2019年にアンジュルムを卒業した和田彩花が、ついに1stアルバム『私的礼讃』を、2021年11月23日に配信リリースした。本作は全作詞からアートワークまでを自ら手掛け、想いを共有できる距離感にこだわって作り上げたという作品だ。今作について、じっくり和田に話を聞いた。
――和田さんはアイドルの肩書きを携えてさまざまな方面で活発に動いていて、インタビューもたくさん受けていますが、その根幹となるアイドルとしての現在の活動について語る機会は意外とないのかなと思っていて。
「ないですね(笑)。ライヴしかしてないから、これで(アルバムをリリースしたことで)やっと話せるようになるのかなと思います。ライヴに来てくれているめっちゃコアなファンの人しか私のアイドルとか音楽的な部分を知らなかったわけじゃないですか。外には全然出ていない。でも、中にいてくれているファンの方たちはとても素晴らしい方たちだって本当に思いますね。私のステージを見て楽しいと思ってくれたり、応援してくれるというのはすごいことですよね」
――ソロ以降の和田さんの変化をファンの方はどう受け止めてきたのかなというのは気になるところでした。
「でも、意外とグループを辞める前から自分の意見をちょっとずつ吹き込んでいったんですよ(笑)。とくに『和田彩花のビジュルム』というラジオをずっとやってたんですけど、あれはそこまでオープンにならないものだから結構深いところまで話していて。じつはそのときからジェンダーの話もちょっとずつ出すようになっていたし、それでみなさんも免疫ができていったのかなと思ったりします。むしろそれを話して、こういうことに関心があったんだって面白がってくれてたのが不思議なくらいで。こういうことも受け入れてくれる人たちなんだなっていうのはグループにいたときから思ってました」
――受け入れてくれていたんですね。もちろん和田さんのやっている音楽も然りで。
「でも、そこは意外でした。Twitterも見てるんですけど、“あやちょの曲すごい素敵”とか”自分のタイプ”“好み”と言ってくれている人も多くて。タイプとか好みという感じで、私のことを気軽に見てくれるのが嬉しくて。“あやちょのやってることだからまた意味がわからない”とか(笑)、そういうノリで言われるのかなと思ってたんですけど、そうじゃなく、楽しんでくれるんだなというのはすごく嬉しかったです」
――僕も反応を見たんですけど、すごく好意的ですよね。
「ですよね!私もびっくりでした」
――とはいえ、和田さんが表現してきたことというのは、いつも受け手にとって想像を超えるものだったと思うんです。先日のFEVERで行なわれたライヴ〈実もの切り花 その1―東京と宮古―〉も実験的で、本を朗読する映像と音をバックに、バンド編成のライヴをしていて。ライヴ後にどうしてああいう形にしたのかを聞いたら、和田さんは「だって面白そうじゃないですか」とさらりと言ったんですけど、僕はよくこんなことを考えつくなと思いました。
「そうなんですか!?朗読は結構最初の頃から始めて、当初は青空文庫から引っ張ってきたり、自分で書いたものを読むだけだったりしたんですけど、それをちょっとずついろいろな形に落とし込んでいて。先日のライヴはその途中の段階かな、という感じですね。今までは朗読と音楽が別で、MCみたいな感じで朗読を入れてたんですよ。でもそうじゃなくて、私としてはそれを合体させたかったから、ああなりました」
――合体させた結果、手応えはいかがでした?
「めっちゃよかったです。でも、あれは自分の挑み方としてはライヴとはまた違って。〈実もの切り花〉はシリーズ化しようと思っていて、最初にコンセプトのほうが明確にあったんですよ。徳富蘆花が、宮古で育った人の人生を小説にしたもので(『寄生木』)。その主人公は27歳で亡くなったんですけど、それを知っていったときに、自分も27歳ですし、いろんな場所で生きた故人の歴史と自分の歴史と、宮古と東京と、というふうに今の自分とその場所がどう繋がるのかというのを示したくて、その小説を題材にしたんです。まずはそれを伝えないといけないなというのが前程にあったので、ライヴを伝えるというより朗読を伝えるという考えでいて。だから全面的に最初から最後まで朗読を聴かせたいと思ったんです。ライヴの合間のちょっとしたアクセントみたいな朗読じゃなくて、自分の考えとして示したい朗読のなかに、さらにライヴが入ってくるといいんじゃないかと思って」
――むしろ朗読が主だったんですね。ライヴは和田さんの頭のなかを見せる場としてスリリングだと思っているんですけど、アルバム作品を残すというのはかなり違う作業ですよね。
「たしかに。ただ、私は音源として形を残すということに関して、自分の技術でなにかできるわけじゃないので。むしろそこは全然関わってないなって感じがします。できる人に任せているので」
――それもまた極端なスタンスですよね。
「私の歌を出したいというより、私はバンドのみなさんの個性がすごい好きで、それぞれが楽しそうにしてるので、それを詰め込んだアルバムにしたいと思ったんです。アルバムにはみなさんの演奏を音源として残すというアプローチが結構入ってると思うんですけど、それがちょっとでも散りばめられていたら嬉しいなと思います」
――もともとはアルバムとしてまとめることにはそこまで興味がなかった?
