1985年のデビュー以来、全世界で6000万枚以上(!)ものアルバムを売り上げた
シンプリー・レッド 。稀代の白人ソウル・シンガー、
ミック・ハックネル が率いるイギリスの国民的バンドだ。2010年に惜しくも解散したが、30周年にあたる今年再結成。8年のインターバルを置いてリリースされた最新作
『ビッグ・ラヴ』 ではファンが待望していた芳醇かつシャープなブルー・アイド・ソウルをたっぷり聴かせ、全世界で好調なセールスを記録している。そして98年以降、この偉大なバンドでフロントマンを支え続けてきたのがギタリストの
鈴木賢司 。幼い頃から天才の名を欲しいままにし、10代の終わりに
ジャック・ブルース (ex-
クリーム )の強い勧めでロンドンに拠点を移してからも、世界的な評価を獲得してきた。そんなギタリストの眼から見た、世界トップバンドのバックステージとは?ミックとの関係、プレイヤーとしての葛藤と成長、そして現在のシンプリー・レッドが求める音楽を、一時帰国した鈴木に語ってもらった。
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――結成30周年の節目にリリースされた『ビッグ・ラヴ』は、昔からのファンが“これぞシンプリー・レッド!”と叫びたくなるような、王道のブルー・アイド・ソウルに仕上がっています。バンドを支えるギタリストとしても、かなり手応えがあったのでは?
「そうですね。楽曲は粒揃いだし、レコーディングも充実していたし。何よりフロントマンのミックが、シンプリー・レッドというバンドへの情熱を取り戻しているのが伝わってくる。自分でも30周年に相応しい作品になってると思います。僕自身、ミックの活動に参加して17年ですけど、本作がいちばんオープンな気持ちでのびのび演奏できた気がする。シンプリー・レッド名義のアルバムとしては初めて“ギタリスト鈴木賢司”の判子を押せたっていうのかな(笑)。これまでの5作品とはちょっと違う、特別な達成感がありますね」
――へええ、それはちょっと意外です。鈴木さんはそれこそミックの右腕として、ある時期からシンプリー・レッドのサウンドを担ってこられた印象が強かったので。
「ありがとう。そう感じてもらえるのは嬉しいし、僕自身そうあろうと頑張ってきたわけだけど。ただ正直言うと、2010年にいったんシンプリー・レッドが解散するまでは、自分がバンドの一員だという実感はあまり持ってなかったんですよ。パーマネントなメンバーとしてミックに求められているのか、それともある種のセッション要員として呼ばれてるのかが分からなくて。匙加減って言うんですかね?世界中いろんな場所で演奏しましたが、ギタリストとしてどのくらい持ち味を出せばいいのか、ずっと迷ってる自分がいました」
――鈴木さんは、90年以降ずっとロンドンを拠点にさまざまな活動をされてきて、シンプリー・レッドに加入したのは、98年のアルバム『Blue』 からですよね。 「ええ。ただ『Blue』については数曲オーバーダビングで演奏した程度なので、本格的な参加は翌年の
『Love And Russian Winter』 からですね。当時はまだドラムが
屋敷豪太 さんで、一緒にツアーにも出ました。その後、2005年の
『Simplified』 というアルバムではオーケストラと共演したり、2007年の
『Stay』 はミックがかなりの部分を1人でプログラムしてたりして……。リラックスして自分らしいフレーズを弾けるようになったのは、むしろシンプリー・レッド以外の仕事で、ミックのソロを手伝うようになって以降だと思います」
――どんな変化があったんでしょう?
