半世紀近く前に観た『レット・イット・ビー』は陰気だった。光量が少ない。闇の中の灯に4人が集って暖を取っているような印象があった。それは結末を知って観ているからだと思っていた。ビートルズは暗がりで喧嘩して屋上で解散した。そのイメージから脱するのに少々時間がかかった。実際は、屋上でやったあと、もうひと揉めふた揉めしながら『アビイ・ロード』を作るわけだから、映画の『レット・イット・ビー』はビートルズがこの先どうするか悩みながら進んでいた経過を映し出した作品だったのに。“解散記念プロジェクト”に1970年当時の若い衆はまんまと乗せられていたのだった。映画『卒業』のサントラと一緒に『レット・イット・ビー』の置いてある部屋が、70年代前半の日本には何千室もあった。もしかすると万単位かもしれない。
『レット・イット・ビー』が『ゲット・バック』に“戻った”。50年余りもかかるとはジョンの霊魂も思わなかっただろう。
©2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.
ポールは人前に出てバンド活動がしたくてしたくてたまらなかったのが、よくわかる。ビートルズはプロジェクトではなくバンドである、とポールは世間に改めて示したかったのだろうと思って観始めたら、それどころではなく、ポールはとにかく4人で演奏がしたかったのであり、そこにこそ自分の存在理由があると思いを定めていたことが、よくわかっていく。『渡る世間にビートルズ』、『ビートルズが帰ってくる え?え?え?』とついいいたくなるこの長尺ドキュメンタリーが15分尺に分けられて毎朝放送されることを夢想してみたりした。
4人のうちの誰に感情移入していくかで、ビートルズの形が変わる。演出は編集作業で行なわれている、と考えるのがドキュメンタリー作品と相対する基本であるから、これはおそらくビートルズとその家族(遺族)の総意によって紡がれた作品である、と受け止めたい。だからこそ、リンダ・マッカートニーとヘザーが登場し、パティがジョージに寄っていき、マハリシのところへ行ったときの映像が想像以上に織り込まれているのだろう。ビートルズが何を話し合い、何を嫌っていたのかがわかってくる。
いったい誰がトゥイッケナム・フィルム・スタジオでリハーサルして、それを撮影しようといったのか。あんなに寒々しいところにいれば誰だってイラつくだろうと思う。それを考えついたのは、当初の予定だったビートルズのテレビ・ライヴの番組プロデューサーだったデニス・オデールだったという。映画の監督のマイケル・リンゼイ=ホッグはそれをどう思ったのだろう。撮影を進めるうちにやっぱりここはダメだな、と思わなかったとしたら、ビートルズを試していた、ということになると思う。
©1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.
英語でいったらディシプリン。トゥイッケナムのビートルズはそんな状況に置かれていたのだと今回はなおさらよくわかった。画像がきれいになった分だけ、ジョージの瞳のこわさが増している。「こんなところにいたら病気になる」とジョージに肩入れしたくもなるが、この決裂は、様々な地雷の始まりのひとつを暗示している。それなのにジョージが帰った後で、ヨーコをヴォーカルに、残りのジョン、リンゴ、ポールでセッションしているのだから、ビートルズは素敵だ。ヨーコに負けじとはりきっているポールはさすがだ。
すでに4人それぞれに創作 / 志向のヴィジョンを持って行動していることをお互い認めあっている。そのことを繰り返しわかるように編集されている。お互いいろいろあるだろう。「いや、それはわかるんだけど、それだからこそあえて4人でやりたいし、やらなければいけない」とポールは何度も言葉は変えて3人に伝えていく。ビートルズという船はいまだ沈まず、とは思っていても、ポールの提案に同調もするものの、ポールのように熱くなれない。家庭の事情もあるでしょう。
アップル・コアを作っておいてよかった、と社内スタジオに場所を移してからの4人の表情を見ていて思う。顔色が違う。グリン・ジョンズもやりやすくなったのだろう口数も増える。なにより、ジョージ・マーティンの存在がいい。この人がいるといないとでは音楽の増殖スピードがまるで違う。マーティンの提案は説得力がある。「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」にストリングスとホーンを入れたらどうか、とポールだって考えていたではないか。パート3の終わりのほうにちゃんと映っていますよ。フィル・スペクターの独断とゴリ推しだという人はここのところだけでもちゃんと見ておいてほしい。音楽アルバムのほうの『レット・イット・ビー』を作るにあたってフィルは、この69年1月のいきさつと状況をどの程度知っていたのかは不明だが、どうやら『ゲット・バック』はビートルズの過去とエゴが混在しているようだ、という認識は録音物の山に触れて強く感じたに違いない。
©2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.
「〈ラヴ・ミー・ドゥ〉の歌詞は最高だ」というジョンの発言もたいへん興味深い。この曲に俳句を感じる人だっているだろう。ビートルズ各自の引き出しが、開いたり閉じたりしながらお互いがそれに音楽で見解を加えていく。バンドとして新曲を何十回も続けて演奏し歌っていく。「何回もやると飽きるからまた後でやろう」という制作側の声を不満そうな表情で聞いているジョンとポール。
4人の総意の一致が前提としてあることが足枷になっている、とポールは思っていたようだが、だとするとデレク・テイラーに対する認識の差は大問題だろう、という示唆がそれとなくある。4人のちぐはぐさはビジネスが入り込むとよりやっかいな方向に向いていく。ではいつもジョンの横にいるヨーコはどうなんだ、という人も少なくないだろう。ヨーコは、ジョンにとってのお地蔵様なのだということが改めてわかった。つまり、ジョンは69年1月の段階で“異教徒”になっていた、ということだ。それを咎めるわけにはいかない。ヨーコがアップル・スタジオでヴォーカル・パフォーマンスをしたら、それを見ていたリンダの娘のヘザーが即座に真似をするシーンは楽しい。
ソロ・アルバムの制作がビートルズの未来につながると思う。とジョンに相談するジョージの真剣さが胸を打つ。自発的に作った曲がこのときすでにアルバム何枚分もあったジョージをポールはどう受けとめるのか。
屋上ライヴを前日まで反対していながら、本番ではいちばん力が入っていたポールは、演奏しながら、やっぱりライヴはいいなあ、と喜びをかみしめていたように見える。この先この3人にどういえば、またライヴができるのだろうか。とポールは帰宅後考えたのではなかろうか。
物語は、まだ終わらない。ビートルズは未完のまま、今もありつづけている。『ザ・ビートルズ:Get Back』は、聴く者の心の中のビートルズを叩き起こした。また一から聴き直し観直しだ。
ところで、アップル・スタジオに臨時で設置されたモニター・スピーカー、いわゆる銀箱が4つ並んでいたんだけど、あれ、中味は何だろう。とても気になります。
文/湯浅 学