はじめて聴く音楽=あたらしい音楽――吉田省念が築いた『黄金の館』

吉田省念   2016/05/23掲載
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 吉田省念は、ずっと会ってみたかった人だった。2009年にリリースされた吉田省念と三日月スープ名義のアルバム『RELAX』を関西在住の知人に勧めてもらい、アコースティック・ポップでありながら一筋縄でいかない曲者っぷりに魅了されていたから。ご存じのように、2011年、三日月スープから吉田、ファンファンがくるりに加入し、バンドは活動を休止した。そして、くるりの通算10枚目のアルバム『坩堝の電圧』(2012)を制作した翌年、2年ほどの在籍で吉田はバンドを去った。地元の京都、名門ライヴハウスの拾得で定期的なライヴ活動を再開しているらしいという話をネット上で見かけたりしたものの、直接にライヴを見る機会もないままに時間が過ぎた。
 その吉田省念が、約6年ぶりとなるアルバムをリリースするという。タイトルは『黄金の館』。拾得で毎月続けているシリーズ・イベントのタイトルでもあるそうだ。 アルバムを聴いて、まず驚いたのはサウンドのヴァラエティの広さ、奥行きの深さ、そして力強さだ。三日月スープでのしなやかで人を食ったようなアコースティック・サウンドに親しみすぎたせいか、ちょっと面食らう。しかし、聴き進めていくと、これは間違いなくあの吉田省念が、きちんと音楽に向かい合う時間を積み重ねてきた結果の上で作っている音楽だとわかってくる。 自宅の一部を改造した「KUJOYAMA SHONEN STUDIO」でのレコーディング(CDブックレット内にスタジオ写真がある)。自身による多重録音を基本にしつつ、リズム隊として数曲で伊藤大地グッドラックヘイワ)、谷 健人(Turntable Films)が助力。さらには細野晴臣柳原陽一郎も2曲ずつゲスト参加している。ストリングスやスティール・パンの起用も含め、曲に対して必要な音を彼が追求したことがわかる。また、エンジニアとしてドイツで故クラウス・ディンガーノイ!)に師事した尾之内和之を迎え、充実が図られている。
 きめ細やかだが豪胆なところもあり、頑固者だがメロディアス。『黄金の館』が、ある意味、現代にあって古風と言いたいほど堂々としたポップ・アルバムであることに僕は興奮している。そんな気持ちを抱えつつ、吉田省念のなかで変わったもの、変わらないものを知りたくて行った待望の初対面ロング・インタビューを行った。
――かなり以前に知り合いから“吉田省念くんは実家がお寺で”みたいなうわさを聞いたことがあって。ところが、それってまったくの間違いなんですよね(笑)。
 「(爆笑)。名前が“省念”なんで、“珍念”みたいな感じがするんでしょうね。たしかに、“お寺の子?”みたいな質問をこれまでも何度かされてるんですが、ぜんぜん関係ないんです。こないだも奇妙礼太郎くんのラジオに出演したときに、“おすすめのお寺ありますか?”って質問をリスナーの方からいただいたんですが、ぜんぜん知らない(笑)」
――僕が聞いたような都市伝説が漂ってるのかもしれません(笑)。ずっと京都ですか?
 「はい。生まれも育ちも京都で、山科といって南禅寺とか平安神宮の近くなんです。父も母も美術をやってまして、それでまあちょっと珍しいというか、こういう名前になったんだろうとも思います」
――ご両親が美術関係?
 「はい。それも普通に絵を展示するような活動ではなく、俗にいう現代美術作家です。なので、僕も子供のころからそういう場にいることがわりと多かったです」
――インスタレーションだったり、パフォーマンスだったり。
 「それこそ、アレン・ギンズバーグのイベントに子供が出てきてスクリーミングしたりする、その子供が僕でした。父は渡米して前衛芸術をやってた人だったんですが、日本でそういう表現がまだ“ハプニング”っていわれてたのが、ちょうど“パフォーマンス”と呼ばれるようになる変わり目くらいに帰国して。それで、京都に移り住んで活動していた時期に僕が生まれたんです」
――お話からすると、音楽というより、むしろ表現全体に与していたという感じですね。ご自分もそっちに行くようには思わなかったんですか?
