結成20周年を迎えた最強のパーティ・バンド、WACK WACK RHYTHM BAND!

ワック・ワック・リズム・バンド   2012/11/22掲載
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WACK WACK RHYTHM BAND
【Interview】 山下洋、WWRBの20年を振り返る!

WACK WACK RHYTHM BAND / XX CLASSICS

 1992年の結成以来、ソウル、ファンク、ジャズなど多彩な音楽を融合したハイブリッドかつモッドなサウンドでクラブ・シーンを中心に活動を続けてきたWACK WACK RHYTHM BANDブランニュー・へヴィーズからRHYMESTERまで、これまでセッションしてきた数多のミュージシャンたちを唸らせ、フロアに足を運ぶミュージック・フリークスに快哉を叫ばせ続けてきた最強のパーティ・バンドである彼らが、結成20周年を記念してベスト・アルバム『XX CLASSICS』を発表! バンドのギタリストにして顔役(かつ愛すべき毒舌家?)である山下洋に結成からこれまでを振り返ってもらった。
――WACK WACK RHYTHM BAND(以下、WWRB)を結成するまでの流れって覚えてる?
 山下洋(以下、同) 「Koi-Kちゃん(小池久美子)とか(初期メンバーの)オショウくんが中心になってインスト・バンドを作ろうってなって、徐々にメンバーが集まったんだよ」
――そのとき山下くんは学生?
 「そうだね。大学7年生ぐらいだったけど(笑)。当時はソウルとかファンクとか、いわゆるレア・グルーヴみたいなものが流行ってて、みんなそのあたりの音楽が好きだった」
――クラブ界隈の遊び仲間が集った感じ?
 「うん。完全に遊び仲間。俺は最初、オショウくんと彼の同級生と一緒にファンクのバンドやってたの。その同級生の人がプリンスが大好きで、俺はその、プリンシーな感じが好きじゃなかったんだよね(笑)。もうちょっと洒落た音楽がやりてえなと思って」
――活動初期からクラブを中心に活動してたよね。
 「当時、渋谷にあったDJ BAR INKSTICとか。クラブが中心だったね」
――90年代初頭のクラブって、バンドがライヴをやるような雰囲気ってあったっけ?
 「いや、俺らが無理矢理したんじゃない? 実際、INKSTICはそうだった。普通にドラム叩いてたから下の階から相当苦情があったと思うけど(笑)。でも俺の中では、DJがレコード回して、同じ場所でバンドがやるのは当たり前だと思ってたから。無理矢理だけど、自然な感覚でやってたと思う。あと単純に当時のライヴハウスってダサかったから、あんまやりたくなかったんだよ。マシなのって代々木チョコレートシティとか新宿JAMぐらいだったでしょ。だから当時はライヴ・システムがなくても、クラブで演奏することを優先してたんだよね、気分的に」
――結成当初はパーマネントなバンドになるっていう予感はあった?
 「ない! だって最初、バンド名が“小池&The Family Stone”だったんだから(笑)。長くやろうと思ったら、そんな名前付けないでしょ」
――ははは。資料を見ると1992年の代々木チョコレートシティが初ライヴなんだね。
 「たしか俊美さん(現TOKYO no.1 SOUL SET渡辺俊美)が誘ってくれたんじゃないかな。ラフォーレ原宿にあったセルロイドって洋服屋で、小池ちゃんと俊美さんが一緒に働いてたから」
――当時は、気の利いた音楽やってるバンドは洋服屋の店員がやってるっていうパターンが多かったよね。
 「音楽好きな人が多かったから。カッコつけでバンドやるとかじゃなくてね。俺たちも“アパレルのヤツらがカッコつけでバンドやってる”みたいにナメられちゃいけないと思ってた。そうならない自信もあったしね」
――大所帯のバンドをやるにあたってスカパラとかスカ・フレイムスの影響はあった?
