“ハイブリッド・ガムラン”を提唱する異色の日本人ガムラン・グループ、
TAIKUH JIKANG 滞空時間
ガムランを本場バリで体感したい。そんな強い衝動に駆られて、2012年7月、バリのウブドゥを訪れた。これまでうっすらとしか興味のなかったガムラン。それが、「今行かずしていつ行く!」と、ガムランの地へ駆り立てられたのは、日本人ガムラングループ「
TAIKUH JIKANG 滞空時間」(以下滞空時間)との出会いが発端だった。
バリへ立つ約3ヵ月前、滞空時間のライヴを初めて観た。「ガムランってこんな音楽だったの!?」という驚きと衝撃。東南アジアの土着感と、東京のカオスが入り混じったような、なんとも言えない刺激的な響きがあった。
太鼓を叩きながら、インドネシア語(?)のような摩訶不思議な言語を叫ぶ男性。人間の声とは思えない低音と、天まで届きそうな美しい高音を重ねあう男女2人の歌い手。無邪気に遊ぶヴァイオリンの旋律、地響きのようにどっしり重くうねるベース。鍛冶職人のように黙々と打楽器を叩き続けるガムラン部隊。それぞれが個性的で奔放な音なのに不思議と溶け合い、ひとつの塊になっている。ものすごいグルーヴだった。鹿のマスクをして荒々しく踊るダンサー。仮面の道化師がコミカルな踊りと話術で笑いを誘う影絵芝居――「なんだかよくわからないけど、ガムランって楽しい!」終演後、興奮冷めやらぬままリーダーの川村亘平斎(摩訶不思議な言葉で叫んでいた人)に、素人丸出しの感想を伝えた。「あの言葉は、バリ語?」気になっていたことを尋ねると、「いや、即興でテキトーに歌ってるコーへー語です(笑)」なんて言うから、ますます楽しい。
終演後の会場は、観客も演者も隔てなく、まるで隣近所のにいちゃんねえちゃんが集ったような……みんなで盆踊りを一緒に踊ったような親近感?そんな不思議な居心地のよさがあった。
「その村祭り感こそ、ガムラン特有のものなんですよ。ガムランというのは音楽や楽器の呼称でもあるけれど、それだけでは説明できないところがある。人と人をつないで、村の共同社会を成り立たせる役割も持っているんです。バリには、ひとつの村に必ずひとつガムランの楽団があって、親から子、祖父母から孫、上級生から下級生へとガムランが教え継がれている。音楽を通じて、自然と村のコミュニティが構築されているわけです。隣村同士はライバルで、“俺の村のほうがうまいぞ!”なんて競い合ったりもする。日本のお囃子に似ているかもしれないですね。ガムランのライヴは町内会のお祭りのようなものなんですよ」(川村亘平斎)
川村亘平斎の言葉を聞いて、幼いころ、隣近所のみんなと手をつないで祭りへ出かけたことを思い出した。あの感覚が、バリには今も息づいている。「私もバリに行く!」その夜、滞空時間との初対面にして、彼らのバリ公演に同行することを決めた。
滞空時間は、2009年に結成された。リーダー川村亘平斎のガムラン歴は約14年。日本におけるバリ・ガムランの第一人者、皆川厚一が興した亜細亜大学ガムラン・サークルで学び、10年前、初めてバリを訪れてからは、現地のガムラン・マスターに師事。延べ2年間留学し、バリ芸能を学んでいる。その後も師匠のもとへ足繁く通い、今やバリは第二の故郷となった。滞空時間は、そんな彼が日本でのガムランの認知度の低さを痛感し、それを広く伝えようと発起したもの。インドネシア芸能の大事な要素であるワヤン・クリ(影絵芝居)、舞踊なども取り入れており、影絵の仮面や人形などの切り絵は、彼がすべて製作している。主な担当楽器は、バンド・マスター的な役割を担う太鼓のクンダンだが、青銅鍵盤打楽器のガンサや、銅鑼型打楽器のトロンポン、竹笛のスリンなど、あらゆる楽器を習得していて、さらに舞踊もできるというマルチな芸術家だ。
ガムランの演奏家は、それぞれ得意な楽器があり、それを主として演奏するが、曲によって持ち場を交換することも多く、滞空時間のメンバーにおいても、川村亘平斎、濱元智行、新名真大、山岸テンペというガムラン部隊4人がさまざまな楽器を演奏する。彼らは、前述のガムラン・サークル仲間で、ともにバリで修行を積んでいる旧知の仲。テンペは、ときに鹿のマスクをして野性的に踊り、ときに女性の仮面でしなやかに踊る舞踊家でもある。
ヴォーカルは、日本人としては数少ないジャワ・ガムランのプシンデン(女声歌手)としても活動するさとうじゅんこ、ホーメイからデスボイスまで驚異の特殊発声を奏でるヴォイス・パフォーマー徳久ウィリアム。そして、エンジニアには、自らもガムラン奏者であることからガムランの音響を熟知する辻 圭介。彼が施す、ちょっぴりサイケデリックなダブ・ミックスは、いつもガムランの新しい表情を垣間見せてくれる。ベースは、
OOIOOなどでお馴染みのAYA、ヴァイオリンは、
キウイとパパイヤ、マンゴーズなどで活動するGO ARAI。このベース、ヴァイオリンといった本来のガムラン編成にはないパートが存在するのが、滞空時間の特徴でもある。自らが提唱する“ハイブリッド・ガムラン”を象徴するユニークな編成だ。
「僕の中にはずっと“ガムランのどこが面白いのだろう?”っていう疑問があって、滞空時間はその答えを探すためにいろいろな実験をしているユニットなんです。そもそもバリの人たちも、遠い昔はガムランという楽器を使っていなかった。それでもあのワクワクするような音楽を作り出していたんですよ。では、どうやったらそのワクワクが出てくるのか? それをこのメンバー、この楽器で試してみたかったんです。ガムランを使わなくてもガムランに聞こえてくるもの。ガムランを使っているのにガムランに聞こえないもの。ここ日本で、東京で、バリ以外の土地で実はあの楽器そのものがなくても同じような空間を作れるのではないか? そういう空間をみんなで共有したくて実験を続けている最中です」(川村亘平斎)
東京で育んだその音が、本場バリでどう響くのか。バリでは、彼らの師匠との共演が決まっていた。芸術の町として名高いウブドゥの中でも、ガムラン名手が集う村として名高いポンゴセカンを代表する奏者たち。「コーヘーがバリで何かするときは、必ず協力する」。師弟間の数年越しの約束が果たされる日がようやくやってきた。
「ガムランは通常、20人くらいで演奏するもの。だけど、ただ人数をそろえればよいかというと違う。大切なのは相性、フィーリング。これは、師匠から学んだガムランの美学です。だから、滞空時間はこのメンバーであるということが僕にとって一番大事。でも、僕の中では、足りない人数の音が聞こえるというか、いつも確かに鳴っているガムランの音もあるんです。その理想形の音っていうのを、今回バリの師匠たちと共演することによってメンバーのみんなと共有できるんじゃないかなって。それができたとき、滞空時間は新たな次元にいけるような気がしています」(川村亘平斎)