特集:新しい民謡の夜明け

つるとかめ   2012/02/29掲載
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特集:大石始 presents   新しい民謡の夜明け


僕が民謡にハマった理由

 まさか僕が民謡にハマるとは思わなかった。十代の頃CMを通してその存在を知っていた河内音頭のことは嫌悪すらしていたし(当時の僕はゴリッゴリのヘヴィメタル原理主義者だった)、民謡や阿波おどりなどは嘲笑の対象でしかなかった。三味線よりもストラト・キャスター。盆踊りよりもヘッド・バンギング。ニューヨークとロンドンに憧れ、それなりに本気で留学を考えていた僕にとって、日本の伝統音楽や郷土芸能なんて“冗談じゃない”という感じだったのである。

 クラブに通うようになり、レゲエやテクノ、各地の民俗音楽にのめり込むようになってからも僕の日本アレルギーは解消されなかった。だが、約1年に及んだ2007年から2008年にかけての海外放浪から帰国すると、30年以上引きずっていた欧米コンプレックスが自分のなかでほとんどなくなっていたことに気づいた。もちろん慣れ親しんだ欧米的ライフスタイルを捨てられるわけはないし、捨てるつもりもないけれど、20ヵ国強の国で生活してみて実感したのは、中南米やアジアの文化 / 価値観がアメリカとヨーロッパのそれに劣っているわけがないということだった(そんな単純なことに気づくまで30年もかかるなんて随分アホらしい話だが)。そして同時に、コロンビアにクンビアが、ブラジルにサンバが、ウルグアイにカンドンベがあるとすれば、日本にはいったい何があるのだろう?という興味がムクムクッとわき起こった。このへんの感覚は今もうまく言葉にできないのだが、“きっと何かあるんじゃないのか?”という直感というか曖昧な勘みたいなものがあったのだった。


東京高円寺阿波おどり


 2010年夏、東京・高円寺で毎年夏に開催されている阿波おどりに初めて足を運んだときの感動は今もはっきりと覚えている。一言でいえば、“ブラジルのサルヴァドールみたいな場所が高円寺にあったのか!”という感動。太鼓と鐘が叩きだす野性的で躍動感溢れるグルーヴにはサルヴァドールのアフロ・ブロコやニューオーリンズのセカンドラインにも拮抗する迫力があったし、祭りの最後、一般客を巻き込んで無礼講状態になった瞬間の興奮はトリニダード・トバゴのカーニヴァルとほとんど同じ類いのものだった。同じ年の夏には東京・錦糸町で開催された河内音頭大盆踊りも初体験。巨大なステージに着物姿の歌い手たちが上がっている光景を見て、僕はジャマイカの巨大フェス、<スティング>を思い出した。冗談でもなんでもなく、ステージ上の名人たちが放つ不良の匂いはニンジャマングレゴリー・アイザックスのライヴを観たときに感じたものとまったく一緒だったのだ。

 盆踊りとは死者を供養する目的を本来持つが、そのなかでもプリミティヴな精神性を保つ阿波おどりと河内音頭を意識変革の最初に体験できたのはラッキーだった。その2つの祭りをきっかけにして、しばらく気持ちが離れていた沖縄と奄美の民謡を掘り返し、各地の民謡や音頭モノの7インチ・シングルを漁るようになった。新潟の瞽女唄やいわきのじゃんがら念仏踊りにも興味を持つようになったし、各地の郷土芸能の文献も漁るようになった。それまでが知識ゼロの状態だったためすべてのリズムとリリック、バックボーンが新鮮で、まるでアフリカかどこかの見知らぬ国の民俗音楽を探り当てるような興奮があった。また、“3.11”に何でもかんでも関連づけるべきではないことは百も承知だが、自宅からそう離れていない土地が津波に呑みこまれていく映像を観て、日本という国への愛着が深まったことは否定できない。いつの間にか僕はこの国が育んできた唄とリズムに対して、音楽的興味以上の思いを持つようになっていたのである。


すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り


 ――なぜこんな個人史をちまちま書いたかというと、ごく普通の音楽リスナーが日本各地の伝統リズム&メロディと出会ったその道筋を示すことによって、その魅力を再発見するきっかけになるのではないかと思ったからだ。ややこしいことは抜きにしよう。遥か昔からこの国にはとてもフレッシュなリズムとメロディ、庶民の生活が反映された生々しい詞が溢れていて、その一部は今も生で体験することができるのだ。僕はその楽しさを知るまで30年以上かかってしまったわけだが、まるでロックと出会ったロウティーンのころのような興奮を今まさに感じていることは最後に白状しておこう。
文/大石始 写真/ケイコ・K・オオイシ(※写真は2011年撮影)


