こういう男女が増えたら、この世の空気はかなり優しくなるはずだ。
英語、フランス語、ポルトガル語で名曲を歌い綴る“ジャズ・ソングバード”こと
ステイシー・ケントと、サックス / フルート / クラリネットをこなす夫君
ジム・トムリンソン。深いリスペクトで結びついたふたりの“婦唱夫随”インタビューをお届けしたい。
特大編成のオーケストラと共演した目下の最新作『
アイ・ノウ・アイ・ドリーム〜オーケストラル・セッションズ』(2017年)が国際的ベスト・セラーとなり、日本でも2017年度〈ジャズ・ジャパン・アワード〉アルバム・オブ・ザ・イヤー / ヴォーカル部門を獲得したステイシー。その華麗な歌声の横には、つねにといっていいほどジムの詩的な吹奏が寄り添っている。来日中のふたりに、数々の楽曲で作詞をしている〈ノーベル文学賞〉作家
カズオ・イシグロとの交流やライヴ・パフォーマンスに対する姿勢についてうかがった。
――ステイシーさんのステージはポップス、シャンソン、ボサ・ノヴァ等の楽曲が和やかに同居していて、ちょっとした音楽の旅をしているような気分を与えてくれます。いわゆるジャズ・シンガーとしてはかなりユニークなセレクションだと思うのですが、選曲の基準はなんですか?
ステイシー「それについてはよく尋ねられますが、“これだ”という答えはまだ見つかっていないの(笑)。ブラジルのグルーヴに惹かれる時もあれば、バラードのたった一行の歌詞に魅せられて、“ぜひ歌いたい”と思う時もあるし。語感がいいとか、歌詞全体の意味が好きとかで一概には言えないというか……。ところで、昨日のセカンド・セットで私はあるバラードを初めて披露したんです。ピアニストの
ロジャー・ケラウェイが書いた〈I Have The Feeling I've Been Here Before〉という曲で、以前からジムに勧められていたんですが、私の第一印象は“たしかにグッド・ソングだけど”というくらいで、“歌いたい”とまでは感じなかった。だけどこの曲、だんだん効いてくるのよ(笑)。数ヵ月後にあらためて聴いたら“なんて美しい曲なの”って感動して、ぜひ歌いたいと思うようになって、昨日とりあげたの。各ステージの選曲に関しても柔軟に考えていて、たとえばフランス語の〈Ne me quitte pas〉と英語の〈If You Go Away〉は同じメロディですが、そのときのほかのレパートリーやお客さんの反応によって、何語で歌うか決めています。今の私は〈If You Go Away〉として歌うことが多いですね」
――そしてバックでは、ジムさんを中心とするメンバーがヴォーカルをしっかりサポートしています。
ジム「歌の延長のように吹けたらと言えばいいのかな、ステイシーと僕のパフォーマンスがスムーズにつながってアーチを描くように心がけている。“ハイ、ここまでステイシーの歌、ここからジムの間奏”というようなプレイをしようとは思わないからね。何よりも大事なのは楽曲の美しさを伝えること。彼女の歌唱をいかに支えながら、いかに曲を生かして演奏するかが自分たちミュージシャンの役目だ。今のバンドは、それをいちいち口にしなくてもわかっているメンバーばかりなんだ。エゴは楽屋に置いてこなければいけない(笑)」
ステイシー「ジムはバンド・リーダーとしても、プロデューサーとしても、アレンジャーとしても本当に素晴らしいの。ミュージシャンそれぞれの良さを引き出すと同時に、バンド全員が音で会話するスペースを残してくれる。5人が一緒に成長できているんじゃないかしら。その成長が実感できる限り、変わらないメンバーで活動を続けたいですね」
――ジムさんは作曲家としても大変な才能の持ち主です。とくにカズオ・イシグロさんの詞とのコンビネーションが絶妙だと思います。話し合いながら曲作りを進めていくのでしょうか?
ジム「いつも歌詞が先に送られてくる。イシグロと僕の組んだ曲に特別なケミストリーがあるとしたら、歌詞が届いてからメロディを書き始めるというところも関係しているんじゃないかな。彼の歌詞は特定の音楽フォーマットをまったく意識していない。“ここからここまでがワン・コーラスで、ここからブリッジで”といった慣習的なストラクチャーに捉われていない。だから自分はその歌詞をどうやって楽曲にまとめあげていくのか、思いっきり想像を働かせて取り組まなければならない(笑)。そこに彼と合作する面白さ、音楽家としての腕の見せどころがある」
ステイシー「最初から歌詞が先と計画していたわけではなくて、結果的にそうなったんです。会食をした時に、どちらともなく“一緒に曲を作ったら面白いんじゃない?”という言葉が出て、少し後にイシグロから歌詞をしたためた手紙が届いたの。すごく美しい歌詞だった。私がそれを音読すると、ジムはすぐに“メロディが浮かんできた”といって、あの旋律を書き上げた。それが〈ジ・アイス・ホテル〉(2007年のアルバム『
市街電車で朝食を』収録)よ。(送られてくる歌詞は)郵便からファクスに変わったけど、私が音読してジムが曲を書くのはずっと続いているわね」
――イシグロさんは昨年、〈ノーベル文学賞〉を受賞しました。彼に初めて出会ったのは2002年だそうですね。
ステイシー「会う前から、彼は私たちが好きな作家の筆頭だったの。いろんな作家を愛読してきたけれど、イシグロの世界には特別に共感できるというか、すごく自分の感情に似ているんです。だから、彼が私の歌を愛聴していてくれたことを知った時はとても嬉しかったし(“無人島に持っていく一枚”としてステイシーの歌う〈私からは奪えない〉を挙げた)、とても高いレベルでいい関係を築けていると思うわ」
――近年のステイシーさんはだいたい2年に1枚、ニュー・アルバムを出しています。そのペースで行くと、次回作は来年のリリースですね。
ステイシー「まだ何も決まっていないの。『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』は非常に大掛かりな作品でしたし、オーケストラを帯同したツアーをしたこともあって、そちらに多くの時間を割いてきたので。もちろん新作について考えていないわけではありませんが、具体的に動き出すのは、もうちょっと後になるでしょうね」
取材・文/原田和典(2018年9月)
撮影/佐藤 拓央
写真提供/BLUE NOTE TOKYO