ニューヨークを拠点に世界を駆け抜ける、日本が誇るジャズ・ピアニスト。最新アルバム『Dolce Vita』は、今年3月に89歳で亡くなったサックスの偉人にしてコンポーザーのウェイン・ショーターと、同じく3月に71歳で逝去した坂本龍一の二人に捧げられたトリビュート作品だ。
――『Dolce Vita』と聞くと反射的に“甘い生活”と訳してしまいます!
「フェデリコ・フェリーニ監督によるイタリア映画(1960年公開)のイメージが強すぎるのですが、英語だと“Beautiful Life”というニュアンスに近いかもしれません。ウェイン・ショーターや坂本龍一がいてくれたおかげで、彼らの音楽(作品や演奏)が自分を含めどれほど多くの人々の人生を、豊かで甘美なものにしてくれたんだろうって。そして、その生き方も美しい。ウェイン・ショーターにはミャンマー民主化運動の女性指導者アウンサンスーチーに捧げた素晴らしい楽曲があったし、坂本龍一さんもノー・ニュークス(原子力発電所建設反対運動)のメッセージや神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を都知事らに書くなど、お二人とも社会問題への関心も高く、人間へのやさしいまなざしと深い愛情にあふれた人物だったと思うのです。そのまま『Beautiful Life』でも良かったのですが、言葉として使い古されていることと、『Dolce Vita』にある“お菓子”のかわいらしさにも惹かれて、このタイトルに決めました」
――しんみりとした“追悼盤”でないことは冒頭を飾る二つのオリジナル曲からもわかります。疾走感あふれるタイトル・チューン「Dolce Vita」は熱量にあふれていてじつにポジティヴ。二人に共通したラスト・ネームを盛り込んだ「To S.」もメインはストレート・アヘッドな4ビートだけど開放感もある爽快なナンバーですね。
「私が二人の音楽に出会ったのはちょうど同じ頃でした。ウェイン・ショーターはミステリアスで掴みどころのない不思議な演奏ですが、じつはすごいエネルギーを放出しているのを感じたし、坂本龍一さんもサウンドはシンプルで削ぎ落とされてはいるけれど、音楽に対する造詣が深く一音一音が熱い。その“熱量”を起爆剤のように焚き付けてもらって、私自身も前へ前へとロケットが飛ぶように進んで行くんだという気持ちで弾きました。途中にはそれぞれ、ウェイン・ショーター独自の転調や坂本龍一さんらしい旋律、お二人の好きだったコード進行などもオマージュとして取り入れました。とくに〈Dolce Vita〉はこれまでライヴでもいっぱい弾いた曲。もう会えないのは悲しいけれど、少しでもお二人の存在に近づきたくてついつい前のめりな曲になってしまいしました」
――ウェイン・ショーターとは実際に対面した経験があるとか。
「はい! イタリアで開催されている“ウンブリア・ジャズ・フェスティヴァル”で2011年に彼がハービー・ハンコック(p)、マーカス・ミラー(b)のバンドでマイルスへのトリビュート演奏をしたとき、私のトリオがオープニング・アクトを務めました。衝撃的だったのは、すごく綿密にリハーサルをされていたのにも関わらず本番ではまったく違った演奏だったこと。お客さんの反応とかその場の雰囲気にすぐさま反応して、パワフルかつ繊細なプレイで野外会場のオーディエンスを沸かせていて、本当に素晴らしかった。バックヤードで少しだけお話することもできて、私が“そのインスピレーションの源はどこから来るのですか、もしかして宇宙から?”って訊いたら“いい質問だ。ちょっとよく考えてみるからあとで……”って言ってくれたのに結局、その答えを伺えずじまいになってしまった(笑)。でもおざなりな対応ではなく真摯に向き合ってくださって、それだけでうれしかったし最高の想い出です!」
――そんな入念に、リハをされる方なのですね。
「自分の目指す音楽を忠実に描き出したいのでしょう。かつてウェイン・ショーターのバンドでドラマーだったテリ・リン・キャリントンのバンドで彼のオリジナル曲を弾いたとき、〈マスカレロ〉や〈ザ・スリー・マリアズ〉は直筆の楽譜を使ったのですが、あんなに自由で予測のつかない音楽が、まるでクラシックのようにひとつひとつ音符で表されていて、非常に細かく指示が書き込まれていたのを見て吃驚しました。しかも画家志望だっただけに絵心があって、眺めているだけで楽しい楽譜でした」
――本盤の全14曲中10曲がウェイン・ショーター作品で占められていますが、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズからマイルス・デイヴィスのバンド、60年代のブルーノートから発表した60年代のリーダー作、ウェザー・リポート、80年代以降のコロンビアやヴァーヴ期……と、多岐にわたる彼の長いキャリアの膨大な楽曲たちからどのように選曲されたのでしょうか。
「おっしゃるとおりウェイン・ショーターはジャズの歴史そのもののような人。今回の選曲のポイントですが、私はサックス奏者ではないので、ピアノ・トリオで弾くことを前提に選びました。高校時代に初めて聴いて好きになった初期から中期の作品が中心。どれも非常にメロディアスでコード進行もわかりやすく、誰が聴いても楽しめる楽曲ばかりです。まだ知らない人にも彼の作品の魅力を知ってもらいたくて」
――では山中さんの思うウェイン・ショーター作品の魅力とは?
