」
MERCY 「Dogearも10周年だし、(Dogear Records主宰の)
Mr.Pug とは何かをやろうという話をしてたんですね。でも、別にDogearとWDsoundsのタッグということをそこまで意識してるわけじゃないんですよ」
「そもそもMERCYくんもDOWN NORTH CAMPのメンバーですからね(笑)。DOWN NORTH CAMPの仲間で作りたいという考えが最初からあったんですよ」
――アルバムの制作自体はどういう風に進めていったんですか。
「MERCYくんから結構な量のトラックをもらったんですよ。そのなかから自分でピックアップしたり、あとは自分で“これは入れたい”っていうトラックを選んで、一番最初にトラックを並べていったんです。その段階でタイトルも決めて、そこから声を吹き込み、楽器を足していった感じですね」
――じゃあ、最初にビートだけでアルバム全体の流れを作っちゃったってことですか。
「そうですね。僕は割とそういう作り方なんですよ。以前、
小西康陽 さんが“曲のタイトルが決まったら8割ぐらいできたようなもの”というようなことを書いていたんですけど、僕もビートを並べて曲のタイトルが決まった段階で8割ぐらいできたような感覚があって」
――ビートメイカーの顔ぶれもすごく幅広いですよね。16FLIP やMASS-HOLE など近い人だけじゃなくて、コンピレーション『160OR80』 のオーガナイザーでもあるtrinitytiny1も参加していて。trinitytiny1のプロデュースによる〈罰〉は、ジューク / フットワークのような感触もあって驚きました。 「このトラック、MERCYくんからの提案って思う人も多いみたいだけど、僕のアイディアなんですよ」
――そうなんですか。ちょっと意外ですね。
「DogearとWDのアルバムであれば、こういうトラックが入っていてもいいんじゃないかと思って。DOWN NORTH CAMPはみんないろんなものを聴くし、すごく柔軟なんです。だからこそいろんなアイディアが出てくるし」
――「BACK TO MAC feat. ERA & MUD」ではベイエリアのDJフレッシュのビートが使われていますね。
「これは完全にMERCYくんですね。DJフレッシュとMERCYくんはがっちりコネクトがあるんで、無限にビートが送られてくるんですよ」
MERCY 「そうそう(笑)。そのなかから“このトラックかな?”というものを選んで」
――北海道のビートメイカー、ZZYのビートが3曲使われていて、アルバムのトーンを決定づけていますよね。サンプリングのセレクトがものすごく独特で、「SKIT」には祭り囃子がサンプリングされていたり。
「アルバムを作るうえでのピースがどうしても足りない気がしていて、MERCYくんにも“こういうビートが欲しいんですよ”という話をしてたんです。そのときにZZYからビートを送ってもらう機会があって、聴いてみたら全部ヤバくて。あまりに周囲のビートメイカーのものと違うのではじめはどうなのかな?と思ってたんですよ。でも、3曲目、4曲目と聴き進めていくうちに確信に変わった。ZZYとのビートの出会いはこのアルバムのなかでも一番大きかったと思います」
――カナダ人ビートメイカーであるFitz Ambro$eによるビートが全部で4曲入ってますけど、ちょっと80sっぽい質感の独特のものになっていて、これもまたアルバムの重要な要素になってますよね。
「言ってしまえば、Fitzのビートは80〜90パーセントぐらいの状態で送られてくるんです。隙間が多くて、そこに何かを足すことによって100パーセントになる。だからラップも乗せやすいんです。今回入ってる曲も全部音を足してるし」
――リリックのテーマも幅広いですけど、「罰」「愛」「VOICE」と続く中盤以降の曲にはヘッズ以外のリスナーにも響くだろう普遍的なメッセージが込められています。
「普遍的なテーマを歌いたいという気持ちは以前からありましたからね。でも、それだけだと退屈なものになってしまうので、そこは意識しています。1曲目(SPOON OF STREET)はまず食らわさなきゃいけないんで、セルフ・ボースティングじゃないですけど、言うべきことをヒップホップ的に全部ブツけようと」
――その両面がすごくうまく配置されてますよね。ストリートの物語が綴られる前半は短編小説を読んでいるようなおもしろさがあるし、後半になってより大きなテーマへと着地していくという全体の構成にも引き込まれました。
「ありがとうございます。ストリートの連中が頷けるヒップホップ・サイドのものと普遍的なもの、そのバランスは自分のなかで考えながらやってますね。それがいつか溶け合って、ひとつの表現になるのが理想です」
――このアルバムもすでにリリースされて話題を集めてますが、仙人掌さん自身、活動当初から比べるとシーンにおける立ち位置や役割も変わりつつあるんじゃないかと思うんですよ。そういう意識はありますか?
「受け取るだけ受け取ってきたので、今度は僕たちが与えていく番だとは思ってます。あくまでもたとえ話ですけど、
ISSUGI のラップを聴いて不良になるヤツっていないと思うんです。僕らも
『さんぴんCAMP』 に出ていた人たちのラップを聴いて、不良になろうとは全然思わなかったし。僕たちもそういう影響を与えていきたい。……それだけですね」
取材・文 / 大石 始(2016年12月)