PLANET ZERO
- freedommune<zero>session with Dawn Chorus
2011年8月19日に開催を予定していた巨大フェスFREEDOMMUNE 0<ZERO>は、
ジェフ・ミルズ、
小室哲哉、
非常階段などユニークなラインナップで大きな話題を振りまきながらも、悪天候のため中止になってしまった“伝説”のフェス。その豪華ラインナップのなか、ジェフ・ミルズとともに真っ先に出演が発表されたのが、世界的なコンポーザー/シンセサイザー奏者である
冨田勲だった。
冨田がライヴ・ストリーミング・チャンネルDOMMUNEに奇跡の出演を果たしたのが6月8日。その後、DOMMUNE主宰の
宇川直宏と交流を重ねるなかでFREEDOMMUNE 0<ZERO>への出演が決定。当日の大トリとしてパフォーマンスを予定されていたのは、冨田の代表作
『惑星』(1977年)にドーンコーラス(太陽の黒点から夜明けにのみ発せられる電波を音に変換したもの)を加えたスペシャル・エディションだった――。結果としてステージでは演奏されることがなかった幻のパフォーマンスが、今回
『PLANET ZERO - freedommune<zero>session with Dawn Chorus』としてCDリリースされた。
冨田の音楽世界に対して並々ならぬ情熱を持つ宇川直宏に話を聞いた。
冨田勲
――宇川さんがはじめて冨田先生の作品世界に触れたのはいつだったんですか。 宇川直宏(以下、同) 「 (冨田が音楽を手がけた)
『ジャングル大帝』です。歌詞のないアニメ・ソングというのはあれがはじめてだったので、子供ながらにびっくりして、頭のなかにメロディが刷り込まれてしまった。最初に触れたアルバムは
『月の光』(1974年)。そのときすでにプログレは聴いていたし、
クラウス・シュルツェも
カンも
ノイ!も知ったうえで冨田勲を聴いたら“これはすごいぞ!”と。本当の意味で冨田先生を意識したのはそこですね。はじめて作家性に触れたわけです。僕が『月の光』を聴いたのはちょうどハードコア・パンクが台頭してきた時期で、僕はそれと並行してプログレとヒップホップを聴いてたんですけど、自分のなかではポップ・ミュージックに対するアンチテーゼとしてその3つが存在していた。周囲はバービーボーイズとか聴いてた時期だったと思いますけど、僕はパンクとしてプログレを聴いてたんですね」
――そういう宇川さんのアンテナに『月の光』が引っかかった?
「それもありました。僕にとって『月の光』は同世代の人たちが触れていたものに対するカウンターだったんだと思う。あと、パンクとサイケデリアって真逆なものだと思うんですよ。パンクが現実を見つめるものだとすれば、サイケデリックは現実から逃避するための幻想世界。でも、冨田先生の場合はそうとも限らない。『月の光』のあとに『惑星』と出会うわけですけど、“惑星”って現実に存在するものじゃないですか。脳内宇宙じゃなくて、実際に存在している太陽系の物語なわけで。ハードコアもヒップホップもストリートの話をしているわけですけど、それを拡大解釈すれば宇宙まで広がる。つまりストリートなんですよ、『惑星』も」
――銀河系というストリート(笑)。
「そうそう(笑)。たぶんそこにグッときたんだと思う。パンク・アティテュードも感じたし、サイケデリックなフリークアウト世界も感じたんでしょうね。冨田先生の世界には地球上に立つ自分から見えた風景が描かれていて、それが大きかったと思うんです」
宇川直宏
――今年の6月8日にはDOMMUNEに冨田先生が出演されましたね。実際の交流がはじまったのはそこからだったのでしょうか。 「ええ、それがすべてのはじまりです。まさか冨田先生がDOMMUNEに出演してくださるとは思ってもいなかったので、嬉しかったですね。最初、冨田先生のスタッフに“先生は番組でライヴをしてくださいますか?”って聞いちゃったんですけど、“えっ? ライヴってどういうことですか?”と言われて、それで衝撃を受けました。考えてみれば冨田先生はコンポーザーですから、ライヴってそうそうありえないわけですよね。もちろんサウンドクラウド(日本および世界各地で開催された超立体音響による野外イベント)とか、過去にやってこられたコンサートのことは知ってますけど、ホールで日常的にライヴをやってるような方じゃないですからね。だから、冨田先生にライヴをやっていただくということは一種の祭りというか、大きな物語を起こすことでもあるんですよ」
