2014年『ドン・カルロ』の題名役、2015年『リゴレット』のマントヴァ公爵役と、二期会のオペラ公演で続けざまに(しかも異なるキャラクターの)主役に抜擢されるなど、赤丸急上昇中の新星テノール・
山本耕平 が、11月25日、2枚目のCD
『君なんか もう』 をリリース。現在はイタリア研修中でマントヴァに住む。ニュー・アルバムも、カンツォーネやイタリアン・ポップスを含む、イタリアの歌曲にフォーカスした選曲だ。
――オール・イタリアン・レパートリー。それも歌曲ばかりを集めたアルバムです。
「イタリアものなのにオペラ・アリアを入れなかったのは、今、自分のスタイルがすごく変わっている最中だからです。声が少し明るくなってきていて、
1枚目のアルバム と比べると、自分の中では1年分、まったく違うスタイルで臨んでいるんですね。その変化の先はまだ自分でも見えていません。明るすぎて(笑)。アリアはまたその時に。今回は歌曲をいかに音楽性豊かに聴かせられるかというテーマに絞りました。ちょっと大人に、スマートに(笑)。将来振り返ってみたときに、1枚目、2枚目、そしてその先と、僕の変化の道筋をはっきりと感じてもらえるアルバムになったと思います」
――前作のタイトル曲だった「ミ・マンキ」を再び、今度は自作の日本語訳詞で入れているのは面白い試みですね。
「1枚目の時にも日本語版もやりたいよねという話が出ていたんです。音楽の印象だけでも素敵な曲なので、うまく日本語に変えてさらに言葉も伝えられればと。でも、原詞に忠実に訳すことと、音としての言葉の強さとを両立するのは難しくて、作詞家の
前田たかひろ 先生のお力を借りて、僕の書いた言葉のニュアンスを生かしつつ、たくさんの提案をいただきました」
――1960年代のイタリアン・ポップスや、古典はロッシーニ まで幅広い選曲です。 「イタリアン・ポップスは、今回のリリックな歌い方と親和性が高いと思いました。往年の名曲の数々を、マニアの友だちと夜な夜な聴いて選んだのが〈愛の別れ(Non pensare a me)〉(ショリーリ)で、“僕のことは気にしないで”という歌詞なんです。それを〈忘れな草(Non ti scordar di me)〉(
デ・クルティス )と並べたのは、〈忘れな草〉が“私を忘れないで”、〈愛の別れ〉が“私を忘れてください”。反対の意味で、でも両方とも“まだ愛してます”という歌だから。タイトル曲の〈君なんか もう Non t'amo più〉(
トスティ )もそうなんです。“君なんかもう愛さない”なんですけど、やっぱりまだ未練がある。1stアルバムの〈ミ・マンキ〉(あなたを失って寂しい)と、逆の言い方だけれど同じように失恋を歌っているわけです。
ドナウディ の〈ああ愛する人の O del mio amato ben〉は、17歳の時に声楽を始めて最初に歌った曲、
プッチーニ の〈亡き人に Ad una morta〉は2009年の〈日伊声楽コンコルソ〉で歌曲賞をいただいた曲です」
――イタリアづくしの中に日本の作品も2曲。
「〈千の風になって〉は、タイトルを見て、“あ、聴いてみようかな”と思ってほしいという気持ちで入れました。平川加恵さんの編曲で、ほかの歌曲の芸術性とも違和感のないものになったと思います。平川さんは〈小さな空〉(
武満 徹 )でも、とても繊細なアレンジをしてくれました。最後がすごく薄い音で書いてある。声の響くポジションを保ちつつ、ここまで薄く発声するテクニックをこれまでの僕は持っていなかったので、今回初めてのチャレンジになりました」
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――歌のキャリアを、バリトンからスタートしたそうですね。
「もともと吹奏楽部で、学校の先生になりたくて、クラリネット専攻で
東京学芸大学 を受験しました。その受験準備で、高校2年の時にソルフェージュの一環として声楽を勉強し始めたのがきっかけです。高校生のコンクールに出場したら、クラリネットと声楽の両方で県の1位になった。いまだに破られてない記録です。今から考えたらひどい歌でしたけどね(大笑)。でも、いざ学芸大学に入ってみたら、もっとどっぷり音楽に浸かりたくなり、東京藝術大学受験を決心しました。声楽科を選んだのは、クラリネットでは無理だったから(笑)。学芸大学の副科で取った、声楽のグループ・レッスンだけで受験したんです。だから声種にもこだわりがなくて、バス専攻(バリトン)で受験。バリトンのほうが倍率が高いのですが、当時の僕にとっては、無理に高い音を出さずにすむことのほうが都合がよかったのです。でもやはり本来の声域はバリトンではなく、大学3年の時にテノールに転向しました」
――テノールに転向して、声域面での苦労はなかったですか?