「おそらく僕の側よりは、ミックの心境の変化が大きかったんじゃないかな。ご存じの通りシンプリー・レッドは、“スムースでゴージャスなブルー・アイド・ソウル”というイメージが強いバンドですが、彼自身は後半、そういったパブリック・イメージにかなり飽き飽きしてたと思うんですよ。それもあって、解散前の2008年に出した最初のソロ・アルバム
『Tribute To Bobby』 は、ボビー・ブランドという黒人ブルース / ゴスペル歌手へのトリビュート作品になりました」
――シンプリー・レッドの反動で、骨太なブラック・ミュージックに大きく振れた内容になったのかもしれない。
「だと思います。サウンド的にも、ゴリッとしたギターが前面に出てくるようになって。僕自身のルーツであるブルース・ロックにも近いので、このアルバムではかなり自由に弾くことができました。2012年に出た2枚目のソロ
『American Soul』 も、基本的にはその延長です。面白かったのは、その頃からツアー・バスの車内でかかるBGMも変わってきたんですよ。昔はクラブ / ハウス系が多かったのが、古い黒人ブルースとか、あるいは70年代の
(ローリング・)ストーンズ とか。ギター・オリエンテッドな音楽の割合がぐっと増えた」
――なるほど。ツアー・バス車内でかかる音楽に、アーティストの気分がもろ反映されるわけですね。解散前後のミック・ハックネルは、かなりアグレッシヴなモードだったと。
「個人的には、そういう感じを強く受けましたね。僕はソロ・アルバムのツアーに2回とも参加しましたが、その時はシンプリー・レッドの楽曲は頑なに歌わなかったし。でも、よくよく考えてみると、本来シンプリー・レッドというバンドの根底にあったのも、同じ種類のパッションだったと思うんですよ。少なくとも、初期の頃はそうだった。ミックはマンチェスターの労働者階級の出身で、歌で底辺から這い上がってきた人だし。
ジョン・レノン や
ボブ・マーリー をヒーローと仰ぎ、音楽を通して社会への怒りを表現してきた。要するにレベル・ソング……抵抗の歌がベースにあるわけです」
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――たしかに1stアルバム 収録の「Money's Too Tight(To Mention)」なんて、80年代当時のサッチャリズム を痛烈に批判する社会派ソウルでした。 「そうそう。もっと言うならシンプリー・レッドというバンド名自体、ミックの赤毛に由来してると言いつつ、アングロ・サクソン系に長らく支配されてきたケルト系の誇りを表している。ニュー・アルバムの話からどんどん逸れちゃいますけど(笑)、彼はティーンの頃はパンクに熱中していて。
セックス・ピストルズ がマンチェスターで初ライヴを行ったとき、たった30人しかいなかった観客の1人だったんですよ」
――そうなんですか!
「ガラ空きのフロア最前列にミックが写り込んでる、有名な証拠写真があって(笑)。よくドキュメンタリーで取り上げられてます。要は、そのくらい強烈なパンク精神の持ち主なわけ。ブラック・ミュージックに影響されたのは確かですが、たんに洗練されただけのソウル歌手というのとはまったく違って、骨太な精神性もしっかり受け継いでいる。彼にとって2枚のソロは、そのルーツを改めて確認する作業でもあった気がするんですよね。それが『ビッグ・ラヴ』には、いい形で反映されてるんじゃないかなと」
――いったんリセットを挟むことで初心に帰れた。
「メイン・テーマは反骨心というより、アルバムのタイトル通り“愛”なんだけどね。でもソロ・アルバムで本来の自分に立ち返れたからこそ、30周年の今、ファンが一番聴きたいシンプリー・レッドを素直に楽しめるって部分はきっとあると思う。僕自身、ちょっとそういうミックのモードを意識しながら弾いてるところはあります」
photo ©Kazuyo Horie
――今回、収録ナンバー12曲の作詞・作曲はすべてミックが手掛けていますね(註: 日本盤ボーナストラック「ハート・オブ・ゴールド」のみニール・ヤング のカヴァー)。楽曲の第一印象はいかがでした? 「変に構えたりせず、今の気持ちを素直に表現してるんだなって思いました。最初に聴かせてもらったのはたしか〈ダッド〉と〈イーチ・デイ〉。どちらも次のソロ・アルバム用にストックしてあった楽曲です。優しい雰囲気の〈ダッド〉は文字通りお父さんに捧げる歌で。ミックが父親を亡くしたときの感情を歌ってます。〈イーチ・デイ〉はエンディングを飾る美しいバラードで、これは奧さんのガブリエラについて歌ってるんだと思う。こういう身近な人への愛や感謝をテーマにした曲が今回は多いですよね」
――たしかに。表題曲「ビッグ・ラヴ」も愛する人と歳を重ねていく歓びを歌っていて、作り手の落ち着きと成熟が伝わってきました。楽曲のアレンジはどんな感じで仕上げていくんですか?
