『月と太陽のダンス』THE ZOOT16/EKD
TOKYO No.1 SOULSETの一員でもある
渡辺俊美の“もうひとつの顔”である
THE ZOOT16。バルセロナのメスティーソ・サウンドやスカ / レゲエからの影響もダイレクトに反映したこのソロ・ユニットと、渡辺を“師匠”と仰ぐギタリスト、
EKDの2組によるスプリット・アルバム
『月と太陽のダンス』がリリースされた。DJをバックに従えた編成も含め、THE ZOOT16から常に刺激を受けてきた
EKDもその哀愁のギター・サウンドが近年注目を集めているだけに、早くも話題沸騰中。日本のアンダーグラウンド・レベル・ミュージック・シーンを象徴するふたりの対談をお届けしよう。
「THE ZOOT16は僕にとってのニューウェイヴなんです。
演奏スタイルにしても、音にしても、ああいうことしてる人を見たことなかった」(EKD)
――おふたりが最初に出会ったのはいつ頃のことですか?
渡辺俊美(以下、渡辺)「EKDはいつ東京に出てきたんだっけ?」
EKD「2000年です」
渡辺「その前に(EKDの地元である)松山で会ってるんだっけ?」
EKD「はい。俊美さんがクラブにDJをしにきたときに、僕がお客さんで」
――その頃から俊美さんのファンだったんですか?
EKD「(俊美さんを)呼んでたお店があって、そこにはよく行ってました。もちろん(TOKYO No.1)SOULSETとか、俊美さんのミックス・テープは聴いてて」
――ちゃんと会ったのは、EKDくんが東京に出てきてから?
渡辺「そうそう。僕が原宿でZOOTってお店を始めてからだね。“あ、池田くん!”って」
――EKDくんは俊美さんのローディみたいなこともやってたって聞いたんだけど。
EKD「まあ運転手っていうか」
渡辺「やったよね。群馬とか栃木、あとは大宮とかね。要するに僕、酒を飲むじゃないですか。それで代わりに運転してくれる人が欲しかったんです(笑)」
――なるほど(笑)。俊美さんから見た当時のEKDくんの印象はどういうものだったんですか。
渡辺「EKDって調子よくないんですよ、他の人に比べて」
――調子がよくない(笑)。
渡辺「うん。でも、それがいいんです。距離があるっていうか。彼は僕よりも年下ですけど、年下連中の中では唯一その“間”がある。ありすぎるぐらい。未来世紀メキシコ(註:EKDが所属しているDJクルー)のメンバーは、みんな、どっかしら我があるんですよ。“僕、レコード持ちますよ”とか、“DJさせてください”とか。“いじっていじって!”みたいな……いい意味で、ですよ(笑)。でも、彼の場合はちょっと受け身な感じもあって、それでいて内に秘めたものがある。そういう印象はありました」
『ヒズミカル』THE ZOOT16(2010年)
――EKDくんはTHE ZOOT16のスタイルに影響されてる部分もあるんじゃないですか。
EKD「もちろん。SOULSETとはまた違って、バンドの音なんだけど、バンドじゃないっていうのを初めて体験して。すごいやり方だなって思いました。こういうやり方があるんだなっていうのを教わりました。僕には……師匠のような感じですね。音作りに関しても教えてもらって」
渡辺「THE ZOOT16だとドラムも打ち込みだし、最終的に全部自分でチェックするじゃないですか。バンドだと他のメンバーに“これはどう?”とか訊きながら作っていきますけど、THE ZOOT16だと自分で作っちゃう。ま、オタクなんですよ(笑)。わかりやすく言うと、オタク同士が尊敬し合ってる感じ(笑)。スタイルとか音楽的な姿勢よりも、そういった部分が大きいと思う。ひとりでもできるんだっていうところが彼にとっては大きかったんじゃないかなと思うんですけど」
――EKDくんは、ひとりのほうがやりやすい?
EKD「まあ周りに楽器をできる人がいなかったので……」
渡辺「(EKDと)バンドを組んでもよかったんですけどね。一回セッションしたこともあるし。イヴェントのときに“ギター持ってきてよ”って電話したら、“すいません、一回だけリハーサルさせてください”って(笑)。“いいじゃん、ぶっつけ本番で”って言ったら、“ほんっとにお願いします!”って(笑)」
――そもそもEKDくんはどのあたりの音楽からハマリはじめたんですか。
EKD「レコードを買いはじめたのはカリプソとかレゲエ、ソカとか。その前は
ストレイ・キャッツとか
クラッシュも聴いてましたけど、レコードを買いはじめたのはそういうところからですね」
――その中でTHE ZOOT16の音に惹かれたのは、どうしてだったんだろう?
EKD「THE ZOOT16は僕にとってのニューウェイヴなんです。やり方(演奏スタイル)にしてもそうだし、音にしてもそうだし。ああいうことしてる人を見たことなかった」
『Fantasma』EKD(2009年)
――では、EKDくんが今のようなスタイルでライヴを始めたとき、俊美さんはどう思われたんですか?
