決め手は興奮が蘇ってくるかどうか――THOUSAND EYESが放つ“最高傑作”『DAY OF SALVATION』

THOUSAND EYES   2018/03/20掲載
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 メロディック・デスメタルの雄、THOUSAND EYESが前作『ENDLESS NIGHTMARE』から約2年6ヶ月ぶりとなるニュー・アルバム『DAY OF SALVATION』をリリースした。自らのレーベルであるBloody Empireを立ち上げるなど、より密度の濃い活動へとステップアップを遂げるべく準備を整えた彼らが到達した“最高傑作”はいかにして完成へと至ったのか。バンドのリーダーを務めるKOUTA(g)に、そのキャリアやヒストリーを遡りながら訊いた。
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Photo By KISEKI MICHIKO(KISEKI inck)
――THOUSAND EYESは、KOUTAさんが中心となって結成されたとのことですが、どのようなバンドを作りたいと思っていたのですか?
 「最初は、思い出づくりじゃないですけど、メロデス(メロディック・デスメタル)で、自分のストックしていた曲をアルバムにして、何か形に残せたらいいなぐらいの気持ちだったんですよ。そこでまずDOUGENに声をかけて、せっかく作るなら、どこかレコード会社を探したほうがいいんじゃないかということで、じゃあ、デモを作ろうみたいな、何となくフワフワとした感じで始まっていったのがキッカケです(笑)」
――その後、メンバーはどのように探していったんですか?
 「レコーディングもそうなんですが、CDを出すからにはライヴをやらなくちゃいけない。そしたら、ちゃんとしたメンバーがやっぱり必要だということで探し始めたんですが、ギターのTORUちゃん(TEARS OF TRAGEDY)は、10年ぐらい前から知り合いなんですね。僕自身が友達も知り合いも非常に少なくて、ギターを頼めるとしたら、まず彼しかいないと。テクニック的な面もそうですし、僕の考えとかをよく理解してくれているんですね。ベースのAKIRAさん(元YOUTHQUAKE)は、ホントにたまたまなんですけど、SNSで“ベーシストどうしよう”ってつぶやいたら、“やってもいいよ”って声をかけてくださって。最初のドラマーは、前にやってたSUM RIZEというプロジェクトで手伝ってもらったJUHKIくんに頼んで、一旦、バンドという形になったという経緯があります」
――ファースト・アルバム『BLOODY EMPIRE』(2013年)リリース後は、ドラマーにFUMIYAさん(現GALNERYUSUNLUCKY MORPHEUS)が加入しましたね。思い出づくりという話がありましたが、その作品をもって音楽活動をやめようといった気持ちもあったんですか?
 「それに近いものもあったというか……。THOUSAND EYESをやる前に、BLACK PEARLというデスラッシュ系のバンドをやっていたんですけど、上手くいかなくて、そのときに一回やめようかなと思っていたんですね。その頃にLIGHTNINGのIRON-CHINOさんから、LIGHTNINGに加入しないかという話をいただいて。BLACK PEARL自体は脱退したんですけど、そこでやめるという選択肢を一旦なくして、音楽活動は続けていたんです。ただ、BLACK PEARLの頃のマテリアルとか、僕が好きなメロデス・スタイルの音源も出してみたい気持ちがあったんですね。そしたら当時のLIGHTNINGが所属していたレーベルの担当の方が、“ウチでアルバムとか出さない?”みたいに、ちょっと冗談まじりでおっしゃってくださったんですよ。僕はそれを真に受けてしまって、さっきの話のようにデモを作ってみたんですが、その方に聴かせたら、“ちょっとウチでは……ゴメン”と言われてしまって(笑)。そういうこともあって、せっかくデモを作ったし、楽曲も10曲なりを揃えてアルバムにしようかなと思ったんですよ」
――それまでメロディック・デスメタルのバンドはやっていなかったんですか?
 「BLACK PEARLの前に、HEADLESS CROSSっていう、自分がギター&ヴォーカルでメロデスっぽいものをやってはいたんですけど、そのときは自分のヴォーカルの才能のなさに気がついて、専任ヴォーカリストを入れたBLACK PEARLに形を変えたんですね」
――ヘヴィ・メタルにもいろんなスタイルがありますが、THOUSAND EYESが奏でるメロディック・デスメタル / デスラッシュという形態の魅力は、どんなところに感じますか?
