――とても楽しく、幸福な気分で聴けるアルバムでした。
「私も満足しているよ。1年もかけて一生懸命作ったアルバムなんだ。途中でロサンゼルスの家とスタジオが火事になってしまう災難に見舞われて、とにかくたいへんな年だったけどね。イチかバチか、オリジナルからガラっと大幅に変えた曲もあるし、原曲に近い曲もある。いろいろと違うヴァージョンがあってもいいと思ったので、それなりに工夫してアレンジしてみたんだ」
――このアルバムが作られることになったきっかけを教えていただけますか。
「オーケストラ・アレンジという企画自体は、ほかの人から提案されたものだった。いいアイディアだと思ったから話にのってみた。最近は、新曲を聴いてもつまらないと思うことが多いし、であれば昔の曲だったとしてもほかの人の曲であったとしても、いい曲で作れた方が楽しいと思ったんだ。まず選曲から始め、最終的に12曲に絞ることができた。おもに、歌詞のいい曲を中心に選んだんだ。歌詞がいまひとつの曲と長い時間向き合いながら作業するのは苦痛だしね。80年代の曲に絞ったのは、A&Rの意向だ。作業的には、ジュリアン(・ヒントン。本作のストリングス・アレンジャーであり、トレヴァー・ホーン・バンドのメンバー)がストリングスのアレンジをするところから始めた。違う手順で進めた曲もいくつかある。たとえば〈ブラザーズ・イン・アームス〉はアイディア出しから初めて、元ダイアー・ストレイツのキーボードのアラン・クラークと一緒に作ったんだ」
――今回のアルバムは、あなたがプロデューサーとして関わったもの、プレイヤーとして関わったもの、また表面上はあなたとは関わりのない楽曲の3つが混在しています。選曲の基準について教えてください。
「かならずしも僕が作った曲じゃなくてもよかった。純粋に、僕が手がけてみたかった曲を選んだ」
――今回はフル・オーケストラによる80年代ヒットのカヴァーという企画ですが、テクノロジーの進化、音楽制作にまつわる予算の削減、またフル・オーケストラの録音可能な大きなスタジオが少なくなっている、などの事情で、なかなかこういうぜいたくな制作方法はとれなくなっていると思われます。
「まさしくそれが今回このアルバムを手がけた理由の一つなんだよね。55人編成のフル・オーケストラと一緒にやる機会なんてそう滅多にないし、最近音楽業界もお金の余裕がないなか、本当にぜいたくな経験だったと思うよ。ほかの人がよくやるように、ただたんに80年代の曲を選んでストリングスを乗っけるだけでは、不十分でうまくいかない。たとえばa-haの〈テイク・オン・ミー〉みたいな曲はストリングスがなくても十分成立するいい曲なんだ。だからちゃんとストリングスをアレンジしないと、かえってごちゃごちゃになってしまう。僕はクリエイティヴなアレンジにこだわりたかったんだ。コード進行もね」
――今回はアナログ・レコーディングでしょうか?