「“ジャズとは、音のかたちではなくスピリット。自分の精神を解放し自由にすること……”という彼自身の言葉につきると思います。たとえばアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの演奏を聴いていて、リー・モーガン(tp)がスタイリッシュなソロをとったとしても、計算しない、まるで煙がふわっと流れたみたいな、自然の造形のような美しさがあるところ。まったく予期できなくて、ここまで自由でいいの? という誰にも真似できない個性。それが何なのか知りたくて、とり憑かれてしまう。そこにミュージシャンたちもみんな憧れてしまうのです」
Photo by Hibiki Tokiwa
――澤野工房時代のデビュー盤でもとりあげていた「Black Nile」やイントロなしでサビのメロディから入る、ファンキーでグルーヴィな「Beauty And The Beast」がじつにカッコイイです。
「ありがとうございます! 自分の個性を出しやすく、じつはスタンダード曲としては“王道”な曲をいっぱいセレクトしました」
――バラードの「Infant Eyes」から、オルガンで演奏した「Children Of The Night」そして、マイルスのアルバム収録曲である「Limbo」の3曲がつくる流れが素敵。
「ちなみに〈Limbo〉はマイルスの『ソーサラー』で聴いたとき難解すぎたので、今回はミシェル・ペトルチアーニ(p)名義のアルバム『パワー・オブ・スリー』に収録されたヴァージョンからインスパイアされたものになっています」
――もともとノリノリな「Adam's Apple」がさらにノリノリになっているのも楽しい。
「あれだけ動かないコード進行の中で自由にいろんなことをしているのが好きで、さらに遊んでみました。ウェイン・ショーターとしても異色の作品ですが、彼の持つ多面性も感じていただきたくて選びました」
――「Footprints」はリーダー作での優雅さと、マイルス盤でのリズミックなかんじの両方をあわせ持つ“イイトコドリ”ヴァージョンですね。
「この曲はとにかくたくさんレコーディングしましたね。じつを言うと、今回のプロジェクト自体、最初はピアノ2台で録音を始めて、いろんな編成を経てこのかたちに落ち着いたのです」
――今の時代、オリジナルのヴァージョンを集めて本盤の曲順で気軽にプレイリストを作って聴き比べる楽しみもあります。
「これをきっかけに、オリジナルにも興味を持ってウェイン・ショーターを再発見してもらえたら本望です」
――個人的には、小学生の時にシングル盤を買って何度も聴いた久保田早紀の「異邦人」(1979年)がカヴァーされて「A Stranger」として、冒頭2曲の山中さん作のオリジナル曲と4曲目から12曲目のウェイン・ショーターの楽曲との橋渡し役を務めているのに感動を覚えました!
「“子どもたちが空に向かい、両手をひろげ”で始まる久保田さんの歌詞の世界が、ウェイン・ショーターの小さき者(弱者)に対するまなざしに通じるものを感じたのと、“通りすがり”に“ちょっとふり向いて”みるように彼のことを想い出すような、哀愁を帯びた雰囲気がブリッジ曲としてぴったりだと思ったのです」
――もちろん、アルバムをしめくくる2曲、YMOの「Kimi Ni Mune Kyun(君に、胸キュン。)」と2017年リリースの坂本龍一のアルバム『async』の冒頭を飾っていた「andata」のカヴァーも存在感たっぷりです。
「私以外のメンバーの誰も〈Kimi Ni Mune Kyun〉ってうまく発音できないので、レコーディング中はみんなこの曲のことを“Butterfly(バタフライ)”と呼んでいました……そういうイメージなのだそうです。いちおう“キラキラとした海辺でゆっくり素敵な時間が過ぎていく……”みたいな内容の歌だよと説明はしてみましたが(笑)。そしてラストの〈Andata〉はバッハのコラールのように、坂本龍一さんが大きな心で人々を見守っているようなつもりで弾きました。私の場合、アルバムの最後を飾る曲はいつも映画のエンドロールを意識して決めるのですが、この曲にはただの“FIN”ではなく、何かその後に繋がる希望のような気持ちを込めました」
――メンバーのみなさんは今回のレコーディングを楽しんでいる様子でしたか?
「最初にウェイン・ショーターの曲をやるってみんなに宣言したら“えー! よりによってそこかよ!”みたいな反応で“あまりに偉大すぎて気軽にトリビュートとかできないよ”って返されたのですが、私にとってウェイン・ショーターがいかに大切な存在か、彼の自由な演奏と出会わなかったら私はジャズの道に進んでいないこと、だからけっして“軽い気持ち”でトリビュートするわけではないことを伝えて説得しました。このアルバムは音楽というギフトを与えてくれた偉大なお二人へのせめてものお返し。私も彼らのように人々の人生を輝かせるミュージシャンになれるようがんばりたいと思います」
取材・文/東端哲也
〈『Dolce Vita』発売記念 ニューヨーク・トリオ・ツアー2023〉出演:山中千尋(p)、ヨシ・ワキ(b)、ジョン・デイヴィス(ds)
9月23日(土)富山・オーバードホール中ホール
9月24日(日)愛知・名古屋 スターアイズ
9月25日(月)大阪・ビルボードライブ大阪
9月26日(火)静岡・ライフタイム
9月28日(木)福島・いわき アリオス
9月29日(金)山梨・甲府 桜座
9月30日(土)・10月1日(日)東京・ブルーノート東京
10月2日(月)群馬・高崎芸術劇場スタジオシアター
https://www.chihiroyamanaka.net/