 「一般的にメロデスの特徴というのは、激しさとメロディの対比と言われると思うんですけど、僕もそこに魅力を感じていて。あとは自分の感情をむちゃくちゃにしてくれるような曲に出会えたときの感動が忘れられなくて……」
――メロディック・デスメタルの最初の衝撃って何でした?
 「IN FLAMESのセカンド・アルバム(『THE JESTER RACE』 / 1996年)ですかね。衝撃的な出会いでした。でも、当初はメロデスっていう存在がすごく嫌いだったんですよ。デスメタルはCANNIBAL CORPSEから入ったんですけど、同級生からメロディック・デスメタルっていうものがあるらしいよと教えてもらったんですね。メロディックなものはすごく好きだったんで、じゃあと思って、AMORPHISの『TALES FROM THE THOUSAND LAKES』(1994年)を聴いたら、何か遅くて(笑)、期待していたものとはちょっと違ったんですよ。その次に聴いたのが、DARK TRANQUILLITYのセカンド(『THE GALLERY』 / 1995年)だったと思うんですけど……確かにスピーディでメロディックだったんですけど、暴力性が足りないなと。そこで一旦、聴くのはやめてしまったんですね。その後に聴いたIN FLAMESの〈Dead Eternity〉の……今、思えば、そんなに暴力性があるかというと、そんなこともないんですけど、やっぱりメロディの完成度だったり、ブラストビート的なすごく速いイントロだったりに、“メロデス、凄い!”となって心臓を鷲掴みにされました」
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Photo By You Masuda
――今の話を聞くと、THOUSAND EYESのメロディと激しさのバランスの置き方のルーツが見えてくる気もしますね。もともとギターを始めたキッカケは?
 「普通にX(X JAPAN)のHIDEに憧れて、高校生の時にちょっとギターで少しコピーしてみたのが最初のキッカケです。Xは〈Silent Jealousy〉ですごくハマって。最初のロック的な音楽の入口なんですよね。それまではそんなにギターというものに注目してなかったんですけど、その後に『HIDE YOUR FACE』(1994年)というhideのソロ・アルバムが出て、ギタリストってカッコいいな、やってみたいなと思って始めてみたんですね。最初の1年ぐらいはXやhideの曲を趣味でコピーしていたぐらいだったんですが、そこから洋楽のメタルにハマって、JUDAS PRIESTの『PAINKILLER』(1990年)との出会いがあったんですよ。そこで自分の世界が180度変わって、洋楽至上主義みたいになって(笑)。でも、基本的にはギタリストというよりも、一リスナーとして、メタルのCDを買い漁る日々が二十歳ぐらいまでずっと続きましたね」
――『PAINKILLER』はリアルタイムで聴いたわけではないですよね?
 「そうですね。中学の頃までは周りに洋楽を聴いている同級生はほとんどいなくて、未知の世界だったんですけど、高校はいわゆる帰国子女とかがたくさんいるような学校で、友達からいろんな洋楽を聴かせてもらって。もちろんリアルタイムじゃないんですけど、VAN HALENだったり、RATTだったり。ただ、全然僕には刺さらなくて。それまでの僕はもっと耽美な感じというか、美しい世界観にずっと惹かれていましたからね。でも、その中で『PAINKILLER』に衝撃を受けたんです」
――『PAINKILLER』に衝撃を受けたという人は世界中に多いですよね。バンド活動はいつ頃から始めたんですか?
 「その頃はバンド活動はまったくやったことがなくて……ギターを真剣に始めたのも二十歳すぎてからなんですよ。ちょうどバイト先の先輩に“ギター持ってるんでしょ? バンドやろうよ”みたいなことを言われて、やるからには真剣にやらないといけないなと練習を始めたんですね。オリジナル曲を作ってみたりはしてたんですけど、そのバンドはあまり上手くいかなくて、1〜2年でやめてしまったんです。その後に、ここまで来たからには、自分でオリジナルのバンドをやろうかなと思って始めたのが、HEADLESS CROSSなんですね。結局、ヴォーカリストの人とあまり上手くいかなくて、だったら自分が練習して歌えばいいんじゃないかって結構安易な発想で、やってみたら才能がなかったっていう(笑)。だから、ちゃんとしたバンドを組んだのは、23歳とか24歳ぐらいですね」
――その頃は「◯◯になりたい」といった将来の目標もなかったんですか?