「今回はミックが、僕とキーボードのデイヴ・クレイトンの前で、頭の中にあるメロディと詞を生で歌ってくれました。シンプルなコードの弾き語りの場合もあれば、鼻歌みたいなフレーズのときもある。それを2人で歌・ギター・鍵盤の3パートに分けて。そこで初めてミックの声が入ったデモ・トラックが生まれるわけです」
――いわば、曲のラフ・スケッチみたいな位置づけですね。
「次はこの仮歌データをスタジオに持ち込みます。プロデューサーのアンディ・ライトと他のメンバー4人も入り、各パートを演奏したりテンポを変えてみたりして、いくつかパターンを作成する。それをミックに聴かせて選んでもらい、彼のアイディアをいろいろ反映させながら、アレンジを整えていくんです」
――ミックが自分でプログラミングも行なった前作の『Stay』に対して、バンドとかなり細かいキャッチボールがあったんですね。
「レコーディング後半になると、ミックもスタジオに現れて。“ここは転調しよう”とか“ここには、一拍ブレイクを入れないか?”みたいな感じで、直接指示することもありました。こういう相互的なやりとりは、前作にはなかったプロセスですね。むしろミックのソロ・プロジェクトに近い。ミックに手渡すベーシック・トラックを録音する際も、それぞれの演奏をオーバーダビングするのではなく、今回はメンバー全員で1つの大きな部屋に入って演奏しています。これもまた今回の大事なコンセプトでした。じゃないとバンド・サウンドにならないだろうと」
――ある種のライヴ感、でしょうか。
「そう。プログラミングやオーバーダビングに頼りすぎると、ステージで演奏したときにどっか無理が出るでしょ。もともとが30周年の記念ツアーありきで始まった再結成なので、やっぱりライヴでしっかり伝わるアレンジにしたい。そういえば今年5月、イギリスでアルバムが発売されるタイミングで、
ジュールズ・ホランド がBBC Twoでやっている〈Later〉という番組に出演して、シングルになった〈シャイン・オン〉ほか何曲かを演奏したんですけど……」
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――YouTubeの公式チャンネルに映像が上がっていますね。シャープで引き締まった演奏がメチャクチャかっこいい!
「ありがとう、嬉しいです(笑)。ミックもすごく喜んでいてね。収録の後、とにかく今のメンバーと演奏するのが楽しいって話してました。惰性でライヴを迎えるんじゃなく、そういうモチベーションの高い状態でお客さんと出会えるのは、僕らも今から楽しみなんですよ」
――いま話に出た1曲目の「シャイン・オン」を聴くと、鈴木さんのシャープなカッティングがミックの歌をじつに効果的に引き立てています。ご自分のパートを演奏する際、とくに意識したことは?
「これは僕だけじゃなく、6人のメンバー全員同じだと思うんだけど、まずファンが聴いたときに“あ、シンプリー・レッド”と感じてくれること。過去を模倣するわけじゃなく、要はミックの歌を最大限に生かすフレーズなりリズムを考えることですね。シンプリー・レッドの本質って、突き詰めれば彼の声ですから。たとえばレコーディングの間、ミックはよく僕にギターの“frequency”について話すんですね」
――フリークエンシーって、どういうことでしょう?
「日本語に訳すと、周波数。つまりヴォーカルとぶつからず、ちょうどサポートするような帯域を見つけてほしいという意味です。その上で、さりげないフレーズがメモラブル(覚えやすく)で、フッキー(記憶に残る引っ掛かりがある)であれば、さらにいい。全パートが歌を引き立てつつ、さりげない演奏のディテールにも歌心が満ちている。そういうのが、彼が理想とするシンプリー・レッドの音なんじゃないかな」
――たしかに鈴木さんのギターに意識を集中して聴いてみると、意外に音数が少ない。楽曲によっては弾いてない部分も少なくないし、あとはロックのギタリストみたいに音圧でガンガン聴かせる感じもない。こういう“引きの美学”みたいなものは、自然に身に付いたのですか?
