「俺の不幸で踊ってくれ!」ラッパーの
唾奇 は、東京・中野 heavysick ZEROに集まったオーディエンスに向けてそう快活に呼び掛けた。言葉は毒気たっぷりだが音はダンサンブル。ファンは、唾奇と彼の相棒のHANGから成るglitsmotelのライヴをニコニコしながら楽しみ、踊り、一緒に大声で歌っている――。
沖縄出身の唾奇が3月に9曲入りの(3曲のインスト含む)『
道-TAO- 』を発表した。昨年、プロデューサー、
Sweet William との共作『
Jasmine 』、ラッパー、HANGとの共作『glitsmotel』などをリリースし大きな飛躍を遂げた唾奇の“ファースト・ソロ”と言える作品だ。くだんのライヴの翌日に唾奇の取材を行い、筆者はその日に渋谷のクラブ、HARLEMであったライヴを観た。そしてつい先日、下北沢のディスクユニオンのインストア・ライヴには唾奇を一目見ようと300人ものファンが詰めかけた。その翌日にラッパー、leapも同席した2回目の短いインタヴューを行った。2回の取材を構成したのが、本インタヴュー記事となる。
どのライヴも掛け値なしに素晴らしく、なぜ唾奇が今、熱い支持と共感を得ているのかを実感することができた。今はまだ始まりに過ぎない。唾奇に話を訊いた。
――『道-TAO-』には、「道-TAO-」や「Kikuzato」といった2015年にYouTubeにMVをアップした曲のオリジナル・ヴァージョンが1、2曲目に収録されていますよね。この2曲は特に唾奇というラッパーが何者なのかを伝える曲だと思いますし、そういう意味で『道-TAO-』は唾奇くんの原点を感じられる作品だと思いました。
「その通りだと思いますね。その当時、ファースト・アルバムを作ろうとしていたんですけど、完成まで至らなかったです。だから、やっとファースト・ソロ・アルバムができた感じですね」
――「Kikuzato」は他のどの曲よりもウチナーグチ、沖縄弁を強調した曲でもありますよね。
「ああ、たしかにそうなんですけど、俺にとっては自然なんですよ。あの曲はおばーと対話しているという設定で作っていて、おばーと話すときはああいう言葉になるんです。だから、特別に意識したわけじゃないんです。でも、沖縄の人じゃないと何を言っているか意味がわからないと思うから、あの曲のMVだけリリックの字幕を付けたんです」
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――この作品に収録された曲のいくつかはすでにリミックスや異なるヴァージョンが存在しますね。整理すると、「道-TAO-」のSoulera Remixと「Kikuzato」のPianiment Remix、「Let me Remix(feat Chico Carlito)」のオリジナルはSweet Williamとの共作『Jasmine』(2017年)に入ってます。また、「Walkin」も12インチでリリースされています。Jambo Lacquer がプロデュースした「Thanks」は、人塵製作所のコンピ『JJJunktion Pipe Vol.1』(2016年)に収録されたヴァージョンやSoundCloudにアップされた「LuvSicK(seba Blend)」がありますね。歌い直したりしている曲もありますよね? 「そうですね。『Jasmine』に入ってる〈Kikuzato〉のPianiment Remixとか歌い直していますね。同じ歌詞でもトラックが変わると違う印象になりますしね。ラップを始めた頃はドープな歌詞を90年代のヒップホップのドープなトラックでラップするってことをやっていたんです。そういうスタイルに憧れていた時もあって。でも、何かが違うなと思うようになっていった。俺のリリックの内容でドープなトラックでやると、さらに重たくなっちゃうんですよ」
――ある意味どぎつい歌詞も多いですもんね。だから、heavysick ZEROの〈Oll Korrect〉ってイベント(3月23日)のglitsmotel(HANG×唾奇)のライヴの時に唾奇くんが、「俺の不幸で踊ってくれ!」ってオーディエンスに呼び掛けたのがすごく印象的に残っていて。唾奇というラッパーの音楽を象徴するような一言だなって。