渡辺「彼は基本的にインストなんで、かなり勇気のある行動だなと思いましたね。ボタン(CDJ)をバックに音を鳴らしてギターを演奏するっていうのは、ギタリストはなかなかやらないじゃないですか。要はカラオケ大会なんだけど、カラオケに見せないようにする技術と勇気がいる。新しいなって思いましたし、新しいフォロワーが出てきたんだなと思いましたね」
――EKDくんはどうですか?
EKD「やるしかなかったんで……(笑)」
渡辺「結局、友だちがいる / いないとか、分かる人がいる / いないじゃなくて、何かひとりでできないかなって考えたんでしょうね。僕もいっぱい考えたし。それがない限り、行動には移さないと思うんですよね」
――それだけ何かを表現したいという欲求みたいなものがあるから?
渡辺「だと思いますよ」
――さっきおっしゃったカラオケに見せない技術って、具体的にはどういうことなんですか?
渡辺「たとえば、僕らが大学生だった頃って必ず居酒屋にカラオケがあったんですよ。僕、そんなに歌える歌がないし、そういうのが大っ嫌いで。今も歌ってる
村下孝蔵の<踊り子>の他は、人前で歌うのも恥ずかしいんですよね。で、SOULSETが始まったときも“意外とカラオケだな”って思ったからギターを持とうと。レコードが好きで、クラブに行くようなマイノリティなコミュニティの人たちの中では、“これはカラオケじゃなくて新しいスタイルなんだ”っていう風に見えてたと思うんですけど、何も知らない人は“カラオケじゃん?”って思ってたんじゃないかな」
――要するに、ターンテーブルをバックにラップするヒップホップ的なスタイルでもあり、トラックの上でラバダブ(即興パフォーマンス)を繰り広げるダンスホール・レゲエ的なスタイルでもあり。
渡辺「そうそう。SOULSETで歌を入れたのも、結局レゲエ的な発想ですからね。
デニス・ブラウンと
シャバ・ランクスとかのコンビネーションがヒントになってる。オレはデニス・ブラウンになればいいじゃんて思ったんで、そういう感覚でSOULSETを始めたんです。プラス、パンク・ミュージックや
マノ・ネグラ、
レ・ネグレスト・ヴェルトみたいに90年代に聴いてたものに影響を受けて、それがTHE ZOOT16に繋がっていったんですよね。もうちょっと汗をかきたいなっていう思いもあったので」
『Puta's Fever』マノ・ネグラ(1989年)
――THE ZOOT16の音楽性には、マノ・ネグラやレ・ネグレスト・ヴェルトのように英米発じゃないものがより色濃く反映されていますよね。
渡辺「そういうものが自分に合ってるんですよね。僕は明るい歌が作れないし……」
――影があるような歌?
『Mlah』レ・ネグレス・ヴェルト(1989年)
渡辺「やっぱりどこかしらに哀愁がないとイヤなんですね。ジャズの影響なのかもしれないけど」
――EKDくんの作る曲にも、そういう哀愁がありますよね。
EKD「そうですね」
渡辺「カリプソを聴いてたら明るくなるはずなんだけどな(笑)」
EKD「今の僕に合ってるということだと思うんですよ。もちろん明るい曲も作りたいし、いろいろやりたいです」
――俊美さんの場合、THE ZOOT16の活動の中で社会に対する意識をよりはっきりと打ち出すようにもなりましたよね。
渡辺「ただ、僕は歌詞を書くって行為自体、ずっと慣れなかったんですよね。SOULSETではずっとBIKKEが歌詞を書いてたから。はっきり言って、実際ひとつの歌を作るとなると、最初は自分の子供のこととか、好きな人のことしか歌えなかった。あと、いろいろ(社会に対する)不満があっても、それを歌うことと自分がやってるお店での商売との間に矛盾を感じていたんです。それでお店をやめたんですよ。だから、歌詞を書くようになってからすごく変化していったところはあります。あと、EKDに教えてもらったあの辞書(註:
マヌ・チャオの父であるラモン・チャオも執筆者に名前を連ねる『グローバリゼーション 新自由主義批判事典』)。あれを毎晩のように読んで、分かったこともあります。ただ、僕らは気づいた時にはリーバイスやコンバース、NIKEが普通に身の回りにあったわけで、そこをかたくなに着ないとかじゃなくて、そういう立場から何ができるのかな?ということはいつも考えてますね」
――EKDくんはどうですか?
EKD「まあ自分の生活の中で、ですよね、あくまでも。自分の生活のなかで、(現実社会に)目を向けていくことしか……」
――そういう感覚を音楽を通してどういう風に表現していきたいと思ってます?
