過去の代表曲をアップデートしたセルフ・カヴァー集『マイ・ソングス』から約2年半、オリジナル作品としては『ニューヨーク9番街57丁目』から5年ぶりとなるスティングのニュー・アルバムが『ザ・ブリッジ』だ。ことさら新境地を打ち出そうとするわけではなく、かといって現代性に背を向けるわけでもなく、じつにスティングらしいやり方で深度を強めている。ソウルの名曲やイギリス民謡などのカヴァーもあるが、大半はこの1年の間に書いたというオリジナル曲。ならば、世界的なパンデミックによって人と人との間に距離が生まれ、社会と政治が混迷を極め、かつてないほど困難になったこの時代に思いを巡らせながら制作したであろうことは間違いないが、しかしその思いを直截に反映させるのではなく、むしろ“その先”を見ようとしながら一曲一曲奥行きのある物語に昇華してみせている。従ってダークだったり内省的だったりの曲が並んだりはせず、揺るぎなさ、力強さを感じさせる曲ばかりであるという印象だ。「これらの曲は、ある場所と別の場所、ある精神状態と別の精神状態、生と死、人と人、そういったすべての間にあるものだ。政治的にも社会的にも心理的にも、僕らは何かの真ん中で立ち往生している。架け橋が必要なんだ」とスティングは言い、それゆえ『ザ・ブリッジ』というタイトルが付けられた。それはまた大陸と大陸の架け橋であり、文化と文化の架け橋であり、過去と未来の架け橋でもあるだろう。今作もまたロックにフォーク(トラッド)にソウル、エレクトリックとアコースティックに橋を架けているが、すべての曲のメロディ展開と歌声にスティングのシグネチャーが明確にある。彼自身による楽曲コメントがあるので、それを紹介しつつ各楽曲を見ていこう。
オープナーはセカンド・シングルとして10月頭に先行配信され、MVも公開されている「ラッシング・ウォーター」だ。ポリス時代を想起させもするロック・ナンバーで、ドミニク・ミラー(g)、ジョシュ・フリース(ds)らおなじみのミュージシャンが参加した。「ラッシング・ウォーター」=“奔流”。“この水に少しずつ身を慣らすんだ”と歌われるが、勢いよく流れる水とはスティングにとってなんなのか。「僕には“水”と“女性”が象徴として結びついているように思える。水は女性的なるもののシンボルであり、僕の人生において女性がいかにパワフルな存在であるかということを言いたいんだ。ひとりの男性として僕は女性のパワフルな側面や繊細さ、流れに逆らわず身を任せられる柔軟さに敬意を抱いているし、自分もそれを受け入れたいと思っている」
2曲目は今作からのファースト・シングルとなった「イフ・イッツ・ラヴ」。明るく軽やかな曲調で、スティングのヴォーカルにも柔らかさがある。恋の病を歌ったポップ・ソングだ。「英語だと“lovesick”と言ったりもするよね。恋はある種の病だけど、医者に診てもらっても“治す薬はない”と言われるだけだ。つまり、かかったら諦めるしかない。あるがままに受け入れろってことだね」
3曲目は「フィールズ・オブ・ゴールド」に近いムードで静かに始まり、サビでダイナミックに展開するバラード「ザ・ブック・オブ・ナンバーズ」。原子爆弾を開発した化学者ロバート・オッペンハイマーの自己弁護と罪悪感について考え、旧約聖書にある物語も引き合いに出しながらスティングが綴った物語だ。そして4曲目はこれもバラードだが、プログラミングされたドラム・ビートがダウナーな感覚をもたらしもする「ラヴィング・ユー」。この曲でコラボレーションしているのはマッシヴ・アタックやゴリラズの曲のリミックスを手掛けたロンドン出身のDJ / プロデューサー / エンジニア、マヤ・ジェーン・コールズで、彼女によるエレクトロニックなサウンドがスティングのヴォーカルをこれまでとは少し違った印象で響かせている。「彼女(マヤ)の曲の原型を聴かせてもらったとき、僕の頭のなかにあった作りかけの物語が新しいイメージを伴って動き出したんだ。施されたエレクトロニックなアレンジは、僕の歌い方と対照的かもしれないね。僕はこの曲をアメリカのソウルソング調に歌ってみた。それからエレクトロニックな要素を混ぜ合わせた。狙っていたわけじゃないけど、ちょっと新しくてめずらしい仕上がりになったと思うよ」
