取材・文/佐藤 譲
――ナカムラさんはセニョール・ココナッツの大ファンなんですよね。
ナカムラ(以下、N) 「そうなんです。ロンドンに行ったとき、セニョール・ココナッツの音を聴いて、それがあまりにもよくて。あとファッション・ショーでDJやったときに
クラフトワークのカヴァーをかけたりしてね。楽曲を完全に解釈した後、まったく新しいものにしていると思うんですよ」
――アトムさんのセニョール・ココナッツも、ナカムラさんのSotte Bosseもカヴァー・アルバムを出していて、それがえらい人気を博しているわけですが、カヴァーするにあたってこだわっているポイントってどんなところなんでしょう?
ウーヴェ・シュミット(以下、S) 「僕の中でカヴァーは通念的なカヴァーではなくて、ラテン・ミュージックの発想からスタートしているんだ。いわゆるスタンダードやクラシックな楽曲に対して新しい解釈をするという意味合いでやっているんだよ。僕がもともとカヴァーを始めたのはドイツに住んでいた頃だったんだけど、当時のドイツではカヴァーをすることはダサい感じがあって、トレンディなものではなかった。で、自分の基本コンセプトの中に“フューチャリスティック”というものがあるんだけど、それはさまざまな時間軸からいろいろな要素をピックアップしてきて、それをディスカッションしながら、まったく新しい視点で見据えていくという考え方なんだ。それがセニョール・ココナッツや他のユニットでカヴァーをするという行為の基本的なアイディアだね。“ラテンでこれやったら面白いよね”っていう切り口も含めてね」
N 「カヴァーするときのこだわりという点で言えば、Sotte Bosseはメロディを構成から何から何まで、一度も歌い出しから終りまでを変えたことがないってことですかね。今ある元のアレンジと同等、もしくは上って言われるような解釈をメロディに対して音楽に対して持っていけるかっていうことが念頭にありますから。あとはcanaが歌ったときにどういう風に歌詞が響くか、歌詞が届くアレンジを考えながらカヴァーしていますね」
――お二人は今回が初対面ということなんですが、音を聴いてそれぞれお互いにどんな印象を持たれましたか?
N 「僕はもうただの大ファンですよ(笑)。というか、お互いの音の印象といってもアトムさんは僕のアルバムは聴いてても原曲を聴いたことがないわけですからね(笑)」
S 「いやいや、もちろん原曲に対するアプローチはアーティストによって違うし、オリジナル・コンポジションに対してもそうだと思うんだけど、ヒロシの音楽は興味深いと思ったよ。さっきのカヴァーする際のこだわりに付け加えたいんだけど、僕の中で最低限守っているのは楽しんでやることであって、自分のオリジナルをやる際には、そのとき経験した楽しさが影響したり反映されていくことなんだ。カヴァーをやるってことは、自分のモチベーションを呼び起こすというのが根幹にあるんだよね」
N 「ああ、それ分かる。自分のオリジナルをやるときに焦点が合いやすくなるんですよね。カヴァーをしたことによって、自分の生活の中から音楽が出てきていること、何かを読んだり何かを感じたりすることが音楽に反映されていることが再確認されるっていう」
S 「カヴァーをすることは、ライフ・スタイルと自分の音楽が分けられないものとしてあること、生活に音楽を取り入れたとき、しっくりくるという意味で、カヴァーをやること、オリジナルを制作すること、そしてリミックスをする作業というのはいいバランスを生み出すものなんだ。僕が昔LB(ラジック・ベントハウス)名義でカヴァーをやったときも、選曲の段階では単純に好きな曲という視点で選ぶんだけど、制作に入るとオリジナルのアーティストがどういう気持ちで作ったのかっていう深いところへ入っていくんだ。原曲を再解釈していく中で、作者のいろんな面が見えてくる。そして自分の作品になったときに今度は違う見え方になる。それが面白いんだ。最近ジェイミー・リデルのリミックスをやって、彼はプロツールスのセッションのファイルを送ってきたんだけど、そのファイルを聴いて僕はジェイミーに“君の心が読めるようだよ”って言ったんだ(笑)。これは音楽ならではのコミュニケーションがあるんだなって思った瞬間だよね」
――僕はお二人のカヴァーには必ずユーモアというものが加えられていると思うんですが、その点に関してはいかがですか?