EKD「うーん、まあできることをやるだけではあるんですけど。今回、<夜の子守唄>っていう八重山の民謡をやったんですけど、沖縄には基地の問題があるじゃないですか。そういったことを、自分のこととして何かしら考えられるんじゃないかなと思っていて。たとえば、この曲を聴いたことをきっかけにして普天間基地の移転問題とか知事選のことを知る人がいても、それひとつだけでもいいと思うんです。僕がやれることっていうのは限られている気がするんで、あとは聴いた人がどう思うかでいいと思う」
「このふたりで、なるべく小さいところに行って、
5人でも6人でもいいんで、その人の前で表現して、
歌を伝えて、全国を回りたい」(渡辺)
――では、今回のスプリットなんですが、EKDくんはさっき俊美さんのことを“師匠”って言ってましたけど、その意味じゃ気合が入ったんじゃないですか?
EKD「入りましたね。生きてたらいろんなことがあるなと」
渡辺「“まさか”って思うよね」
EKD「そうですね」
『MEATBALL AND SUSHI PARTY』
(2009年)
渡辺「最初のスプリットはNYのスカ・バンド、
ザ・スラッカーズの
ヴィック(・ルジェイロ)と一緒にやって(2009年に発表された『MEATBALL AND SUSHI PARTY』)、次は
クリス・マーレイも考えてたんですけど、今回、EKDでよかったなって思います。なんでかって言うと、EKDと、今、出したいなって思ってたんですよ。こういう話が出る前に“来年は一緒に全国を車で回ろうよ”とも話していて。地方の細かいところも、ふたりで行きたいんですよね。あと、EKDは外タレさんと(全国を)回る機会もいっぱいあるけど――それはそれでいいんですけど――それだけじゃ伝わらない部分もあるんじゃないかなっていうのがあって」
――それだけ一緒にツアーを回りたいって思われるのはどうしてなんですか?
渡辺「彼は人が経験できない体験をしてると思うんですよ。僕も今年入院したんですけど、EKDが見舞いに来てくれたときに、なんか一緒にやりてえなと思ったわけですね。その感覚だけです。このふたりで、なるべく小さいところに行って、5人でも6人でもいいんで、その人の前で表現して、歌を伝えて、それで全国回りたい。ライヴだけじゃなくてトークをしたりとか、そういうことをやりたいんですよ」
――EKDくんはどうですか?
EKD「はい。僕も」
渡辺「なっ、七輪持ってな、軽トラでな(笑)」
――今回の収録曲って、お互いの単独のアルバムではできないことをやったっていう感覚ってあるんですか?
渡辺「僕にとってはラップかな。息子に“これって仮歌でしょ?”って言われたけど(笑)。仮歌じゃねーよ、すいませんて(笑)。普段のTHE ZOOT16のアルバムではこういう曲は入らないでしょうね。やっぱりEKDと、このタイミングで一緒にやったからできたんじゃないかと」
――ちょっとした遊びごころというか。
渡辺「そうですね。言葉選びでも全部遊んでるし」
――EKDくんはどうですか?
EKD「俺は最後の曲(<Cacique Mara>)は、THE ZOOT16に宛ててるんです。<Huracanlana>っていう曲があって、そのアンサー・ソングみたいな感覚で」
渡辺「(かしこまって)ありがとうございます」
EKD「(笑)」
――そこにはどういう思いが込められてるんですか?
EKD「まあ……その曲が好きだっていう(笑)」
渡辺「逆にTHE ZOOT16っぽいものをやってしまおうとか?」
EKD「あ、そこまでは考えてないんですけど。……そうかもしんないです」
――最近EKDくんのライヴを観てて、お客さんに対する向き合い方が変わってきてるように思うんですよ。客のほうをガッと向くようになった気がする。
『Baionarena』マヌ・チャオ(2009年)
EKD「いろんなライヴを観る機会があるんですけど、自分がすごく感じたライヴっていうのはちゃんと覚えてるんです。で、どういうライヴをすれば観る側に伝わるかっていうことを考えるようになって。最近だと、マヌ・チャオはやっぱり凄くて」
――海外アーティストとも数多く共演しているけど、その中で刺激される部分もあると。
EKD「そうですね。いろいろ考えますね」
渡辺「(唐突に)EKD、背ぇ伸びた?(笑)」
――えっ(笑)!?
渡辺「そのぐらい変わったってこと(笑)。姿勢がよくなった。自信が付いたんじゃない? ホント背が伸びたと思う」
EKD「そうですか(笑)。ありがとうございます」
――EKDくんの曲を聴いても“背が伸びた”感はあります?
渡辺「なんだろう、抜けがよくなった感じはしますね。今までは全部詰め込んでた感じがしますけど。俺もそうなんですけど、最終的に抜くことによって何かしらが入るみたいな。僕もあえてベースをなるべく入れないとか、最終的に全部取っちゃったりするんだけど、そういうのでいいんじゃないかなと」
――さっき話に出ていたライヴ・ツアーも本当に楽しみです。
渡辺「軽トラでな(笑)」
EKD「いやあ、楽しみっスね」
取材・文/大石始(2010年11月)
取材協力/三軒茶屋 a-bridge