 「そうですねえ。家族としてそういう表現の場に行くことはわりとナチュラルでしたし、絵を描くことも昔から好きだし、表現してる人への好感というのは当然あるんですけど、僕は自然な流れで音楽をやってましたね」
――なにか音楽を志すきっかけになった体験があったりはしないですか?
 「学生のときに転入生がやってきて、家に遊びに行ったらお兄ちゃんがいて、バンドをやっていて、僕が触ってみたのがエレキギターで。それで始まったというのが、いわゆる普通にいうきっかけですね。高校時代は、ビートルズとかが好きで、カヴァーするバンドをやってました。あと、それから、父が村八分のメンバーだった人たちと交流があったんです」
――ああ!すごいですね。京都だからそういうつながりもあるんですね。
 「はい。それで、ヴォーカルのチャー坊さんが僕にギターを貸してくれたんですよ。それが、じつはチャー坊さんが亡くなる半月くらい前で」
――へえ!
 「そしたら、そのギターを借りてすぐくらいにチャー坊さんが亡くなってしまって。追悼のコンサートがひらかれたときに、その場にチャー坊さんのギターを持って出て、村八分の曲をカヴァーしたというのも、僕が音楽の世界にぐっと行く、わりと大きなきっかけではあったのかもしれないです」
――チャー坊さんから受け継いだギターで。
 「ギターを貸していただいたときは、村八分というバンドが存在したことは知ってましたけど、作品をよく聴いてたわけじゃなかったんです。でも、そこから村八分を聴くようになりました」
――京都にはそれこそ1970年代の村八分をはじめ、いろんな年代にそれぞれのユニークなバンドがいましたけど、吉田さんが物心ついたころに直撃された地元のバンドとかミュージシャンは、たとえばどのあたりですか?
 「同世代で一緒にライヴハウスに行く人はなかなかいなかったんですよ。同世代が聴いてる音楽と、僕はちょっとずれてたんですよね。90年代後半だと、京都大学の吉田寮で“焼け跡ライヴ”とか“食堂ライヴ”とかやってて、ちぇるしぃとかつじあやのさん、キセルとかがいるシーンがありましたけど、僕はそういう流れは遠くで意識してました」
――自分のバンドでそこに混じっていくという感じでもなく。
 「ライヴに行ったりはしてましたけど、自分のバンドで率先して目指す、という感じはなかったです。むしろ、そのころは自分でMTRを手に入れて、宅録の音楽制作にのめり込んでいったというのもありますし、バンドも自然発生したものに参加してたり、ギターで誘っていただいたものだったり、いろいろ渡り歩いてやっていた感じで」
――ということは、自分が中心になって自分の曲を世に出したバンドとしては、やっぱり吉田省念と三日月スープが最初ということになりますか?
 「そうなると思います」
――僕が三日月スープのアルバム『RELAX』を関西の知人から教えてもらったのが2009年ごろなんです。他にも、たゆたう、奇妙礼太郎あたりを周辺の人たちに推薦してもらった記憶があります。それこそYouTubeとかでも、三日月スープや奇妙くんの、わりとプライベート感のあるライヴとかを見ていました。当時の活動はどういう感じだったんですか?