「いや、アナログ・レコーディングじゃない。デジタルで録音して、アナログの卓でミックスしたんだ。もちろんレコーディングにはプロ・ツールスも使った。プロ・ツールスは今となってはもはや音楽を作るうえで欠かせない。1983年以降、アナログ・レコーディングはしていない。デジタルのほうが圧倒的にいいよね」
――ナマのオーケストラならではの圧倒的な迫力と美しさ、ダイナミック・レンジに感動しました。テクノロジーを駆使して音楽を作ってきたあなたがこういう制作方法をとったことが興味深いです。制作にあたって心がけたこと、苦労したことなど教えてください。
「ドラムを控えめにしたかった。最近の楽曲は何でもかんでもドラムがずっと鳴っている感じだからね。ずっとドラムを鳴らすというより、必要な場所だけにドラムを入れた。〈ダンシン・イン・ザ・ダーク〉のようにまったくドラムがない曲もある。オーケストラに関しては、いちばん優秀な演奏者を集めなければいけなかった。一日12時間かけてオーケストラを録りきった。オーケストラは、一度ウォームアップすれば、その後は早い。最初の15分から30分は音の調整をするから、調整が済んだら同じで場所で一気にセッションごとに録ってしまったほうが楽なんだ。みんなに“早く終えたら、早く家に帰れるよ”って言ったら、予定より1時間半も早く終わったよ(笑)」
――また、今ではソフトの音源も進化していて、生楽器とさほど変わらない音を出せるという意見もありますが、その違いをどう考えますか。
「ソフトの音源は、比較する音がなければ、リアルに聞こえるかもしれない。でもたとえば良い音色のナマの弦楽器とサンプリングの音を聴き比べたら違いがわかるはずだ。問題は、サンプルの音は機械的に最適化されているから、ナマの音を扱う方がかえって手がかかるということだ。ベストなプレイヤーとベストな環境(スタジオ)でレコーディングした音を、またポスト・プロダクションで頑張って編集して改善しないといけない。いろいろとその過程は大変だけど、結果的にはやはりナマのほうが、音が活気づくんだ」
――80年代の音楽は70年代や90年代以降に比べてどんな特色があると思いますか。
「最近のポップ・ミュージックはテクノロジー任せで、自分で演奏してないものが多い。でも80年代の音楽はまだちゃんと演奏していた。実際に人が演奏した音とテクノロジーによって作られたものが融合していた。ときには粗く雑な演奏のものもあったけど、言いたいことをちゃんと伝えることができていた。まだ当時はテクノロジー自体が新しい存在だったけど、80年代前半になってテクノロジーをコントロールできるようになってきた。今までできなかったことができるようになって、音楽を巧みに操ることが可能になったんだ」
――80年代はあなたがプロデューサーとして大きく頭角を現した時期です。その時期あなたはサンプラーやシンセサイザーなど最新のテクノロジーを使った斬新な手法でセンセーションを巻き起こしたわけですが、あなたが10歳年上だったら(つまり、頭角を現す時期が10年早かったら)、あるいは10歳年下だったら、どういうアプローチで音楽と関わっていたと思いますか。
「難しい質問だね。でもどんな時代であれ、僕はその時のベストをつくしていたと思う。忘れないでほしいのは、僕はじつは70年代にもレコードをプロデュースしていた。79年頃からね。ただヒット曲がなかっただけさ(笑)。僕はテクノロジーの波の先端に乗っていた。80年代初期、いろいろな人や同業のプロデューサーが僕に“オマエ何やってるんだ?”“これは何だ?”っていつも質問されていたのを今でも覚えている。一応ひととおり説明してみるんだけど、みんなちゃんと理解するのに数年かかった。ロサンゼルスでレニー・クラヴィッツに会ったときに、彼が言っていた。初めて〈ロンリー・ハート〉を聴いたとき、今まで耳にしたことがない音で、あまりにもびっくりして何だこれ!? って思わず車を止めちゃったらしい。とりあえずレコードを買って、僕がいったい何をしたかったのか、どうやって作ったのか、何度も聴き込んで自分なりに解釈したらしい。ほかの人たちにとってみれば、いったい何が起こっているのか見当もつかなかったみたいだね」
――今回はじつに多様で豪華なゲスト・ヴォーカリスト陣が参加しています。あなたも優れたヴォーカリストですし、あなたが全曲歌ってもよかったと思いますが、あえてゲストを呼んだ理由を教えてください。また、あなたが歌う曲とゲストに歌わせる曲の違いについても。
「ずっと前から、自分じゃなくてゲスト・ヴォーカルに歌ってもらいたいと思っていたんだ。〈ロンリー・ハート〉は他の人に歌ってもらいたかったんだけど、適任が見つからなくて、仕方なく自分で歌った。〈テイク・オン・ミー〉も同じく、じつは2人の候補者でトライしてみたんだけど、結局自分でやることにしたんだ。納得いくものができなかったというか、逆に自分でやったほうが違和感がなかったんだ」
――ぜひこのアルバムをフル・オーケトラで再現したライヴを日本で観てみたいです。
「実現できたらいいなと思っている。各セクションの楽譜はちゃんとあるから、練習すればできるはず。やるとしたらヴォーカルもちゃんと連れて行って、日によってゲスト・ヴォーカルを入れ替えるのも面白いかもしれないね」
取材・文/小野島 大
Photo by Stuart Anning