 「20歳の頃とかは、確かにやりたいことっていうのはなくて。もちろん、ギタリストになりたいとか、ロックスター的なものになれたら嬉しいなというのは、高校生のときからありましたよ。でも、自分がそういうふうになれるとは思っていなかったし、むしろそういう道には進んではいけないと思っていたんですね。だから、バイト先の先輩からバンドに誘われたときも、最初はすごく拒否してたんですよ。上手くいくわけないから、やめましょうよって(笑)。でも、振り返ってみたら、当時のメンバーの中で自分だけが音楽を続けてる状況なんですよね。だから、僕の場合、THOUSAND EYESもそうですけど、出したアルバムを、たまたまたくさんの人に聴いてもらえて、このままやめるわけにはいかないから次に進まなきゃいけないなって、他の人から突き動かされるものがあると、モチベーションにつながるのかもしれないですね。でも、『BURRN!』で80点台を獲りたいっていうのは、唯一の夢としてあったんですよ。やっぱヘヴィな読者で、ずっと憧れてた雑誌ですからね」
――その夢は『BLOODY EMPIRE』をリリースした瞬間に叶いましたし、同作でTHOUSAND EYESの名前は、日本のメタル・シーンにおいて一気に知れ渡る結果になった。それについては、ご自身ではどのように受け止めたのでしょう? 「いいものを作れば認められるはずだ」という思いは当然あるにしても。
 「あぁ……当時、DOUGENに“いい演奏で、いい音で、いい楽曲のものを作れば、絶対に評価はされるんだ”とかって、よく言ってたんですよ。さっき夢とか目標はなかったと言ってたわりには(笑)。とはいえ、果たしてこれが本当に評価されるんだろうかとも思っていて。THOUSAND EYESをやる前に、別名義ではあったんですけど、同人系のサークルでメロデスっぽいものをやっていて、それなりに評価してくれる人もいたんですね。だから、一定の評価は得られるかなとは思ってたんですけど、その自信とか想像を遥かに超える評価をいただいたので、誌面を見たときにはとにかく驚いたというか、ホントに震えるような感覚があって。人生の目標がすべて叶ってしまったぐらいの感動がありましたね」
――その時点では一つの専門誌の個人の尺度での評価とはいえ、後にリスナーからも絶賛の声が多く寄せられたわけですよね。だからこそ、次の作品への期待も高まっていった。続く『ENDLESS NIGHTMARE』(2015年)は、どんなアルバムだったと振り返りますか?
 「これは最近よく言ってることなんですけど、ちょっと後悔が残る作品という思いがありまして。音質とか演奏とか楽曲、すべての面で、何でここをこうしなかったんだろうって気持ちが強いアルバムではありますね」
――よりよくするためのアイディアがいろんなところで見えてくると?
 「そうですね。自分の中でのストックとか、当時の思いをすべて詰め込んだファースト・アルバムがあり、2枚目は、それを超えるものを作らないと意味がない。だから、すごく苦しみながら作ったアルバムだったんですね。結果的には、ちょっと気合が空回りしちゃったということなのかもしれないですけど。もちろん、楽曲そのものを気に入ってないとかそういうことではなくて、作ったときの手応えはあったんですけど、後になって、もっと次は頑張りたいという、自分に対するリベンジのような気持ちが湧いてきていましたね」
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Photo By KISEKI MICHIKO(KISEKI inck)
――『BLOODY EMPIRE』とはあえて違うものを出したのかなという印象はありましたね。そして新作の『DAY OF SALVATION』に至るわけですが、今回は新たに自主レーベル“Bloody Empire”を立ち上げましたよね。これはどういった理由からだったんですか?