「なかったです。なかったけど、ライヴを続けていくなかで、これって素敵だから、あるべき形で外に出していったほうができることも広がるんじゃないかと思って、そろそろアルバムにしましょうって山田さん(和田の所属事務所YU-Mの山田昌治代表)と話をしました。そう思えたのが嬉しいことだなと思います。多分、この2年間のライヴがなかったらそうは思えなかったのかなと」
――ようやく乗り気になったわけですね。
「はい(笑)。2年の間、自分がどう表現したいのかを探っていた状態だったから、もしその状態でアルバムを表に出したら、自分の方向性があちこちに広がっていっちゃうじゃないですか。だからもっと固まったときにと思っていたので、ようやく形が見えてきたのが大きいです。これはひとつの区切りだけど、やっと始まったなという感じです」
――最初の曲「Une idole」をYouTubeで公開してから2年経ちました。
「へー、あれからずいぶん変わったなぁ(笑)」
――でも、言っていること自体は変わってないという印象があります。
「たしかに変わってないですよね。でも、それもこの2年くらいで終わりかなという気もしてます。もちろん自分の信じるものとか考え方は変わらないと思うけど、やっとスタートの部分が形作られたと思うから、ここからはもっと違うことをやってみていいのかなと感じています」
――違うことですか。
「それも難しいんですよね。歌でなにを伝えるかって難しくないですか?私はどうしても真面目になっちゃうから似たようなものになっちゃうんですけど、じゃあ真面目じゃないものを作ろうと思ってやってもやっぱりできなくて。みんなはなに歌ってるんだろうと思って聴いてみると、自分はこんなこと歌いたくないなって思うことが多いし」
――なるほど。「Une idole」では、私はアイドルだけど偶像崇拝はないというスタンスの表明があり、その後の楽曲でも、和田さん自身の考えを強めに発信してきたと思うんです。
「そう、そればっかりだなという感じはしてます」
――2年間そうしてきたから違う描写もしてみたいな、と。
「したいです。思想みたいなものが入ってもいいけど、単純にもっと軽いものが作ってみたくて。その意味でラップは素敵だなと思うし、言葉でもうちょっと遊べるようになりたいです。そこは今後の自分の課題なんですけど。外国語ももうちょっと学びたいんですよね。学んだとしても、外の言葉と母国語の理解度は違うじゃないですか?それでも、違う言語を操ることによっていろんな人とコミュニケーションができたりとかするだろうと思うと、難しいとは思うんですけど、うまく表現に落とし込みたいんですよ」
――ラップは強いメッセージをユーモラスに響かせたりできますしね。
「そうそう。それは素敵だなと思うし、自分が合うかはわからないけど、そういう軽さはほしいなと思います」
――僕は和田さんの声や歌唱そのものは軽やかだと思っていて。
「ああ、たしかにそうですね」
――なので、歌詞の意味を深く考えずにパッと聴くと……。
「重たく聴こえないですか?」
――そうなんですよ。
「えー!じゃあそれは私の声のいいところですね(笑)」
――それに、ソロになってから歌い方も変わったのも大きいのかなと思います。
「発声を変えました。めっちゃ練習してます。グループのときはお腹で支えて、体のなかから響かせるという歌唱法だったんですけど、そうすると表現が雄弁な形になっていくじゃないですか。ひとりになってからはもうちょっとナチュラルなほうが自分に合うなと気づいて、発声法を切り替えました。それを今調整しているところです。そうすることで、そんなに深く感情を込めて歌うこともしなくなったし、むしろそれは意識的に排除していてるところもあります」
――深く感情を込め過ぎない。
「そうです。あまりに染み着いちゃってるから。今は切り替わっているときだからうまくいかないところもあるんですよね。ハーフトーンみたいな声が得意になって、そっちばかりになってるんですけど、もうちょっと張った声で歌うのも目指しているところなので、納得するのは10年後くらいだろうなと思います」
――かなりスパンで考えているんですね。
「ちょっと悔しいこともあるけど、長期的に見ていて。いつかよかったなと思えるときまで頑張ろうと思います」
