「レコーディングもそうなんですが、CDを出すからにはライヴをやらなくちゃいけない。そしたら、ちゃんとしたメンバーがやっぱり必要だということで探し始めたんですが、ギターのTORUちゃん(TEARS OF TRAGEDY)は、10年ぐらい前から知り合いなんですね。僕自身が友達も知り合いも非常に少なくて、ギターを頼めるとしたら、まず彼しかいないと。テクニック的な面もそうですし、僕の考えとかをよく理解してくれているんですね。ベースのAKIRAさん(元YOUTHQUAKE)は、ホントにたまたまなんですけど、SNSで“ベーシストどうしよう”ってつぶやいたら、“やってもいいよ”って声をかけてくださって。最初のドラマーは、前にやってたSUM RIZEというプロジェクトで手伝ってもらったJUHKIくんに頼んで、一旦、バンドという形になったという経緯があります」
「ファーストからセカンドまで、2年半も間が空いたことで、結構時間がかかりましたねみたいなことを言われたりもしたので、次はちょっと早めに作ろうかなと思ってたんです。タイミング的にも、ちょうどセカンド・アルバムのツアーも終わって一段落していましたし、新年に心機一転じゃないですけど、いい曲を作って、早くいいアルバムを出して、すっきりしたいなみたいな感じですかねぇ。とはいえ、結果的にはまた前作から2年半かかってしまったんですけど(笑)。元旦から作り始めた曲は、その当時、これは絶対的キラー・チューンで、それまでの曲をすべて超えると思えるものができたんですよ。でも、一晩寝かせて聴いてみたら、これはダメだと思って、また次の曲を作ってみたいなことが結構続いて。アルバムの(オープニングのイントロダクションに続く実質的な)1曲目用に考えた自称キラー・チューンは、2つか3つあって、そのつどDOUGENに送ってたんです。彼って、基本的に“かっけーっす!”しか言わないんですけどね(笑)。でも、結果的に1曲目となるキラー・チューンだと思っていた曲は作れないまま、一旦、別の形の曲をまた作り進めたりして。たとえば、7曲目の〈Final Reign〉とかは、セカンド・アルバムの1曲目候補で作ってたんですね。今はそこからだいぶ形は変わったんですが、サード・アルバムの1曲目にしようと思って、正月に作った曲に挫折していたときにアレンジを進めて。ただ、1曲目には弱いかなと思って、また別の曲を作って。その次に作った曲が、10曲目の〈Rampage Tyrant〉で、リフだけ聴くと1曲目っぽい感じなんですけど、出来上がってみたら、テーマが壮大すぎて、1曲目には重たいかなと。そこでまた別の曲を悩みながら作っていって、わりと後半にできたのが、〈Day Of Salvation〉だったんですね。この曲ができたことで、他の曲のアレンジが一気に進んだところもあって。僕自身は、隙のないアルバムが結構好きなんですよ。MEGADETHで言えば、『RUST IN PEACE』(1990年)とか、『COUNTDOWN TO EXTINCTION』(1992年)とか、『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』(1986年)とか、JUDAS PRIESTだったら『PAINKILLER』とか、『背信の門(SIN AFTER SIN)』(1977年)とか、そういうトータル・クオリティがしっかりしているアルバムを常に出したいと思っているんですね。だからこそ、1曲目が決まらないと、やっぱり方向性も上手く定まらないんですよ。せっかくできた〈Final Reign〉の置きどころがあるのかとか、ミドル・テンポの〈Lost Forever〉や〈Cold Blood〉の雰囲気が、1曲目のコンセプトに合ったものになるのかというのも見えてこない。正月からそもそもキラー・チューンを作ろうと思ったのもそこにあるんですけどね。それがまた2年半かかる結果になったんですけど、聴き直すという作業は僕は結構重視してて。どうしても作っているときは気持ちも昂ぶっているものですけど、一旦寝かせて聴いたときにその興奮が蘇ってくるかどうかは、重要なポイントだといつも思ってます」
――とすると、今回の実質的な1曲目である「Day Of Salvation」は、今、聴いても震えがくるわけですね。
「そう言われるとすごく恥ずかしいですけど(笑)、〈Day Of Salvation〉そのものも、寝かす作業を何度か繰り返して、気に入らないところはだいぶ変えたので、そういう意味では、震えの止まらない曲になりましたね(笑)」