5曲目「ハーモニー・ロード」はドミニク・ミラーとの共作曲。「メロディが自分の幼少時代の物語を思い出させた。僕が住んでいたのは荒っぽい町で、犯罪が多く、子供たちもタフだった。“あの町のやつらは不良だ、犯罪者だ”などと烙印を押されてしまうようなところだ。それで僕はそこの通りから逃げ出す歌を書いた。“ハーモニー・ロード”と呼んだのは一種の皮肉で、実際はそこに平和や愛なんてなかったよ。これはそこから向こう側へと橋を渡ろうとする者たちの歌なんだ」。この曲の間奏でサックスを吹いているのはブランフォード・マルサリスである。「ブランフォードは『ブルー・タートルの夢』で吹いてもらって以来35年の付き合いで、僕のほぼすべてのアルバムに参加してくれている。彼は僕が何を求めているかをすぐに理解し、それを実現してくれる素晴らしいミュージシャンだ。この曲で彼の吹くパートは、ある種、自由を求める叫びのようなものだね。まるで“ここから出してくれ”と言っているような感じだ」
6曲目の「フォー・ハー・ラヴ」は、さまざまなアーティストがサンプリングした名曲「シェイプ・オブ・マイ・ハート」のリフを想起させるドミニク・ミラー節の繊細なギターが耳に残る曲。7曲目の「ザ・ヒルズ・オン・ザ・ボーダー」はフィドルやメロディオンの音色が印象的な、イギリス民謡テイストの曲である。「2009年にイギリス民謡を中心にした『ウィンターズ・ナイト』というアルバムを出した。〈ザ・ヒルズ・オン・ザ・ボーダー〉で出したかったのはあの雰囲気なんだ。カントリー&ウエスタンのようでありつつブリティッシュ・フォークの要素も入った、一風変わったハイブリッドになったね」
8曲目の「キャプテン・ベイトマン」もまたフィドルの音色が印象的なスロー。9曲目「ザ・ベルズ・オブ・セント・トマス」はドミニク・ミラーと共作した静謐な曲で、スティング曰く「僕の好きな雰囲気を持つ曲だ」。そして10曲目はタイトル・トラックの「ザ・ブリッジ」。弾き語りによるこの曲は、次に収められたイギリス民謡「ウォーター・オブ・タイン」と同質の構成・ムードを持つもので、スティングによれば「子供の頃に歌った古い民謡“ウォーター・オブ・タイン”に触発されて書いた。アルバムのなかで最後に書けた曲だけど、結果的にほかのすべての曲をまとめるような曲になった。この曲が書けて自分が何を表現したかったのか腑に落ちた感覚があったよ。つまり、“いまいる場所からどこか別のところへと渡っていく”といったこと。ギター・アレンジは川の速い流れをイメージしている。ここで歌われるブリッジは本物の橋じゃなく、霧のなかに浮かび上がる幽霊のような橋なんだ」
12曲目は8曲目「キャプテン・ベイトマン」のマヌ・カッチェのドラムを土台とし、スティングが即興でベースとヴォイスを乗せたもの。「曲の解釈はひとつだけじゃないってこと。このように、ひとつの曲から別のストーリーが生まれることもあるわけだ」
13曲目はオーティス・レディング「ドック・オブ・ベイ」のカヴァー。「アルツハイマー病に苦しむ人たちのセラピーとしての音楽活動に取り組むキャンペーンから、僕の人生でもっとも意味のあった曲を録音してほしいと頼まれ、この曲を選んだ。これもまた、どこか別の場所に思いを巡らせている曲だ。哀しい曲なのにメジャー・コードが用いられていることも興味深いね」
国内盤のボーナス・トラック「孤独のニューヨーク」は稀代のシンガー・ソングライター、ハリー・ニルソンのカヴァーだ。「アメリカ人俳優のグリフィン・ダンによる依頼でこれを録音した。彼はニューヨークでのパンデミックを題材に短編映画を作っていて、そこで使いたいとのことだった。僕自身、ニューヨークに住んでずいぶん経つし、このアルバムは僕のこの1年の個人的な旅の記録でもあるから、これも入れようと思ったんだ」
文/内本順一
Photo by Eric Ryan Anderson