ザ・ブルーハーツ   2010/03/04掲載
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【特別対談】
知られざる初期のブルーハーツ

加藤ひさし(ザ・コレクターズ)×片寄明人(GREAT3 / Chocolat&Akito)


 1985年、東京モッズ・シーンでカリスマ的な存在感を放っていた2組のバンドが時をほぼ同じくして解散した。1組は甲本ヒロト率いるザ・コーツ。そして、もう1組は真島昌利率いるザ・ブレイカーズ。甲本と真島が中心になって同年2月に結成されたザ・ブルーハーツはストレートなパンク・サウンドと独自の日本語詞を武器にライヴハウス・シーンはおろか、その後、日本のロック・シーンを瞬く間に席巻していくことになる。そんな彼らの歴史的誕生を至近距離で目撃していたのが加藤ひさしザ・コレクターズ)と片寄明人GREAT3 / Chocolat&Akito)の両氏。ザ・ブルーハーツのべーシストに誘われたという知る人ぞ知る逸話を持つ加藤と、当時、弱冠17歳にして東京モッズ・シーンに出入りし、ヒロトやマーシーとも親交があったという片寄に、知られざる初期ブルーハーツの貴重なエピソードを存分に語ってもらった。



「マーシーとヒロトさんで東京モッズ・シーンのスーパー・バンドを作ろうと思ったんでしょうね」(片寄)


ザ・ブレイカーズ
──加藤さんがザ・バイクを率いて活動し始めた頃、ブルーハーツの前身バンドであるザ・コーツやザ・ブレイカーズはすでに東京モッズ・シーンの中核を担っていたわけですよね。
加藤 「2組ともトップ・バンドだったよ。マーシーがいたザ・ブレイカーズはプロ指向が強いバンドで、当時、すでに事務所に所属していたんだよね。実際、メジャー・デビューの話もよく聞いたし、すごく人気があった。その次に人気があったのが、ヒロトのいたザ・コーツ。彼らはモッズ・シーンでは憧れのバンドだったよ」


モッズ・ファンジン『HERE TODAY』vol.1(1983年秋号)より。
当時の東京モッズが選んだフェイヴァリット・ソング。1位、2位
をブレイカーズが独占。しかも1位は「アンダルシアに憧れて」!
──それぞれの印象はどんな感じだったんですか?
加藤 「コーツは当時、パンクス御用達だったラバー・ソールを履いていたり、ブラック・ジーンズに3つボタンのジャケットを着てたりして、そんなにモッズ、モッズした感じじゃなかったんだよね。サウンドも含めて、ロンドンでその頃、流行っていたネオ・モッズっぽいなとは思ったかな。で、マーシーがいたブレイカーズは、リヴァプール・サウンド風で、当時の僕にしてみたら、ちょっと取っ付きにくかったね。なんか古っぽい感じがしてさ。たぶん初期のビートルズを意識してたと思うんだけど。当時はパンクの嵐が吹き荒れていた時代だったから、どちらかというと僕はコーツのほうにシンパシーを覚えたよね。ただ、2人ともルックスもいいじゃない? だからものすごく人気があってね」
片寄 「見た目が外人みたいですもんね(笑)」
加藤 「ホントそうだよ。だから僕にとっては彼らに追いつくのが大きな目標だった」


黄色にペイントした愛車vespa ラリー200
にまたがる片寄少年。当時、弱冠17歳。
──当時の東京モッズ・シーンの雰囲気ってどんな感じだったんですか?
片寄 「あの頃はライヴハウスに行くこと自体、すごく怖い行為でしたから。特にモッズの人たちはスタイルにこだわりがあったので。最初に<マーチ・オブ・モッズ>というイベントを新宿JAMに観にいったときなんて、怖くて会場に入れずに帰りましたから(笑)。みんなライヴハウスの前に溜まってて、じろじろ見るんですよ」
加藤 「とにかく閉鎖的だったよね」
片寄 「でも、ヒロトさんとか、のちにDJになった藤井悟さん、東京モッズの顔的存在の黒田マナブさんとかはすごくフレンドリーだったんです。それで僕もなんとかモッズ・シーンの中に入れてもらえたんですね。当時は高校生だったから、たぶんいちばん年下だったんじゃないかな」
加藤 「片寄はいちばん早熟だったよね」
片寄 「そういうこともあって、みんなに可愛がってもらって。それでもやっぱり当時のモッズ・シーンは怖かったですよ。格好よくないバンドが出ると容赦なくディスるようなモッズもいたし」


