もはや、ちんまりしたモッズ・バンドなんかじゃない。言ってみれば、アート・ロック時代への憧憬を現代社会の中の歪みに重ね合わせることができる唯一の現役ロック・バンド。近年の
ザ・コレクターズの充実ぶりの背景には、そうした新たなバンド感を確立した手応えがしっかりと根付いている。だからこそ、彼らはサヴァイヴしてこれた。同世代のバンドが解散したりルーティンになっていく中で、コレクターズがコンスタントに活動していることを私たちは当たり前のように受け止めていたが、その裏では新しい自分たちのあり方を模索していたに違いない。前作
『東京虫BUGS』からニュー・アルバム
『青春ミラー(キミを想う長い午後)』に至るここ数年の流れの、キャリアに裏打ちされた圧倒的な存在の豊かさは、おそらくそういう葛藤の末に生まれたものだと思う。たしかに歌詞には駄洒落が増えた。演奏は重厚で複雑なものもある。だが、それがどういう必然によって鳴らされているのか。以下、加藤ひさしの話を読めば、きっとあなたにもわかるはずだ。
――この新作もそうですが、ここ最近、かなり社会性のある歌詞が増えている印象です。単純にこれはなぜなのですか?
加藤ひさし(以下、同) 「自分の中の歌のテーマというか、歌いたいことが一番そこに向いているってことなんだろうね。エコロジーとかtwitterとかそういうことを皮肉っぽく歌いたくなってるっていうかさ。昔からコレクターズって風刺的ではあったんだけど、ロックンロールっていうのは、その時その時に歌いたいことを歌うことが一番パワーを持つものだと思うのね。
ジョン・レノンの
『ジョンの魂』なんて、ただ自分の感情を吐いただけでしょ? でもすごいエネルギーを持っている。それでいいと思うんだよ。だから、その時に恋愛していれば恋愛を歌えばいいし、鯨を食っちゃダメだよと思ったらそういう歌を歌えばいい。そこに一番のパワーがこめられるし、それこそがロックンロールだから」
――そのエネルギーがなぜ、近年は社会批判に向っているのですか?
「んー、やっぱり、人間・加藤ひさしの目線なんだろうね。それは子供を持っているということが大きいかもしれない。たとえば、学校教育についてのあり方とかも子供がいないとわからなかったことだし、子供を通じて“なんだよこれ!”って思えることがどんどん見えてきた。そういう社会の間違っている部分を変えていくのは本来政治のはずなんだけど、でも、自分の年齢、置かれた状況を通じて、どうしても歌わないといけなくなってきたというのはあるよね。そこに一番パワーをこめることができるしね。たとえばさ、エコロジーって考え方には賛成なんだよ。でも、どこの電気屋さんに行っても“このテレビはエコですよ!”って言われたら、“エコが商売になるってどうなのよ!”って思うじゃん。もう、それ自体がエコじゃないじゃんって歌いたくなるよね」
――ある種の警告でもある?