「これまで『惑星』は、自分の持ってるステレオでしか聴いたことがなかったんですけど、(DOMMUNEスタジオに常設されている)ファンクション・ワンのシステムで『惑星 ULTIMATE EDITION』を聴いてみたんですね。そしたら、すごかった。『惑星』にはじめて触れた十代以降、僕は電子音楽や現代音楽、それにノイズも音響派もエレクトロニカも通過してきたわけですけど、すべてのエレクトロニック・ミュージックの原点はここにあるんじゃないかと再認識しました。そういえばFREEDOMMUNE 0<ZERO>のリハーサルもここ(DOMMUNEスタジオ)でやったんですよ。そのときは腰を抜かしましたね。僕はこのファンクション・ワンのシステムを通じて、はじめて本当の意味で冨田先生の音像世界に触れられた気がする」
冨田勲、DOMMUNEに出演
――番組の反響もすごかったですよね。 「ものすごかったですね。あれではじめて冨田先生の音楽世界に触れた人も多かったんじゃないでしょうか」
――冨田先生にFREEDOMMUNE 0<ZERO>出演のオファーをしようと決めたのはいつだったんですか。
「番組放送中に決めました。でも、断られると思ってたんですよ。それがお引き受けいただけるということで……冨田先生が野外でライヴをやるっていうこと自体、世界的なニュースになってもおかしくないことなんですよ。実際のところ、ジェフ・ミルズが参加表明してくれたのも――もちろん震災の復興支援っていうテーマも大きかったんだろうけど――冨田先生と同じステージに立てるのが光栄だってことからだった。それは小室(哲哉)さんもそうだし、非常階段の
JOJO広重さんもそう。出演者からの反響がすごかったんです」
――出演オファーは開催の直前だったわけですよね。
「そう、2ヶ月ぐらい前でしたね。最初はほかの仕事があるから難しいかもしれないとおっしゃって、軽井沢の冨田先生のスタジオから中継で繋いで、現代の電子音楽のアーティストとセッションするというアイディアもあった。それがなんとか時間を空けていただけることになり、会場でライヴができることになったんです。ドーンコーラスのアイディアも先生のほうから出てきたんですよ」
冨田勲、DOMMUNEに出演
――そのなかで『惑星』のFREEDOMMUNE 0<ZERO>ヴァージョンという壮大なアイディアがふくらんでいったわけですね。 「やっぱり冨田先生は現役のコンセプチュアル・アーティストですからね。“こういうステージならばなにを表現すべきか”ってことが全部見えてらっしゃるんですよ。僕のなかでは朝日とともに冨田先生が降臨するっていうイメージがあって、それはFREEDOMMUNE 0<ZERO>のコンセプトそのものにも繋がってたんです」
――それはどういうものだったんですか。
「フリー・フェスをやろうっていう構想は1年前からあったんですけど、3.11の震災があって、タイトルに0<ZERO>が付いたんですね。<0>っていうのは唯一正数で、まっさらな地平。すべての原点であり、宇宙の成り立ちにも関係しているわけで、要はここで新たなビッグバンを起こすっていう発想があった。それに<0>という数字は見方によっては惑星にも見える。そこで冨田先生に登場いただくことに重要な意味があったんですね」
――なるほど、0<ZERO>にはそんな意味が込められていたのですね。
「それと、シンセサイザーで銀河系を音像化してきた冨田先生と、子供の頃からその影響を受けてきたジェフ・ミルズが出る意味もむちゃくちゃデカイだろうと。そこも因果があって、震災直後、真っ先に日本に向けて楽曲を発表したのがジェフ・ミルズだったんですよ。そのタイトルが〈不死鳥〉で、
