恋愛から人愛へ向かった。そういう姿が映し出されたアルバムだと思う。恋愛の中だと「フザけないで」とたしなめられることでも人への愛の中でならユーモア、あるいはちょっとしたイタズラ、人生の薬味のようなものとして受け入れられることがある。ビートルズはイタズラが大好きだ。イタズラはウケると調子が出てくるものだ。『リボルバー』のビートルズは好調そのものだ。4人の間に違和感が(ほとんど)感じられない。全然なかったなどということはないが、レコーディングという遊び場には道具がたくさんあること、ひらめいたら新しい道具やルールを作ればいい、とわかった日々をビートルズはきっと今までの何十倍も楽しく過ごしていたにちがいない。そういう音がたくさん聴ける。半世紀以上前の録音物だから、そりゃ古臭い。今聴いても新鮮、というのは以前から聴いていた年寄りたちの言い草だ。俺だって、今聴いてみて、古臭い新鮮さに万歳の三つや五つはする。古臭いから新鮮なのではなくて、古臭いから発見が多いのだ。今ならこんなこと簡単にできますよ、という人はいるだろう。だったらやってみせてよ、とビートルズになりかわっていいたくなるようなアルバムだ。21世紀の現在に通じる手法がすでに使われていた、とか、目のつけどころとその実践ぶりが只者ではない、とか、こんなことあんなこと、さすがはビートルズだ、と今さら感心するのもいいだろう。ビートルズなんだから。いろいろ試してもOKな状況をやつらは自分たちで手に入れた。かなりの部分、好きにやってもよくなった。文句いう人たちはだんだんいなくなっていった。そのぶん63〜65年まで休みもそこそこ、他の誰よりも働いて他の誰よりも音楽で稼いできたんだから。そのアガリを自分たちのために使ったっていいだろう、と音楽で表明したのが『リボルバー』だ。と俺はそう思っています。アガリといってもお金だけじゃない。世の中と自分という関係性だけではない。いったい俺は何なのか、という問いの深化がそこには含まれている。「イン・マイ・ライフ」から「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」への道に踏み込めたのだ。「イン・マイ・ライフ」のYouは人間だが、「ゴット・トゥ・ゲット〜」で歌われているYouは人間だと思いたい人はそれでいいけど、実のところマリファナのことなんだよ、とポールがいっている。君なしてはいられない、だから日本にも持ってきちゃったけどポールにとってはお菓子やメモ帳みたいなものなんだろう、とあのとき俺は思いましたが、その始まりは65〜66年にあるというのはよく知られた話でしょう。ビートルズにマリファナを知らせた(吸わせた)のはボブ・ディランだとか、他の3人がLSDをキメたときにポールだけやらなかったとか。ビートルズの4人はハンブルクでのハード・デイズをアンフェタミン系のドラッグでなんとか乗り切ったという話ですが、それでなければ世界の大バンドにはならなかったともいえます。『リボルバー』はライヴ活動引退記念盤という印象があるが、実際はアルバム完成後に来日公演をやっているし、アルバム発売後もアメリカ・ツアーをやっていた。とはいえライヴ引退即休養という思いというか明るい見通しというのは4人それぞれに持っていたのではないか。と想像すると、東洋の島国へ行くのも、なんかおもしろいかも、と思っていたとしても不思議はない。というのも『リボルバー』から想像すると66年6月のビートルズは以前にも増して“未知”に対してポジティヴというか前向きだったと思えてならないからだ。
なにしろ『リボルバー』の録音は「トゥモロー・ネバー・ノウズ」から始まっているわけだし。ポールはテレコを手にして宅録しまくって、シュトックハウゼンを楽しんでいたわけだし。録音 / 再生の録れたての鮮度に大よろこびしている姿を想像したくなる。探求心とイタズラはほぼイコールですから。この『リボルバー』スペシャル・エディションの[CD 2]と[CD 3]の「セッション1、2」を聴いているとこちらも前向きになれる。ビートルズが音楽を人から世界、さらに宇宙領域あるいは人間のミクロな視点で感じていく、その入口の感覚があふれているからだ。ドラッグ体験というのは、前向きに考えると視点を変えられる、ということですから。だからこそ「タックスマン」のようなプロテスト・ソングをA面1曲目に持ってきたくなったりするわけだし。この曲のイントロに本編のリズムと関係のないカウントをくっつけたりしたのは、刺激とユーモアでビートルズ総体としての“解体作業中”という意志を伝えたかったのだと俺は思う。
『リボルバー』はビーチ・ボーイズ(というよりブライアン・ウィルソン)の『ペット・サウンズ』の影響を受けているが、その他、アルバム制作中の66年5月にはボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』が発売され、同じころボブのイギリス・ツアーがあった。あの、観客から「ユダ!」とののしられたエレクトリック・バンド・セットのあったツアーだ。ジョンとジョージはボブのロンドン公演を観ただけではなく、宿泊先を訪ねて一晩中話し込んだりもしたという。
実際は「トゥモロー・ネバー・ノウズ」はボブの「雨の日の女」を聴く前に作られているが、勝手に妄想すると、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」は「雨の日の女」への返歌に聴こえてくる。ボブはナッシュビルへ行って率直な音作りに転換していったが、ビートルズはジェフ・エメリックのひらめきを助けに、サウンド変容、音実験の渦に飛び込んでいく。世の中全体が揺れていた66〜67年にあって、音楽界がのほほんとしているわけがない。実演と録音とが合致していなければいけない、などと俺たちにいっても無駄だ、という宣言が『リボルバー』なのだが、つまりここからビートルズはヴァーチャルな世界に入っていったのだ、とみることもできるが、音楽において現実と仮想は分離していたわけではない。より観念的な表現も楽しめるようになった、ということだ。その分、即効性のロックンロール感覚からは距離ができた。そこが後々問題になる、ともいえるわけだが。知覚の扉は開かれるためにある、というのがサイケデリックの基本姿勢です。
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66年3月の「ビートルズは今やキリストより人気がある」というジョンの発言の記事がアメリカの雑誌に掲載されたせいで、8月のビートルズ・アメリカ・ツアーは、反ビートルズ行動頻発の中で行なわれている。『リボルバー』はその直前にリリースされた。一緒に口ずさめる曲が「イエロー・サブマリン」しかない、とか、ライヴでやってくれそうな曲が入っていない、とか発売当初の評判はかんばしくなかったともいわれる。だからどうしたっていうんです、と今ならいえる。
66年9月、ジョンは映画に主演し、ジョージはインドへ、ポールはコーネリアス・カーデューとAMMのコンサートに出演した。リンゴは建設会社(リフォーム中心?)を設立している。さらに、66年といえば、運命の11月9日がある。『リボルバー』にはその予告も含まれていた、とは今だからいえることだが。
文/湯浅 学