つるとかめインタビュー


 津軽三味線の第一人者・澤田勝秋と、民謡界屈指の視野を持つ木津茂理のふたりからなる「つるとかめ」。1999年7月14日にサックス奏者・坂田明と共に行なったライヴをきっかけに活動をスタートさせたふたりは、譜面化される前の自由な民謡を広く伝えるべく国内外、さまざまな場所で精力的な演奏活動を展開している。今回のインタビューでは、そんなふたりに民謡という音楽が本来持っていた奥深い魅力についてたっぷり語ってもらった。


つるとかめ
――お二人が初めてお会いしたのはいつごろなんですか。
澤田勝秋
 木津茂理(以下、木津) 「私が小さいころ、すでに澤田先生は民謡界の大スターだったので、私は一方的に知ってたんですよ」
 澤田勝秋(以下、澤田) 「小学生のころには会ってるんじゃないかな? そのときにはもう(木津は)歌ってたと思うけど」
 木津 「そうですね。でも、きちんとした形でお会いしたのは15年ぐらい前だと思います。山本謙司さんという津軽民謡の歌手の方を澤田先生の三味線と私の太鼓でバックアップしたことがあったんですよ。そのとき、本当にブッとんでしまった。私は細野晴臣さんや宇崎竜童さんなど民謡以外のミュージシャンの方とコラボレーションする機会が多い時期があったんですけど当時はそれまでやってきた民謡に、あまりファンを感じなくなってたんですね。みんな譜面に合わせてキッチリやってるだけで、グルーヴがあまり感じられないと」
 澤田 「でも、津軽民謡は違うんだよね」
 木津 「そう、私は津軽民謡のことをそのときちゃんと理解してなかったんですけど、澤田師匠と山本さんと出会って“足下にこんな音楽があったんだ!”っていう驚きがあったんです」
――津軽民謡以外は譜面があるんですか?
 澤田 「昔はなかったんだけどね、昭和30年代から譜面が作られるようになった」
――それによって民謡の“型”が固定されていったわけですね。
 木津 「そうですね。“日本の民謡には6/8拍子が存在しない”って言われるんですけど、実はいっぱいあるんです。それが譜面化する際に全部2 / 4拍子でキッチリ割られてしまった。そもそも日本の民謡って陽旋法と陰旋法(注1)を交互に行き来するような不思議な音楽だったのに、それを全部統一してしまったことでどれも同じようなものになってしまったんです」
 澤田 「“このとおり歌え”って言われても、そうはいかないよねえ(笑)」
木津茂理
――では、つるとかめは譜面化される前の自由な民謡をやろうとしてるわけですか?
 木津 「ピンポーン(笑)。私の父親は新潟の人なんですけど、新潟の瞽女(注2)さんは最後北海道まで行ってるんですよ。東北にはそんな瞽女さんたちが広めた民謡がたくさんあって、澤田先生の故郷である津軽にも新潟から渡った古い民謡を残っているんです。ということで、2002年に作った一枚目のアルバムでは〈瞽女さんが伝えた古い津軽の民謡をやろう〉ということになって。昔の津軽民謡はそんなにコブシも回してないし、すごくさっぱりしてるんですよ」
 澤田 「今の民謡はこれでもかとコブシを回すんだけど」
 木津 「すごく高い声でコブシを回しまくると高い点が取れるっていう。それによってスタイル自体がどんどん変わっていっちゃったんですね。私は変わってからの津軽民謡しか聴いたことがなかったから、そのおもしろさが全然分からなかったんです」
――その後、つるとかめのレパートリーは全国各地のものへと広がっていきますね。
 木津 「澤田先生もいろんな歌に興味を持たれていたので、世界観自体をもう少し広げていこうと。瞽女唄と津軽民謡以外にも日本中に素敵な唄があるので、譜面になる前の時代の民謡を幅広くやっていこうということになったんです」
――民謡でも地方によって全然スタイルが違いますよね?
 木津 「そうですね。津軽と秋田みたいに隣の地域でもコブシが全然違いますし」
 澤田 「同じ津軽でも場所によって違うしね。日本海側のほうは激しいんだけど、太平洋側はゆったりしてる」
――波のリズムによって変わってくるんですか。
 木津 「それもあると思うんですけど、民族自体が違うと思うんですよ」
 澤田 「そう、言葉も違うんだから」
 木津 「ただ、そういう違いはもちろん重要なんですけど、そこにこだわりすぎてしまうと、つるとかめが目指すコンセプト本来のところから外れてしまって、形が先攻してしまうと思うんです。その土地の人にしか出来ない、大切に保存すべき正調民謡のスタイルは現地の方々に歌い継いでいただいて、私たちは“民謡の楽しさ”を表現していきたいんですね。澤田先生が歌うと九州の民謡でも津軽の節が入ってくると思うし、私が歌うと新潟の節が入ってくると思うんですけど、それはそれでオリジナルでいいと思うんですよ」
――譜面どおり歌わないということは、お二人のライヴは毎回違うんですか。
 澤田 「そうだね、毎回違う。同じことはできないね(笑)」
 木津 「この前NHKに出たときも、決まった尺のなかに演奏を収めなくちゃいけないから大変でした。やるたびに何秒か違うみたいで(笑)。私たちの場合はやるたびにキーも違うんです(笑)」
 澤田 「でも大丈夫よ、まだ高い声も低い声も出るから。普通の民謡歌手、特に女の人はめいっぱい高い声で歌うけどね」