――その歌唱表現もあって重たく聴こえないという話をしましたが、和田さんの書いた歌詞をよく読んだらこんなことを歌っていたのかと驚くことが何度もあって。
「それはとてもいいですね。そういう意見を言われることで気づくこともあります。歌詞のそういう部分が自分の声で解消されているというのを聞くと嬉しいです」
――これは僕個人の聴き方なのですが、歌を聴くときに歌詞の意味をそこまで深くは考えてないんです。ふとしたときに意味が入ってくる、くらいで。もちろん読み込むこともありますけど、普段はそこまで聴いたりはしないわけで。和田さんはさらっと聴き流せる軽やかな声で歌を歌っていますよね。だから、よくよく聴くとかなり意見を言ってるぞ、となるんです(笑)。
「じつは言ってます(笑)。書いていることすべてが伝わるわけではないというのは面白いですよね。〈Une idole〉でフランス語を書いたときもそう思いました。私はあのとき、フランス語で超直接的に書いたんですよ。その訳は2番に書いてあるんですけど、意外とそっちには目がいってなくて、これはなにが書いてあるんだって一生懸命読もうとしてる方もいて。普通に2番に書いてあるんだけどな、って思ったりしました。私はすべてを伝えたいんじゃなくて、伝わらないということがすごく面白かったです。外国語と日本語を混ぜてやりたいというのもそういうことで」
――そう考える和田さんこそ面白いですよね。言いたいことが伝わってないぞ、困ったな、とはならない。
「全然。むしろ、なに言ってもいいんだって思っちゃった」
――(笑)。どの歌詞も興味深いのですが、とりわけ「mama」はユニークというか、ほかに聴いたことのないお母さんソングと言いますか。お母さんが“お母さん”という役割をしていることについて歌ったもので。
「大人になってから、あるとき、私にとってお母さんはお母さんでしかなかったことに気づいたんです。お母さん以外のお母さんの姿というのかな、例えば和田○○という名前での人生が想像できないな、なにこれ?と思って。自分はお母さんのことをどう思ってるんだろうって考えたら、お母さんとしてしか見てなかったんですよ。個人の人生をどう生きてたかというのが見えてこないときに、すごくハッとしたんです。今までお母さんの時間をすべて私に使ってくれたから私はこれだけ自由でいられたけど、お母さん自身の時間ってどれだけあったんだろうって。この歌詞を書いた頃はちょうど、同世代の友達とかが出産の経験をしていくなかで、お母さんという役割にどんどん……この言い方が合っているのかわからないけど、どんどん侵略されていくというか、自分の時間がなくなってるじゃんと思って。自分のことをママと言ったりしてるけど、そうじゃなくてあなたには名前があるし、私はその名前の人生のほうがよく知ってるから、それを忘れないでいてほしいし、その人生をずっと覚えてるよというのを伝えたくて、そうしたんです」
――こうした視点を歌詞に落とし込んでいるのが和田さんの作家性だと思うのですが、歌詞の書き方は研究したりはしているのでしょうか。
「してないですね。そこは勉強したいなと思いつつ、人に詞を書きたいという気持ちはなくて、自分のためにしか歌うつもりはないから、まぁいいのかなと思ったりもします。自分は作詞家じゃないからって気持ちがあるので」
――全曲書いてはいるけれど、作詞家ではないと。
「そういう歌詞が必要だったらプロの方に任せたほうがいいと思います」
――まとまった量を書くこと自体はどうでしたか?
「話したことがあるかもしれないですけど、グループを辞めて2週間後くらいには、とりあえず歌詞書きなよという感じで5曲くらい書くことになって。それで書き始めたけど、苦もなく、むしろ楽しいなと思って書いて、気づけばずっと書いていたという感じです。言いたいことが溜まりすぎてたんでしょうね(笑)」
――どれだけ言いたいことがあったんだという。
「そうそうそう。言いたいことをさんざん書いて、はぁ、終わったという感じです(笑)。でも、生きている限りネタは生まれるじゃないですか」
――それは和田さんがそういう視点を持って生きているからだと思いますね。やっぱり創作の人なんだなと。オリジナル曲をたくさん作ってきたなかで、アルバムに入らなかった曲も気になるんです。収録の選曲基準はどんな感じだったのでしょう?
