ギタリスト、
渡辺香津美がニューヨークのトップ・ミュージシャンと対等に渡り合いレコーディングした1980年の『TO CHI KA』は、フュージョン史に金字塔を打ち立てるとともに、KAZUMI WATANABEの名を世界に知らしめることになった。その伝説のレコーディングが、今年、東京JAZZの舞台に帰ってきた。
マイク・マイニエリ、
マーカス・ミラーをはじめ、当時のレコーディング・メンバーと30年ぶりの歴史的リユニオンを実現。世界のトップ・プレイヤーが織りなす“TOCHIKA2010”の凄すぎるサウンドが、新・旧のオーディエンスを熱狂させた。また、デビュー40周年を記念する今年、『TO CHI KA』や未CD化セッションを含め、コロムビア時代(75〜81年)の音源を包括したCD15枚組のコンプリート・ボックス
『渡辺香津美アーリー・イヤーズ・ボックス』もリリース。そこで、渡辺香津美に“TOCHIKA2010”を終えての感想や、初期の活動について振り返ってもらった。
休まず音楽をやり続けてきたすごさ、
聴き続けてきたリスナーがいる喜び
――“TOCHIKA2010”のパフォーマンスには心底感動しました。スーパー・ギタリスト、KAZUMI WATANABEを改めて世界に示しましたね。
渡辺香津美(以下、同)「30年前に『TO CHI KA』のレコーディング後、今回と同じメンバーで日本ツアーをやったときは、マーカスも
オマー(・ハキム)もまだティーンエイジャーですよ。そのとき若きニュー・スターだった彼らが、30年間たゆまず研鑽を続け、今ではすごい存在になっている。かたや、ベテランのマイク(・マイニエリ)や
ウォーレン(・バーンハート)は、その時すでに仕事師としてシーンに君臨していたけど、彼らもこの間、ずっと独自の道を歩み続けてきた。70代、50代、40代のミュージシャンが、休まず音楽をやり続けてきたということのすごさ。それと同時に、『TO CHI KA』の時からずっと聴き続けてきてくれたリスナーがいた。途中、離れたことがあったとしても、ずっとその気持ちを持ち続けてくれたことが、すごくうれしかったですね」
――まったく古さを感じさせない演奏でした。
「でも、自分なりの“懐メロ・オンパレード”だったんですよ。それでいいじゃないかと、開き直っていましたね。まったくレコードと違う切り口のアレンジにしてジタバタするのもなんだしね。僕自身のギター・スタイルも変わっているし、逆にそのまま演奏できないですよ。昔のレコードを聴くと、どうやって弾いたのか、自分でもわからないところもある(笑)。楽器も、今は当時とはまったく違うものを使っていることもあって、その曲が持っているサウンドのイメージとかタッチにできるだけ近付けるようにしようと考えていたんですけど、リハーサルでみんな集まって音を出したとたん、すべてが吹き飛んでしまった」
――ライバル心に火をつけられたのか、マーカスも本気でプレイしていましたね。
「ホント、すごかったね。30年前のステージを思い出しましたよ。あのときはツアーがだんだん盛り上がってきて、マーカスのアイディアで、ステージの端に二人で腰かけてプレイしたり。楽しかったですよ」
――アルバムの裏ジャケットに写っていますが、『TO CHI KA』はたしか、愛犬の名前でしたね。
ジャケット裏
『TO CHI KA』
(80年)
「そのころ飼っていたメスの北海道犬の名前です。純血種は虚弱なのか、東京に来て環境が変わっても元気なことが確認できて、そこで初めて血統証を発行する仕組みだったようで、半年後にようやく送られてきた。そこに書かれていた名前が“図知華(トチカ)”だったんです。そのトチカもレコーディングの頃には大きくなっていて、たまたまカメラマンが動物の写真も撮っている人だったので、面白いから犬が横切るところを撮ろうということになった。アルバム自体はゴリゴリのギター・フュージョンなんだけど、マイクのヴァイブとアコースティック・ギターでプレイした曲を入れて、それを〈TOCHIKA〉というタイトルにしました。それでレコーディングが終了してアルバム・タイトルをどうしようという話になった時、ニューヨークのミュージシャンがたくさん参加しているから、マンハッタン云々がいいんじゃないかとかいろいろアイディアが出たなかで、突飛だけど、これに決めたんです」
TOCHIKA2010(〈東京JAZZ2010〉2010年9月5日 東京国際フォーラム ホールA)
(C)Hideo Nakajima
「全部集約すると、ギターが好き。その一言に尽きる」
――それでワンちゃんの名前が世界に知られることになったわけですね(笑)。その『TO CHI KA』を含めたコロムビア時代の音源が、今年『アーリー・イヤーズ・ボックス』としてリリースされました。
「ツイッターで“こういうセッションはCD化されないんですか?”とファンの方から質問が来て、“音源がないんですよ”とこれまでと答えていたものだから、今回“ボックスに入ります”と言われて、こっちがびっくりした(笑)。僕がプロデュースしたものやサイドマンとしてプレイしているのもあって、僕自身が聴きたかったセッションもずいぶん入っていました」
――75〜81年の音源が集められていますね。
「濃密な6年間でしたね。走り回っていた気がします。すごい勢いで音を作っていたし」
『アーリー・イヤーズ・ボックス』
40ページにわたる豪華解説書や84年〈UMKフェニックス・ジャズ・イン・ジャパン〉出演時の映像DVDも見逃せない
――“孤高のジャズマン”は多いですけど、このボックス・セットを聴いて、いろんな人とセッションしながら、みんなと一緒にシーンを作っていったところがすごいと思いました。
「自分では“孤高だ”と思っているんだけど(笑)。
坂本龍一とやってみたり、ジャズにこだわらず、テクノやロックとかいろいろやっていたからね。その前には
ミッキー吉野とブルース・セッションもやっていた。そういう場にいるのが心地よかったんですよ」
――ずっとジャズでやっていこうという気持ちはなかったのですか?
「ジャズにはすごい先輩がたくさんいるからね。僕はギターのいろんなサウンドが好きだったから、ちょっと目先の変わったことをやると、“ジャズじゃないぞ”と言われたり。そう言えば昔、
本田竹曠さんとエレクトリック・スーパー・グループというのをやっていたとき、ステージでワウ・ペダルを使ってギターを歪ませていたら、客席から“もっと真面目にやれ、ロックじゃねえんだぞ!”と野次が飛んできた。そう言われると、“何を言っているんだ!”と、こちらもムキになってもっとチャカポコやったり(笑)。とにかく、まだ誰も聴いたことのない、新しい音をやりたい、というのはすごくありましたね」
――まさに時代を切り拓いてきたわけで……。
「Charが出てきたり、音楽全体がそうだったと思うけど、道なき道をザクザクと力強く前進している感じはあったよね」
――それがずっと今日まで続いていて、この夏にはオーケストラをバックにした〈アランフェス協奏曲〉までやり遂げてしまうわけですが、飽くなき探求心はどこから来るのでしょうか。
「“ギター好き”なんですよ。全部集約すると、ギターが好き。その一言に尽きますね」
取材・文/工藤由美(2010年9月)