 木津 「民謡は詞の内容も伝えないといけないから、あんまり高い声だと何を歌っているのか分からなくなっちゃうんですけどね」
――なるほど。やはり詞の内容も重要ですよね。
 木津 「そうなんです。いい詞がたくさんあるのに、今は、ありきたり、あたりさわりのない歌詞を歌うことが主流になっているんです。それがもったいないんです。下ネタなんてかなり凄いものがありますからね(笑)」
 澤田 「“秋田音頭”なんて凄いものね(笑)」
――詞の中に庶民の生活が生き生きと描かれているのも民謡の魅力ですよね。
 木津 「そうなんですよ。山や海の神様のことを歌ったり、下ネタを歌ったり(笑)」
 澤田 「“秋田音頭”は昔、新宿あたりでよく歌ってたんだよ。料亭でね」
――えっ、料亭で?
 澤田 「そう。座敷に呼ばれてね」
 木津 「昔は東京にもあちこちに民謡酒場があったんですけど、料亭で民謡が披露されることもあったらしいんですよ。お相撲さんや財界の人が民謡の歌手をお座敷に呼ぶわけですね」
 澤田 「そういうところで“秋田音頭”を歌うと、ものすごく喜ばれるの(笑)」
――東京にも民謡酒場は結構あったんですか?
 澤田 「うん、いっぱいあったよ。特に昭和30年代はね」
 木津 「澤田先生の世代が民謡界で大御所と呼ばれる世代なんですけど、みなさん20代のころは民謡酒場で修行されたんですね。民謡酒場が登竜門だったんです」
 澤田 「吉原だけで七五三、らんまん、秀子、こけし……たくさんの民謡酒場があったの。歌ってるのは20代ばかりで、ものすごい熱気。外にお客さんが並んでたんだから」
――へえ!
 澤田 「帳場では足下にハコを置いて、そこにポンポン一万円札を入れていくんだけど、ハコが閉まらなくて足で踏んでたんだからね。チップもたくさんくれるんだけど、全部お店に渡さないといけなくて。そういうことが分かってるお客さんはマッチ箱に入れてこっそり渡してくれたりね(笑)」
――凄い話ですね。それが昭和30年代?
 澤田 「俺が上京したのが昭和39年だから、昭和30年代から40年代だね」
――そういう状況が続いたのはいつごろまでだったんですか?
 澤田 「上京してから7、8年ぐらいかな」
 木津 「昭和52年ごろ、金沢明子さんがブレイクしたことで民謡ブームがあったんですよ。ただ、そのときのスタイルっていうのは民謡の泥臭い部分を削ぎ落とし、洗練された形としたものだったんです。民謡の大事なエッセンスの、歌心みたいなものが置き去りになっちゃったんでしょうね。それで一時のブームで終わってしまった」
――そこは難しいところですよね。民謡に限らずとも、伝統的な音楽を現代的な形で表現すれば残っていくのかというと、必ずしもそういうわけじゃない。お二人がやってらっしゃるのは現代的な“洗練”ともちょっと違うわけですよね。
 木津 「そうですね。なによりも“心”の部分が大切だと思うんですよ。ブルースやソウルも同じだと思うんですけど、スピリッツの部分。そこがあれば、きっと伝わると思うんです」
――なるほど。あと、ここ最近若い人たちの間で民謡が注目され始めている気がするんですよ。
 木津 「それは感じますね。特に震災以降。みんな自分のルーツを知りたくなっているんだろうし、そういう時代になっている気がする。去年1年で被災地の唄を海外で一番歌ったのは私たちだと思うんですけど、被災地の唄に対する気持ちも変わりましたよ。単なる“威勢のいい海の唄”というわけじゃなくて」
 澤田 「なにもなくなってしまったんだからね。本当に可哀想で……」
――被災地は民謡の宝庫ともいうべき場所ですしね。
 木津 「そうなんですよ。おじいちゃん・おばあちゃんが亡くなってしまったことで無くなってしまった民謡もだいぶあると思います。そのおじいちゃんしか知らなかった唄もたくさんあったと思うので」
――また、お二人は海外公演もかなり頻繁に行っていらっしゃいますよね。
 木津 「普通はあまり行かないようなところにも行ってますね(笑)」
 澤田 「ジャカルタ(インドネシア)は良かったね」
 木津 「あと、シルクロード近辺はどこも反応が良かった。シルクロードは弦楽器が辿ってきたルートでもあるので、三味線に対して馴染みがあるみたい。それに、あのへんはお酒と唄と踊りの地域ですからね、音が鳴ればすぐスイッチが入っちゃう感じ(笑)。すごく人間っぽいんです」
――日本の民謡もユニヴァーサルなんですよね。どの国にも通用する。
 木津 「本当にそうですよ。垣根なんてないですから。カザフスタンの若い子たちも反応が良くてね」
 澤田 「みんな可愛かったよ! なかなかの美女揃いなんだよ(笑)」
――お二人が主催するイヴェント<青山民謡酒場>も3月で5回目になります。
 木津 「そうですね。このイヴェントは私たちが本当に理想としていた形なんです。みんなでお酒を呑んで、“調子よければもう1曲やるよ!”っていう空間。沖縄の民謡酒場って、ものすごくオープンじゃないですか。大和の民謡も沖縄に負けないぐらいのパワーや楽しさがあったはずだし、こちらも負けていられない(笑)。毎回初めて民謡を聴くであろう人たちも来てくださるし、すごく嬉しいですよね」


