シングル・モルトウィスキー“TALISKER”の背景にある物語や奥深い世界観から発想されたコンセプト・アルバム
ジャズ、ボサ・ノヴァ、ソウル、ヒップホップといったさまざまなジャンルの音楽を独自の配合で混ぜ合わせた先端系ダンス・ミュージック“ジャジー・ヒップホップ”シーンの最重要人物と称されるKenichiro Nishihara。ジャズのエッセンスを日常に寄り添うポップスにまで昇華させた2ndアルバム『LIFE』から1年ぶりとなるニュー・アルバム『Rugged Mystic Jazz for TALISKER』を完成させたばかりの彼には、“ジャジー・ヒップホップ”といういちジャンルのラベルはすでに似合わなくなっているようだ。
「ジャズをサンプリングしている“ジャジー・ヒップホップ”が好きでずっと聴いてきたんですけど、今は巷に溢れ過ぎていて、ジャジー・ヒップホップのようなサウンド・プロダクション自体があまり新鮮ではなくなってしまったんですよね。もうちょっとダヴィーというか、ダブっぽい手法であったり、BPMも含めて、メロウなビート感に興味が向くようになった。いままでとはちょっと違うものを作りたいなっていう気分のときに出会ったのが、TALISKERだったんです」(Kenichiro Nishihara、以下同)
ソロ作品としては自身3枚目となるアルバム『Rugged Mystic Jazz for TALISKER』は、シングル・モルトウィスキー“TALISKER”にインスパイアされたコンセプト・アルバムとして制作されている。
「偶然の出会いだったんですけど、TALISKERというシングルモルト・ウィスキーのバックグラウンドにある、いろんな物語や奥深い世界観に興味を惹かれたんですよね。製造しているのが、イギリスの北西にあるスカイ島という孤高の島で、ケルト神話をはじめとしたケルト文化が根付いている島であって。そこで、ある種、旅情にも似た、“どこかに行きたいな”っていうインスピレーションを得ることができたんです。発想の源のひとつとして、TALISKERを出発点とした音楽が作れたら面白いんじゃないかって」
ソロ・アーティストとしての活動に加え、高校生の頃からファッション・ショーなどでの音楽ディレクションを手掛けてきた彼にとって、「音楽とお酒は切っても切り離せないもの」だと言う。
「10代の頃からずっと音楽の仕事をやってきているので、いまや音楽が自分の人生のなかですごく大きなものになっているんですね。そんな音楽と同等のインスピレーションを与えてくれるものはなにかなって考えたときに、シングル・モルトウィスキーであれば、音楽と対等に存在できるって思ったんですね。お酒を飲みながら音楽を聴いて、音楽の聴こえ方が違って聞こえるのであれば、それは素晴らしいお酒だろうし、逆にお酒の個性さえ変えてしまう音楽であれば、それは素晴らしい音楽なんじゃなかって。TALISKERと僕の作った音楽で、そういうやり合いが楽しめたらいいなと思ったんです」
マッコイ・タイナーや
ロニー・リストン・スミス、
ザ・ポリスや
シスター・スレッジのカヴァーを含めた全9曲は、波が岩にぶつかるような音が聞こえるイントロダクションから始まり、波の音が遠ざかっていく「Waves Dub」というエピローグのような曲で終わる。想像力をかき立てるピアノのメロディを主体とした音楽は、聴き手に見たことがあるようでない、不思議な風景を引き連れてくる。彼は、そんな旅する音楽に、2008年にリリースした1stアルバム『Humming Jazz』以来となる“ジャズ”という単語を登場させている。
「親がジャズ好きだったこともあって、小さい頃はなかなかジャズを好きになれなかったんですね。いまにして思えば、親が聴いてる音楽に反発したいっていう気持ちだったと思うんですけど(笑)、ずっとロックやポップばかり聴いていた。でも、ある日、ジャズのなかに、ポップスを聴いてきた耳にも響くくらいのメロディに出会って。それが『セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン』っていうアルバムだったんですけど、それからジャズにハマっていって。
ハービー・ハンコックや
キース・ジャレットも好きになったし、
コルトレーンや
ファラオ・サンダースも聴くようになった。その時期によって好きな巨匠はたくさんいるんですけど、そのなかでもいちばん大きな影響を受けたのは、
アントニオ・カルロス・ジョビンでしょうね。ジョビンはボサ・ノヴァであって、ジャズじゃないっていう人もいると思うけど、僕にはジャズの一種だと感じたし、ジョビンやジョアン・ジルベルトもジャズだと言えてしまう、そういうジャズの在り方がすごく心地よく感じたんです」
新しいジャズのカタチがもうひとつの音楽の愉しみ方を提示
そんな彼は、本作で“ジャズ”の前に“ラギッド・ミスティック”という形容詞をつけ、「これが新しいジャズのカタチ」だと掲げている。“ラギッド”はTALISKERのコンセプト・キーワードのひとつであり、直訳すると“ごつごつした”という意味になる。彼が提示する“ごつごつしていて神秘的なジャズ”とは、いったいどんなイメージなのだろうか。
「ウィスキーにしてもジャズにしても、間口の狭い、なかなか入りにくい世界だと思うんです。だから、僕がジョビンを入り口にしてジャズへの好奇心が増していったように、ジャズやウィスキーの入り口になるようなアルバムが作れたら素晴らしいんじゃないかと思って。ジャズという音楽が雑多なものから生まれてきたように、ジャズは、ハードバップとか即興とかのスタイルに固定されない、大きな受け皿をもった音楽なんじゃないかと思うんですよね。だから、ここで言う、“ラギッド・ミスティック・ジャズ”というのは、形式的な意味でのジャズではなくて、もっと抽象的な精神性というか、イメージやムードに近い意味でのジャズだと思ってます。ラギッドというのはスカイ島の荒々しい風景を思わせるし、ミスティックはジャズでよく使う言葉でもある。だから、僕としては、ウィスキーとジャズから世界観やエッセンスを抽出してきて、もうひとつの音楽の愉しみ方を提示するっていうイメージで付けてますね」
つまり、“ラギッド・ミスティック・ジャズ”とは、ひと言で言えば、“彼の今の気分”の表出なのである。「これはジャズじゃないんじゃない? っていうところまで含めて、ジャズと言い切ったときにどういう反応があるかが楽しみ」と微笑む彼が求めるジャズという言葉の可能性は、彼の音楽を通した旅が終わるまで、まだまだ広がりを見せ続けるだろう。
取材・文/永堀アツオ