 「いろんな方のアドバイスもあったんですけど、ファーストとセカンドで、結果的にはそんなに伸びていないというか……前作を上回る評価はいただいたんですけど、このまま同じ形で続けていても、次に自分へのリベンジを誓うという意味でのサード・アルバムが、果たして納得するものに仕上がるのかとか、自分がいろんなことをコントロールできる環境で、レーベルを立ち上げて、新しい作品を作っていくほうが、よりステップ・アップできるんじゃないかという思いなどからですね」
――なるほど。アルバムそのものに関してはどんなことを考えていました? もちろん、先ほどのお話のように、前作を超えるものということは大前提だと思いますが。
 「そうですね。ファースト・アルバムのときに感じられたような、作品に対する充実感みたいなものを、もう一度得たい……もちろん、100%の満足は絶対にないにしても、3枚目ってわりと名盤と呼ばれるものが多かったり、サード・アルバムだから次はきっと名盤だよねって期待してくれる人もいるし」
――バンドの真価が問われるという言い方もよくされますよね。
 「はい。とにかく、ざっくり言うと、“最高傑作を作りたい”みたいな(笑)。そういう感じで作り始めましたね」
――曲作りは具体的にいつ頃から始めたんですか?
 「2016年の元旦からですね。まずお正月から、キラー・チューンを作ってやろうと思って(笑)。まぁ、セカンド・アルバムのときのアウトテイクとか、ストックも何曲かはありましたし、それらも上手くアレンジが決まれば収録しようとは思ってたんですけど、気合を入れて純粋に曲作りを開始したのはその日なんですよね」
――その日にちには何か理由があるんですか?
 「ファーストからセカンドまで、2年半も間が空いたことで、結構時間がかかりましたねみたいなことを言われたりもしたので、次はちょっと早めに作ろうかなと思ってたんです。タイミング的にも、ちょうどセカンド・アルバムのツアーも終わって一段落していましたし、新年に心機一転じゃないですけど、いい曲を作って、早くいいアルバムを出して、すっきりしたいなみたいな感じですかねぇ。とはいえ、結果的にはまた前作から2年半かかってしまったんですけど(笑)。元旦から作り始めた曲は、その当時、これは絶対的キラー・チューンで、それまでの曲をすべて超えると思えるものができたんですよ。でも、一晩寝かせて聴いてみたら、これはダメだと思って、また次の曲を作ってみたいなことが結構続いて。アルバムの(オープニングのイントロダクションに続く実質的な)1曲目用に考えた自称キラー・チューンは、2つか3つあって、そのつどDOUGENに送ってたんです。彼って、基本的に“かっけーっす!”しか言わないんですけどね(笑)。でも、結果的に1曲目となるキラー・チューンだと思っていた曲は作れないまま、一旦、別の形の曲をまた作り進めたりして。たとえば、7曲目の〈Final Reign〉とかは、セカンド・アルバムの1曲目候補で作ってたんですね。今はそこからだいぶ形は変わったんですが、サード・アルバムの1曲目にしようと思って、正月に作った曲に挫折していたときにアレンジを進めて。ただ、1曲目には弱いかなと思って、また別の曲を作って。その次に作った曲が、10曲目の〈Rampage Tyrant〉で、リフだけ聴くと1曲目っぽい感じなんですけど、出来上がってみたら、テーマが壮大すぎて、1曲目には重たいかなと。そこでまた別の曲を悩みながら作っていって、わりと後半にできたのが、〈Day Of Salvation〉だったんですね。この曲ができたことで、他の曲のアレンジが一気に進んだところもあって。僕自身は、隙のないアルバムが結構好きなんですよ。MEGADETHで言えば、『RUST IN PEACE』(1990年)とか、『COUNTDOWN TO EXTINCTION』(1992年)とか、『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』(1986年)とか、JUDAS PRIESTだったら『PAINKILLER』とか、『背信の門(SIN AFTER SIN)』(1977年)とか、そういうトータル・クオリティがしっかりしているアルバムを常に出したいと思っているんですね。だからこそ、1曲目が決まらないと、やっぱり方向性も上手く定まらないんですよ。せっかくできた〈Final Reign〉の置きどころがあるのかとか、ミドル・テンポの〈Lost Forever〉や〈Cold Blood〉の雰囲気が、1曲目のコンセプトに合ったものになるのかというのも見えてこない。正月からそもそもキラー・チューンを作ろうと思ったのもそこにあるんですけどね。それがまた2年半かかる結果になったんですけど、聴き直すという作業は僕は結構重視してて。どうしても作っているときは気持ちも昂ぶっているものですけど、一旦寝かせて聴いたときにその興奮が蘇ってくるかどうかは、重要なポイントだといつも思ってます」
