――そもそもこの出会いのきっかけはなんだったんですか。 ベルンハルト・シューラー(p/トリオセンス) 「普段、ぼくはピアニストの活動がメインで、それでトリオセンスが生まれたんだけれど、このグループが生まれる前の学生時代からポツポツとヴォーカル・ソングの作曲もやっていたんだ。で、これをどうにかしたいと思ってヴォーカリストを探していたんだけれど、なかなか見つからない。で、友人がこの人はどうかとCDを聴かさせてもらったのが、サラの
『ユアーズ』というアルバム。ピンときて、さっそくサラにメールを出したんだ」
サラ・ガザレク 「そうそう、突然メールが来たのよね。で、何もわからないから、とりあえずどういう曲か、デモでも送ってって返事を出したの」
シューラー 「で、MP3のファイルを送ったんだけれど、その返事がなかなかこない」
――無視されたんですね(笑)
『ユアーズ』(2005年)
サラ 「いやいや、忘れていただけなの。督促のメールが来て、それからいろいろなやりとりが始まった。歌詞がどうかとか、どういう風に歌ったらいいかとか、Skypeを使って実際に歌って聴かせたりして」
――歌詞はサラさんも書いてますよね。
サラ 「歌手にとって歌詞は大切なの。歌いながらリスナーと何かを共有したいと思うから、歌詞とメロディが一体でなければスムースにいかない。シューラーはドイツ人だから英語で書いた詞でも、いくつかの単語を修正したし、詞の内容が私にはあまりピンとこないものは、書き換えてもいい? って聞いて、まったく別のものにしたのもある。こういう作業ができてとてもよかった」
シューラー 「それでちょっと白熱したこともあったけどね。でも、これらの曲はぼくのこれまでの人生で出会った経験が土台にあるけど、そこにサラの経験が重なって別の視点で見れたことは悪くはない」
サラ 「たとえば、いつか遠い未来にまたあなたと出会えるというより、人生には忘れられないことがあるというほうがいいでしょう?」
――男性はロマンティストで、女性はリアリストということでしょうか。
シューラー 「まさにその通り!(笑)」
サラ 「でも、このプロジェクトがスムースにいったのは、互いに同じ世代ということがあったと思う。人生に対する姿勢、音楽に対する姿勢もそんなに遠いものじゃない」
シューラー「ぼくがサラの歌を聴いて最初にピンときたのもそういうことだと思うね」
サラ 「私にとって今回のプロジェクトが勉強になったのは、初めてリーダーが自分じゃないので、私に柔軟性を求められたこと。そして、アルバムは丁寧、念入りに作るということをあらためて思った。実は、私がジャズを歌い始めた頃は、即興的なパフォーマンスが主だったけど、いざ自分のアルバムを作るときになって、アレンジもきちっと固めたほうがいいとか、録音もしっかりきれいに録ったほうがいいと助言され、そのためにけっこうお金もかかったけど、その助言は正しかったと思う。ライヴとアルバムは違うんです。今回も自分のアルバムを聴いてもらって、こういう風に録音してとエンジニアに要求したんです」
シューラー 「そのエンジニアが驚いていたよ。なにしろサラのピッチが正確だからね。ヴォーカルの録音と言うと、途中ピッチが微妙に狂って、取り直しとなるけれど、サラにはそんなことが一度もなく、ほとんどみんな1テイクで収まったよ」
サラ 「ピッチの正確さは生来のものと思う。2歳のときミュージカル『アニー』の〈トゥモロー〉をヴォーカリストのおばさんの前で歌ったら、“この子は天才”と言われたと母から聞かされたけど、ピッチが正しいというのは長い間当たり前だと思っていたの。それよりも歌の難しさは、リスナーと分かち合えるものをどうにか見つけ、生み出すということでしょうね」
取材・文/青木和富(2010年9月)