ニューヨークを拠点に世界で活躍するジャズ・ピアニスト。近年は名門レーベル、ブルーノート・レコードからコンスタントにアルバム・リリースを続けている彼女が、80周年を迎えた同レーベルを記念する最新作『
プリマ・デル・トラモント』を発表。20世紀に生まれた名曲のカヴァーに加えて、鮮烈なオリジナル楽曲も収録。さらに本作は、骨形成不全症という先天的障害を背負いながら、フランス最高のジャズ・ピアニストと評価された
ミシェル・ペトルチアーニの没後20年もトリビュートした内容になっている。
――ミシェル・ペトルチアーニが36歳の若さで亡くなってから、もう20年になります。
「1999年にラジオのニュースで訃報を聴いてショックを受けたのを、ついこの間のことのように憶えています。私が最初に好きになったピアニストと言っても過言ではないほど、強い思い入れがある。2012年には日本でもその生涯を描いたドキュメンタリー映画『情熱のピアニズム』が公開されましたね。彼自身の言葉に“自分は音楽が好きだったけれど、音楽も自分のことを愛してくれた”というのがあって、まさにそういう人生だったと思います。フランス人として初めてブルーノートと契約したピアニストということもあり、やはりブルーノート時代の作品は素晴らしい。欧州でのライヴでは何度も作品を演奏してきましたが、いつかアルバムでとりあげて日本でも演奏したいとずっと思い続けていたので、今回、アニヴァーサリーであり節目の年にそれを実現することができて嬉しいです」
――彼のピアノのどういったところに惹かれたのですか?
「彼は本物のクリエイティヴなインプロヴァイザー。ペトルチアーニがアドリブをとると、もともとのテーマを超えるような磨き抜かれたメロディがつきることなくどんどん湧き上がってきて、フェイクとかそういう次元を超越して、音楽の世界を拡げることができる。それは全ジャズ・ミュージシャンの中でもトップ・レベルです。そして、演奏の面では技巧的でありながら指がすごく強靱。ジャズのピアノ・タッチって、たとえばハンク・ジョーンズのような軽妙さも魅力ですが、ペトルチアーニはそれとはまったく逆で、鍵盤の底までしっかり押す重厚なスタイル。なので、クラシックからジャズに転向した私にもすごく親近感があって、それで好きになったのかも。シンプルなダイアトニック・スケール(全音階)で、饒舌にアドリブをとれるところも素敵。あんなふうに旋律を紡げたらいいなって、憧れの存在でした」
――「ルッキング・アップ」はペトルチアーニが書いた曲ですね(1989年にブルーノートからリリースされたアルバム『
MUSIC』に収録)。
「明るくて色彩豊かで、メロディも大好き。自分で演奏するとあらためて彼のすごさ、深みと高みを実感できました。難解な部分もある曲ですが、気心の知れたヨシ・ワキ(b)&ジョン・デイビス(ds)のリズム・セクション(ニューヨークのレギュラー・トリオ)で録音することができて満足です。また、ドラマーのアルド・ロマーノが書いた〈パゾリーニ〉も、ペトルチアーニはブルーノート時代以前のアルバム『
エスターテ』(1982年)でとりあげていますし、レイ・ノーブルが書いた名スタンダード・ナンバー〈チェロキー〉では、まるでピアノの腕試しのようなペトルチアーニのアレンジを再現してみました。ちなみに、〈パゾリーニ〉は作曲者自身がビッグバンドで演奏しているのをパリで聴いたこともあります。今回のアルバムには、私の好きな、爽やかで清々しい、ジャズのキラキラした魅力を皆さんに伝えられるような楽曲をたくさん詰め込みました」
――ニューヨーク・レギュラー・トリオによる演奏で、山中さんの書いたオリジナル曲もたっぷり収録されています。
「1曲目〈ジェンナリーノ〉は、もともと趣味でピアノを弾く姪っ子のために書いた曲ですが、タイトルの“小さな守り神”という意味にはペトルチアーニへの想いも込め、疾走感のあるグルーヴを取り入れています。メロディックな4曲目の〈ネヴァー〉も彼へのオマージュをベースにしつつ、ハーモニー重視の演奏で……なかなか納得できなくて、何テイクも録音することになっていまいましたが(笑)。少し土臭い感じの3曲目〈シンキング・オブ・ユー〉はファンクのグルーヴを基本に、ほとんど譜面のない状態から20世紀モダン・ジャズのアドリブに特化したプレイを楽しんでレコーディングしました」