「ラップ始めた頃は沖縄の俺の周りの人間にトラックやビートを作れる人があまりいなくて、そういう時にSweet Williamさんと出会ったんです。だからWillさん(Sweet William)と出会って変わりましたね」
――Sweet Williamのメロディアスで柔らかいビート、トラックと唾奇くんのラップの相乗効果は大きいですよね。もちろんSweet Williamのトラックとだけやっているわけじゃないですけど、唾奇くんのトラック選びのセンスは肝なんだなって思います。Amebreakのインタヴューを読むと、キングギドラ の「トビスギ」がファースト・インパクトで、その流れでRIP SLYME とかLGYankees を聴いたり、894 (MIDICRONICA)のアルバムを全部買ったり、小林勝行 (神戸薔薇尻)を聴いたりしたと語っていますね。日本のヒップホップやラップ以外だとどういう音楽に影響を受けてきました? 「俺は基本的に日本の音楽ばっかり聴いてきたんですよ。レゲエやダンスホールも聴いたりしていましたけど、アニソンにはめちゃくちゃ影響されたと思います。『
荒川アンダー ザ ブリッジ 』ってアニメの主題歌の〈
ヴィーナスとジーザス 〉(
相対性理論 の
やくしまるえつこ の楽曲)とか聴いてましたね。アニソンってヒップホップもロックもポップスもなんでも入ってるんですよ。そういう中でも俺はやっぱりラップが好きでしたね。蒲鉾工場で働いていた時期があるんですけど、俺、仕事ができたんですよ。だから、ポケットにPSPを入れて耳にイヤフォンしてアニソンを聴きながら作業してたし、バイクが好きだったんですが、どこ行くときもアニソン聴いてぶっ飛ばしてましたね」
――アニソンが唾奇くんの音楽のポップさの秘訣なのかもしれないですね。唾奇くんのラップするトピックはいろいろありますけど、例えば、金の無さ、貧困や女の子とのすったもんだやセックスやハードな家庭環境を赤裸々にラップしているのに、「俺の不幸で踊ってくれ!」じゃないですけど、ライヴではみんなニコニコして本当に楽しそうじゃないですか。その光景が僕はとても新鮮で。
「俺が思うに、従来の、というか、俺が沖縄の音楽のシーンに入っていった時は強面な音楽が流行っていたんですよ。たしかにヒップホップは元々ハードな音楽だとは思うんです。でも、俺は気持ちの良い時間が好きだし、ピースなライヴをみんなでできたのが良かったと思いますね」
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――「Thanks」の「ヤリマン 糞 ヤリマン」ってリリックなんて女の子は普通ドン引きしそうだけど(笑)、ライヴを観るとそういう風に聴かせない、というか、むしろファンの男も女の子もそういうパンチラインで盛り上がったりするじゃないですか。
「愛があるからじゃないですか(笑)。そのリリックの後に、“世界一綺麗なヤリマン”っていくじゃないですか(笑)」
――ははは。パンチラインってことで言うと、「imazine feat. LEAP,HANG,Disry」の「今ならメンヘラもブランド」っていうのも唾奇というラッパーらしいと感じました。
「っていうか、今ってそういう時代じゃないですか。俺自身がそうかもしれないし。〈imazine〉は新しい機材を手に入れて溜まり場に溜まっていた時に作ったんです。誰かがビート流してリリックを書き始めたら自然と他のヤツも書き出して、それが1曲になったりするんです」
――『Jasmine』の1曲目の「South Side Ghetto」の「バカにやらすなSNSとLSD」っていうライミングとかも絶妙ですよね。
「それは今でも本当に思ってますね(笑)」
Photo By Hoshina Ogawa
――いくつかのインタヴューで「ラップはギャグ」みたいなことも発言していますね。
「クスッと笑わせたいっていうのがあるんですよね。俺は断片的に書いたリリックを組み合わせてメロディをつけたりして形にしていくんです。そういう過程でこの流れのここに、こういうパンチラインを用意しようとか考えますね。作り方としてはそうなんです。ただ、ラップはリスクを背負って歌っていることに意味があるとは思ってますね」