手塚治虫先生の『火の鳥』にも繋がる。しかもじつのところ、『火の鳥』の英訳版を読んで感動したジェフ・ミルズは、この前リリースしたアルバムの内ジャケットに『火の鳥』のワンシーンを使ってるんです。その『火の鳥』のテーマソングをやっていたのが冨田先生だったわけで、そこも僕のなかでピンときて。ビッグバンを起こすにはこの2人しかいないだろうっていうことで、出演者を発表するときに2人の名前を最初に発表したんですね。ドーンコーラスのアイディアはわりと最初の頃からあったんですけど、段階を踏んでアーティストを発表していこうと思ってたから、伏せておきました。まず冨田先生とジェフ・ミルズ。そのあとに徐々に発表していこうと。言ってみれば、出演者が少しずつ明かされていくことで、オーディエンスの脳内に惑星が配列されていくイメージですね。そのなかでは冨田先生が太陽で、ジェフ・ミルズが月だったかもしれない。そうやって出演者を発表していった最後にドーンコーラスの話を公開したんですね。だから、いいプレゼンテーションができていたと思います」
FREEDOMMUNE 0<ZERO>前日リハーサル
――そのFREEDOMMUNE 0<ZERO>はああいう結果になってしまったわけですけど、この『PLANET ZERO - freedommune<zero>session with Dawn Chorus』という作品リリースの話はどういう流れで出てきたんですか。
「じつはフェスが中止になったあと、ドーンコーラスのセッションのみ、別の日にライヴでやろうっていう話があったんですよ。お客さんを入れず、同じ場所で。ですが結局頓挫してしまったので、それだったらすぐにでもドーンコーラスを形にして残しておきたいっていう意志が先生をはじめ、みんなのなかで広がっていったんですね。これは、ライヴを収録したものをリリースするよりも深い意味があると思うんですよ。もともとの『惑星』も、ライヴを前提に作られたものじゃなかったわけですよね。スタジオのなかで綿密に作られた無菌状態の宇宙だった。『惑星 ULTIMATE EDITION』はその今世紀版の進化系であり、それが『PLANET ZERO』でさらに改変されているという、その奇跡。冨田先生の脳内に広がっていた宇宙がさらに進化してるんだから、それってすごいことでしょ? それを聴いたオーディエンスひとりひとりの脳内イメージのなかで、宇宙が更新されていく。あのライヴが中止になってしまったことは残念だけど、中止になったことでこの作品が完成したとも言えるんじゃないかと思ってるんですよね。むしろ、ライヴはいつでもできるんですよ。でも、このアルバムが生み出されたのは、あの中止があったから。今後も『惑星』は進化・更新されていくかもしれない。そんなアルバムって聴いたことないですよね」
――しかも震災の年にこのアルバムがリリースされたことに大きな意味がありますよね。 「むちゃくちゃありますよ。このアルバムがリリースされたことによって、FREEDOMMUNE 0<ZERO>は<1>になったかもしれないわけで」
――今後のDOMMUNEと冨田先生の関わりも楽しみになってきますね。
「それがすでに予定があるんですよ、11月29日に。じつは今回のアルバムの特集番組をやるんです。前回は冨田先生と若い世代の出会いをテーマに番組を作って、
TOWA TEIさんと
砂原良徳さん、
パードン木村さんをお呼びしたんですけど、今回は
松武秀樹さんにご登場いただき、ここで演奏していただこうと思ってます」
――それ、すごいじゃないですか!
「それと、年末にもうひとつ考えていることがあって。『惑星』だけじゃなく、DOMMUNEと冨田先生との関わりも進化していくんじゃないかと思ってます。僕としては、冨田先生には今後も『惑星』を10枚ぐらい更新してほしいんですよね」
――それこそ毎年ペースで(笑)。
「そうそう(笑)。だから、<0>が<1>になったばかりで、まさに今からなんですよ。生まれたばっかりなんです、冨田先生は79歳なのに!」
取材・文/大石 始(2011年11月)