「ジャンルがバラバラなので、あまり考えずにまとめちゃうとぐちゃぐちゃで明確にならないから、このタイミングで自分の方向性を提示したいという意味で選曲しました。でも、じつはこれ、ライヴをもとに選曲していたので、ライヴ・ヴァージョンとして楽器の音でアレンジされたもので想像して並べたんです」
――音源はすべてがバンド編成の曲というわけではないですもんね。
「はい。だから、楽器の音で聴いてるのと、音源として聴くのとでは違うなというのももちろんあるので、アルバムができあがってみると意外とバラバラだったなと思います(笑)」
――想像していたのと印象が違ったから入れ替えたりした曲もあるんですか?
「ないですね。バンドのみなさんの個性が立ってくるようなのがいいなと思って選んで、結果的には全部にみなさんの楽器が入ってるわけじゃないのでいろいろな曲があるけど、まぁいいかなって」
――そのへんはおおらかなんですね(笑)。
「音のことがわからないので、それはプロに任せるしかないという感じです」
――委ねるところは思い切り委ねる。
「すごく委ねます。音の指示が一切できないんですよ。ライヴを作るときはこうしてこうしてって言えるし、反省点も自分のなかでもわかるけど、それは視覚的な部分なので。なんて言うんだろうな、私は音に対する明度が高いわけじゃないから、指示すらできないような感覚を自分で持っていて。なにもわからないので、そこは頼るしかないんです」
――アルバム収録曲の線引きはそのほかにどんなところがあったのでしょうか。
「あまりポップ・ソングに寄らず、ゆったりしていて、楽器の音も鳴って、という方向性です。こんな言い方しかできなくてごめんさない(笑)」
――ポップ・ソングに寄らないというのがまたすごいですね。
「そこが大事じゃないですか。基本中の基本ですよ」
――それは和田彩花の在り方として?
「単に好みじゃないんです。意外とIUとか聴くんですよ。でもそれはそれで、自分のやりたいこととは別なので。自分の好きなことを中心に動いていたらこうなりました」
――となると、未音源化の曲が別の機会にまとまるという可能性もなさそう?
「ないですね。自分のライヴでできる曲もあるんですけど、どうしてもできないという曲もあって。でも、そのままボツになったらもったいないじゃないですか。だから、もし後輩が使いたい曲があれば、歌詞を変えるから使ってくださいって山田さんに提案しました」
――すごい提案ですね(笑)。
「〈この気持ちの行く先〉という曲がそうなんですけど、前のグループの引き継ぎのまま作ったので、音も激しいし、ダンスありきで成り立っちゃうのが今の自分じゃないなという感じがして。一回やったら違うと思ってしまって、それから手をつけられないんです」
――ああ、摸索の段階の初期曲だから。
「はい。でも、それをやったからこそ自分のことに気づけたというのもあるので、その意味で大切な曲ではあるんですけど」
――この先もしかしたら、アプガが「この気持ちの行く先」の歌詞を変えて歌っている可能性もあると。
「そうなったら、そっち向けにアレンジをガンガンに変えていただきたいです(笑)」
――納得しました。然るべき理由があってアルバムはこういう形になっているわけですね。和田さんのほうからこういうものがほしいですとリクエストすることもあるんですか?
「それも少しあって、新しい曲の2曲はそうだったんでした。それまではやり方もバラバラで、まわりにいるみなさんの趣味も入ってると思います。今の和田さんにはこういうのがいいよって作ってくださって、それに合わせて歌詞を書くという感じです」
――ちなみにリクエストするときはどんな話をするんですか?
