【特集】 高嶋ちさ子SPECIAL 〜高嶋ちさ子の歩み

高嶋ちさ子   2009/06/24掲載
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高嶋ちさ子の歩み



 クラシックを親しみやすいものにしてきた高嶋ちさ子の音楽性と魅力的なキャラクターは、いかにして形づくられてきたのでしょう? 誕生から現在までの軌跡を辿ります。


1968年8月
三人兄弟の末っ子として東京都世田谷区で生まれる。



1971年
やっとしゃべりだしたと思ったら、幼児言葉でなくタメ口だったため大人を驚かせた。


1972年
この頃から約3年間、子役モデルとして活動する。


1973年
ピアノを習い始めるが、2ヵ月経っても譜面が読めず、上達の見込みがないと強制的にやめさせられる。


1974年
友だちがヴァイオリンを弾いている姿に憧れ、自分もやってみたいと思うが、母に「ピアノもできないくせに」と習わせてもらえなかった。


1975年
青山学院初等部入学。ついにヴァイオリンを習わせてもらう。譜面を読むのが苦手だったが、またすぐやめさせられると思い、読めたフリをしていた。耳で曲を覚えて、音を採りながら弾いていた。毎日3〜4時間は一人で練習。


1976年
ガキ大将の地位を手に入れる。けんかで怒鳴ってばかりいたら、のどをつぶし耳鼻咽喉科で「3ヵ月しゃべらないように」と言われる。が、面白がってしゃがれ声で世良公則などのものまねをやっているうちに、現在のようなハスキーボイスに。
やっと譜面が読めるようになる。


1977年
学校のハンドベルクワイヤに入団。自分に絶対音感が備わっていることに初めて気づく。
ヴァイオリンがある程度弾けるようになり、練習をサボり始める。1日30分程度(そのうちに1週間に30分程度に)。


1979年
父が、当時N響のコンサートマスターだった徳永二男にレッスンを直談判。初対面での先生の存在感と目の前で聴いた圧倒的な演奏に「一生ついていきます」と子供心に思う。うまく弾けたときの先生の拍手がうれしくて再び練習にはげむようになる。


1980年
青山学院中等部入学。
徳永二男の母校である桐朋学園に入りたい一心で猛練習。
アンネ=ゾフィー・ムターの来日公演に行き、そこで聴いたブルッフの「スコットランド幻想曲」が、それまで体験したもっとも印象的な音楽となる。以来ムターは高嶋ちさ子の中で、もっともヴァイオリニストらしいヴァイオリニストとして存在し続けている。


1984年
努力の結果、桐朋学園女子高等学校音楽科入学。しかし入学自体が目的だったので、入学と同時に目標を失う。しかも周りは自分よりはるかにうまい人だらけ。コンプレックスに悩まされる。


1986年
高校3年生まで午後7時が門限で、どこにいても母親が迎えにきてくれるという“箱入り娘”だった。なのでディズニーランドに行っても、エレクトリカルパレードを見ることはできなかった。


1987年
桐朋学園大学入学。


1989年
江藤俊哉に師事。
生まれて初めてオーケストラと共演(ブルッフのヴァイオリン協奏曲)。


1991年
米国イェール大学音楽学部大学院に奨学生として入学。ショーコ・アキ・アール(安芸晶子)に師事。在学中、さまざまな音楽祭に奨学生として参加。留学により音楽環境がガラッと変わり、心からヴァイオリンを楽しめるようになる。さまざまな考え方や志向性を持つ人たちと出会ったことで、「考え方はひとつではないし、音楽にもいろんな形があっていいんだ」ということを学ぶ。


1994年
イェール大学のマスター・クラス、アーティスト・ディプロマ・コースを卒業。
札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバルに奨学生として参加。
マイケル・ティルソン・トーマス率いるマイアミのオーケストラ、ニュー・ワールド・シンフォニーに入団。南米、イスラエル、モナコなどのツアーに参加。毎回100人以上の民族大移動のようなツアーで、オケが楽しく、日本に帰る気はまったくなかった。


1997年
拠点を日本に移し活動を開始。
ブルボンのCMに起用される。
フジテレビ『めざましテレビ』の“クラシック界の美女たち”という企画でインタビューされたことが縁で、同局の軽部真一アナウンサーとの共同プロデュースによるコンサート・シリーズ“ギンザめざましクラシックス”を開始。


1998年
コンポーザー・ピアニストの加羽沢美濃とのユニット“CHISA&MINO”の活動を開始。
イタリア生まれの楽器“ロジェリ”を購入。
日本テレビ『踊る! さんま御殿』に出演。本人は多少抑え気味なトークのつもりでも周りの反応は大変なもので、出演するたびに3回連続で“さんま御殿賞”を頂く。コンサートのプロモーションのため、バラエティ番組に積極的に参加するようになる。


1999年
TBSテレビ『道浪漫』のレポーターを務める。
2月、結婚。
アルバム『CHISA&MINO』リリース。


2000年
NHK教育テレビ『芸術劇場』の案内役に。
初のクラシック・リサイタル開催(カザルスホール)。
高嶋ちさ子名義での初のソロ・アルバム『ニュー・シネマ・パラダイス〜シネマ・オン・ヴァイオリン』リリース。


2001年
夫のロサンゼルス転勤が決まり、日米を行き来しながら活動をこなすこととなる。
年末、頸椎のヘルニアによる末梢神経障害で、右手の自由がきかなくなり、急遽2ヵ月間のコンサートをすべてキャンセル。「弾きたくても弾けない」苦悩を経験。


2002年
クラシック界で初の“ベストジーニスト賞”を受賞。


2003年
初のクラシック中心のアルバム『アラウンド・ザ・ワールド』リリース。海外オケとの録音も初。9月には録音メンバーであるプラハ・カメラータとの全国ツアーも行なう。
知人から「ぜひあなたに弾いてほしい」と1736年製のストラディヴァリ(愛称:ルーシー)を購入。


2005年
初の著書『ヴァイオリニストの音楽案内〜クラシック名曲50選』(PHP研究所)、『知識ゼロからのクラシック入門』(幻冬舎)を刊行。


2006年
女性ヴァイオリニストばかりによるアンサンブル・プロジェクト“高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト”を始動。11月にはファースト・アルバム『12人のヴァイオリニスト』も発売。


2007年
2月、第1子誕生。


2008年
著書『高嶋ちさ子の名曲案内〜心が10倍豊かになるクラシック』(PHP研究所)を刊行。


2009年
第2子誕生。
最新アルバム『高嶋ちさ子 plays ジブリ』リリース。


(2009年6月現在)
※所属事務所の許可を得て、デビュー10周年の記念冊子『Chisako Guide』からの抜粋を中心に再編集したものです。


構成・文/宮本 明



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