――とすると、今回の実質的な1曲目である「Day Of Salvation」は、今、聴いても震えがくるわけですね。
 「そう言われるとすごく恥ずかしいですけど(笑)、〈Day Of Salvation〉そのものも、寝かす作業を何度か繰り返して、気に入らないところはだいぶ変えたので、そういう意味では、震えの止まらない曲になりましたね(笑)」
――この曲は、歌詞もTHOUSAND EYESがいかにあろうとしているのかといった主張、宣言のように思えるんですね。
 「そうですね、まさにおっしゃった通りというか……基本的に僕は歌詞はファンタジックでありたいんですね。政治批判とか、時事問題のような社会的なものを入れるよりも、日常や自分が生きてきて感じたものだったり、自分の人生だったり、または何か本を読んだり映画を観たりして感動したものをモチーフにして、楽曲を彩るような形で詰め込みたい気持ちがあって。だから、今までやってきたことを踏まえての自称・最高傑作ができた今、ここまで来たからには、しっかりとバンドとしての立ち位置、さっきおっしゃった宣言、主張みたいなものを詰めたかったですし。それを叙情的にというか、ファンタジックな雰囲気を持たせて歌詞にした内容ですね。あとは、Bメロなんかはそうですけど、暗闇から立ち上がれ、感情を爆発させろといった、自分たちの曲を聴いて共感してもらって、何かの感動を得て欲しいというメッセージも込めてます」
――それはこのタイミングだからこそですか?
 「かもしれないです」
――そう思う理由もありますか?
 「うーん……前作のラスト・ナンバーで、たまたま“デスラッシュ・メサイア”っていうキーワードみたいなものをふと思いついたんですね。当時、DOUGENからめちゃくちゃバカにされたんですけど(笑)、最終的には彼も納得してくれて、何となく“デスラッシュ・メサイア”っていう肩書きみたいなものも自分たちで宣言することができて。ちょっと主張みたいなものが生まれたのは、もしかしたらそのときなのかもしれないですね。主張をし始めたセカンド・アルバムを踏まえてのサード・アルバムの1曲目で、改めて宣言しているところもあるのかなと」
――今回は“デスラッシュ・サルヴェイション”と歌っていますよね。
 「そうですね(笑)。やっぱり僕自身が、音楽ですごく救われたというか、高校時代、登校拒否してたんですけど、夜な夜なJUDAS PRIESTをヘッドフォンで聴いて、気持ちを落ち着かせてた……落ち着かせてたのか興奮させてたのかわからないですけど(笑)、周りに味方が誰もいない中で、JUDAS PRIESTだけが僕の味方になってくれるんですよね。〈Ram It Down〉とか〈Hard As Iron〉とか。『PAINKILLER』にしても、四面楚歌のシーンの中で産み落とされた信念を貫いたアルバムみたいな、作品が生まれた背景などをライナーノーツとかで読みながら聴くことで、何となく自分も頑張れた経験があったので……。別にみんなにそういう境遇にあって欲しいわけじゃないんですけど、もし同じような境遇の人がいて、聴いてもらうことで何か力を得られるのだとしたら、それはいいことかなと思うし」
――DOUGENさんが作詞をしているものもありますので、すべてには当てはまらないかもしれませんが、描かれる世界は、言うなれば、ダーク・ファンタジーですよね。ただ、暗いままに終わることはない。それは自然なことだったのかもしれませんが、今回のアルバムの象徴的な要素ではあると思うんですね。その辺りはDOUGENさんとどのような摺り合わせをしていたのかなとも思ったんですよ。
 「あぁ。歌詞そのものに関しては、ファースト・アルバムの頃は僕がタイトルだけ考えて、この曲はお願い、この曲は俺がやる、またはタイトルも含めてお願いしていたこともあったんですけど、今回はタイトルやサビの歌詞のイメージを、ある程度僕が考えてから渡したり、あとはDOUGENから上がってきた歌詞に対して、サビの言葉やタイトルを変更したり、そういう作り方をしているので、クレジット上はDOUGENのものであっても、僕のアイディアは結構入っているかなと思います。とはいえ、このアルバムを通して何かメッセージを伝えようとか、そういうのは逆に嫌なんですね。もっと感覚的な部分で、僕たちが想定していないようなことでも、感動してもらえるものであれば、こちらとしては全然問題ないですし、すごくありがたいことなので。確かに表現として一歩踏み込んだメッセージは、〈Day Of Salvation〉には少しですが入れていますね」
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Photo By Satoshi“ACE”Kudo
――それこそ精神的な闇のようなネガティヴな背景があり、そこにどう立ち向かうのか、打ち克っていくのかというものがストーリーの根本にあると思うんです。それは単純に好みの問題ですか?
