セルジオ・メンデスはブラジルの音楽大使のような存在だ。アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトはブラジルの偉大なアーティストだが、セルジオ・メンデスが取り上げた彼らの曲は、1960年代からオリジナルよりはるかに多くのファンに世界中で親しまれてきた。また、彼はビートルズの「デイ・トリッパー」やロバータ・フラックの「やさしく歌って」のように誰もが知っている名曲を新鮮なボサ・ノヴァに変える魔法を発揮してきた人でもある。
その彼の新作『イン・ザ・キー・オブ・ジョイ』はめずらしく全曲オリジナルだ。ラッパーのコモンや日本のSKY-HIといった人気者から、エルメート・パスコアールやギンガら通好みのアーティストまで、コラボ陣の顔ぶれも豪華だ。
――今回のアルバムはオリジナル曲中心ですが、そうしようと思ったきっかけは何だったんでしょうか。
「アルバムを作るときは、いつも何かちがったことをやろうとしていて、曲作りも好きなんだけど、それは長い時間がかかるので、毎回というわけにはいかない。でも今回は意識してオリジナルにしようと思った」
――曲ごとにコラボレーションの相手がちがいますね。
「異なる文化や年齢層の人に楽しんでもらえるように多様性のあるアルバムにしたかった。たとえば冒頭の〈サボール・ド・リオ〉ができたときは、“これはラッパーがほしいな”と思ったので、友人のコモンに電話したら、快諾してワン・テイクで仕上げてくれた。彼とは5、6年前に『ブルー 初めての空へ』(原題は『Rio』)というアニメ映画の音楽でアカデミー賞の授賞式に招かれたとき、友人のジョン・レジェンドの紹介で知り合った。この曲の別ヴァージョンでは、はじめて日本のSKY-HIにも参加してもらった。フリースタイルでハッピーな彼のラップはアルバムのコンセプトにぴったりだし、コモンのヴァージョンとはまったくちがうものに仕上がった。〈ラ・ノーチェ・エンテーラ〉ではコロンビアのカリ・イ・エル・ダンディー兄弟を紹介してもらった。スペイン語の曲をやったのはこれがはじめてなんだ。そんなふうにアルバム全体がさまざまな色彩で構成されるように考えた」
――2006年のアルバム『タイムレス』のころから積極的に若い人と組むようになりましたね。
「そうだね。そのアルバムではプロデューサーのウィル・アイ・アムが若い人たちと何かちがったことをやる機会を作ってくれた」
――ウィル・アイ・アムはヒップホップの人気者ですが、それまでヒップホップについてはどういう印象を持っていましたか。
「毎日というわけではないが、聞いていたよ。わたしはどんな音楽でも聞くんだ。クラシック、ジャズ、ブラジル音楽、日本の音楽、演歌や雅楽や尺八や琴、インド音楽、アフリカ音楽……好奇心旺盛だから」
――そういえば、もともとクラシック・ピアノの勉強をされていたそうですね。
「最初はね。クラシックはいまも好きだけど、ジャズの自由さにひかれてジャズをはじめた。そのうちボサ・ノヴァが出てきて、その演奏、作曲、編曲の仕事をはじめたわけだ」
――そしてアメリカに行ったんですね。
「62年にカーネギー・ホールでボサ・ノヴァのコンサートがあって、自分のグループ、ボサ・リオで出演した。アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、ディジー・ガレスピー、スタン・ゲッツなども一緒だった。そのときキャノンボール・アダレイと会って、一緒にアルバムを作った。その後、いったんブラジルに戻って、64年11月に渡米した。ブラジルで軍事クーデターが起こって複雑な時期だったので、国から出たかったんだ。そしてA&Mのハーブ・アルパートとジェリー・モスと知り合ってデビューした。彼らが心の広い人たちで、わたしを信頼して好きにやらせてくれたのが幸運だったね」
――新作にも参加していますが、90年代にはカルリーニョス・ブラウンやギンガといったブラジルの若い世代のアーティストとの出会いがありましたね。
「アルバム『ブラジレイロ』だね。カルリーニョスはバイーア出身のエネルギーにあふれた打楽器奏者。ギンガは素晴らしい作曲家で、今回も美しい曲を提供してくれた。ブラジルでもミュージシャンから尊敬されているミュージシャンだ」
――ブラジルには地域ごとに異なる多彩な音楽がありますね。
「ブラジルの音楽の多様性はあまり知られてないから、それを知らせたいという思いもある。たとえば、バイーアはアフリカから最初に奴隷が連れてこられた玄関口のような土地だから、アフリカ的な楽器や文化が色濃く受け継がれてきている。リオのカーニバルとバイーアのカーニバルはとてもちがっているが、それはベニン、モザンビーク、アンゴラなど地域が異なるところから人々が連れて来られたことも関係している」
――奇才として知られるエルメート・パスコアールも参加しています。
「わたしがブラジル北東部のマラカトゥのリズムでやろうと提案して、メロディは彼が書いた。ラップはスタジオで入れようと思いついて頼んだ。彼がラップするのは、はじめてじゃないかな。すべてオーガニックで自然にスタジオの中で起こったことで、計画したのは、いい時を過ごそうということだけだったよ(笑)」
――インストの曲をやるときはブラジルの器楽音楽ショーロを意識されますか。
「人間の声は美しい楽器だと思うから歌も好きだけど、インストも好きで、このアルバムでもショーロの弦楽器カヴァキーニョをたくさん使っている。奏者のプレチーニョは天才だよ(注・2019年10月のマリーザ・モンチの来日公演にも参加していた)」
――ブラジル音楽を語るときに“サウダージ”という言葉がよく使われますね。
「あたたかくて悲しい気持ち。何かにあこがれる感覚。失った素敵なものにこがれる気持ち。ガールフレンド、食べ物、場所……などへの郷愁といった意味だ。〈ロマンス・イン・コパカバーナ〉という曲はわたしがクラブで演奏をはじめた土地を思って作った。そこはボサ・ノヴァが生まれた土地でもある。当時は落ち着いた美しい土地だった」
――アントニオ・カルロス・ジョビンはジャズの影響を受けてないと言ったそうですが、それについてはどう思われますか。
「わたしの意見では、彼の音楽はエイトール・ヴィラ=ロボス、ドビュッシー、ラヴェル、ラフマニノフ、アーヴィング・バーリン、コール・ポーター、ジョージ・カーシュウィン、ピシンギーニャなどの影響を受けている。ジャズも聞いていたが、その影響は直接的ではなく、カーシュウィンのような作曲家の音楽を通してだったと。それと自然の音や声だね。『matita pere』(『ジョビン』という邦題も)の「3月の雨」を聞いてごらん。彼は自然が大好きでそれを音楽にしていたことがわかるから。クラウス・オーガマンのアレンジが君を夢見心地にしてくれるよ」
――世界中で活動されていますが、ライヴにはどんな人が聞きに来るんでしょう。
「10代から80代の人まで幅広いよ。そういえば、SKI-HIの母親はマリンバ奏者で〈マシュ・ケ・ナダ〉を弾いていたし、父親はJALのパイロットでわたしのコンサートをリオで聞いたことがあるそうだ」
――これからの予定を教えていただけますか。
「48年連れ添った妻グラシーニャと子供たちのおかげで。毎日を祝福して暮らしているよ。リタイアは考えてない。いま世界各地で争いが起こっているが、音楽は平和をプロモートするパワフルな武器だと思っている。これまでの活動を振り返った映画が2020年秋には公開されるので楽しみにしてくれるかな」
取材・文/北中正和
Photo by Katsunari Kawai