ソリッドな電子音の骨格は生々しく、力強く歩を進める。純然たるソロ・アルバムとしては
『LOVEBEAT』以来、実に10年ぶりともなる
砂原良徳のアルバム
『liminal』。堂々とした音像は風格すら漂わせている。『LOVEBEAT』の延長線上にある音ではあるが、ひとつ大きく違うのはあのアルバムに渦巻いていたメランコリックな感覚が後退している点だ。当時のさまざまなインタビューにもあるように『LOVEBEAT』は彼の音楽と世界の向き合い方を示したものであった。あれから10年、砂原良徳は、今、何を見て音楽と対峙しているのか。そしてこのインタビューが行なわれたのは奇しくも未曾有の大震災となったあの日の前日である。
和音を“ジャン”と弾いたときに、この“ジャン”と弾くことが、まず面白くないと思うようになった――ニュー・アルバム『liminal』は10年7月に発表されたシングル
「subliminal」との連作になっていますが、これは『subliminal』制作時から念頭にあったことなんですか?
砂原良徳(以下、同) 「もともと「subliminal」のタイミングでアルバムを出すはずだった。だけど、
いしわたり淳治と僕(いしわたり淳治&砂原良徳)という
コラボがあってアルバムを作るほどの作業時間がなくて。で、アルバムじゃなくて、まずはシングルを出そうという話になって、それで「subliminal」を先に出して。実際に『liminal』はその流れで作業をやっていこうと思ってたんですが……『liminal』を作ってる最中に“コレ、次のことをやりはじめている気配があるな”と思うようになって。『liminal』の片足は「subliminal」なんですが、片足はその次のことという感じになってしまってるんですよね」
――『LOVEBEAT』の頃のインタビューには、あのアルバム自体が世の中の出来事に対する反応だという発言がよく出てきてました。そこからさらに10年経って、ぶっちゃけ世の中は良くなっているわけではないと思うんですが、そのへんのことで『liminal』を作るにあたって考えていたことはありますか?
「世の中、良くなってないし、どんどん酷くなってるなって。日本においては本当にそう思う。でも違うところ、例えば途上国なんかは景気が良くて部分的に見たら良い部分もあるかもしれない。だけど地球全体をみたらやっぱり厳しいなって感じはしていて。そういうものを見た感覚を、今までよりも自分の作品にダイレクトに反映させていくというやり方は『LOVEBEAT』の頃と基本的には同じですね。あのときは勢いがあったと思うけど、いまは勢いがない(笑)」
――そうですか? 音的にはより力強さを感じたんですが。
「そこに意識的なところはあまりないんだけど、ヤバいなっていう警告的なものというか、どんどん迫ってきている感じが自分の中であると思うんですよね。それがテンポとか、そういうところに出てるのかもしれない。もちろん理由は自分で分かってないだけで、何かあると思うんですけどね」
――今作の制作に関して、具体的な問題意識って何か念頭にありましたか? 社会と向き合う起点になった事柄とか。
「あまりにも問題が多すぎて……それが、どんどん増えていっているというところかな。それがやっぱり気になりますね。問題が山積している状況が」
――冒頭で『liminal』を作っている最中に、「subliminal」とは違うものになりつつと感じられたそうですが、『liminal』を聴いたあとで、改めて「subliminal」を聴くと、音数が多いというかポップにすら聴こえる部分があって。
「そうかもしれませんね(笑)」
――対して『liminal』はシンプルな骨格だけの強さみたいなところにフォーカスしているような気がして。
「「subliminal」のときと、とにかく違ったのは、和音を“ジャン”と弾いたときに、この“ジャン”と弾くことが、まず面白くないと思うようになったことで。そもそも和音を弾くこと自体がルールに則ったことじゃないですか? 世の中にあるギターのフレーズもドラムのフィルも、全部聴いたことのある引用でしかないし、それってなんか白々しいなと思ってしまったんです。そして世の中にある曲のほとんどが、人から人へ向けて作られているものなんですよね。これがね、音楽のすべてかって言うとそうじゃないと思うんですよ。最近、インタビューの現場で逆に訊いてることなんですけど、そもそも“音楽のはじまり”ってどういうものだったと思いますか?」
――自然の中から何か楽しい音が聞こえてきたところですかね。
「うん。まったくそれが正解だと思うんですよ。例えば僕が原始人だとして、海に行って、砂浜で寝てたとする。なんで行くのかというとそこが気持ちいいからだと思うんです。そこでは波の音が聞こえると思うんですけど、はじめはその波の音が気持ちいいということ自体には気づいてない。だけど、波の音をそこで心地良いと思ったことが、すなわち人が音楽を感じた瞬間だと思うんですね。そういうことが音楽の最初なんじゃないかと思った途端に、人から人に意識的に音を出すということ自体どうなのかなと思ったんですよ。そうすると、自分が作る音がどんどんノイズ化していくという……」
――音楽以前の音楽という感じですかね。
「そうですね。いつの間にか音楽が“人から人へ”になってしまった。それで、世の中にはツマらない音楽作るヤツって、たくさんいるわけじゃないですか?」
――アハハハ(笑)。
「音楽は、音楽を作った人間に結局集約されると思うんです。でも風の音とか波の音って何に集約されるのか、全然分からないじゃないですか? “所詮この曲って、これを作ったコイツでしかないんだよな”って思っちゃうとなんかツマらないなと」
