3つの名義を使い分けて活動しているミュージシャンの木原健児が、チルアウトやラウンジに特化したインスト・サウンドを生み出すソロ・ユニット、sphontikとしてのニュー・アルバム『wave wave wave』をリリースした。ラテンやレゲエなどのゆったりしたグルーヴの上で、メロウなギターや浮遊感あふれるシンセが躍動し、夏っぽいリゾート的ムードが全体を貫いていて、とても心地よくて浄化作用をもたらすチルアウト・ミュージックといえる。その洗練された音色や細部まで作り込まれたサウンド、穏やかなメロディ・センスなど、彼の持ち味が存分に生かされた傑作だ。木原にメールで話を聞いた。
――木原さんはsphontik、KENJI KIHARA、木原健児という3つの名義を使って活動されていて、sphontik=チルアウトなど、KENJI KIHARA=アンビエントなど、木原健児=シンガー・ソングライター、という風に音楽性も明確に分かれていますね。ひとつの名義でいろいろやるのではなく、音楽的スタイルごとに異なる名義を使われているのはどうしてですか。そうしないとご自身の中でバランスが取れない、というようなことでしょうか。
「はい、それぞれの名義で制作することでバランスを保っているように思います(自身の中のバランスが取れない。というわけではないですが)。自分の中の“動/陽”な部分=sphontikと“静/陰”=KENJi KIHARAのような感覚かもしれません。制作に向かう時の、自分の中の状態や周りの環境にあわせて曲を作っていることが多く、たとえばゆっくり心落ち着けたい時は、KENJI KIHARA名義を。晴れて気持ちの良い時や、その逆に曇りが続いて憂鬱な気分を変えたい時はsphontik名義を制作したりしています。そのためか、日常に寄り添うような作品が多いのではないかと思ってもいます。どの名義でもそうですが、根本的には自分がただ聴きたい曲を、それぞれのフィルターを通して作っています。木原健児名義は、“歌詞(言葉)”があるので、メッセージ性も含まれますが、日々の変化の中で、その瞬間に合うような音楽を作りたいと思っています。あと、多様なジャンルを作っているので、名義を分けないとリスナーも自分自身も混乱してしまいそうだなという理由も少しあります」
――近年は木原健児名義でのリリースが遠ざかっていて、sphontikとKENJI KIHARA、すなわちインストのサウンド制作にほぼ絞られていると思うのですが、それぞれの制作のやり方の違いはありますか。KENJI KIHARAのほうはフィールドレコーディングを多用したアンビエント〜環境音楽をやられていて、それはご本人の日常の延長線上のように思えますが、sphontikのほうはとてもファンタジックな夢の世界、いわば木原さんの脳内世界のようにも思えます。だから作り方は違うと思いますが、そうしたアウトプットの仕方の違いについてどう思いますか。
「sphontikはサンプリングを制作の起点とすることが多く、KENJI KIHARA名義はフィールドレコーディングした音や、そのときに爪弾いたキーボードだったりギターの音などを起点とする違いがあります(すべてではないですが)。おっしゃる通り、sphontikは陽な世界観がありますね。前述で自分の中の感覚について書きましたが、自分の性格的に普段は“静/陰”であることが多いので、sphontikでは音楽によって気持ちを切り替える。“動/陽”な気分に持っていく。というところがアウトプットする上で大きな違いなのかなと思います」
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――sphontikのほうは、最初から「今からsphontikを作るぞ」という風に決めて作られていると思うのですが、だとすれば、コンセプトなどを決めて作られますか。それとも日常的にできていく感じですか。今回の『wave wave wave』は、こういうものにしたかったというコンセプト的なものはあったのでしょうか。
「日常的にできていく感じです。“こういうものにしたかった”という明確なコンセプトはありませんが、sphontik名義では日常をポジティヴにするような作品になれたら、という思いがあります。日々制作し、作品が揃っていく中でコンセプト的なものが固まっていったような感じです。sphontik名義ではわりと流れに身を任せて制作し、徐々にコンセプトが形成されていくことが多いです」
――sphontikは以前から一貫して、グルーヴィなリズムとシンセなどの上ものによる心地いいチルアウト〜ラウンジ、という作風が確立されていて、今回も同様だと思うのですが、たとえば2曲目「wave wave wave」の波の音のSEやメロウなギターのトロピカルな作風に代表されるように、全体として海や太陽をイメージさせる、リゾート色の強いアルバムになっているように思えます。だとすれば、そうしたアルバムを作りたかったのでしょうか。そのきっかけなどもありましたら。