photo ©Kazuyo Horie
「それこそシンプリー・レッドを通じて学んだ、最大の財産かもしれない。僕は17歳のときにジャック・ブルースと共演し、18歳で渡英したんですけど、ギタリストとしては若くして大きな挫折を経験している……この話、もうしましたっけ?(笑)」
――いえ、まだうかがってないかと(笑)。
「張り切ってやってきた当初は、もちろん鈴木賢司として自前バンドを組み、アルバムを出したかったわけですね。何せ若かったし、気負いもあったので。ところが80年代後半から90年代にかけてのイギリスは、もうDJ / ダンス・カルチャーが全盛で、僕みたいなロックのギタリストが活躍できるシーンはほとんどなかった。たぶん同世代の若者には、一番古臭い音楽に聞こえたんだと思う。で、自分が何をやればいいのかわからなくなってしまった時期がしばらくあったんです」
――うーん……二十歳そこそこの若者にとっては大試練だなぁ。
「ただね、英国のシーンにどっぷり身を浸してるうちに新たな価値観も芽生えてきたわけ。俺のソロを聴け!と自己主張するギターじゃなく、むしろグルーヴ全体に奉仕する演奏っていうのかな。レゲエやハウス、トリップホップ。あと、その底流に流れる昔の黒人音楽を浴びるほど聴くなかで、それもまた気持ちいいと感じるようになった。そうやって導いてくれた1人が、じつは屋敷豪太さんだったりするんですけど」
――なるほど、そうなんですね。
「で、90年代後半になってシンプリー・レッドに参加し、僕の中で準備されていた“引きの美学”がよりハッキリ固まったと思う。最大の要因はさっきも話したように、ミックの歌を引き立てたいという意識ですね。弾かないところは弾かなくてもいい。それより、小さなヴォリュームでもギターが抜けて響くようにしようとか。あるいは、さりげなく耳に残るフレーズだったり、キレのいいリズムを刻み続ける重要さ。そういったところに価値を見出すスタイルへと変わっていきました」
――「シャイン・オン」のカッティングなんてまさにそうですね。ミキシングの音量こそ小さいのに、スッと耳に届く。
「たぶん各楽器の演奏が、パズルみたいに精密に組み合わさって出来てるからじゃないかな。音を厚く塗ってくんじゃなく、スペースを意識しつつ、音の間に置いていく感覚。この曲のリズム・ギターはミックの希望もあって、ちょっとナイル・ロジャースっぽいイメージで弾いてるんですけど(笑)。ファンクとかレゲエは、大抵そういう構造になってますよね。異なるリズムが響き合い、ひとつのうねりになっていく。英語だとよく、“ポケットを探す”って言うんですよ」
――それって、空白とか隙間みたいなニュアンスでしょうか?
「ですね。初めての曲を“せーの!”で演奏するときも、瞬時のうちに相手のベースラインやドラムのビートを把握して、その音と音の間に最適な音量と長さで音を投げ入れていく。難しく聞こえるかもしれないけど、シンプリー・レッドのメンバーは全員、ブラック・ミュージックに深く影響を受けてますから、そういう基本的な部分は細かく打ち合わせをしなくてもバシッと合うんですよ(笑)」
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――さすが、歴戦のプロ同士という感じですね。今回、それ以外の曲で個人的に思い入れの強いパートを挙げるとするならば?
「うーん……いろいろあって迷いますが(笑)。たとえば〈タイト・トーンズ〉というダンス・ナンバーの導入部、タイトなイントロが数小節続いた後、細かいギターのリフが入ってくるんですね。やや昔っぽいフィルターのかかった、
スライ&ザ・ファミリー・ストーン を思わせる音色で。今回ミックが、“あのギターが入ってくる瞬間が今回のアルバムでは俺にとってのハイライト”と言ってくれて、それは嬉しかった」
――往年のファンク・ロックを感じさせる名曲と言えば、4曲目の「ザ・ゴースト・オブ・ラヴ」もそうですね。リズムは「タイト・トーンズ」よりゆったりしたミドルテンポですが、鈴木さんが奏でるワウ・ペダルの音色が、じつに粋なグルーヴを作っていて。
「この曲、ストリングスの感じがちょっと、バリー・ホワイトのラブ・アンリミテッド・オーケストラっぽいでしょ(笑)。このワウ・ギターは最初のベーシック・トラックには入っていなくて。けっこう最後の段階でオーバーダビングしたんです。経緯がちょっと変わっていて、たしかレコーディング期間中、メンバーが集まってツアー用のポスター撮影を行なう日があったんですね。で、アルバムのラフ音源を流しながら写真を撮られてたら、トランペットのケビン・ロビンソンがこの曲に合わせて“ウォン、ウォン”って口ずさんでた」
――ははは、人間ワウ・ペダルですね!