――そこからは自由でありたいと。
「そのへんが曖昧というかハッキリしてないものをやってみたいというのあって。それは今後の課題でもありますね」
――でも、砂原さんの音楽はファンが聴けばすぐに分かる。“砂原良徳さんの音”っていう確固たる個性があるじゃないですか。
「そうなんです。そこから脱却できないんですよ(笑)。それが今の悩みなんです。基本的に大体、ものを作ってるときはもがいてますよ。ただ、クリアできるか分からないながらも、具体的な課題がある方が自分的には作業にとっつき易いので」
やっぱり『LOVEBEAT』以降はリアリズムかな。それがソロ・プロジェクトの前提になりましたね――音楽の定型からも自由でありたいというところに関係があるのかも知れませんが、ヴォーカルというか、『LOVEBEAT』にはまだ言葉があったと思うんです。でも今回は、言葉に関して言えば、「Capacity」という曲で人数を連呼するのみになっていますね。
「自分の表現したいことが、言葉とか具体的なメロディになりにくくなったんですね。“このメロディって、他の誰かが、すでに作ったものじゃないか”とか思っちゃって。メロディって、まさに“人から人”への代表というか。そういう音楽がすべてダメだというわけではないんですけど」
――自分がやるものではないと。
「そう。自分のソロ・プロジェクトにおいては、かなりいろいろな制限をかけているので。制限かけない方がいいという意見もありますけど、音楽なんて制限かけなきゃ作れないですよ」
――音楽以前の音の快楽という話がさっき出てきました。そこに関連するかもしれませんが、砂原さんの作品にはビートがあるじゃないですか。ビートレスなアンビエントみたいなものって興味がないですか?
「いや、アンビエントとかビートレスみたいなものは面白いと思うし好きですよ。だけど、今はメロディとかコードよりもビートというものが共通言語になるんじゃないかなと思うんです。メロディとか歌詞がハッキリした曲を、そういうものに対して免疫のない原始的な生活をしている人のところに持っていっても理解できないと思うんですよ。だけどビートは違うんじゃないかと思うんです。ビートは人じゃなくて、自然の中からも生まれてくるし。こだわりじゃないですけど、音楽を作る上で、ビートというものは今後も使っていきたいと思いますね」
――サンプリングではなく、電子音であるというのも、そういった制限や決めごとなんでしょうか?
「音に関してはコンピューターから出てくる音である必要は必ずしもなくて。自然の音を取り込むとか、そういうこともやりたいとは思ってるんですけどね。ただ僕は楽器の演奏ができなくて、今後する気もないですし。だからコンピューターで作るというのはひとつの前提ですね。でも、世の中には面白いと思えるような音というのは、どこにでもある。車の音や電車の音、ブレーキの音。それらの音って、出そうと思って出てる音ではないですよね。そういう意味では不都合な音なんだけど、それが面白く聴こえるところが僕にはある。人の意識とは関係なく出てる音。そういう音を取り込んでいきたいという気持ちは強くあります」
――初回盤にはDVDの映像も付いていて、その制作にもご自身で携われていますが。
「ライヴをやるときはどの曲にも映像を付けてるんで、どうしても作らなきゃいけないんですね。だから映像のことは、いつも考えてます。ただし、今回は映像になりにくかったり、映像に変換しにくかったりする要素がいつもより多かったんで苦労しました」
――『LOVEBEAT』に辿りついたというのは、本当に大きかったということなんですね。
「本当にでかかったですね。自分の戻る家ぐらい作っとかなきゃいけないと思ってて、そういうものに『LOVEBEAT』は、自分の中でなったのかな。でも、それも時間が経たないと分からなかったですね。やっと最近、聴けるぐらいの感じかな」
――逆に、それ以前の作品って聴きます?
「最近、聴きはじめました。『Take Off & Landing』とか最近自分で聴いたりしてますね。“あ、これやってたんだ、すでに”とか思うこともありますよ。意外に頑張ってたんだなって」
編集M:あの頃の作品はいま聴くとファンタジックというか、コンセプトをがっちりと決めてという感じだと思うんですが。今の砂原さんの作品からは、より肉感的というか生々しい印象を感じるんですね。
「やっぱり『LOVEBEAT』以降はリアリズムかな。それがソロ・プロジェクトの前提になりましたね」
――ある意味、サンプリングを排したことで、無機質な電子音だけになったと思うんですが、逆に僕は今の『LOVEBEAT』以降の音の方が色気というか、そういうものを感じるですよね。あのとき、コンセプトで彩られた部分で隠されていた部分が出て来ていると思って。エロティックな部分を感じます。
「僕の音楽をエロティックと言う人はなかなかいませんよ(笑)」
――たまにインタビューの中に、さっきのビートの強度みたいな部分でファンクという言葉が出てくるじゃないですか? ブラック・ミュージックの型通りのトレースじゃないファンクというか、ある意味でオリジナルなこの国で生まれたファンクというのが、こうなって来るのかなと。
「僕のビートとか変なところで止まったりするじゃん、あの感じがファンクだと思うんだよね。
小山田くんの
コーネリアスの曲とかも、変なつっかかり方するでしょ? あのつっかかりこそがファンクだと思うんだよね」
取材・文/河村祐介(2011年3月)