ザ・ブレイカーズ
──コーツやブレイカーズはそういうハードコアなモッズからも支持されていたんですか?
加藤 「そうだね。でも、特にコーツに関しては、実はあんまり細かいことを覚えていないんだよ。解散してあっという間にブルーハーツになっちゃうじゃない?」
──活動期間はどれくらいだったんですか?
加藤 「2〜3年くらいだったと思う。その間にドラムが何度も交代したり、とにかくコーツってバンドはドラマーが安定しなかったんだよ。だから人気はあったんだけどバンドとしては、あまり固まっていない印象で。逆にブレイカーズはずっと固定のメンバーでやってたから、すごくバンドっぽい感じがした」
片寄 「当時、コーツは<NO NO NO>や<少年の詩>とか、ブルーハーツでやっている曲をすでに演奏していましたよね」
加藤 「そう。ブルーハーツの1stアルバムに入ってるヒロトの曲は半分くらいがコーツ時代の曲なんじゃないかな」
片寄 「そういえばコーツには<アオハタオレンジマーマレイド>って曲もありましたよね(笑)。当時、THE WHOがアルバム『Sell Out』でやったコマーシャル・ソングっぽいものを作るっていうのが東京のモッズ・バンドの間で流行っていたんですよ」


モッズ・ファンジン『HERE TODAY』vol.2(1984年初夏号)よ
り。ザ・コーツ在籍時、<MODS MAYDAY>出演に向けて意
気込みを語るヒロトのミニ・インタビュー。
──当時、コーツにもメジャー・デビューの話があったという噂を聞いたことがあるんですけど。
加藤 「僕は聞いたことないね。むしろ、そういう話がなかったから、ヒロトはブルーハーツを作ったんじゃないかと僕は思っていたんだけど」
──実際のところどうだったんでしょう。
加藤 「本人たちも語っていないから、これは推測でしかないんだけど、ギタリストが抜けてしまったり、なかなかメジャーからアルバムが出せないっていう状況の中で、たぶんマーシーが息詰まって、もうこのまま続けてもしょうがないだろうというところでブレイカーズを解散させて、同じシーンでもっとも輝いていたヒロトに声をかけてブルーハーツの結成に動いたと思うんだよね。ちょうどコーツが上手くいってないっていうのもあったし」
片寄 「マーシーとヒロトさんで東京モッズ・シーンのスーパー・バンドを作ろうと思ったんでしょうね。だから加藤さんに声を掛けたんだと思うんですよ」
──一部の間で有名な話ですけど、加藤さんはブルーハーツのべーシストとして誘われているんですよね。
加藤 「そうそう」
片寄 「加藤さんはベーシストとしての腕はもちろん歌えて曲も書けるじゃないですか。ヒロトさんとマーシーは本気で加藤さんをバンドに入れたかったと思うんです。そういえば、のちにザ・ヘアのメンバーになるエグチ・マヌーさんをドラムにするって話もありましたよね」
加藤 「あったねえ」


ザ・コーツ


「ブルーハーツに誘われたときはすごく迷ったよ。だって明らかに売れることがわかってるわけだから(笑)」(加藤)
──ヒロトさんにはどんな感じで誘われたんですか?
加藤 「85年の6月頃だね。渋谷の屋根裏でやったザ・バイクのライヴをヒロトとマーシーが観にきてくれて、ライヴが終わったあとに近所のハンバーガー・ショップに呼び出されたんだ。それで、“加藤くんにベースを弾いてほしい”って頼まれて。最初はすごく迷ったよ。だって明らかに売れることがわかってるわけだから(笑)」
──でも結局、断ってしまった。
加藤 「今にして思えば可愛いことなんだけど、当時の僕には、“俺はモッズだ”っていう強烈な意識があったから。つまり彼らがスーツを脱いで、ああいうスタイルでやってるのが嫌だったの。なんか裏切られた気分っていうかさ。あの転身ぶりっていうのは……片寄は僕が言わんとしてることはわかるよね?」
片寄 「はい。加藤さんは相当、気合の入ったモッズでしたからね。だって、突然、お家に遊びにいっても、スーツで出てきましたから(笑)。“うわ、この人、家でもスーツなんだ!”って(笑)。多少、ユルめのシルエットでしたけど(笑)」
加藤 「あの頃はそうだったね」
片寄 「あとはアメリカの音楽を絶対に聴かなかったり」
加藤 「片寄に“これアメリカなの? イギリスなの?”って確認してからレコードをターンテーブルに乗せるっていうね(笑)。神聖な俺のターンテーブルにヤンキーのレコードなんか乗せるんじゃないって(笑)」
片寄 「だから革ジャンが許せなかったっていうのは、当時の加藤さんからしてみれば、当然と言えば当然のことだったんですよね」
加藤 「彼らに合わせるとなったらモッズ・スーツではステージに並んで立てないわけじゃない。だってブルーハーツはガーゼ・シャツとか着て、初期パンクのコスプレみたいなファッションで演奏してたわけだから」