 「奇妙くんは京都というより、どっちかというと大阪にライヴに行ったときに会って仲良くなったりした人ですね。おもしろい人なんでよく飲みに行きました(笑)。当時の京都は、ちょっとアコースティックなサウンドのグループが多くなってきたころでしたね。三日月スープはそこと自然にタイミングがあったというか。僕はずっとエレキ・ギター弾いてきたんですけど、ちょっと“アコースティック・ギターがほしいな”と思うようになってたんです。その時期にいいギターに出会えたこともあって、また自分で歌おうという気持ちになって、三日月スープを結成しました。それで、もともと作ってた曲をメンバーに宅録のデモテープを渡したんですよね。最初にソロ名義で出した『SONGS』(2008年)ってアルバムは、それに近いです」
――三日月スープは、ファンファンさんがトランペットで、編成のユニークさもありましたけど、やっぱり曲がよかった。ああいうアコースティックな感じだと、根っこにブルースやジャズがあってルーツ志向で……という受け止め方に落ち着くんですけど、吉田さんはもっと曲者な感じがしたんです。これは何と何が混ざってこうなったというより、吉田省念という人の性格が変わってるのに違いないと思って(笑)。すくなくとも、“なごみ”とか“ほのぼの”系ではなかったですよね。
 「それはなかったです。“癒したい”とか、まったく思わなかった(笑)。三日月スープはやってておもしろかったですね」
――だから、ライヴをいつか見てみたいと思ってたんです。
 「ありがとうございます。じつは、くるりをやめてから、もう一度三日月スープをやろうかとちょっとだけ思った時期もあったんですけど、今は、ファンファンがくるりで活動しつつ育児も大事な時期だし、時間も流れていますし、またそこに戻るというのも変な感じだったんで」
――同じことをもう一回やるというよりは、次のことをやろうと。
 「そうですね。そういう感じでした」
――今回、ソロとしてリリースされたアルバム『黄金の館』を聴いても、そのことは強く感じました。時間の経過という意味でもそうだし、くるりでの活動を経ての音に対する接し方の変化もあるし。
 「そうですね。曲を作り上げていくうえでのプロセスといったところで、くるりにいた時期に学んだものが大きいですね。ぼくは曲ができたときに自分のなかでアレンジとかを“こうしたい”というイメージがわりとあるんですけど、その再現力はくるりを経てつちかったという部分は、たぶん大きいと思います」
――レコーディングのクレジットを見ると、2曲に参加した細野晴臣さんをはじめ、Turntable Filmsの谷 健人くんがベース、伊藤大地くんが数曲でドラムを叩いてたりするんですけど、じつは、かなりの部分を自分で多重録音してるんですよね。
 「そうなんです」
――それはやっぱり、自分の頭のなかにあるものを再現するには自分でやるのが一番という。
 「もともとデモを作るのはひとりでやってたんで、その延長ではあります。でも、やっぱり三日月スープもそうでしたけど、バンドに曲を持っていくと、そこで化学反応が起きて、おもしろいと思える。それで別にいいんですけど、ひとりになって、いろいろを経て音楽をやるうえで、曲ができたときの最初のイメージをちゃんとかたちにすることで身辺整理をしときたいなという気持ちがありました。それでこのアルバムはできたと思います」
――2014年から拾得でマンスリー・ライヴの〈黄金の館〉を始めていて。それがそのままアルバム・タイトルに採用されていたので、やっぱり大きな意味があるんでしょうか。
 「最初はぜんぜん違うタイトルにしようと思ってたんですけどね。でも、一曲目のタイトルでもあるし、テーマ曲みたいなところもる。拾得でやってきたイベントは、くるり以降の自分の拠点にもなっていたし、それをアルバムのタイトルにするのがなんとなく自然だなとも思いました。アルバムのに入れた曲は、イベントの前にできていた曲も多いし、三日月スープでやっていた曲もいくつかあるんですけどね」
――三日月スープでもやっていた曲は、どれですか?
 「〈小さな恋の物語〉〈春の事〉〈青い空〉とかですね。この3曲は録音物というかたちになってなかったし、自分のイメージでちゃんと出してから次に行きたいという気持ちでやったんだと思います」
――逆にいうと、このなかでもくるり以降の自分をすごく表しているなと思える新しい曲はどれです?
 「〈水中のレコードショップ〉とかじゃないですかね。〈黄金の館〉もそうです。〈夏がくる〉とか」
――「デカダンいつでっか」も、すごくおもしろい曲ですけど。
 「これはベーシックを伊藤大地くんとレコーディングしたときに、“とりあえずこんな曲で”って伝えたらすぐに叩き出してくれて、その感じがすごくよかったんでそこに肉付けしていってできた曲です」
――その肉付けの言葉がすごくユニークで。しかも細野さんもそこに乗っかってくるという(笑)。
 「ねえ。すごいですよね。すごく尊敬してる方に参加していただけて、すごくよかったです」
――細野さんがこの曲と「晴れ男」に参加された経緯を教えていただけますか?
