――U-zhaanさんがタブラを叩きはじめたのは?
「18歳の時でしたね。それまでインド音楽なんか興味もなかったし、タブラっていう楽器も知らなかったし……。
ビートルズの曲で使われてたから、音は聴いたことがあったはずなんですけどね。当時はジャズが好きで、ビ・バップとか古いジャズをよく聴いてました」
――それが、タブラという楽器に出会ってしまった。
「地元の川越のデパートで たまたまタブラを売ってたのを見つけて、興味本位で買って。どうせ持ってるんだから叩いてみようと思って、どういう風に叩くのか演奏している人の映像や音 源を聴いてるうちに、コレすごいカッコいいなって思ってきて。“どうしてこんな音が出るんだろう?”っていう興味のまんま、今まで続いてる感じですね」
――その好奇心を保ったまま、タブラ奏者として活躍してきたU-zhaanさんが初めてお届けするソロ名義によるアルバムですが、どんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
「ここ数年でいうと、salmonというテクノ・アーティストと一緒に“salmon cooks U-zhaan”名義で、“タブラの音だけを使い、テンポもBPM120に固定する”というかなりコンセプチュアルなアルバムを3枚ぐらいリリースしてて。今回はそういう感じとは違い、せっかくなのでタブラの多面性を見せられたらいいなと思っていました」
――U-zhaanさんがこれまでに共演してきた数々のアーティストをゲストに招いて制作されたアルバム『Tabla Rock Mountain』について訊いていければと思います。まずは「Chicken Masala Bomb」でコラボしたHIFANAとのつながりは?
「HIFANAとは90年代からの友達で、とくにJUICYの方は大学の同級生だったんです。ずっと活動を応援してくれてたし、ことあるごとに一緒にライヴもしてきたし。自分ひとりで曲を作るとしたらタブラ・ボル(註:ボル=フレーズを口伝するために、叩く場所や音色を歌うように発する手段)を入れるってことはなかったかもしれないけど、HIFANAは'それは絶対に入れたほうがいい、ボルありきで曲を考えよう'と意見してくれて。彼らが今までタブラと僕を見てきた中で、ボルはとても鮮烈な印象を残していたみたいなんですよね。それでこういう、タブラとタブラ・ボルが交錯するような曲調になりました。あと、この曲には僕の先生であるパンディット・オニンド・チャタルジーやウスタッド・ザキール・フセインの有名なフレーズとか、パンジャブ流派の特徴的なフレージングとか、インド音楽へのオマージュがたくさん込められてるんですよ」
――そうなんですか! ヒップホップのサンプリングのような感覚でインド音楽へのオマージュを織り込むというのは、HIFANAとのコラボならではのアプローチに感じますね。
「うん。誰にも伝わらないかもしれないけど、インド音楽への愛と尊敬を込めてるんです。曲の締めくくりには、20世紀を代表する伝説的なタブラ奏者アーメド・ジャン・ティラクワの美しいコンポジションを持ってきました(笑)」
――ハナレグミとのデュオで演奏された「俺の小宇宙」は、タブラをアルペジオのように叩いているのが衝撃的でした。
「ハナレグミとのデュオ・ライヴは2007年ぐらいから断続的にやってて。いろいろ試していく中で、(永積)崇くんがギターを弾かないアレンジで演奏する曲も出てきたんですよね。ライヴなのでやはりそんなには楽器を持って行けないから必要最小限の数のタブラを使ったコードワークで伴奏してたんですけど、レコーディングだったらタブラをいくらでも並べられるし、タブラでアルペジオができるんじゃないかなと思ってやってみました。1番の終わりまではタブラと声しか鳴ってないんですよ」
――レコーディングの時は、スタジオに大量にタブラが並べられた?
「14、5個は使ったんじゃないですかね。2番 からは低音の'バヤ'と呼ばれるタブラをキック代わりに入れて、ブラシでタブラを叩いたスネアみたいな音も入れることでドラムキット的な雰囲気も出してます。崇くんのギターも途中からいい感じにふわっと入ってくるんですが、基本的にはタブラメインで成立しているトラックです。今、この曲はラジオとかでかなりかけていただいてるようなんですけど、聴いた方はいったいどう思うんでしょうかね(笑)」
――いや、普通にラジオから流れてみても何の違和感もないし、むしろタブラと声だけで作った曲とも意識しないぐらい、純粋なラヴ・ソングに聴こえます。
「そういう風になるといいなと思って作ったんですけどね。歌詞は、漫画家の
久保ミツロウが書いてくれて。すげえ歌詞だなあって。のっけから“俺は 君と付き合えなくても 全然平気さ”ですからね。“リア充爆発しろ!”って思う自分が嫌いな人に聴いて欲しいそうです。ただ、後になって“ハナレグミが好きな人はリア充爆発しろって思わないという矛盾に気がついた”って言ってましたけど」
――まあ、たしかにそうかも(笑)。続くDE DE MOUSEとの「Flying Nimbus」は、テンポもかなり速くなって、ドラムンベース風な展開になるダンス・ミュージック。
「DE DEくんは、イベントで一緒になることが多い人ナンバーワンですね。僕がGOMAちゃんと演奏したり、今回アルバムにも参加してもらっているKAKATO(環ROY×鎮座DOPENESS)やmabanuaとか、いろんな人とライヴをする中で、なぜかどの現場にも対バンにDE DE MOUSEがいる時期があって。で、彼のイベントにも呼んでもらったりしていろんな話をするようになったら、音楽的にもすごく似てるものが好きだったりするのがわかってきたんですよ。それでお互いが好きな感じの、BPMが速めの曲をDE DEくんと一緒に作ってみたいな、と思ってお願いしました。この曲に関してはタブラのフレーズというか、ビートの雰囲気もDE DEくんに組んでもらったんです。だから、僕の手癖と全然関係ないビートになってるのがすごく新鮮だし、このリズムパターンをDE DEくんから学んだような感じで面白かったです」