「警告でもあるけど、結局、これまで
ピート・タウンゼントやらジョン・レノンやら
ポール・ウェラーやらから教わってきたことを自分でもやっているだけなんだけどね。だから、使命感とかそういうのは全然ないんだよ」
――ただ、コレクターズは積極的にかなり恒久的なラヴ・ソングを歌ってきた時代がありましたよね? それこそ「世界を止めて」以降90年代の作品などはそういう傾向が強かったですが、あの時代はあの時代で、最もパワーが出るのが恋愛というベクトルだったということなのですか。
「もちろん。ただね、そこには実を言うと、愛について歌うことが一番エネルギーを持てたというのもあったんだけど、まずは誰もが共通して理解して共感できるラヴ・ソングを作ってまず売れたい、聴いてほしい、自分にも発言権をくれ、と、そういう意識もあったの。ラヴ・ソングを書くということ自体が一つのアイテムとして機能していたというかさ。でも、CDが売れなくなって、ヒットって何?っていうのが、まったくわからなくなって、レコード会社も売る方としてそういうのが見えなくなってきた時に、結局は自分たちがやってきたことを信じていくしかないんだってことに気づいたの。コレクターズには歴史があるから、自分たちのやれることをやればいいって。その時に、疑似恋愛を何度も頭の中で繰り返してラヴ・ソングを書かなくてもいい、無理に発言台に上る必要もない、もう20世紀は終わったんだって思ったの。
ビートルズみたいなバンドはもう絶対に出てこないだろうしね。CDはTシャツと同じでもはやグッズでしかなくなった。だってそうでしょ? 昔は何年もかけて1枚の作品をミックスしたりマスタリングしたりしていたバンドがいたのに、今じゃTシャツの方が利益率が高いわけじゃん」
――でも、コレクターズはCDを作り続けている。
「幸運にも僕はロックのいい時代を知っているからね。これはもう吉永小百合のファンと同じなんだよ。サユリスト(笑)。どんなにいい女優が出てきたって、吉永小百合がいればいいっていうね。永遠に小百合を探すわけですよ。それは俺にとっては
ザ・フーの
『トミー』だったりするんだけどさ」
――確かにそうなのかもしれないですけど、今のコレクターズの場合は、そこに自嘲的なまでのユーモアが働くようになっています。特に歌詞は駄洒落スレスレの面白さがあり、そこにコレクターズが新しいロックンロールの価値観を与えているような感じがしますよ。そういう自覚はないのですか?
「そりゃもちろんあるよ。だって最初、このアルバムもちょっと重くなり過ぎてたから。テーマもそうだし、演奏もね、今回は全体的にちょっと重たくなっていた。だったら、歌詞でユーモアを出さなきゃっていうように思ったの。そうやってバランスをとっていきながらコレクターズらしいロックができあがっていくわけだよね」
――確かに、今回は全体的にちょっとダークですよね。1曲目の「青春ミラー(キミを想う長い午後)」から7分ほどあって重厚感もある。
「そうなんだよ。(プロデューサーの
吉田)仁さんからもさ、“加藤くん、今回のアルバム、ラヴ・ソングないんじゃない?”って言われてさ(笑)。それで書いたのが<ラブ・アタック>。前の『東京虫BUGS』の方が歌詞の細かいところはシリアスなのに、今回は曲調がより重くなってるんだよね。これはそれだけ社会がヘヴィに動いているってことなんだろうけど、だから、歌詞でより駄洒落を効かせるようなことにしたんだと思う。でもさ、そうやって曲が自分でも予想してない方向に行くことが自分でも面白くてさ。そういう可能性が今もあるんだよね、コレクターズにはさ」
――「青春ミラー」というだけあって、ギターの音をメインに、かなり太くてエッジーなサウンドになっている印象です。すなわち、バンド4人で鳴らしているんだという潔さのようなものがリアルに伝わってくるのも今作の良さだと思うのですが、そこにもキャリアによる自負が働いていますか?
「もちろん! ま、単純にキーボードが入ってくるようなアレンジとかを求めてないっていうか、ライヴでガン!とやる感じを出したいっていうのもあったしね。<青春ミラー(キミを想う長い午後)>の場合は、最初からディレイをかけたギターで印象的なリフを鳴らすっていう明確なイメージがあったの。ああいう展開にしたのも<無法の世界>(ザ・フー)をイメージしていたからでさ」
――うん、この重厚さは60年代後半から70年代初頭のロック・アルバムのあの感じですよね。
「本当言うとさ、去年、ビートルズのリマスタリングCDを聴いて、
『アビー・ロード』の音の良さにビックリして、あればかり聴いていたのね。でさ、『アビー・ロード』ってB面は明るいけど、A面はすっごい渋いんだよ。で、その時、“俺たちくらいのトシだったらこのくらいの渋さをもうやってもいいんじゃないの?”って感じて。だから、全体的なイメージは『アビー・ロード』のA面。だから最初はアルバムの最後に入ってる<イメージ・トレーニング>を1曲目にするはずだったの。だってさ、これ、ホントに難しい曲なんだよ。<カム・トゥゲザー>と一緒でさ、絶対誰もマネできない。コレクターズしかできない曲なんだよ(笑)。そのくらい今回は自分たちのキャリアと指向を自然に重ね合わせてできたアルバムなんだよ」
取材・文/岡村詩野(2010年3月)