 「そうですね……僕自身、日頃、そんなに暗い人生を送っているわけでもないですし、怒っているわけでもないですけど、じゃあ、なぜ暗い音楽をやっているんですかとか、激しい音楽をやっているんですかと言われたら、やっぱり好みの問題になっちゃいますよね。ただ、ダーク・ファンタジーじゃないですけど、そういうものを僕自身が好きだというのは大きいと思います」
――何か影響を受けたものもあるんですか?
 「最近で言うと、『ダークソウル』っていう日本のメーカーが作っているアクションRPGがあって、かなり暗い世界観なんですけど、そこからの影響は大きいですね。その前で言うと、新選組がすごく好きだったんですよ。あれって破滅の美学じゃないですけど、そういうところにすごく惹かれてましたし、LIGHTNINGにいた頃に僕が作った曲は、土方歳三をテーマにしたものは多かったですね。ダーク・ファンタジー的な部分でいくと、THOUSAND EYESのセカンド・アルバムを作り始めた頃から、『ダークソウル』にハマるようになって、その後『ダークソウル3』というのが一昨年に出ていて、ちょうど3作目で最高傑作的な感じだったんですよ。しかも、それでシリーズが終わるって聞いてて。だから、やっぱり3枚目って最高傑作を作らなきゃなみたいな気持ちにもなりましたし、今回のサード・アルバムも、何か完結するようなテーマにしようかなと思ったんですね。シリーズというわけじゃないんですけど。だから最初に思いついたアルバムのタイトルも、実は“END OF JOURNEY”だったんですよ。でも、セカンド・アルバムで“ENDLESS NIGHTMARE”って言ってるのに、次でもう終わっちゃったら、何がどう“ENDLESS”だったんだと自分で矛盾を感じて、そのテーマで作るのは最終的にやめたんですけど、そういう形でタイトルや歌詞のワン・フレーズだったりにも、影響は色濃く出ていますね」
――「Day Of Salvation」には、2行だけ日本語のフレーズが出てきますよね。あそこはどういった意図だったんですか?
 「純粋にDOUGENの日本語のスクリームってカッコいいんですよね。ファースト・アルバムでも少しだけ採り入れてましたし、以前やっていた同人の作品でも結構日本語をたくさん使っていて。セカンド・アルバムではやらなかったんですけど、今回は復活させたいなと。あとは単純に語呂というか、“哀しき慟哭の雨”とか、“導く運命の鐘”というのが、パッと聴いたときに何となく雰囲気がわかるというか……まぁ、わかりやすさで言葉を選んだんですけど、“哀しき慟哭の雨”が何なのかはどこにも語られてないですし、“導く運命の鐘”も、誰が鳴らして、誰を導いているのかは何も語ってないんですよ。アルバムを聴いた人が流す涙が“哀しき慟哭の雨”なのかもしれないし、もしかしたら僕たちが奏でているメロディが“導く運命の鐘”なのかもしれない。それは聴き手に委ねたいところなんですね」
――最後の曲「Devastated Moment」では、“Destiny arise(運命の時)”という一節が出てきますが、そこにつながりが見えてくる、謎解きをしたくなるような作りでもありますね(笑)。
 「ははは(笑)。オープニングの〈Dawn Of Despair〉が絶望の夜明けで、〈Day Of Salvation〉で救済の日があり、最後が〈Devastated Moment〉でまた荒廃の時で終わると。そして、リピート再生したら、次の絶望の夜明けがやってくる……ある方にもそういう感じなんですよねって言われたんですが、歌詞的な部分で、最後の曲が1曲目にまたつながるようなことは実は考えてなかったんですよ。単純に1〜2曲目の流れは重視したんですけど、そこからはアルバムのトータルのイメージが崩れない程度で考えて作っていたので、逆にそう言われて自分自身がハッとした部分はあったりしたんですよね。さっきも話したように、僕自身のポリシーとして、メッセージとかをあまり深く詰め込みたくないですし。狙って作っているところと、ハンドルの遊びじゃないですけど、あまりあえて作り込まないところのコントラストは、実は自分の中では結構つけて作ってます」