N 「僕は昔から音楽とお笑いは似ていると思ってるんですよね。つまり緊張と緩和なんですよ。DJでもライヴでも作品でもそう。ずっと緊張させっぱなしもよくないし緩和もまたしかり。アルバムを作るとき、僕は常にいろんな表情を見せたいと思うし、感情を揺さぶりたいと思うんです。そうなるとユーモアが必要になってくる。例えばSotte Bosseで〈メランコリニスタ〉をカヴァーしているんだけど、すごいノリノリな曲で“ベースが”って歌っているのにベースを入れなかったり、“Ride On!”や“Come On!”ってところにすごいバラードみたいなアレンジを施している。それも僕なりのユーモアなんですよ」
S 「いろんな感情がある中で笑いというのは強いものだし、なおかつ研究がなされていない、分析されていない感情の表現なんじゃないかと思う。ヒロシの言う通りミュージシャン同士で分かるユーモアもあれば、1人だけにしか分からないものもあるし、もちろんみんなに伝わるものもある。それがいろんなレイヤーを成しているんだと。コミュニケーションの方法としてはパワフルで多様性があるし、そうしたユーモアを音楽に入れていくというのは、“音楽=コミュニケーション”であるということを考えると、いろんな複雑な感情の表現の中で不可欠な表現だと思うよ。いろんな笑いがポンと出てくると、聴き手に入っていきやすいと思うんだ。ただ、音で表現された笑いは紙(文字)になったらつまらないし、コミュニケーションの中におけるセンス・オブ・ユーモアは不可思議な要素が多い。まだ研究し尽くされてないし、多様性も持っているものだから、それらを音楽に盛り込むということは興味深いことだね」
――ちょっと気になったんですがナカムラさんは前にイギリスに行ってましたよね? イギリスと日本のユーモアのセンスって近いと思うんですよ。でも、アトムさんはドイツからチリに移住しているんですけど、二つの国のユーモアのセンスってぜんぜん違うイメージがあるんですがどうでしたか?
S 「面白い質問だね。やっぱりコミュニケーションは相手側の受け取り方も含めて成立するものなんだけど、受け手は国によってそれぞれ違う。僕の中ではラテンを非常に真面目にカヴァーしてるんだけど、ヨーロッパだとそれを皮肉的に捉えられることもあるんだ。メキシコでやったときはクラフトワークを知らないオーディエンスの前でプレイする。しかもセニョール・ココナッツを知らないオーディエンスの前で演奏するわけだ。だから僕がどういう人間だとかこれはカヴァーだとかそういう情報は一切なしに彼らは楽しむんだ。それこそ老夫婦が野外の会場で踊ったりするわけだよね。音楽やコミュニケーションの受け取り方っていうのは、歪められることもあるし、それぞれいろんな形に受け取られる。インプットされた作者の意図通りに解読されるわけじゃない。国や文化的な背景によって違った形にデコードされてしまうこともあるんだ。意図されない形で受け取られるという意味では、上手くいかないなって思うこともあるけど、それが逆に刺激になったりもするんだよ」
N 「ライヴについてアトムさんに聴きたいんですけど、日本でのライヴは今回はやらないんですかね?」
S 「今回の来日では、セニョール・ココナッツ名義でのライヴはやらないんだ。ヒロシと同じで僕もクラブでのバック・グラウンドがあっていろんな年齢層や収入層の前でライヴをやることを興味深く楽しんでる。前には国連の会議の前にやったこともあるし、ドイツ政府の集まりの前でもやったことがあったんだ。そういう予想だにしないオーディエンスの前でいいフィードバックをもらうとモチベーションが上がって楽しめるよね」
――ちなみにナカムラさんはセニョール・ココナッツ名義だけでなく、アトム・ハートの作品もお好きだそうですね。
N 「そうです。西ロンドンにあるオネスト・ジョーンズってレコード屋で“これ絶対好きだよ”って渡されたんですけど、それを大喜びして聴いて、すっかり虜になりまして。当時は2ステップとか、格好いいビートで盛り上がってた頃なんですけど、僕は音楽っていうのは、本気とユーモアが大切だと思っていたんで、すごいハマったんですよ。ただ、聴いたときのファースト・インプレッションはユーモアだと思ったんですけど、聴き込んでいったら非常にシリアスだった。これは本気だなって分かって、ますます素晴らしいと思って。とにかく僕はセニョールのライヴが観たいっ! それと海外でも国内でもいいんで一緒にやれたらいいなって思いますね」
S 「それは興味深いね。実現するのが楽しみだね!」
――お二人は、ラグジュアリーなサウンドの中にも必ず異物感のある音とかを入れてますよね。ただ気持ちいいものにはしない。これはなかなか一筋縄ではいかないアーティストであることなのかなと。
N 「ははは、“なんでロボット・ヴォイスで歌うんだ?”とかね」
