THA BLUE HERBが2枚のライヴ映像作品(DVD)を発表する。1枚は、2022年に全国11都市を回った、結成25周年ツアーの様子を収めた『YOU MAKE US FEEL WE ARE REAL』。もう1枚は、2023年5月31日に恵比寿リキッドルームで行われたtha BOSSのソロ・アルバム『IN THE NAME OF HIPHOP II』の150分に及ぶリリース・ライヴを収めた『続・ラッパーの一分』。
THA BLUE HERBのライヴは、ILL-BOSSTINOが言うように“人生”そのものと言える。前者は那覇、福岡、広島、大阪、名古屋、金沢、京都、東京、仙台、札幌、北見でのライヴをシームレスに繋げていくことで彼らのライヴの臨場感を伝える。私は、後者の2時間半をこえるライヴを実際に観に行ったが、DJが一晩でドラマを作るロング・セットのプレイに身を委ねている体験にも近かった。
ライヴの構成や音楽的追求、客演ラッパーとの共演、オーディエンスとの関係性、そして25周年を経て26周年目を迎えたいまの心境やTHA BLUE HERBの過去・現在・未来についてILL-BOSSTINOに語ってもらった。
――結成25周年ツアーのライヴを「未来を俺等の手の中」を1曲目にして始めていたのに驚きました。しかも、エディットしたヴァージョンじゃなくて、“OK、余裕”までのヴァースもラップしていました。
「25年の間に出会ったたくさんの人達がいて、俺らのキャリア初期の音楽が好きな人もいれば、最近の作品が好きな人もいる。しかも、やっとコロナが落ち着いてきて、久々に集まれる状況で。そういうライヴの最初の一音を出した時にみんなの体温を上げて、ライヴを楽しむ臨戦態勢に入れる曲を考えたら、〈未来は俺等の手の中〉だった。ヴァースの長いストーリーから“OK、余裕”に至る部分は俺がどこから出てきたのかをわかりやすく伝えてくれているしね」
――特に25周年ツアーの映像作品を観ると、あらためてTHA BLUE HERBが“インディペンデント”でやってきたことの凄みが伝わってきます。いまさらの話と言えばそうなんですけど、90年代後半、00年代前半にそうしたインディの方法論を提示してそれを続けてきたことの重みが感じられました。
「俺らはそういうインディペンデントなやり方をするのがたまたますこし早かっただけだよ。物事の本質は、やり始めた云々じゃなくてあの時代から2023年までの活動のほうにある。登場するのはある意味では簡単。重要なのは自分達で興行をうって、さらにそのクオリティをキープしてお客さんとの関係と時間をじっくりかけて深化させていくことだよ。自分達のスタイルを崩さず、自分達の信じるカッコいい音楽をやりながら、今回みたいにライヴをDVDにパッケージングしたりして、いかにビジネスとしても成立させるか。とても大変だけどそこ。コロナ禍になって音楽どころじゃないって状況にまでなった時にそこの強さを問われたね。でも俺らは、ライヴが出来ない時だったとしてもいましかできないことをやろうって楽しんでいたよ」
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――ライヴによってオーディエンスやファンとの関係を深化させていく、というのは強く感じましたし、フロアやオーディエンスの熱気が伝わるような編集が施されていると思いました。
「1時間半、さらに2時間半もやれば、俺も笑うし、素を出すし、その場のお客はそういう姿も観て、俺のことを知ってくれるから。TwitterもYouTubeも俺なりにやっているけど、150分のライヴでしか見せられない本質があるから何年かに一度はこういう映像を残しておきたい。ただ、俺も長くやるのが目的でやっているわけではないんだよ。お客さんが“やろうぜ”“もっと行こうぜ”って上げてくれるからこんなに長い時間のライヴをできている」
――恵比寿リキッドルームの『IN THE NAME OF HIPHOP II』のリリースパーティで5人のゲスト・ラッパー(JEVA、Mummy-D、SHINGO★西成、YOU THE ROCK★、ZORN)が出てきた時のやり取りに見られるBOSSさんの表情の変化は面白かったです。
「普段はステージ上に俺と(DJ)DYE、そしてフロアのお客さんしかいないから。そこに、俺より若いラッパー、同世代のラッパー、キャリア的に先輩といった関係性のそれぞれ違う5人が入ってくると、俺の接し方も見えるし、ライヴの見どころだなと俺自身も思った。ただ、リラックスして見えてあの5人とのライヴには超緊張感はあったよ。わざわざ俺らのライヴに出張ってきてくれているわけだから、全員と笑って終わりたいし、誰ひとりにも孤独感を味わってほしくない。でも、だからと言って全て持っていかれるわけにもいかない。ショーを成立させるためには、俺がぜんぶ統括して、お客さんと5人の間に俺が立って、両者にそれぞれを紹介する気持ちだよね」
――最初のゲストJEVAが登場する前に、地元の函館の学校の教室の窓から青函連絡船を眺めて、外の世界に憧れていたというようなMCをしましたよね。