――全体の流れや雰囲気ということで言えば、「Lost Forever」をよくここに入れてきたなとも思いました。ものすごく新鮮に響きますよね。
 「そうですか。楽曲の印象で言うと、ファースト・アルバムの〈Sign〉とかとそんなに大きくイメージは変わらないかなと僕自身は思ってたんですけど、当初はもっと長かったんですよ。Aメロ、Bメロ、またイントロに戻って、またA、B、サビで、2番があってという。でも、ヴォーカルをいろいろ入れてみたりした後で、寝かせて聴き直したときに、ここで頑張らないとまた後悔が残るなと思って、かなりいろんなことを試したんですね。その中でまず1番をイントロ、A、サビにして、2番だけ、A、B、サビの流れにするという。自分の中で冒険というか、曲をコンパクトにするという作業をやったのが上手くいったのかなと思ってます」
――こういうギターって、どんなルーツから来るんだろうなと思ったんですよ。特にクリーン・トーンのアレンジなどですね。
 「ギター・リフとか作曲は、基本的にギターで遊んでいくうちにいろんなアイディアが浮かんでくるので、指の形をいろいろ変えて弾いてみたら、たまたま気持ちのいいクリーン・トーンになって。でも、このアイディア自体は、10年ぐらい前からあったものなんですよ。Aメロのクリーン・トーンを重ねたり、サビのオクターブで動くアレンジなどは、LUNA SEAのイメージが強いですね。日本のバンドで一番大好きなのはLUNA SEAなんですよ。最新作もそうですけど、未だに頻繁に聴いてます」
――やはりそうでしたか。さて、本作を引っ提げた東名阪ツアーなども予定されていますが、どんなライヴを見せたいと思ってますか?
 「うちのバンドは基本的にクリックとかを使ってないんですよ。どこのライヴハウスでも、絶対に音響がいいってわけでもないですし、たとえばこの間、法政大学の学祭に出たんですけど、ものすごく音が回ってたんですね。曲のテンポが遅いバンドだったら、何てことはないと思うんですけど、うちみたいにものすごく速い状態だと、いつスネアが鳴っているのかといったことがわからない状態になるんです。しかも、クリックがないですから、自分たちが出している音だけで判断して演奏するしかない。そのギリギリ感みたいなものを、自分たち自身も結構楽しんでるんです。今回も守りに入ることなく、攻めていこうかなと思ってるんで、そういったTHOUSAND EYESの生々しい演奏スタイルを一緒に肌で感じとってくれたら嬉しいですね」
取材・文 / 土屋京輔(2018年2月)
THOUSAND EYES“Day Of Salvation Tour 2018”
thousand-eyes.com/
3月31日(土)
大阪 西心斎橋 Bigtwin Diner SHOVEL
出演: THOUSAND EYES
開場 17:30 / 開演 18:00
前売 3,500円 / 当日 4,000円(税込 / Drink別途)



4月1日(日)
愛知 名古屋 今池 GROW
出演: THOUSAND EYES
開場 17:30 / 開演 18:00
前売 3,500円 / 当日 4,000円(税込 / Drink別途)



4月6日(金)
東京 渋谷 Cyclone
出演: THOUSAND EYES / Opening Act: the Art of Mankind
開場 18:00 / O.A開演 18:30
前売 3,300円 / 当日 3,800円(税込 / Drink別途)



7月8日(日)
宮城 仙台 HooK SENDAI
出演: THOUSAND EYES / the Art of Mankind / MURDER HEAD / DETHSHEAD / Abyzmal Terror / ISSUMAEL
開場 16:30 / 開演 17:00
前売 3,000円 / 当日 3,500円(税込 / Drink別途)



8月16日(木)
東京 渋谷 TSUTAYA O-WEST

出演: THOUSAND EYES
※詳細未定


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