――そうです。i-depにしても「make somebody smile」「Dimmi」とかで必ず流れにそぐわない不思議な音色を混ぜたりしているじゃないですか。僕はあなた方がなぜそうしたアプローチをするのかっていう部分にすごく興味があるんです。
S 「そうだな……フランスのポストモダンの思想家でJ・ボードリヤールという人物がいるんだけど、彼の『シミュラークルとシミュレーション』という本を読んで感銘を受けたんだ。それは15年後に『マトリックス』という映画に大きな影響を与えることになるんだけど(註:ポストモダンを代表する著書で、ウシャウスキー監督は出演者、クルーのほとんどに同著を読ませている)、目に見えているリアリティは実はリアリティではなくて、本当はスキンがかかっている。そのムコウにあなたが見ていないリアリティがあるといった内容なんだ。例えばクラシックが耳に聴こえているんだけど、実際はCDやハードディスクから人為的なものであってどこがリアルなんだろうっていう部分を、どこかの瞬間でバーっと見せるという行為にすごく興味を抱いているんだ。フランジャー(註:アトム・ハートによるジャズ・ミーツ・エレクトロニカ的なユニット)もセニョール・ココナッツもそうだったんだけど、活動の初期というのはリアリティをシミュレートすることに興味があったんだよね。でも、活動が進んでいくなか、どこかの瞬間でリアリティとシミュレートを、切り替えてしまうという取り組みに興味が移り変わってきたんだ」
――なるほど、それがサウンドの中の異物感であったり、生バンドによるライヴという表現に集約されてくるわけですね。
S 「最初の5年はシミュレーションだったんだけど、そこから先というのはオーディエンスと対峙するプレゼンテーションへと変化していった。ライヴ・バンドを従えてプレゼンするためには、僕のコンセプトをメンバー全員に理解してもらって演奏してもらうことが前提になるんだけどね」
N 「わかるなぁ」
――今はCDが売れない状態が続いています。でも、例えばセニョールやSotte Bosseは既存のCDショップではない、例えば雑貨屋さんのようなところでよく売れているという現実もあるんですよね。現状のマーケットについて、そして今後の音楽ビジネスの展望について、それぞれご意見をお訊きしたいんですが。
N 「実は、最近僕もiPodを手に入れて、iTunes Storeで音楽を買うようになったんですけど、やってみて思ったのは非常に“聴くチャンス”が増えたってことなんですよ。で、同時にこれはアルバムを買う気にはならないなとも思ったんです。でも、それをきっかけに新しい音楽に触れるチャンスが増えればいいと思う。だって音楽は聴かれなかったらなんにもならないから。ただね、一つだけ言えるのは、僕は音楽って、記憶装置だと思っていて、モノ、パッケージというものがそれを強く引き起こしてくれるんですよね。例えばセニョール・ココナッツを聴くとロンドンの記憶が思い出されてくる。住んでいた部屋や人との出会いが浮かぶ。ジャケットを見る、モノを手にする、まあ環境のことを考えたらパッケージはない方がいいに決まっているんですけど、だからこそ大事にできる作品を作っていきたいんです。捨てられないCDを作ることが大事だと思いますね。もちろんダウンロードしてもらってもいいですけど。でも、僕自身はCDをきちんと手に取ってもらいたくなるアルバムを作りたい。そう思いながらビートポート(註:DJ御用達のダンス・ミュージックのダウンロード・サイト)を使ったりしているんですけどね(笑)」
S 「もちろんいろんなものが試聴できるという意味ではデジタル・ダウンロードは素晴らしい機会を与えてくれると思う。ただ、僕が気になるのはやっぱりそれはファイルであり、ビットであり、データでしかないということ。フィジカルなものではないということなんだ。CDを1,000枚買ったらそれなりのスペースを取ってしまうし、デジタルはその点は便利だよね。データだとファイル交換にするときに、中身についてそれが何なのかを考えることもなく、丸ごとポーンと1,000曲くらい交換しちゃったりできる。でも、そうやって中身を認識せずファイルやデータの交換がされることについては、危惧しないといけないと思うんだ。坂本昌己(註:神経内科医にしてピアニストという異色の音楽家)とこの前話したんだけど、彼は作ったコンピュータのデータを実際の世界に通さなくちゃということで、アナログのミキサーに通してみたりしているんだ。もちろん違う意味合いでそのようなことをする人もいるんだけど、そういう試みをしている人もいるんだよね。で、彼らの中では無の状態で音楽が行き来することが危惧されているし、それがまだ無でない状態で交換や受け手に届くのはいいんじゃないかと思っている。どちらにしても今は過渡期だと思うんだ。まあ、なんにせよMP3っていうのは非常に資本主義的だよね。だってMP3っていうのは周波数をたくさん削って圧縮している状態なんだから。それによって聴き手がたくさんのファイルを持っていることに満たされるという心理状態はちょっと危険だと思うからね」