「JEVAとの〈STARS〉でそれぞれの生い立ちについても歌うし、そういう文脈でJEVAのことも知ってほしかったからあの話をして。あの日のリキッドルームにはもちろん東京生まれ東京育ちの人もいただろうけど、東京は他所から来てる人がたくさんいる町でしょ。昔と違っていまは東京を通さないと音楽を広く届けられない時代でもなくなって、JEVAみたいに地元の三重の四日市に住みながら音楽やっていることが個性になる時代だし、あいつはラップもスキルフル。しかも謙虚なくせに、“俺 伊藤純 まだ程遠いNo.1”ってラップしていて。内に秘めた野望を垣間見せるところもすごい好きだね」
――“今日も夜勤明けの仕事終わらせて辿り着いた恵比寿リキッドルーム”っていうJEVAの登場シーンのラップもインパクトありましたね。
「あれ、良かったよね。みんなが音楽で食っているわけじゃないし、音楽で食ってくことがたった1つのゴールじゃないし、いま足掻いてこれからの人もいるし、俺もそうだったし、いろんな人生があっていいよね。JEVAがああいうラップをすることで、会場にいるそういうフィーリングを持っている人達にも響いて共感の輪も広がるし、JEVAの目線は大事だったと思う」
――一方、25周年ツアーのライヴで驚きだったのは、「S.S.B.」「ウルトラC」といったセカンド『SELL OUR SOUL』(2002年)の曲をやっていたことでした。
「あの構成は挑戦だったよ。『SELL OUR SOUL』は難解といえば難解で、マッドな思考をアウトプットすることに特化した作品だから、ライヴで表現するのは難しくて。いままではトラックを変えてやったりはしていたけど、25周年のツアーは全てオリジナルトラックでやりたかったから、O.N.Oに、トラックのシーケンスは変えずに、マスタリングをし直して鳴りを良くしてもらった。25周年ツアーではそこに大きく踏み込んだね」
――僕も映像を観て驚きましたし、あのセットを観ることできたのは羨ましいなと。
「セカンドを大事にしてくれるお客さんがいまでも多く残ってくれているしね。25周年ツアーでは結果的にセカンドの曲をもっとも多くやった。これだけずっとライヴをやっていると、〈未来は俺等の手の中〉を1曲目に持ってくるのもそうだし、お客さんにびっくりしてもらったり、驚いてもらったりするためにはまだ未開、未聴の部分を探し出して突き詰めるしかない。しかも、それをやらないと俺らも面白くない。そういう時に曲順はすごく大事で、それによって聴こえ方が大きく変わってくるし、ライヴで辿り着こうとするゴールも変わってくる。そういう新鮮さをさんざんやってきた曲達を組み合わせることによって探していく。1MC1DJだから、かける楽曲を事前にエディットできたとしても、その場でギターの弾き方を変えるようなことはできない。そう考えると、選曲と曲順の探求が全てになる。DYEと練習で試して新鮮味が生まれた時は、もう2人でハイタッチだよ(笑)。それをずっとやり続けている。だから、DJの人と発想は同じだと思うよ」
――THA BLUE HERBのライヴはDJのロング・セットの体験に近いものがあります。
「そうかもしれないね。DJの人達も何度もかけた曲を組み合わせや曲順を変えて新鮮さを生み出すし、実際に俺はそういうDJのプレイを聴きに行って踊ることが、自分の次のライヴのインスピレーションにもなっているから。俺らは限られた自分達の楽曲を、メロディやBPMの制約もある中で組み合わせていく。そこでさらに、25年前に言ったこと、ラップしたことと、いまの俺らの音楽や活動の一貫性や変化とかを曲順によって漂わせられるとより良いよね。そこを追求している。だから、25年間の中の曲達を誰よりもわかっていないとそういう面白い、斬新なことはできない。そこをキープしないといけない」
――あと、ヒップホップだけじゃなく、いろんなジャンルのバンドやミュージシャンとステージでしのぎを削ってきた経験も大きいのだろうなと思いながら観ていました。
「キャリアの最初にバンドの人達に誘ってもらえて、そういう環境に放り込まれてライヴしてきたのは大きかったよ。俺らは、ヒップホップのフィールドじゃない場所でもライヴしてきたから。バンドの音圧、出音に負けないためにはどうすればいいかっていう試行錯誤はしてきたよ。それは俺個人にというよりも、DYEやPAさんに課せられた課題でもあった」
――PAのナオミさん、照明の畠中さんの存在の大きさも感じられました。
「俺らのライヴのクオリティが上がったことに、PAの彼女の貢献は欠かせない。彼女は俺のリリックを全部ノートに書き出すぐらいガッツのある人で。彼女が合流して、いまはどんなに小さい箱でもオファーが来た時点で、彼女も加えた3人で受ける」
――BOSSさんのヴォーカルにここぞというタイミングでエフェクトがかかって、ライヴが展開するじゃないですか。
「そう、あれもぜんぶ彼女がやっている。照明に関しては、ある時期までは俺が箱の照明さんに“こういう風にしてください”っていう指示を出す仕事をしていたけど、あるとき照明の彼が現れて、“俺がやればもっとライヴが良くなる”って言ってきて、それ以降はずっと彼に頼んでやってもらっている。俺としては、その2人の仕事を知ってほしいのもある。PAと照明をやってくれている2人を、俺は裏方さんみたいな捉え方はしていなくて、メンバーだね。お客を挟んで、俺とDYE、PAと照明の2対2で向き合ってライヴをしているイメージだよ」
――『YOU MAKE US FEEL WE ARE REAL』というタイトルに込められた想いはどんなものですか?