「どういう曲を作るかという話は、仕事のいつメンの劔(樹人)さんと山田さんのグループLINEなんですけど、私は音楽的にこれという参考はあまり出せないので、絵を出すんです。こういう方向性の曲がほしいですって」
――絵ですか。それも面白い。
「劔さんは感覚が近しいから、わかりました、OKOK、みたいになるんです。あとはちょっと言葉にして。例えば、私は会社員の方たちに紛れて通学していて、なんでみんなロボットみたいに朝から動けるんだっていつも思ってたんですよね。流れるように歩いて電車に乗っていくわけじゃないですか。みんなが走ったり早歩きをする、そういう流れのなかで、私は違うことを考えながら超ノロノロ歩いて学校や仕事場に行ったりしていて。忙しい毎日のなかで、自分のことを大切にして、好きなことを考えながら生きている自分の世界が好きだなって思うし、そういう私から見ると、まわりの人って一生懸命働いてるなって思うんです。決まったことに対してしっかりやるし。そういう人たちに少しでも隙間を作ってほしいなという願いがあるから、そんな曲を作りたいって言うんです」
――まさに「私的礼賛」ですね。具体的な状況説明をしてオファーするパターンもあるんですね。たしかに隙間は大切です。
「無理がないっていいですよね。劔さんはいつも集合時間を30分くらい過ぎて来るんですよ。私は15分前に着くようには家を出るんですけど、みなさんの生き方を見ていて、自分はちょっと早いのかなと思うようになりました」
――それはミュージシャンがルーズというだけの話の気もします(笑)。
「もちろんしっかりしてる方もいるんですけど、好きなように生きてる方も多いから。そういう人たちを見ながら楽しんでるんです。こういう自分もいいよな、無理がないっていいよなって」
――無理がないとかその人らしくというのは和田さんが掲げているテーマのひとつではありますよね。
「やっぱり会社員時代は自分の性格からすると無理がありすぎて。だから余計にそういうことを大切にしたいというのがあるんだと思います」
――“会社員時代”という表現がまた和田さんらしいと言いますか。
「だって、集合時間に行くだけで精神をすり減らすのっておかしくないですか?みんながみんな早くなってわけわからなくなって、なぜか競っちゃって、結局は15分前でもちょっと遅いかなくらいになってきて」
――どんどん早くなるという(笑)。
「そうそう。ギリギリになっちゃうと私がみんなの顔をうかがっちゃったり(笑)。そういうのは疲れますよね」
――ともかくですが(笑)、アルバムは音の部分を聴いてほしいという思いが強いんですよね。そのことについても聞いておきたいなと。
「私はみんなで一緒にすることが好きで。グループにいるときもそうでしたけど、自分の場合はその人の面白いところを見つけて、その人が輝いているっていうなかで一緒にやるのが超好きなんですよ。バンドのみなさんは経験をかなり積まれていて、ピカピカの個性ができあがってるわけじゃないですか。しかも、その個性も超バラバラの人が集まっているので、楽しんでる姿もバラバラだし、それを見てるのが楽しくて。私はそういう個性をうまく採り入れながらひとつの形にしたいと思っているんです」
――だから曲のなかでもしっかり演奏を聴かせるパートが多くあったりして、歌だけが主役ではないというのがハッキリとわかりますよね。
「いいですよね。演奏の箇所を長くするとかは私からそんなに指示してないんですけど、〈私的礼賛〉だったらそもそも参考にしたものが歌メインじゃなかったので、最初からそのつもりでみなさん作っていったんだと思います。今は〈私的礼賛〉みたいに楽器の音が中心にできていて、あまり電子音が入ってない感じのものをもうちょっと作りたいなと思っています。歌詞じゃなくて、私の声を音として使って重ねていくようなものを作ってみたいですね」
――声を使うという点で耳を引いたのは「目の前で木の葉が落ちた」や「こだわりの紅」、「紙をめくる」といった朗読やコラージュの曲でした。
「少し前に資生堂の媒体で絵を描いている方と動画を一緒に作ったんですけど(『花椿』掲載の田中麻記子によるアニメーション・コラム『えぴきゅりあん通信』)、オータケ(コーハン)さんと音をやったんですね。そこからオータケさんといろいろ作り始めました。アルバムはもともと自分の朗読を入れようと思っていたんですけど、じゃあオータケさんと一緒に、と思ってできた感じです」
――最初はコラージュっぽいものにしようとは考えていなかった。
「考えてないけど、今後できる方向性としては挙がってました。それは宙ぶらりんのままで手をつけてなかったんですけど。この機会にやったという感じです」
――これはライヴではなく録音だからこそできる表現だと思うんです。だからアルバムに入る意義も大きいと思っていて。
「たしかにそうですよね。オータケさんの使う機材は結構古いものが多くて。カセットテープを渡されて、いろいろ録ってきてと言われて。それからカセットをずっと借りていて、自分でも朗読を録ったりしてます。それをデータにして使ったりして楽しんでます」
――こうしたアプローチはブリジット・フォンテーヌを参考にした部分もあるのかなと。
「参考曲には入ってないんですけど、ブリジット・フォンテーヌはオータケさんから教えてもらって聴き始めて、面白いなと思いました。今回のアルバムはあそこまでいけなかったですし、私がやるならちょっと違うかなって感じはしますね」
――アルバム全体の仕上がりとしてはどうでしょうか。
「いいなと思ってよく聴いてます。やっぱりそれも自分の歌だけが主役じゃないからだと思います」
――歌も楽器も並列にあるから。
「はい。もしそうじゃなかったら、好きな曲にはなってなかったかもしれないです」
――和田さんの面白いところが、アルバムを聴いた人が興味を持ってライヴを見に行ったら、想像していたものと全然違うことをやるという可能性もあるところで。
「ふふ(笑)。でも、今までは世界観を作り込んでやってきたから、そんなに作らずにのんびりしたものもやりたいんです。みんなでお喋りしながらやろうかなって」
――ガチガチにコンセプチュアルじゃないものもいいですね。
「ライヴやるとなるとどうしてもそればっかり考えちゃうんですよね。前回までにやったことを踏まえると、次にやりたいことが出てきちゃうじゃないですか。だからどんどんそれが続いていっちゃうんだけど、そうじゃなくて、次こそは普通のライヴをやってみようと思ってます(笑)」
――そろそろ締めの時間になります。今後の作品などは考えていますか?