N 「それはそうですね。本当に大事な音楽が残っていくっていうのが大事なわけで」
S 「興味のない楽曲を数万曲集めることが人々の心を満たそうとしているような状況はどうかと思うよ」
(XECD-1101 税込み2,480円/国内盤)
[収録曲]
01. Around the World (Intro) /Daft Punk
02. Sweet Dreams/Eurhythmics
03. Da Da Da I Don't Love You, You Don't Love Me Aha Aha Aha/Trio
04. Kiss/Prince
05. Corcovado (Quiet Nights of Quiet Stars)/Antonio Carlos Jobim
06. Around the World (Interlude)/Daft Punk
07. Que Rico el Mambo/Perez Prado
08. Pinball ChaCha feat. Louie Austen/Yello
09. White Horse/Laid Back
10. La Vida es llena de Cables/Replicant Rumba Rockers
11. Moscow Discow/Telex
12. Around the World (Outro)/Daft Punk
13. Da Da Da no amo a ti y tu no a mi aha aha aha*/Trio
14. Kiss feat. Louie Austen/Prince
15. Dreams are my Reality (Single Version) feat. Louie Austen/Richard Sanderson
16. Voodoo Dreams (Atom, Remix) by Les Baxter/Les Baxter
17. Around the World (Full Version)/Daft Punk
18. Yellow Megamagic Mix/Yellow Magic Orchestra
セニョール・ココナッツ、待望の新作『AROUND THE WORLD』。本作には、ダフト・パンク、プリンス、ユーリズミックス、アントニオ・カルロス・ジョビン、ペレス・プラードらのカヴァー曲を収録。さらには、国内盤のみのボーナス・トラックにはYMOのカヴァーのメガミックスも収録。フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、ブラジル、メキシコ、スイス、日本……と世界各国の楽曲が絶妙なラテン・フレイヴァーのアレンジで取り上げられ、この一枚で世界一周の気分が味わえる作品だ。
セニョール・ココナッツ(アトム・ハート)
Senor Coconut
■Profile
アトム・ハート、LB(ラジック・ベントハウス)、セニョール・ココナッツなどのさまざまな名義を使い分け、この20年来で70枚以上のアルバムをリリース。自主レーベル“Rather Interesting”を設立し、数々の著名アーティストとコラボレーションも行なう。1995年、ドイツからチリのサンディエゴへと拠点を移し、セニョール・ココナッツとして、ラテン音楽と電子音楽(クラフトワークやYMOなど)を組み合わせた実験的な音楽を手掛ける。2006年のアルバム『プレイズYMO』では細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一、テイトウワらが参加し話題となる。2008年にはダフト・パンクやプリンスなどをラテン・カヴァーした『AROUND THE WORLD』を発表。
■オフィシャル・ホームページ
Hiroshi Nakamura from i-dep
■Profileクラブシーンに影響を与えるプレミアムなバンドとして注目されているi-depのリーダー&コンポーザー。また、プロデューサーとしても精力的に活動を行い、現在も国内・海外問わず多くのアーティストを手がけている。また現在記録的セールスで各CD SHOPで未だにロングセラーを続ける“Sotte Bosse”のプロデューサーとしても注目を集めている。ポップ・ミュージックからクラブ・ミュージックまで、ジャンルという垣根を自在に飛び越え独自の音を創り出す彼のクリエイティビティは注目の的となっている。
■i-dep オフィシャル・ホームページ
■Sotte Bosse オフィシャル・ホームページ