 「2009年か10年くらいの京都音博で、知り合いから“高田 漣さんを紹介したい”って言われて、ごあいさつに行ったんですね。でも、その日は漣さんはもうホテルに帰ってらっしゃって、お会いできなかったんですよ。そしたら、細野さんがちょうどスタッフルームの手前の場所で機材に座ってらっしゃって!そのときに“これは話しかけたい!”と思って、漣さんに渡すつもりだった僕の音源とおみやげを細野さんに(笑)。はじめて細野さんと言葉を交わしたのは、その日でした。まさかその後、僕がくるりに加入して、そのイベントに出演し、細野さんと共演したりするようになるとは夢にも思ってませんでしたけどね。東北のツアーを一緒に回ったり、好きなルーツ・ミュージックの話で盛り上がったり、僕の実家の一画にあるスタジオでくるりが音を出してるときに細野さんが来られたり」
――そういう積み重ねあっての話だったんですね。
 「〈晴れ男〉は、京都で細野さんのライヴがあったときに見に行ったら、細野さんがMCで“僕は晴れ男なんだよ”っておっしゃってたんですよ。“あ、ちょうどいい!”って思ったんです。あの曲にスキャットを入れてもらえたらめっちゃいいなと思って、ライヴが終わってから“自分のアルバムを作ってるんです”って声をかけさせていただいたんです。そのあとアルバム用の音源も一部を聴いていただいて。そしたらすぐに“聴いたけど、すごくよかった”って返事をいただいて、そこから“こういう感じなんですけど、お願いできないでしょうか?”って具体的にお話させていただいたんです」
――“「晴れ男」でスキャットをしてください”と。
 「あと、〈晴れ男〉は、僕の大好きなレス・ポールというギタリストにしたいというイメージの曲なんです。あの人はギタリストであり、宅録の走りであり、発明家じゃないですか。細野さんとはお会いしたときにもレス・ポール&メリー・フォードの話とかもしてたんで、やっぱり、そこに細野さんのスキャットがあったら、ばっちりじゃないかと」
――「デカダンいつでっか」はどうでした?
 「最初は〈デカダン〉の“まだまだ”は僕が言ってたんですけど、そこももしかして細野さんに言ってもらえたらめちゃめちゃ説得力が出るだろうなと思って、それもやっていただけました」
――なるほど。めちゃめちゃ説得力あります(笑)。さっきも少し出た話ですけど、この曲は伊藤大地くんが曲作りに参加したようなところもあって。大地くんの存在は今回のアルバムにとって、どういうものでした?
 「最初はひとりで全部やろうと思ってたんです。でも、しめきりもないから、なかなか進まずにいたところに、グッドラックヘイワのライヴが京都であったんです。それを見に行って、“今こういうのやってるんだけど”って大地くんに話をしたら、“明日と明後日空いてる”って話になって。“じゃあスタジオに来て来て!”って急遽、その2日で8曲くらい叩いてもらいました。そこでちょっと中断してたアルバムへのやる気が復活したんです!」
――へえ!大地くんのフットワークの軽さに感謝ですね。
 「そうなんですよ!大地くんとは三日月スープでグッドラックヘイワと対バンしたのがはじめてだったんですけど、アルバム『RELAX』にもコメントをもらったし、くるりで細野さんと東北ツアーしたときも彼がドラムでしたし、僕がソロになってからも、細野さんが京都でやるときはライヴに声かけてくれたり。彼も僕もおばあちゃんが長崎県だし、魚座のA型だし、同い年だし(笑)。なんかこう一緒に音楽をできる喜びがあるし、すごく信頼してる人なんです」
――今の話で、もうひとつ思ったのは、吉田さんの自宅にスタジオがあるから、“明日空いてるよ”って言われたときに、どこかのスタジオをブッキングするとか、そういうことを考えないで、パッパッと話が進むということですね。話が早い。
 「そうですね。美術やってる人って、まず場所から考えるんですよ。たとえそこが四畳半の部屋だとしても、自分のアトリエを持ってない絵描きっていないと思うんです。今の音楽ってみんな部屋で宅録できるし、自分の住処がスタジオになる感覚ってありますよね。僕が最初にMTRに出会ったときの感動というのも、ミュージシャンでも自分の部屋をスタジオとしてとらえらえる喜びでした。さらに、僕の実家には物置みたいなぼろぼろの場所があったんで、中学生のころから友達を呼んでいろいろ練習したりしてたんです。そこが録音スタジオに変化していって、今もいろいろやってますね」