「そうですね、海の近くに住んでいるというのも影響があるかもしれません。生まれ育ちは海のないところだったので、海に対する憧れが強かったように思います。今回の曲の多くは、神奈川県葉山町に住んでいたときに作られました。夏の太陽や、気候、そこに住んでいる人たちとの交流。そういったことが、全体としてリゾート色の強いアルバムにつながっている気がします」
――リズム面ではラテン、レゲエ、ボサ・ノヴァなど、ゆったりしたリズムでありつつ曲ごとに変化して多彩ですね。リズム〜ビート面でのこだわりなどありますか。
「sphontikの楽曲はビートがしっかりとありながらも、ゆったり穏やかに聴ける。心地よくいられるようなリズム。というところを大事にしています」
――木原さんの他名義すべてにいえることですが、曲全体の展開が変化することがあまりなく、ひとつのビートやフレーズを繰り返していく、いわばミニマルな構成が多いですね。今回もそれは同じで、たとえば4曲目「Some Steps Under The Sky」で、ラテン的グルーヴが延々と繰り返されるあたりなど、長く繰り返されるからこその快感や気持ちよさがあると思います。そうした効果や、展開が少なくミニマルになっていることについてどう思いますか。
「楽曲を丁寧に聴いてくださっており、ありがとうございます。嬉しい限りです。まさにそういった繰り返すメロディやリズムが空気の流れのように、ゆっくりと、わずかに変化を加えていく。そういった展開がとても好きで、大事にしている部分ではあります。日常のシーンで曲をかけていても、その場の空気がスムーズに流れていくような、溶け込むような、そんな音楽になれば良いなと思っています。繰り返す日々の中で、ちょっとした季節の変化などを楽しむようなイメージです」
――上ものではメロウなギターやドリーミーなシンセというのが多く、そこから先ほども述べたような、ファンタジックで夢の世界というイメージを醸し出しているように思えます。それは木原さんのそうしたものに憧れる脳内世界の具現化、というようなものでしょうか。
「そうですね、そういった世界観に浸りたい。というような感覚から作っていることもあります」
――コロナ禍以降、自宅待機などの環境の変化からアンビエント〜チルアウト的なものが求められる、という動きが世界的に起きていると思いますが、そうしたリスナーの要望に応える、というお気持ちはありますか。あるいはあくまでもご自身の創作欲求から生まれるものでしょうか。
「“リスナーの要望に応えたい”“自分の音を聴いてほしい”“たくさんの人に届かせたい”というようなものはあまりなく、あくまで“自分自身がこういったものを聴きたい”という創作欲求から生まれるもののほうが強いです。だからこそ、風通しの良い、日常に合うような楽曲が生まれているのかなと最近になって考えたりしています。そのかわり、人の心を揺り動かすような、アーティスト性がある楽曲はなかなか作れないような気がしています」
――木原さんの他名義にもいえることですが、sphontikの音楽は音の質感、音色、重ね方、メロディなども含め、とても洗練されていて都会的だと思います。それは木原さんという個人の都会性が表れたものと思えますし、昨今のシティ・ポップにも通じる感覚だと思いますが。ご自身ではどう思いますか。
「そうですね、そのあたりはあまり考えたことはなかったです。自然が多く、あまり人がいない所に住んでいるのですが、音楽を通して無意識に都会性を表してバランスをとっているのかもしれません」
――では今回のアルバムの仕上がりには満足していますか。リスナーにこう聴いてもらいたい、という要望などありますか。
「はい、満足しています。今までの作品よりさらに肩の力が抜けたような感じがしていて、その辺りも少し感じ取れるかもしれません。こう聴いてもらいたいという要望はなく、自由に、心地よく聴いてもらえたら嬉しいです」
――木原さんは非常に多作で、KENJI KIHARA名義のSOOTHE & SLEEPシリーズなども頻繁にアップされていますし、新作がどんどん出てくるような印象がありますが、もう日常でたくさん湧き出てくるような感じなのでしょうか。
「やはり名義をいくつか分けているからこそか、“今日はsphontikな感じではないからKENJI KIHARA名義の曲を作ろう”という感じで日々作り続けていけるのかなと思います。なのでKENJI KIHARA名義をはじめてからあまりブランクのようなものはありません」
――今後の活動については、やはり名義を使い分けて作品を出されていくのでしょうか。たとえば名義を増やすなどのやりたいことはありますか。
「はい、じつはすでに別名義で出そうかと思っている作品を作っています。自分自身ジャンル問わず、あらゆる音楽が好きなので、今後も創作意欲が有る限りいろいろな作品を出し続けたいと思っています」
取材・文/小山 守