篳篥(ひちりき)は、日本古来の伝統音楽である雅楽の楽器として知られているが、オーボエやサクソフォンにも似た音色ゆえにジャンルを問わずフィットする曲もあるだろう。そうした可能性をハイクオリティな演奏で追求してきたのが、ソロ・ミュージシャンとして20年を超えるキャリアをもつ
東儀秀樹。これまで24枚を発表しているCDは、好奇心旺盛で多彩な音楽を愛する彼ならではの美学を極めたひとつの形だ。お気に入りの映画音楽を集めた
『ヒチリキ・シネマ』もまた、みずからの趣味を反映させながら磨き上げた一枚である。
──映画音楽を集めたアルバムは初めてとのことですが、時代も映画の内容もバラエティに富んだラインナップですね。
「小学生の頃から映画はジャンルに関係なく観てきましたし、映画評論家になりたいと思っていたくらいですから、今回の選曲はその迷いの段階から楽しかったです。
『ゴッドファーザー』は小学生のときに映画館でどきどきしながら観ましたし、
『ミッション: インポッシブル』はトム・クルーズ主演の新しいシリーズも好きですが、子供のころにテレビで観たピーター・グレイブス主演の海外ドラマ(
『スパイ大作戦』)も印象的です。
『生きる』や
『モダン・タイムス』のように大人になってから観た古い映画もありますけれど、不思議なもので映画音楽を聴くと、観た当時の自分の生活や時代の空気などを思い出します。今回の
『ヒチリキ・シネマ』はそうした楽しみも味わいながら作りました」
「僕自身はいつも、篳篥で歌うという意識をもっています。雅楽器で洋楽を演奏することに違和感をおぼえるかたもいらっしゃるでしょうけれど、メロディを歌うということについては共通していますし、だからといって楽譜に書いてある音符をただなぞって吹けばいいわけではありません。篳篥ならではの音色や歌い方、音の流れや揺らぎなどを生かした演奏をしていますし、そうでなければ篳篥で演奏する意味がないでしょうね。僕はインストゥルメンタルの音楽家だと思われていますが、じつはポピュラー・ソングもミュージカルも大好きで、自分のなかではいつも“歌”が大きな存在を占めているのです。ミュージカルのオファーがいつきてもいいよう、ひそかにそのための歌も作ってありますので」
──東儀さんのCD全般に共通することだと思えますが、篳篥が気持ちよく歌っているという印象が強く、表現力の素晴らしさをあらためて感じることがあります。
「篳篥は音域が狭く、1オクターヴと1音くらいしかないので、じつは苦労することも多いですね。映画音楽の場合、いろいろな感情を表現するために広い音域の曲が多いのですけれど、今回は普通の篳篥よりも4度低い大篳篥という楽器も併用し、音域をカヴァーしています。平安時代の中ごろには使われなくなった楽器なのですが、いろいろな古文書に載っている情報から、それを復元しためずらしい楽器です。僕はどの楽器であれ、楽器に無理をさせることなく、楽器と理解し合って音楽を作っていくことをいつも考えています。ですから楽器とは“この和音は、あの古典の曲にもあったよね”“そうそう、わかってくれてありがとう”と語り合っているような気分で付き合いたいのです」
──アレンジもご自身でされていますが、ここは譲れないというこだわりはありますか。
「原曲のイメージから極力はずれないようにするということでしょうか。たとえば
『バグダッド・カフェ』の〈コーリング・ユー〉は、伴奏の不思議なコード感が魅力ですのでそれを捨ててしまうことはありませんし、『レ・ミゼラブル』の〈オン・マイ・オウン〉は劇中で歌っている少女の、なにか悲しいものを背負ったあの切なさをなくしては、別の曲になってしまうでしょう。面白いのは笙の古典的な和音が、ジャズやポピュラー音楽で多用するテンション・コードに近く、そのまま使っても意外に合うということです。とすると、おそらく楽器も無理なく本来の音色を気持ちよく鳴らしてくれるはずですから、映画音楽を演奏しても素晴らしい効果が生まれることでしょう」
──一方で「ミッション: インポッシブル〜メイン・テーマ」や「ルパン三世のテーマ'78」といった曲も収録されています。これ、失礼ながら篳篥とのギャップが大きく、聴きながらちょっと笑ってしまいました。
「僕自身、“こんなこともやっちゃいました”感を楽しんでいるのですが、じつはこれらも無理することなく篳篥が合うものなんです。ときどき小・中学校へ雅楽の紹介をするためトークや演奏をしに伺うのですけれど、子供たちにも楽しんでもらえるレパートリーももっているのです。〈ルパン三世〜〉も自分でカラオケを作って演奏していました。〈ミッション: インポッシブル〉では、全体的に日本っぽいサウンドにしたくて、弾いたこともない三味線にまで挑戦しています。調弦のしかたも知らないので完全な自己流ですが、 “自分には不可能なんてない(まさにミッション・インポッシブル)! たしかこんな感じで弾くんだよな……”と勝手に弾きまくってしまいました。とても楽しいチャレンジでした。トラックダウンをする際、エンジニアに“三味線、もうちょっと音を大きめにしてくれないかな”とお願いもしちゃいましたね」
──東儀さんはいろいろな楽器の演奏も、アレンジも、レコーディングもほぼご自分でなさいますよね。
「自宅のスタジオで、マイクのセッティングもしますし、レコーディングのスイッチも自分で押します。なんだか音楽にハマりたての高校生が宅録をしているみたいですよね。今回は3曲のみ、チェロの
溝口肇さんがゲスト参加してくれていますが、そのほかはすべて僕の演奏です。つねに楽しみながら音楽をやりたいですし、この『ヒチリキ・シネマ』も、まだまだ演奏したい曲はたくさんありますから、ライフワークのようになっていくかもしれません」
取材・文 / オヤマダアツシ(2018年7月)
写真 / ©Universal Classics & Jazz, Ayako Yamamoto