ザ・コーツ
片寄 「僕は加藤さんよりも年下のパンク、ニュー・ウェイヴ直撃世代だったから、ダムドとかセックス・ピストルズも大好きだったんです。だから、それほどブルーハーツにも抵抗はなくて。でも、今思えばヒロトさんのパンク・ファッションの取り入れ方も非常にモッズ的だったんですよ」
加藤 「ああ、そうだったね」
片寄 「“革ジャン着るならSchottじゃないとダメだよ”とか教えてくれたり。しかもヒロトさんは当時、ある意味でアウトな存在だった、胸にガイコツ・マークが入ってるクリームソーダのTシャツをSchottの革ジャンに合わせて着ていたり。ハズしのセンスと言うのかな。とにかくお洒落でしたね」
──ヒロトさんはモッズ・シーンでもスタイリッシュな人として認知されていたわけですか。
片寄 「みんな憧れていましたから。あと、ヒロトさんはダンスがすごく上手くて、モッズ・イベントのダンス・コンテストで優勝してスーツをもらってたような記憶があるなぁ」
加藤 「ヒロトはめちゃくちゃスタイリッシュだったね。髪をすごく短く切って金髪にしたり。そんな奴、当時いなかったから」
──ちなみにヒロトさんはコーツ時代から、ああいう歌い方だったんですか?
加藤 「あの雰囲気はあったんだけど、もっと普通。ブルーハーツになって徐々にエスカレートしていった感じかな」
片寄 「コーツ時代はマイクにしがみついて歌うみたいなイメージがありますね」
加藤 「熱く歌うのは昔も今も変わってないんだけどね」
片寄 「でも、加藤さんが、もしもブルーハーツに入っていたら、どういうことになってたんでしょうね。もうひとつの違った未来も見てみたかった気がしますけど」
加藤 「ブルーハーツに誘われた時、ヒロトに言われた一言が印象的でさ。俺はサイケデリック・ロックがすごく好きで、パンク・ロックばかり演奏するのは、ちょっとできないっていうことをヒロトに話したの。そうしたらヒロトが“加藤くんが書く曲だったら僕は理解できると思うよ”って言ってくれて。それが、ものすごく嬉しかったんだよ。そこまで僕のことを認めてくれていたんだって。それもあったから余計に揺れたんだよね。そこでヒロトが“じゃあ、いいよ”って、すぐに諦めてくれたらよかったんだけど。でも俺は、こう思ったんだよ。“ブルーハーツに入ることを諦めるんだったら、自分の身の振り方を変えなきゃいけないな”って。それでベースをやめて歌に専念することにしたんだ。音楽的にもっと幅広いことがやりたいなと思ったから。それでザ・バイクを解散させて、4人組のザ・バイクスというバンドを再スタートさせたんだよ」
片寄 「そこから加藤さんの音楽はサイケデリックな色合いが一気に強まっていきましたよね」
加藤 「まあ結局、ザ・バイクスも行き詰ってザ・コレクターズを結成するわけだけどね。要するにコレクターズ結成の直接的なきっかけになったのってブルーハーツの存在だったんだよ。当時、ヒロトとマーシーの存在って、ポール・ウェラーピート・タウンゼントよりも自分にとっては大きな存在でさ。だって身近でリアルに存在してるわけだから。どんなにジョン・レノンが格好よくても、実際に会ったことはないじゃん。でも、ヒロトやマーシーは、すごく身近なところで圧倒的な表現を見せつけてくるわけで。そいつらと同じことやってもダメだよね。だから、コレクターズではあえてブルーハーツとは意識的に違う方向性に進んでいこうと思ったんだ」
まだまだ続きます!


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