 「あったあった。ああいうカッコいい先輩たちがいたから、やり方が分かったっていうところはあるかもしれない」
――大所帯のバンドって水っぽいの以外なかったもんね。
 「黒人音楽をベースにしたバンドだと、なおさら水っぽかったね。当時、“六本木系”って言ってバカにしてたんだけど(笑)。スリータックぐらいのズボンとか穿いて、ワケの分かんない髪形して、ピアスいっぱい付けたりして。今なら軽く笑えるけど、当時は本気で怒り狂ってたから」
――スタイルも重要だもんね。
 「スタイルが6割でしょ。カッコつけてるわけじゃなくて。モッズの連中が黒人のヒップな感覚に憧れて真似してとか、そういうのがカッコいいなと思ってたから」
――90年代初頭はまだポスト・パンク的なムードも残ってたし。
 「そう。だから自分たちのやってることもパンクなことだと思ってた。俺は水っぽい感じが大嫌いだったから。“ダセーンだよ大人、バーカ”とか思ってた。だからアンチな気分でやってましたよ」
――最初にバンドで合わせた曲って覚えてる?
 「最初はYOUNG HOLT UNLIMITEDの〈SOULFUL STRUT〉だと思う。ああいう感じを前面に押し出したバンドをやりたかったから」
――初めてのオリジナル曲は?
 「今回出たベスト盤の19曲目に入ってる〈EVERYTHING IS MO' BEAUTIFUL〉。でも、始めた頃は特にオリジナル曲とか作ろうと思ってなかったから。そもそも、ちゃんと演奏できるかどうかも分かんなかったし(笑)」
――WWRBで初めて楽器持ったメンバーもいた?
 「そこまでの人はいなかった。でも例えば三橋くんなんかは昔一緒にやったことのあるバンドのギタリストだったんだけど、1曲だけサックス吹いてたのを見たことあって。それを思い出して誘ったんだけど、実はそのときに吹いてたマッドネスの〈ONE STEP BEYOND〉しか吹けなかったんだと後日教えてくれて、笑ったことがあったなあ」
――あはははは!
 「〈ONE STEP BEYOND〉が吹きたくてサックス買ったみたいで。そう考えると三橋くんはすごいよ。すぐにサックス習得して今は譜面まで書けるようになってるから」
――バンドが続くなと思うようになったのは、いつぐらいの時期?
 「組んで数ヵ月で思ったよ。客の反応も良かったし。ライヴは楽しくやって客を盛り上げないと意味がないと思ってたから。マニアックになりすぎないように、たまにジェームス・ブラウンのカヴァーやったり。そういうことは意識してやってた」
――クラブ中心にライヴをやって鍛えられた部分はあった?
 「どんな状況でも演奏できる自信が付いた(笑)。モニターがないから文句言うとか、そういうクソみたいなことは絶対言わないね。偉そうなヤツとか、そういうこと平気で言うじゃん。モニターなんて、いらねえよ。あったら、むしろ感動しちゃうぐらいで(笑)」
レコーディングで訪れたロンドンのアシッド・ジャズ・スタジオにて。
――93年にロンドンのアシッドジャズ・スタジオで初レコーディングをするわけだけど、当時、一番印象深かったのは?
 「まあ〜俺たちレコーディングのことを何も分かってなかったね! それ以前に録る曲も決まってなかったし(笑)。当時、BAR-KEYSの〈KNUCKLEHEAD〉を演奏してたんだけど、向こうのスタッフに“ファンク・ヴァージョンで演奏してみて”って言われて、それをそのまま録音したり」
――言われるがまま(笑)。
 「めちゃくちゃイイ加減でしょ(笑)?」
――以前から感じてることなんだけどWWRBって、プライドを守る部分と柔軟な部分が共存してるよね。
 「あー。それはあるかも。メンバー全員、フレキシビリティはありますよ。ポップス・ファンだし。頑固親父、嫌いだし。まあまあ、そんな感じで、最初のレコーディングはなんも分かってなかった。その後、トラットリアから音源をリリースすることになって日本でレコーディングしたんだけど、そのときも分かってなかったね(笑)」