「なにも考えてないです」
山田「『私的礼賛』のライヴ・アルバムは考えていて」
「……それはいいかな」
――えー(笑)。でも、バンド・サウンドを聴いてほしいという気持ちはあるんですよね。
「たしかに。でもライヴの音だったらライヴに来て聴けばよくないですか?」
山田「ライヴで聴くのとライヴ音源はまた別じゃん」
「……ですよねぇ(笑)。私、意外と考えが古いところがあって。アルバムの先行配信をやるってことでもなぜか揉めたんですよ。私は“そんなの出さなくていい!”って言っていて、山田さんは“どうして?”って。アルバムは通して聴いてほしいんですよ。でも、今どきは通して聴く人なんていないよっていう意見も聞いて、ハッとするんです。もしそうなら、配信じゃなくてモノとして作るほうがいいんじゃないと言われたりして」
山田「CDはサステナブルじゃないからやめようって和田の意見から始まってるのに、じゃあやっぱり形にしないとダメだねって話に戻ってきてて(笑)。おれはどっちでもいいよって言ってるんですけど」
――CDもありだと思いますよ。美術展の図録とかも嬉しいじゃないですか。パッケージを作るのも楽しいですし。
「透明のケースだけじゃないですもんね。ものを持ちたいという気持ちもわかりますし……考えておきます」
――思うに、アイドルは“CD=複数枚買い”みたいなイメージが強いからフィジカルで出したくないのかなと。それも最近は徐々に変わってきているのかなと思いますけど。
「変わってきてるんだ。私の場合は染み付いちゃってますからね。思うんですけど、コロナがあってよかったことは、習慣みたいなことがリセットされたことですよね。これは無駄だった、これは大事だったというのがわかったのがよかった。ぎゅうぎゅうで座ったりだとかが減って、ゆったりしてるのはいいなと思ってます。今日、聞きたかったことは聞けましたか?」
――では少しだけ。アルバムのアートワークは和田さんなんですよね。
「アートワークと言われるとわけわかんないですけど、私は撮りたいというイメージを伝えただけなんです」
――でも、そのイメージがないとジャケットは生まれてこないわけで。きっと和田さんは「和田彩花が手掛けました!」みたいに言われるのに違和感があるということなんですよね。アルバムもみんなが作ったものだから、という思いが強いですし。その流れで最後に聞きますが、和田彩花とオムニバスというバンド名はどうして付けたのでしょうか。
「お風呂から出て、布団の上に乗った瞬間にパッと思い浮かんだんです。それまでどうしようってずっと悩んでいたんですけど、急に。それでオムニバスって言葉が思いついてから意味を調べ直したんです。オムニバス作品とかオムニバス映画って言われたりするけれど、それぞれ独立した作品をまとめたものがオムニバスになるわけじゃないですか。独立した作品は私からすれば演奏しているみなさんのことで、みなさんの築き上げてきた歴史があって成り立っているのが今の私たちの表現なんです。これだけアレンジをやってもらっているから単純にサポート・メンバーというのとは区別したかったのと、それぞれがそのままで成り立っているということを表現したくて、オムニバスにしました」
――その話を聞いて、ますますライヴ・アルバムが聴きたくなりました(笑)。本日はありがとうございました。
取材・文/南波一海
撮影/斎藤大嗣