「そういうの、得意な奴なんです(笑)。そしたらミックが“待てよ、この曲はずっと何か足りないと感じてたがこれだったんだ!”と言い出して。で、僕1人がスタジオに戻って重ね録りしたと」
photo ©Kazuyo Horie
――その一方、「老人とビール」のギターは初期のアルバムを思わせるジャズっぽい音色で。
「これはまさに、1stに収録されている〈SAD OLD RED〉という曲のイメージで弾いてみたんです。せっかく30周年のタイミングで出すアルバムだし、原点を振り返るような新曲があってもいいなと思って。最後の段階で、ベーシック・トラックの演奏をこの音色に差し替えさせてもらいました。使用したのは〈P-90〉というギブソン社製のシングルコイル・ピックアップを付けた古いレスポール。レコーディング・スタジオに自前のギターとアンプを山ほど持ち込み、いろんな組み合わせを試してみてね。すごく楽しい日で、よく覚えてます」
――ちなみに今回、ミック本人はどんな感じでしたか?メディアではちょっと“気難し屋さん”というイメージも強いですけれど。
「モチベーションは高かったし、総じてリラックスしていたと思いますよ。もちろん作品に対してはとことん厳しい人なので、仕事中、おちゃらけは一切ナシ。ただその日のレコーディングやステージが終われば、グデングデンになるまで酔っぱらうし(笑)。好きな音楽をガンガンかけて、メンバーともいろんな話をします。メリハリが効いてて、いい状態なんじゃないかな」
――長年のファンは、それを聴いてきっと安心すると思います(笑)。そういえば近年、鈴木さんご自身は“KENJI JAMMER ”名義で、日本のいろんなアーティストともセッションを重ねていますよね。 「現在の僕にとってトップ・プライオリティの仕事は、やはりシンプリー・レッド。ミック・ハックネルというポップスの歴史に名を残すシンガーと音楽を創れるのは光栄だし、心から幸せだと思っている。そうなると、自分のパーマネント・バンドを持つのは難しい。なので、とりあえずは“JAMMER = ジャムをする人”を名乗って(笑)。ソロ・ギタリストとして、尊敬できる仲間とそのときどきセッションを重ねるやり方に落ち着いてます」
――日本のサイケデリック・ジャム・バンド、Dachambo のツイン・ドラムを従えたKENJI JAMMER feat. Dachambo Rhythm Sectionsで演奏したり、また昨年のフジロックでは、シアターブルック の佐藤タイジ さんとChar さんのジャム・セッションに参加したり。シンプリー・レッドとはかなり違ったテイストの演奏を重ねている。この振り幅はある種、意図的に? 「最初にコードとテンポだけ決めて、あとはそれぞれが自由に演奏しながら、その瞬間にしか起きないマジックを聴いてもらう。それがジャム・セッションの醍醐味ですからね。その意味では精密に作り込まれたシンプリー・レッドの曲とは違います。ただ音楽のジャンルとか、表面的な見え方はそうかもしれないけど、じつは演奏してるときの気持ちは何ら変わらないんですよ。つまり共演者が奏でている音に神経を集中し、つねに最適なポケットを探すという意味ではね。もし違いがあるとしたら、そこにミックの歌があるかどうかだけ。ミュージシャンとして大切にしていること、楽しんでいるポイントは同じ。どちらの活動も自分の中ではシンクロしてるんです」
――10月から来年半ばにかけて、30周年記念の特大ワールド・ツアーが続きます。ヨーロッパからイギリス、オーストラリア、南米を回って、また故国に凱旋するという長い道のり。ただ残念ながら、現状アジアは含まれていません。
「いやぁ、僕個人はぜひとも来たいって思ってるんですけどね。あとは日本のリスナーに何とか盛り上げていただいて(笑)。もちろん『ビッグ・ラヴ』からの新曲も演奏しつつ、基本的には30周年ツアーですから、シンガーとしてのミック・ハックネルの歴史を紐解くセットリストになってます。メガヒットしたアルバム『Stars』の収録曲もしっかり演奏しますよ」
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――バンドのコンディションがすごくいいので、過去の名曲を演奏してもまた違った魅力が見付かるかもしれませんね!
「そうですね。例のジュールズ・ホランドの番組でも、新曲の他に〈Money's Too Tight(To Mention)〉も再演していて。SNSで古いファンが“2010年代の音にアップデイトされた大人な演奏”とか、喜んでくれたんですよ。僕らもすごく気持ちが高まってます。本当に、日本でも演奏できるといいんだけど」
――楽しみにしています!今日はありがとうございました。