――分かってきたのはいつぐらいから?
 「その後、メンバー各自、いろんなレコーディングに呼ばれるようになって経験を積んでからじゃないかな」
――録音でこだわってたポイントは?
 「初期の頃はホーン隊以外の一発録りかな。あとクリックを使わないとか。クリックを使うと下手になるのが分かってたから。あとメンバーが多いから広い部屋で録ったほうがいいんじゃないかとか。それが良かったのか悪かったのか、いまだに分かんないんだけど(笑)」
――でも、今聴くと、勢いだけのバンドじゃないということはすごく分かる。
 「何気にアレンジとか凝ってるでしょ?」
――意外に演奏も上手いと思った(笑)。
 「あ、そう。でも、結成して1〜2年ぐらいで、自分たちのやり方はなんとなく分かったかも」
『TKミュージック・クランプ』のスタジオにて。
――ちょっと話が変わるけど、WWRBってRHYMESTERをはじめ、これまでにいろんなミュージシャンとセッションしてるでしょ? それこそ小室哲哉が司会してたフジテレビの音楽番組『TKミュージック・クランプ』では毎回、アイドルのバックで演奏したり(笑)。
 「やってたね(笑)」
――もともと他アーティストとセッションするのは好きだった?
 「好きですね。来るもの拒まずっていうところはあるかも」
――個人的にはヒップホップのアーティストと相性がいいように思うんだけど。
 「バンドを結成した頃、YOU THE ROCK★とかとよくセッションしてたね。なんて言うか、俺の中ではヒップホップもファンクだと思ってるようなところがあって。だってレア・グルーヴってヒップホップのサンプリング・ソースみたいなもんだと思ってるから。全然、違うんだけどさ(笑)。でも、そういう感覚はあるな」
――長く続けていく中で、バンドの危機みたいなものは今まであった?
 「う〜ん……ないかも。メンバー各自、いろいろあったのかもしれないけど。つーか、悩むほど真剣にやってこなかったのかな(笑)」
――はははは。それこそお店が次々潰れていったり、90年代中盤ぐらいから後半にかけて、いわゆるクラブ・ブームみたいなものが落ち着いていって。そういう状況はどんな風に感じてた?
 「ライヴで受けなくなったなっていうのは感じてた。1年半ぐらいでクラブの雰囲気がガラッと変わったね。それは肌身で感じた。INKSTICも潰れちゃったし」
――下北沢のSLITSには出てたっけ?
 「1回だけ出たことある。閉店直前に。あと、その頃から、ライヴハウスがクラブ営業を始めるようになって。出る店ないから、そういうとこでライヴしてた。ダサいよね(笑)。まあ、20年もやってるといろいろありますよ」
――20年経てば、当然、時代も変わるし。
 「60年代と80年代って、めちゃくちゃ違うからね」
――それぐらいの差は感じる?
 「感じない(あっさり)。だって俺、90年代のこと、“こないだ”って言っちゃうから(笑)。20年前の話なのに。まあ自分的には当時からあんまり感覚的に変わってないってことで(笑)」
2003年、2ndアルバム『WACK WACK RHYTHM BAND』発表時。
――これまで“サヴァイヴしてきた感”みたいなものってある?
 「ない! サヴァイヴしようと思って続けてきたバンドじゃないからね。そういう欲があったら、売れようとしてなんか変なこととかやってたかもね(笑)」
――上手い具合に休んできたから続けられたっていうのもあるのかな。
 「そうだと思う。ライヴもマイペースにやってるし。それで、たまに他のアーティストからセッションの話を貰ったり。どこか適当な感じがあったから続けてこれたのかもね。だって20年やってきて、アルバム3枚しか出てないんだから(笑)」
取材/フミ・ヤマウチ 構成/編集部(2012年10月)


