“ポップス”と“ボサ・ノヴァ”界を支えたキーパーソン プロデューサー・宮田茂樹の仕事

隼人加織   2009/10/14掲載
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 70年代末からRCAの社員として竹内まりや大貫妙子EPOなどのヒット作品をプロデュース。84年に設立したMIDIでは大貫妙子、EPO坂本龍一矢野顕子といったそうそうたるアーティストが作品を発表し、89年には同レコード会社から小野リサがデビューを飾る。宮田茂樹氏は日本のポピュラー音楽が大きな変化を遂げる最前線で、質の向上を支えてきたキーパーソンの一人だ。近年は、2003年にジョアン・ジルベルトの初来日公演を実現させるなど、ブラジルと日本の音楽の橋渡しに尽力している。そんな宮田氏が10月にリリースされたhayato kaoriの2作目『Lindas』をプロデュースした。本格的なアルバム・プロデュースとしては実に14年ぶりとなるが、この再始動は氏が歩んできた道を振り返ると必然といえるだろう。知られざるエピソードを含めて伝説のプロデューサーが30年間を語り、気鋭のアーティストが新作をアピールする。


――日本のポピュラー音楽が急速に質を高めた70年代後半から80年代にかけて、宮田さんは数々の傑作をプロデュースしています。たとえば、大貫妙子の「ロマンティーク」や「アヴァンチュール」はデフォルメした虚構のヨーロッパといった世界観が斬新でした。30年近く経ったいま、マスターピースとなっているわけですが、当時、売れる自信はあったのですか?
宮田茂樹 「いいものだという自負はありましたが、売れるのか売れないのかはまったくわかりませんでした。ただ、自分が気持ちよくて、いいなと思えるものだったら、誰かはいいと思うだろうなというのはあるんです。ひとつラッキーだったのは、竹内まりやが最初にポンと売れて、何やっても構わないような空気があったことです。縮こまらずにできました」
――82年、社内にレーベルのディアハートをつくり、84年には株式会社MIDIを設立しました。その際、大貫妙子やEPOといった人気アーティストが歩調を合わせて移籍し、豪華な顔ぶれでのスタートとなりました。
宮田 「ちゃんと音楽を作るレコード会社をやりたいなと思っていたんです。そこで会社を設立後も一緒にやろうと思っていたアーティストとは(移籍しやすいようにアルバムごとの)単発契約にして備えました。会社を始めた途端にお金の巡りというものがいかに大切かわかりました」
――一流のアーティストが多く所属していただけに、会社の運営が順調でなかったというのが意外です。
宮田 「制作費がかかりすぎました。質を高めるためにコストを抑えるのも本望じゃないし。(前の会社で)制作費、遣ってきちゃったクチだから」
――MIDIからは89年に小野リサがデビューし、一躍、脚光を浴びました。
宮田 「お店で歌っているのを見て、アーティストとしても歌手としても優れていると思いました。ただ、“私はポルトガル語でなければ出さない”っていうから、どうなることかと思っていたら、案に反して売れてしまった」
――小野リサがブレイクした直後の90年にMIDIから離れ、放浪の旅に出たそうですね。これも意外です。
宮田 「リサが売れて、すごい借金を背負わなくて済んだ。やりたいことはあったけど、一回、制作から外れてみたくなったんです。そのときはエネルギーがなくなっていたんです」
――ハーフリタイア後は98年にカルロス・リラタンバ・トリオなどの作品の復刻をするなど、ブラジル音楽に関連する仕事が多くなりました。
宮田 「僕のブラジル人脈はリサがいたからできたんです。彼女が紹介してくれたというのではなく、まったくの偶然です。彼女がCMの仕事をしたとき、ブラジルの作詞家から権利関係の了解を取らなければならなくなった。それでブラジルに行き、いろいろな人を紹介してもらったのがすべての始まりです」
――2003年にはジョアン・ジルベルトを招聘しています。奇跡の来日と言われました。
宮田 「ブラジルのミュージシャンから“ジョアンが日本に行きたがっているよ”と連絡があったんです。本当に来るの? と思いながらも交渉を進めると、なんだかわからない人がいろんなことを言ってきて埒があかないからリオに行き、1年以上かけて実現しました。ジョアンはその前から“Miyata”というのは知っていたんです。大貫妙子の『チャオ!』を作ったときにブラジルのポリグラムに行ったんですよ。そうしたら日本で『三月の水』のCDを出さないかという話になったんです。ポリグラムの部長がすごくやる気があって、ホテルにテープを持ってきました。聴いてみるとA面はいい音だったのに、B面はすごいへんな音をしていた。それで倉庫に行ったらマスターらしきテープが何本もある。どれがマスターで、どれがサブマスターで、どれにドルビーが入っているか、わからない。全部聴いてマスターとなりうるテープを選び、マスタリングし直して、CDにしたんです。CDをジョアンに送ると気に入ってくれました。それまではブラジル盤もアメリカ盤もとんでもない音をしていて、彼はとても不満だったのです」
――hayato kaoriさんの『Lindas』は本格的なプロデュース作品としては14年ぶりです。久しぶりにプロデュースしてみたいと思った理由は?
宮田 「彼女のデビュー作を聴いて、行こうとする方向が僕のやりたいことと同じなのではないかと感じました。それがなんだったのかというと、日本ではブラジル音楽というとボサ・ノヴァかサンバに分けられてしまう。でも僕はMPB(ブラジルの現代ポピュラー音楽)を日本語に直してみたかったんです。60年代にアメリカのポップスを日本語に直す土壌があったのに、なぜブラジル音楽ではそういうことができないのかなと。今回、ブラジルの素晴らしいアーティストが参加したのもリサのプロデュースを通して人脈ができたからだし、リサのデビューに関わったのもMIDIをつくったからだし、与えられたものは一つもありません。なんとなくフラフラ歩いているうちに誰かと会い、また別の誰かと会い、ここまで来ました」
取材・文/浅羽 晃(2009年9月)