――「リスクを背負って歌っている」という気迫は唾奇くんのラップからも、ライヴからもすごく伝わってきました。2017年は唾奇くんにとって飛躍の年だったと思うんですけど、本作の「Let me Remix」にも参加してるCHICO CARLITO とCHOUJI と作った「一陽来復 」(2016年)は今に続く転機の1曲だそうですね。CHICO CARLITOは唾奇くんにとってどんな存在ですか? 「CHICOとはいつもずーっと一緒にいたし、離れていても今でも困ったときはまずCHICOに相談しますね。CHICOは考え方に迷いがなくて、自分の中の正解を持っているんです。持ちつ持たれつでやってきた感じですね。CHICOがいるのも俺のおかけだし、俺がいるのもCHICOのおかげだと思ってる。〈道-TAO-〉や、Willさんが昔フリーで出した『Peat Grape』(2014年)ってアルバムに入ってる〈提灯〉のMVにもCHICOはうつってますし、俺もCHICOのMVにうつってる。だから、CHICOを知ってて俺を知らないヤツはにわかだと思うし、逆に俺を知っててCHICOを知らないヤツはにわかだと思う。それぐらいの存在ですね」
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「そうですね。〈Same As〉の“一生売れないだろ、お前”ってリリックは、俺はラップで食ってく、売れてやるっていう決意の宣言で、それは地元の仲間や友達に向かっても歌っていたんです。最初一人で始めた〈HITOBASHIRA〉ってパーティで俺は初めてマイクを持ったんですけど、ホント2、3人の前でライヴしてましたから。沖縄のクラブには関係者やプレイヤーがこぞってくる“ヒップホップのイベント”はあったけど、俺はそういうんじゃなくて、一晩の間にラッパーのライヴもある“パーティ”がやりたかったんです。カワイイ女の子やイケてる男たちがいて、別にライヴを観ないで酒飲んでてもいいし、ナンパしててもいい。そういうパーティがやりたかった。だから俺は“ヒップホップのパーティ”って言ったことはなくて、“パーティ”って言ってるんです。そういうパーティに
KANDYTOWN のメンバーやNOBUさんを呼んだりして、那覇の国際通りの裏にあったG+Okinawaって箱でやった時に750人ぐらい集客したんです」
leap 「フライヤーを配るのもチャラ箱だったんですよ。そういうところに遊び来る人達を呼んでいた。プレイヤーとプレイヤーの知り合いしかいないってイベントばっかりだったから、唾奇はみんながラップを聴くきっかけを作ろうとしてた。他の人がやらないことをやってた」
Photo By Hoshina Ogawa
――そのパーティでDJはどういう音楽をかけてたんですか?
「ヒップホップだったけど、めちゃくちゃかみ砕いてたと思いますね。何が流れてたかなー。〈セロリ〉の歌を歌ってる人って誰でしたっけ?」
「そう、最後の方にはそういう音楽も流れて柔らかくなってみんな砕けていく感じですね。昔だったら、“おつかれさまです!”って知っている同士で挨拶している感じだったんですよ。それが変わっていきましたね。今は“お前どっから来たの?”ってヤツが普通に音楽を聴いて遊びに来てる」
leap 「明らかに沖縄でヘッズが増えましたね」
――今後も続けていく感じですか?
「そうですね。いつになるかはわからないですけど、フェスにするか、もっとでっかいクラブのパーティにするかを悩んでますね」
――そうなんですね。そういう話を聞くと、唾奇くんはラッパーであると同時にプロデューサー、オーガナイザー意識もあるのかなって思いました。
「現実的に一人だけではいろいろできないですけど、まず自分のことは自分でやって、遊び場も自分で作りたいというのはあります。ラップはこれからもその時その時の自分について歌っていくだけですね。変化していけばラップも変わっていくだろうし。まずは、俺の“城”を作りたいですね」
取材・文 / 二木 信(2018年4月) special thanks to hokuto