――また、本作ではロバート・グラスパー・トリオのリズム・セクションであるヴィセンテ・アーチャー(b)&ダミオン・リード(ds)ともトリオを組み、ウディ・ショウの〈スイート・ラヴ・オブ・マイン〉やソニー・クラークの〈ブルー・マイナー〉といったブルーノートの名曲に挑んでいるのも聴きどころですね。
「2人とも親しい友だちですが、超多忙なのでレコーディングが実現して本当によかった。和気藹々とした雰囲気ながら、いろいろと刺激をもらうセッションになった気がします。ソニー・クラークの代表作『
クール・ストラッティン』(1958年)はもちろん愛聴盤ですが、いざ自分でファンキーな〈ブルー・マイナー〉を演奏するとなるとワクワクしました。〈スイート・ラヴ・オブ・マイン〉もジャッキー・マクリーン(as)のアルバム『
デモンズ・ダンス』(1967年)の印象が鮮烈なので、キーボードにディストーションをかけて、管楽器っぽい味わいを出してみました。それと、この2人とは、2000年代以前のブルーノートへの敬意を込めてフリー・ジャスを一緒にやってみたくて、ちょうど生誕120年にあたる巨匠デューク・エリントンの名曲にチャレンジ。皆さんが〈ソリチュード〜C・ジャム・ブルーズ〉のインプロヴィゼーションを楽しんでいただけますように」
――ラストを飾るアルバム・タイトル曲〈プリマ・デル・トラモント〉(オリジナル曲)はユニークな構造をしていますね。2つのトリオの録音を組み合わせたものだとか?
「イタリア語の“Prima Del Tramonto”は英語に訳すと“Before Sunset”ですが、欧州ツアーの際に立ち寄った教会で教えていただいた“日が沈む前に自分自身や他人と和解して気持ちを整え、新しい気持ちで明日を迎えましょう”という意味を込めました。夕陽を見るのが大好きなので、いろんな場所で夕暮れを迎えている自分をイメージして、それぞれのリズム・セクションと即興で数テイク録り、それを後で組み立てたものです。ちょっと不思議な雰囲気に仕上がっていますが、私自身もムーンチャイルドとかハイエイタス・カイヨーテのようなバンドが大好きで、ああいう世界観が出せたらいいなあと思って。今の時代、ジャズにも変化球が必要ですから!」
――CDのパッケージも素敵。今回、通常盤のほかに初回限定盤もあって、そちらはDVD付きです。
「今回、私のエッセイ集『
ジャズのある風景』(晶文社)の表紙も担当していただいた、フォトグラファーの常盤響さんにジャケット写真をお願いしました。女性を撮るのに定評がある方だけに、ブルーノートのブルーを身にまとった、ちょっぴり大胆なパッケージが出来上がり、自分でも気に入っています。DVDには〈スイート・ラヴ・オブ・マイン〉と〈チェロキー〉の別ヴァージョンが収められているほか、アルバム未収録の〈クッチョロ〉も……“子犬”という意味ですが、ドラムのダミオンが“この曲にはもう少しムードがほしい”と言うので、照明を暗くして大人の雰囲気で撮影しました(笑)、ご期待ください」
――7月には、スペインの〈サン・セバスティアン国際ジャズ・フェスティバル〉への出演も決まりましたね。
「はい、すごく楽しみにしています。今回のアルバムは、これをリリースしないと前に進めないと自分でも思っていたほど待ち望んでいたものでした。本来、レコーディングは大好きなのですが、周りのスタッフや共演ミュージシャンにも恵まれ、とても私らしい内容になったことに感謝したい。まるで原点に戻ったみたいに、澤野工房さんからデビューした当時の新鮮な気持ちが甦った気がします。たくさんの皆さんの耳に届きますように!」
――では、お身体に気をつけて、頑張ってください。
「ありがとうございます。アルバム制作中は土井善晴先生のレシピで、海老の水餃子を作ってそればかり食べていました(笑)。今は、土井先生のメニューが私の元気の源かもしれません」
取材・文/東端哲也
■〈八王子音楽祭2019〜Shall We JAZZ?〜〉
東京交響楽団 第5回八王子定期演奏会
〜オーケストラ plays JAZZ〜
出演: 原田慶太楼指揮東京交響楽団
ゲスト: 山中千尋トリオ
[ 山中千尋(p), 山本裕之(b), 橋本現輝(ds) ]
2019年9月28日(土)
東京 八王子 オリンパスホール八王子:ホール
開場 13:15 / 開演 14:00
一般 S席 6,000円 / A席 5,000円 / B席 4,000円(すべて税込)
※お問い合わせ:
(公財)八王子市学園都市文化ふれあい財団 042-621-3005