【Column】 WACK WACK RHYTHM BAND、結成20周年パーティ〈XX 1992-2012〉レポート
 その日、青山CAYに集まった観客はしこたま飲んで、騒いで、踊って、明日が月曜なんてことをすっかり忘れてとびきりご機嫌な宴に酔いしれていたはずだ。

 WACK WACK RHYTHM BAND、結成20周年パーティ〈XX 1992-2012〉。

 東京のクラブ・シーンが熱気を帯びていた90年代初頭に結成され、ソウル / レア・グルーヴ / ラテンなどを洒脱でポップなセンスで聴かせてきたWWRB。ブラス・セクションを擁したバンドならではの賑やかで楽しい音楽性とステージは、ジャンルなど不問の自由で開放的な空気が横溢、彼らが20年歩みを止めずにきた理由もそこにある。「Bermuda Blowback」でキックオフしたアニヴァーサリー・ライヴは、新旧のオリジナルに加え、彼らの十八番である心憎いカヴァーも次々披露される大盤振る舞い。2008年に加入したレモン嬢が歌った「Ah So」は、和製ディーヴァとして活躍した朱里エイコの75年の曲だが、こうした日本のレア・グルーヴを発掘、再ブレイクさせたのはWWRBを始めとした90年代組の功績大。初代ヴォーカリストToshieはアレサ・フランクリンの「Rock Steady」を熱唱し、日本ではスウィング・アウト・シスターで知られる「Am I The Same Girl」を新旧メンバーと共にヤング・ホルト・アンリミテッドの「Soulful Strut」(68年)として聴かせてくれたのも嬉しかった(バンド名のWACK WACKもヤング・ホルト・トリオの同名ヒットから命名された)。

 松田“chabe”岳二がスティール・パンで参加した「Expo'73 Avenue」、「Midnight Roundabout」など彼らの持ち味が発揮された曲の次は、TVドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌にしてSHOGUNのデビュー・ヒット「男達のメロディー」。〈どうせ一度の人生さ 運が悪けりゃ死ぬだけさ〉というやや捨て鉢な歌詞がリード・ヴォーカル山下洋の生きざま(笑)とも絶妙にハマり、WACKファンの間ではとみに人気が高い。第一部は結成当時から親交の深いYOU THE ROCK★も登場、「GRAND MASTER FRESH Pt.2」などを競演し、〈スクラッチ! フレッシュ! バック・トゥー・オールド・スクール〉を連呼する観客の楽しそうな顔ときたら……。

 小西康陽の絶妙な選盤と繋ぎのDJタイムを挟み、第二部は「Quick Tailored Jam」、「CAPTAIN OLMECA」、トランペットのTomokoが歌う「Saturday Night Flying Booster」などベスト・アルバム『XXクラシックス』にも収録された人気曲を披露。今も色褪せない小粋なMODセンスに加え、グルーヴ感溢れる演奏にしばし感慨深く浸る。「最初はロンドンでレコーディング、今聴くとへたくそで恥ずかしくて聴けない」とアルトサックスのKoi-KもMCしていたが、若さにまかせてセンス勝負で突っ走っていた彼らが、20年かけて聴かせるバンドになったことはまさに継続の力。このステージにSunnyことパーカッションの野澤徹がいなかったことが悔やまれるが、2010年に逝去した彼のヤング・ソウルは今もWWRBと共に在るに違いない。再びレモン嬢の迫力ある歌声でハーヴェイ・アヴァーン・ダズンのラテン・ソウル・クラシック「Never Learned To Dance」、和製モータウン・ナンバー「Let It Go 」(with TRILETS from DREAMLETS)などご機嫌な歌ものでアゲてゆく。そしてスペシャル・ゲスト、Rhymester参上でパーティは最高潮へ。「Apache〜B-Boyイズム」から、宇多丸曰く「雑な夜遊び人たちの国歌」、「Wack Wack Rhythm Island feat. Rhymester」へと怒濤の展開。ラッパーとも共演できる懐の深さと柔軟性が彼らの真骨頂でもあると改めて納得。アンコールは、ジャクソン5の「I Want You Back」、ベスト盤のために新録したライヴの鉄板ナンバー「Ain't Got No, I Got Life」をプレイ、実質的リーダーでありマザー・オブ・WACKのKoi-Kちゃんの胴上げで締めくくった。

 東京の夜をいつだって陽気に盛り上げてくれる、ミュージック・ラヴァーのためのバンド=WWRBの底力見たり!
文/佐野郷子(Do The Monkey)
撮影:阿南充徳
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