ワシントンDC拠点の
ディスメンバメント・プランが、今年1月から始めた7年半ぶりの米国ツアーの勢いに乗って4度目の来日公演を果たした。93〜2003年の精力的な活動の後に解散説も流れたが、バンドが消滅したわけではなかった。ディスメンバメント・プラン以外でのメンバー4人の音楽活動がフィードバックし、ホント何倍もパワー・アップして帰ってきた。彼らが敬意を表している同郷の
フガジがストレートかつポップになったようなサウンドとパフォーマンスは、ポスト・ハードコアやインディ・ロックの域をはるかに超え、目が覚めるほど強靭だったのである。日本ツアー最終日のライヴ前にトラヴィス・モリソン(vo、g、key)に話を訊いた。
――今振り返ってみて、なぜ2003年に解散したと思いますか?
トラヴィス・モリソン(以下、同)「ガス欠になったからだよ。5年間ノンストップで活動して、年に170回のショウをやったこともあるし、結成して10年経ってクリエイティヴィティもなくなっていたし。10年も15年もバンドをやるとなると、ぶっちゃけて言えば続けられるモチベーションはお金ってことになるんだけど、それも十分なほどは得られてなかった。ちょうどいいタイミングじゃないかということで止めたんだ。一番疲れていたエリック・アクセルソン(b、key)の提案だったと思うけど、自然な成り行きだったね。まあツアーはやらないにしても地元ではライヴをやろうと思っていて、それが4年前にやったJ.ロビンス(3rd
『エマージェンシー・アンド・アイ』と4th
『チェンジ』のプロデューサー)の息子さんのためのベネフィット・ライヴ。今回の再編はそれ以来だ」
――アナログ盤での『エマージェンシー・アンド・アイ』の再発に伴う今回の7年半ぶりの米国ツアーはどうです?
「最高だよ。前やっていたときの何倍も何倍も何倍も人が観に来てくれている(笑)。びっくりしているところもあるけど、ぼくらも前よりメンバー全員の技術も向上しているし、いいライヴができていると思う。メンバーそれぞれが音楽活動を続けていて、みんな(ディスメンバメント・プラン以外での)経験も積んでいるから、逆に今の方がバンドとしてよくなっていると思う。ぼくも2005年ぐらいから教会の聖歌隊で歌ったりもしているし。当時付き合っていたガール・フレンドがプロのオペラ歌手だったんだけど、聖歌隊で歌っていた彼女に誘われたんだ。楽譜の読み方も勉強したかったから始めたんだけど、すごくのめりこんでいるよ。今回のツアーのために12〜1月は聖歌隊にあまり出席できなかったことが心残りなぐらいさ(笑)」
――メンバーの中であなただけニューヨーク・シティに移ったそうですね。ライヴでもMCで何度も「DCのバンド!」と強調していたから意外です。
「(笑)。ずっとDCに住んでいたからちょっと変化が欲しくて。ニューヨークは行けば必ず誰か知り合いがいるから困らないし、すごく楽しんでいる。もちろんバンドの拠点はDCだし、ぼくは今38歳だけど35歳まではずっとDCにいたから、DCという意識の方が強いよ」
――ツアーの練習のために久々にディスメンバメント・プランのアルバムを聴き直したとのことですが、4枚のオリジナル・アルバムを振り返ってそれぞれにコメントをもらえます?
「1st
『“!"』は、とりあえずアルバムを出したくてCDになればいいという勢いだけで作ったんだ。2nd
『テリファイド』のときはもう少し曲の作り方がわかってきたし、歌詞ももっとリアルに等身大の自分を描けるようになったね。3rd『エマージェンシー・アンド・アイ』は、ブレイニアックや
アタリ・ティーンエイジ・ライオットとかの、クレイジーなエレクトリック・ロックンロール・バンドの流れでやりたかったんだけど。でも父が亡くなったり、妹がまだ若いのに子供ができたりして、家族があまりいい時期ではなかったから歌詞も曲調もダークになっていると思う。4th『チェンジ』はすごく美しいアルバムを作りたかった。
ディアンジェロとかが好きですごく影響を受けたし、ブルースやR&Bとかのラフな音が好きだったけど、それとは違うものにしたかったんだ」
――では3月にツアーを終えた後の予定は?
「とくに決まってないね。NASAで働いているジョー・イーズリー(ds)と録音エンジニアをやっているジェイソン・キャデル(g、key)が溜まっている仕事を片づけてから、みんなで話し合って決めるんじゃないかな。ぼくもウェブのコンピュータ・プログラマーでニュース・サイトの広告とかを扱っていて、いつ呼び出しを食らってもおかしくないんだ」
――ライヴを観てバンド内にものすごいケミストリーを感じました。続けないのはもったいないです。
「ハイ、ソーデスネー(笑)。メンバーみんなすごく仲がいいし。たまに再結成ライヴを仲が悪いままやっているバンドもいるから、ぼくらはそういう意味では恵まれているよ」
取材・文/行川和彦(2011年2月)