「単発で高い音を出すことはできても、ずっとそれを持続するのが難しいと痛感しました。2006年からテノールに変わったので、そろそろ10年。いまだに悩み続けています。もっとずっと早く簡単になっているはずだったんですけど。もちろん悩みのレベルや中身は変わってきていて、今は、高さや声種のことよりも、声の表現を深めていくことでぶつかる壁を感じることのほうが多いですね」
――豊かな声質のテノールは、とくに日本では貴重です。低い声も出るということは普通より声帯が長いのでしょうか?
「喉のお医者さんに診ていただいたら、長さは普通だと言われました。音色は筋肉とか骨格とか首の太さの具合で変わってくるそうです。本来正しい発声法で声の可能性を最大に引き出すことができれば、声は下から上の音域までシームレスに豊かに出てくるはずです。中低音も声が痩せないことは自分の武器ではありますが、自分の本来の声の特性は、けっして重く低くはなく、もっと軽やかで高音域を必要とするレパートリーに適しているだろうと思っています。 そうすると、高いドを超える音や、アジリタ(※おもに高音域の軽快で細かく速い動き)が出てくる。パワフルさと軽さは、本来兼ね備えていなければならないと思うのです。アジリタがうまくいかない、回らないというのは、発声に何らかの問題があるということです。今はまず、ヴェッキア・マニエーラ、イタリアの古き良きマニュアルを実践しなければ、自分のやりたいことの先には行けないと考えています。要は、技術が伴わないと潰れてしまいますから」
――今後歌いたい、演じたいオペラは?
「たくさんあります。目下、すぐやりたいと思っているのは『愛の妙薬』(
ドニゼッティ )です。あと、役柄的として演じてみたいのは『セビリャの理髪師』(
ロッシーニ )とか。悲劇のほうが好きなんですけど、ああいう陽気な明るい役もやりたいなと思っています。そして声がもっともっと自由になってくれば、『チェネレントラ』(ロッシーニ)なども。そうなると、1枚目のCDのテノールからは、すごく遠いキャラクターですね」
――現時点での理想のテノール歌手を教えてください。
「
ホセ・カレーラス が好きなんです。憧れる歌手ですね。声の色づかいとか、言葉をすごくよく読み込んだアプローチとか。自分とレパートリーは違っても、聴衆を魅了する、あの色を僕も出したい。聴いていると気持ちも共鳴しますから、そういう意味では、あまり聴かないようにしないと、つい真似してしまうんです。トスティなんかね、意識しないのにコピーになっちゃうんですよ。それぐらい好きです」
――イタリアでの研修はいつまで?
「次の春までの予定だったのですが、じつは3月から文化庁の新進芸術家海外研修制度で、さらに2年、マントヴァに滞在することが決まっています。その間、日本での演奏機会が十分には持てないかもしれませんが、そのぶんぜひCDを聴いていただいて。11月1日に31歳になって、勉強の時間が得られるのもそろそろ最後。十分に準備をして、息の長いテノールになりたいと思っています」