「俺達の音楽は流行のものじゃないからさ。リキッドルームの『続・ラッパーの一分』のほうは、tha BOSSのソロ・アルバムも出たし、最近BOSSのMVをよく見るから、“ちょっと行ってみようかな”っていう人もいると思う。それはそれでありがたい。だけど、25周年ツアーのほうにそういう理由で来ている人はいない。それぞれの人生のどこかで俺らの音楽に合流した人達が来ている。それはもう人生の中で何度目かの待ち合わせって感覚なんだよね。あらゆる過去がそこに含まれてて、その全てを引き受けながら、未来に向かっていくって感じ。そこに賭けてるお客の気持ちが俺らをその気にさせて頑張らせてくれている。それをすごく感じられたし、それをお客にも伝えたかったし、映像作品でも表現したくてこういうタイトルにした。5年や10年じゃなくて、25年だから、ここまで来たらあなたがたと最後まで行くっていう気持ちを伝えたかった」
――自分も40歳を過ぎましたけど、周りも結婚したり仕事が忙しくなったり音楽を聴かなくなったりライヴに行かなくなったりもするじゃないですか。それからさらに時間が経って、そうした人がもういちどライヴや音楽の現場に行ってみよう、そこで遊んでみよう、みたいな揺り戻しもありますよね。その両方の経験を特に25周年ツアーの映像を観ると思い出しますね。
「それぞれの人生があってそういう状況になっている町やクルーとか見れば俺らも気持ちがわかるし、その時にどういう言葉をかければいいかもわかる。俺らもそうやって人がいちど離れて行ってしまう時期を耐えつつ、新しい人達も来てくるようになったから。ちょっと離れた人達が戻ってきてくれたら嬉しいよね。戻ってきた人達こそ、音楽の聴こえ方がまた変わってたりもするから俺も学ぶ部分が多い。ここぞっていうときには、仕事を休んで子供をあずけて集まってくれる人もいるし、どうすればそういう人達が遊びやすくなるだろうとか考えてもいるよ」
――25周年ツアーのラストの北見のクラブ「UNDERSTAND」からそうした気持ちがじんわり伝わってきます。
「そうだね、伝わってくるよね。北見は大きい町じゃないからね。そう、だから、こういう作品にしたのはそこも知ってほしかったから。俺らがやっているのは1000人とか500人規模とかの大きな箱だけじゃないよ。100人ぐらいの場所でも、フェスや大きな箱でやるのと同じような空気まで持っていっているから。住んでいる場所とか関係なく、どこでもちゃんとやっている。ちゃんと皆で到達してる。それを映像で証明したかった」
――しかも、何もしないでチケットがソールドアウトするような楽な状況ではない、というような話をBOSSさんはしていますよね。
「うん。だからポスターも貼りに行くし、しかも俺らはそこを楽しんでいる。どうやれば人が来てくれるんだろうとか、色々考えながら試しながらやってる。今回のライヴをものにしないと、3年後にまた同じ町に戻って来た時にみんなが来てくれなくなるから、この一夜のチャンスをモノにして奇跡を起こしたいっていう気持ちで日本中でずっとやってる」
――最後に月並みな質問ですけど、これからの未来の活動について考えることは何ですか?
「やっぱり良い曲、カッコいい曲を作りたい。なによりそれだよ。良い曲を作って、俺らをまだ知らない人達にも俺らの音楽を聴いてもらって、もっといろんな人達に俺らのことを知ってもらいたいよ」
取材・文/二木 信 撮影/宮本七生