――自分の中から出てくるビートとは、また違った扉が開いたような感じですかね。坂本龍一さんが鍵盤ハーモニカ、U-zhaanさんがホルンを演奏してYMOの「テクノポリス」をカヴァーしているのは、アルバムの中でも異彩を放ってます。 「でも、教授がクレジットされているのを見て〈テクノポリス〉をやるんだろうなって思った人も多いんじゃないかな。以前、レイ・ハラカミさんと二人で〈テクノポリス〉をよくカヴァーしてて。その後、ハラカミさんが亡くなったすぐ後に開催された〈フェスティバルFUKUSHIMA!〉というイベントで、
大友良英さんが“U-zhaanとハラカミくんがやってた〈テクノポリス〉を、教授も一緒に入れてやろうよ”って言ってくれて。教授も快諾してくれて、ライヴで演奏したんです。それ以来、教授とのライヴがあると時々思い出したように〈テクノポリス〉をやってみたりしてて。今回、せっかくだからスタジオ録音で残しておけたらいいなと思って教授に連絡しました。参加していただけて嬉しかったです」
――小山田圭吾さんとのコラボによる「Homesick in Calcutta」は、それまでの収録曲とはまた違って、ゆったりとした音響を活かしたような楽曲になっています。
「曲のタイトルは小山田さんが付けたんですけどね。カルカッタに滞在中のユザーンが日本に帰りたがってる雰囲気で作ったって。この曲については小山田さんの完全プロデュースです。小山田さんとしては、ライヴでもギターとタブラで演奏できるような形で作ろうとしてくれたそうなんですけど、ちょっと難しいかな(笑)。“このまま再現するには、タブラが何個必要なんだ?”っていうね」
――アルバムのラストに収められたのは、Babuiとagraphをゲストに招いた「Raga Mishra Kafi」。最後の最後に、ど真ん中なインド音楽が来るのも興味深い。
「インド音楽って最初に主奏者のすごく長いソロがあるんです。その後にゆったりしたパートがあって、だんだんそれが速くなっていくっていうのが基本の構成で。通常は1時間以上かけて演奏されたりするインド音楽の中で僕が大好きなのは、ゆったりしたパートがはじまったばかりの、まだ何も展開しないみたいな部分。この曲は、その部分だけをピックアップしたものですね」
――いわゆる“組曲”の第二楽章だけを切り取ったような。
「そうですね。第二楽章の一部分を少しアレンジして、それだけで完結するように構成した感じですね。インド音楽って、基本は即興音楽なんです。Raga(ラーガ)っていうのは音階や音列、旋律の動きの法則を意味する言葉なんですけど、この曲はミシュラ・カマージというラーガの枠組みに則って即興演奏してる。普通はサロードの主奏者がいてタブラがいて、あとタンプーラっていうドローンだけを鳴らし続ける楽器が入ってるんですが、今回はそのタンプーラの音を消し、agraphに作ってもらったドローンを加えて構成してます」
――あえて通常の編成にしなかった、その着想はどういうところから来てるんでしょうね?
「どうしてでしょうね。まあ、タンプーラじゃない方がこのアルバムには合うのかなと思ったんだろうな。シンセ音のドローンでインド音楽をやってみたいな、とは前から考えてはいました」
――今回のアルバムでは、タブラという楽器の音色の豊富さをいろんなカタチで感じられるのが面白いですね。いろんなスタイルの音楽にもハマっているし、楽器としての可能性も無限大にあるんだなって思い知らされるというか。
「うん。そういう感じで“タブラってこんな音が出るんだ”って発見もあるだろうし、それとは別に楽曲そのものも純粋に楽しんでもらえたらないいなって思いますね」
――こうしてソロ名義でのアルバムを完成させたことで、次の作品はこうしてみたいというような想いは芽生えていますか?
「うーん、またアルバムを 出したいっていうよりも、楽器の練習をしたいですね。こうしてレコーディングしていくと、もっとこういう叩き方ができたらとか、こういう表現ができたら もっと楽曲に違う表情が付けられるのにとか、いろんなことに気付かされるんですよね。だからひとつずつ向上していけたらと思ってて。やっぱり僕は楽器奏者 なんで、楽器がもっと上手ければ伝えられる魅力は増えるだろうし」
――先ほどの発言にもあったように、レコーディングすることで自分の手癖みたいなものとは別の扉が開いて、あらためてタブラの奏法の可能性を見出したというか。
「それは本当に思いますね。今回のアルバムに限らず、共演者の方々からの“学び”は常にあります。その学びも活かして、もっとタブラの演奏が上手くなりたいといつも思っていますよ。上手くなったほうが面白いから。常にベストの状態でいたいし、ベストを更新していったほうが人生が楽しいですよね。たとえば“去年はもうちょっと上手かったんだけどな”なんて思いながら演奏してたら、お客さんにも失礼だし、自分が楽しくないし。だから、常に練習はしてた方がいいなって思います」
――そうやって、ずっとモチベーションを保ち続けられるのもすごいと思います。
「でもタブラって、これから年を重ねていっても、たぶん大丈夫な楽器なんですよね。僕の先生は65歳ぐらいなんですけど、今もめちゃめちゃカッコいいんですよ。いつ見ても、その前に聴いたときより先に進んでいる感じがする。そうやって成長し続ける師匠の背中を見ているから、ああなりたいなって思います。いや、でもホルンとかはこれ以上は上手くならないと思うんですけど(笑)」