【Pick up Artist】
宮田茂樹が手掛ける本格派アーティスト、hayato kaori


 隼人加織からアーティスト名の表記も変わり、hayato kaori『Lindas』で新機軸を打ち出した。デビュー作『pluma』はブラジル音楽のほかにもコールドプレイサザンオールスターズなどのカヴァーがあり、オリジナル曲も含まれていたが、今回は基本的に、ブラジル音楽に彼女自身が書いた日本語詞で歌った楽曲が収められている。また前作が日本録音だったのに対し、今回はマルコス・ヴァーリセルソ・フォンセカマリオ・アヂネーをアレンジャーに迎え、リオでレコーディングされている。




――デビュー作もブラジル音楽とJ-POPの融合が一つのテーマだったと思いますが、今回は方向性が明確になっています。
hayato kaori 「1枚目を作るときもこのようなことをやりたかったんですけど、私には手段がなく、現実的には難しかったんですよね。私は、ブラジルの音楽というものは絶対的に日本人の方にも心地いいと思っています。それを私が日本語で歌うというのは、私自身がミックス(父が日本人、母がブラジル人)だから、私の中ではすごく自然な流れでした。そして、そのアイディアを実現させるなら、実際に曲を作った人たちとやらなければ、私が欲しいエッセンスが全部入らないと思っていたんです。2作目を作るときにたまたま宮田茂樹さんとお会いして、正直に思い描いていることを話しました。〈スロー・モーション・ボサ・ノヴァ〉を日本語にして、セルソとやりたいと言ったら、それは可能だと思うという話になったりとか、彼はアプローチする手段を持っていたんです」
――歌詞は、オリジナルの日本語訳を基本にしているのですか?
hayato 「私はポルトガル語の歌詞の意味がわかりますが、言葉からではなく、メロディが持っているメッセージ性を大事にしています。それを無視して勝手に自分の思いを乗せてしまうと、メロディと歌詞がちぐはぐになってしまうので、必ずメロディとしっかり向き合いました。セルソの〈ソルチ〉などはメロディから感じたメッセージ性と、セルソがオリジナルで乗せていた言葉がほんとに近かったですね。マリオの〈青い愛〉などインストゥルメンタルの曲に歌詞をつけたものもあります。〈すきすきすキス〉はジャヴァンがやっている言葉遊びという部分を尊重して、日本語で言葉遊びをしました」
――セルソ・フォンセカ、マルコス・ヴァーリ、マリオ・アヂネー、3人それぞれのエピソードを聞かせてください。
hayato 「セルソは最初に会ったとき、初対面の気がしなかったのですが、セルソも同じことを言っていました。すぐにうち解けあえたことがレコーディングにもよく作用して、こういうギターが欲しいと伝えようとしたら、すでにその通りのギターが入っていたりすることがありました。マルコスは数々の名曲が生まれた彼の自宅に行き、彼のずっと使っていたピアノで歌合わせをしたのが印象的でした。彼の音楽性と彼の人間性はすごくリンクしていて、彼の音楽が素敵なように彼自身も素敵なんです。マリオに関しては、〈秋桜〉のアレンジができたときに、私は自分に歌えるのかという不安があって動揺したんです。でも、実際にブースに立って歌ったときに、こんなに不思議な体験をしたのは生まれて初めてだったんですけど、一瞬にしてとまどいとか不安が消えて、ありのままで、なんの無理もなく歌えたんですよ。彼がイメージして作ったもの、その音自体から自分の扉を開かせてもらった。マリオとのレコーディングが自分を一番成長させてくれました」
取材・文/浅羽 晃(2009年9月)
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