「そうですね(笑)。やっぱり僕自身が、音楽ですごく救われたというか、高校時代、登校拒否してたんですけど、夜な夜なJUDAS PRIESTをヘッドフォンで聴いて、気持ちを落ち着かせてた……落ち着かせてたのか興奮させてたのかわからないですけど(笑)、周りに味方が誰もいない中で、JUDAS PRIESTだけが僕の味方になってくれるんですよね。〈Ram It Down〉とか〈Hard As Iron〉とか。『PAINKILLER』にしても、四面楚歌のシーンの中で産み落とされた信念を貫いたアルバムみたいな、作品が生まれた背景などをライナーノーツとかで読みながら聴くことで、何となく自分も頑張れた経験があったので……。別にみんなにそういう境遇にあって欲しいわけじゃないんですけど、もし同じような境遇の人がいて、聴いてもらうことで何か力を得られるのだとしたら、それはいいことかなと思うし」
「あぁ。歌詞そのものに関しては、ファースト・アルバムの頃は僕がタイトルだけ考えて、この曲はお願い、この曲は俺がやる、またはタイトルも含めてお願いしていたこともあったんですけど、今回はタイトルやサビの歌詞のイメージを、ある程度僕が考えてから渡したり、あとはDOUGENから上がってきた歌詞に対して、サビの言葉やタイトルを変更したり、そういう作り方をしているので、クレジット上はDOUGENのものであっても、僕のアイディアは結構入っているかなと思います。とはいえ、このアルバムを通して何かメッセージを伝えようとか、そういうのは逆に嫌なんですね。もっと感覚的な部分で、僕たちが想定していないようなことでも、感動してもらえるものであれば、こちらとしては全然問題ないですし、すごくありがたいことなので。確かに表現として一歩踏み込んだメッセージは、〈Day Of Salvation〉には少しですが入れていますね」
「最近で言うと、『ダークソウル』っていう日本のメーカーが作っているアクションRPGがあって、かなり暗い世界観なんですけど、そこからの影響は大きいですね。その前で言うと、新選組がすごく好きだったんですよ。あれって破滅の美学じゃないですけど、そういうところにすごく惹かれてましたし、LIGHTNINGにいた頃に僕が作った曲は、土方歳三をテーマにしたものは多かったですね。ダーク・ファンタジー的な部分でいくと、THOUSAND EYESのセカンド・アルバムを作り始めた頃から、『ダークソウル』にハマるようになって、その後『ダークソウル3』というのが一昨年に出ていて、ちょうど3作目で最高傑作的な感じだったんですよ。しかも、それでシリーズが終わるって聞いてて。だから、やっぱり3枚目って最高傑作を作らなきゃなみたいな気持ちにもなりましたし、今回のサード・アルバムも、何か完結するようなテーマにしようかなと思ったんですね。シリーズというわけじゃないんですけど。だから最初に思いついたアルバムのタイトルも、実は“END OF JOURNEY”だったんですよ。でも、セカンド・アルバムで“ENDLESS NIGHTMARE”って言ってるのに、次でもう終わっちゃったら、何がどう“ENDLESS”だったんだと自分で矛盾を感じて、そのテーマで作るのは最終的にやめたんですけど、そういう形でタイトルや歌詞のワン・フレーズだったりにも、影響は色濃く出ていますね」
――「Day Of Salvation」には、2行だけ日本語のフレーズが出てきますよね。あそこはどういった意図だったんですか?
「ははは(笑)。オープニングの〈Dawn Of Despair〉が絶望の夜明けで、〈Day Of Salvation〉で救済の日があり、最後が〈Devastated Moment〉でまた荒廃の時で終わると。そして、リピート再生したら、次の絶望の夜明けがやってくる……ある方にもそういう感じなんですよねって言われたんですが、歌詞的な部分で、最後の曲が1曲目にまたつながるようなことは実は考えてなかったんですよ。単純に1〜2曲目の流れは重視したんですけど、そこからはアルバムのトータルのイメージが崩れない程度で考えて作っていたので、逆にそう言われて自分自身がハッとした部分はあったりしたんですよね。さっきも話したように、僕自身のポリシーとして、メッセージとかをあまり深く詰め込みたくないですし。狙って作っているところと、ハンドルの遊びじゃないですけど、あまりあえて作り込まないところのコントラストは、実は自分の中では結構つけて作ってます」