――もちろん、今はそこにいろいろ機材も入って。
 「中学生からその場所に向きあってやってきてます。今みたいになるまでものすごい苦労もしましたし(笑)」
――場所から作品作りを考えるという発想はいいですね。レス・ポールもニュージャージーの自宅がスタジオでしたもんね。四六時中制作ができるという意味でもあるし、生活の場をスタジオ化していくという発想があったと思います。今回の『黄金の館』では、そこに外部からエンジニアの尾之内和之さんを招いての作業で。
 「自宅スタジオはあるものの、レコーディングも自分でやるのは大変なんです。それで、尾之内さんに来てもらいました。じつは僕が昔一緒にバンドをやっていた女性ヴォーカルの子の旦那さんで、自分でも日本で音楽をされてたんですけど、その後ドイツに渡られて、とりあえずノイ!のクラウス・ディンガーに出会って、彼が亡くなるまで一緒に仕事をしていたという。その後、帰国されて、東京で音楽の仕事をしようとしてたときに震災があって、関西のほうに越してきたときに再会したんです」
――今回のアルバム作りでは、尾之内さんからは何か特別なアドバイスはありました?
 「基本的な音作りは僕が指揮してたので、音楽的というより、“もっとバコーンといったらいいんじゃない?”みたいなアドバイスはありました(笑)。僕はスタジオという場所を持ってて、彼は機材を持っていて、東京でもドイツでもなく京都でこうやって一緒にできるというのはなんかオツなもんだなと思ってやってました。尾之内さんとは、単に今回のアルバムを作るためというより、いろいろ実験をして雛形を作って次につなげていくという作業に近かったですね。もっと長い視野で、僕と彼が一緒に物を作りながら成長していければいいなという感じです。だから、バンド・メンバーみたいな感じに近いです」
――このアルバムって、曲がポップで力強いというのはもちろん、一曲一曲がどれも音作りがおもしろくて。クレジットを見てもびっくりするほど多重録音も駆使されているのに、音が開かれているんですよ。
 「なんなんですかね?僕は自分ではすごく枯れたブルースとか、1930年代の針音が入るような音楽が大好きなんです。大衆が共感するようなものより、一個人として向き合って聴くような、どちらかといえば暗い音楽が好きなはずなんですけど、自分で音楽をやると、なんか明るくなるんです(笑)。でも、それはベースの谷くんにも言われたんですよ。“省念さんはなんで聴いてる音楽は暗いのに、やると明るくなるんでしょうね?たぶん、ネアカなんですよ!”って言われて(笑)」
――(笑)。
 「でも、“なるほど、そうかもしれんな”とも思ったんです。何度も聴けるような深みを出したいと思って作ってる意識はありますけど、自分の曲をあらためて考えてみると、明るいんですよ」
――もちろん、あっけらかんとしすぎてるわけではなく、センチメンタルな部分やペーソス、激情みたいな感覚は基本としてあると思うんです。アルバムでも、すごくドラマチックな「残響のシンフォニー」から最後の「Piano Solo」への流れとか圧倒されます。「Piano Solo」は、文字通りのピアノソロのインスト曲ですけど、すごくリリカルな余韻を残してくれるし。
 「ありがとうございます。ピアノはそんなにうまく弾けないんですけど、チリー・ゴンザレスのアルバムに出会ったときの衝撃があって、その影響があの曲にはあるんだと思います」
――そういうせつない表現はあるとしても、やっぱり基本はネアカで。
 「そうですねえ。やっぱりポップ・ミュージックが好きだし、ポップ・アルバムを作りたいという気持ちがあるし、頭から最後までいろんなイメージや景色があるほうがいいなというのは気持ちとしてありました」
――その景色として見てるものがはっきりしてるような印象があります。かたちとか色とか。歌詞も単語としては意味がとりやすいもので、だけど聴く人の解釈はそれぞれでよいと解放している感じがあって。
