1月に末期癌を公表した
ウィルコ・ジョンソン。その直後、日本で
鮎川 誠らとセッション・ライヴを行なったことも記憶に新しいウィルコが3月にイギリスで“Farewell Tour”を行なった。
“Farewell Tour”(さよならツアー)、バンド解散などの最後のツアーという時によく聞くツアー名だが、今回の“Farewell”は意味の深さが違う。長くない余命を知ったウィルコがファンに“さよなら”を告げるツアー。化学療法を断り、最後まで自力でライヴをすると決断したウィルコ。
ニール・ヤングの有名な歌詞「It's better to burn out than to fade away(消えて忘れられるより、燃え尽きる方がいい)」でたとえるなら、ウィルコは“燃え尽きる”ほうを選んだのだ。
3月のイギリス、ラジオからは10年ぶりの新譜で注目される
デヴィッド・ボウイが頻繁に流れる。そういえば、ボウイとウィルコは同じ1947年生まれ。1月8日、自身の誕生日に新曲を発表したボウイと、その2日後の1月10日に癌を公表したウィルコ。再起を祝われる前者と最期を告げられた後者。両者のファンである者にとっては複雑な心境だ。
Viv Albertine / Eight Rounds Rapid
3月10日のロンドン公演、キャパ1,500人の会場はソールドアウトとなった。フロントアクトは2組。まず元
スリッツのヴィヴ・アルバータイン。上品なオバサマになった印象だが、若者4人をバックに従えた硬派な演奏は、本格的な音楽活動の再開を証明した。続く4人組はEight Rounds Rapid。ギターはウィルコの息子サイモン・ジョンソン。見事に父譲りの演奏で、
リー・ブリロー似のヴォーカルに寄り付くサイモンは、リーとウィルコの姿を思い出させる。父と同じくピックを使わず指で弾き、ギターとアンプをつないでいるのはウィルコ名物の赤いカール・コード。聞いた話では、指のケガを治療する術も父から教わったらしい。ウィルコのギターのピックガードが“赤い”理由は、指から飛び散る血を目立たなくするためとはファンには有名な話だが、ライヴ後半、サイモンが“白い”ガードに血が飛び散ってもなお弾き続ける姿は出来すぎた見せ場だった。
そして、いよいよステージに黒ずくめ3人組が登場。
ノーマン(b)、ディラン(ds)とともに現れたウィルコは、息子が使ったままの赤いコードをギターに突き刺し、「Down by the Jetty」でライヴがスタート。ちなみにディランはバスドラを入れ替えず、eight rounds rapidのロゴ入りを引き続き使用。この日は多数のカメラが入り写真や映像に残る。ここで息子のバンド名を露出しておくのは、もしや父の心遣いか?
恒例のマシンガン・ギター、眼を剥き出して走り回る姿、まさにUKロックの伝統の技。観客からは「よっ! 待ってました!」と言わんばかりの歓声が起きる。中盤に旧友スリムがアコーディオンで参加した以外は、良い意味で今までと何も変わらない“いつものウィルコ”だ。ただ、
ドクター・フィールグッド時代に作ったナンバーで最愛の妻アイリーン(9年前に癌で亡くしている)の事を歌った「Paradise」で、いつも以上に声を張り上げた「アイリーン!」というウィルコの叫びには、聴いている側も胸に込上げるものがあった。「アイリーンにもうすぐ会える」、そういう気持ちからの叫びだったと思わずにはいられない。
本編最後は恒例の「Back in the Night」から「She Does It Right」のメドレー。一時ステージを去っても、アンコールを求める客席からの拍手は鳴り止まない。皆、次の曲が何かを知っている。これを聴かずにウィルコのライヴは終わらない。アンコールはもちろん
チャック・ベリーの「Bye Bye Johnny」。今までにも歌ってきた「バイバイ、また次のライヴで会おう」とは想いが違う。本当の「バイバイ」だ。全観客がステージに手を振る光景は皆、生涯忘れないものになっただろう。
バイバイ、ウィルコ。ありがとう、ウィルコ。