 「音楽って、メロディに言葉を乗せたときに情報として一回聴いて残るものって限られてて、いろんな複合的な要素があってすっと入ってくるわけじゃないですか。だから言葉の意味については述べすぎないほうがいいのかなという意識はありますけど」
――やってることは違うかもしれませんが、じつはそのひらかれたセンスに美術作家のご両親から受けた影響みたいなものがあるのかもしれませんね。現代美術って、基本姿勢としてはポップじゃないですか。もちろん、解釈の仕方が多種多様で、ひとつに決まり切ったものにならないことをしているから難解と感じる人もいるわけですけど。
 「たしかに、そういうところは自然と影響受けているのかもしれません。でも、自分でそれを意識して考えたのは、今はじめてです。両親はとにかく、だれかと一緒である表現を拒否するようなタイプでしたから。息子であっても自分と似たような感じがあると排除するような感じで。音楽って、わりと肩を組み合うというか、シーンがあればそこに向かって作っていく部分があるけど、自分はあんまりそういうのがないのも、そういう部分で親の影響は受けてるのかなと思ったりはしてました。人が聴いてない音楽のほうが自分が聴いてたらうれしい、みたいな、そういう価値観(笑)。でも、今おっしゃってたような感じ方は、はじめて聞いたことで、うれしいですね」
――ポップ・ソングだし、アルバムとしてもポップス・アルバムだと思うんですよ。でも、日本的な情緒感にまみれてないというか、べたっとしてない。変にひねてるわけでもなく、素直な曲なんだけど唯一無二な感じがある。これって、しいていえば、もっと昔の日本語というか、花鳥風月みたいないにしえの感覚に近いものを今の言葉で伝えてくれてる音楽だとも思えたんです。
 「自分で作っておいてなんですけど、新しい音楽ではない気がするんです。そういう意識はあんまりない。本当に自分のほうに寄り切ったアルバムなので、共感してくださる人がいるなら本当にうれしいなと思いますね。僕は、古い音楽を探して聴いてるときは、はじめて聴く音楽を聴くという感じなんです。“はじめて聴く音楽 = その人にとってはあたらしい音楽”だと思うんで、そういう意味で、僕の作る音楽がはじめて聴く人に喜んでもらえる音楽になったらいいなという気持ちはあります。もしかしたら、今は古い音楽に接しやすいし、僕と似た考え方の人が若い人には多くて、それもあってこの作品が現代風にも思えるのかもしれないですけどね」
――そういう意味でも、三日月スープから待ってた甲斐がありました。
 「やり方としてはぜんぜん変わってないですね。作ってる場所も僕の家のスタジオなんで、同じですし」
――でも、何年かぶんはレベルアップして。
 「そうですね。イメージを具体化する経験を積みました」
取材・文 / 松永良平(2016年4月)
吉田省念 ツアー情報
■ 2016年5月24日(火) 下北沢 lete 「銀色の館 #3」
※弾語りソロワンマン
■ 2016年5月26日(木) 東京 三軒茶屋 Moon Factory Coffee
※弾語りoono yuukiとの2マン
■ 2016年6月5日(日) 愛知 名古屋 K.D ハポン 「レコハツワンマン」
※京都メンバーでのバンドセット / guest: 柳原陽一郎
■ 2016年6月14日(火) 京都 拾得 「黄金の館」
■ 2016年6月30日(日) 東京 下北沢 440 「レコハツワンマン」
※バンドセット日(dr 伊藤大地 / b 千葉広樹) / guest: 柳原陽一郎
■ 2016年7月14日(木) 京都 拾得 「黄金の館」
■ 2016年7月18日(月) 京都 磔磔
※詳細未定
■ 2016年7月24日(日) 大阪 梅田 ムジカジャポニカ
■ 2016年8月7日(日) 京都 「西院ミュージックフェスティバル」

official site http://www.yoshidashonen.net/
label site http://p-vine.jp/artists/yoshida-shonen

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