坂田明、ASA-CHANGと共演した第1回<青山民謡酒場>


――次回は林立夫さん、ASA-CHANGさん、坂田学さん、伊藤大地さんというドラマー4人との競演になりますね。
 木津 「今回参加してくださるみなさんは民謡に興味を持ってくれてる人たちばかりなんです。なおかつグルーヴにこだわってきた方々なので、同じ打楽器奏者としても楽しみですし、民謡のエッセンスを受け取っていただけると本当に嬉しいですね」
 木津 「おもしろいことができそうだよね」
 木津 「澤田先生も私も民謡の楽しさを広く伝えていきたいと思ってるんですけど、民謡界のなかで同士を募ろうとしてもなかなかいないんです。そうなると民謡の外の方たちとやっていくことになるわけですけど、そういう方のほうが反応はいい。“へえ、民謡っておもしろいね!”って言ってくださるんです」
――つるとかめの今後の活動についてはどうお考えですか。
 澤田 「なにしろ、もっと民謡の魅力を伝えていきたいね」
 木津 「そうですね、それに尽きます。自分がどこから来たのか、そのルーツを意識したら心が豊かになると思うんですよ。今、みんなひとりぼっちで彷徨ってる気がするから。……ま、基本的には“そんなにあくせくしなくていいんだよ、楽しくやろうよ”っていうことを伝えられれば(笑)」
取材・文/大石始(2012年2月)
注1:陽旋法と陰旋法/陽旋法は〈田舎節〉とも言われる、半音を含まない音階。一方、陰旋法は〈都節〉と呼ばれる音階で、どちらも日本の伝統音楽で使われるもの。

注2:瞽女/昭和40年代まで新潟を中心にした北陸地方で活動していた女性盲目芸能者/旅芸人。
(profile)
つるとかめ【澤田勝秋(津軽三味線・唄) 木津茂理(太鼓・唄・三味線)
 津軽三味線・津軽民謡一筋、当代一の名手、澤田勝秋と、歌と太鼓を通じて民謡本来の楽しさを追求しつつ多彩なジャンルに挑戦し続ける木津茂理。世代を超えた二人が2001年に結成。かつては人々の暮らしに寄り添っていた"唄"に焦点をあて、虚飾を排し「弾きながら唄い、叩きながら唄う」独自のスタイルで民謡の真髄を伝える。これまで『つるとかめ』(2002)、『あいのかぜ』(2003)、『しゃっきとせ』(2007)と3枚のCDをリリースし、暮らしの中の喜怒哀楽が伝わる奥深い民謡の世界を表現してきた。また、ヨーロッパ・極東ロシア・中央アジア諸国・南米諸国のツアーを行い、現地で喝采を浴びている。2010年からはライブ・イベント『青山民謡酒場』をプロデュースし、ジャンルの垣根を越えて熱い視線を浴びている。
http://tsurukamesite.jugem.jp/
(イベント告知)
<青山民謡酒場 vol.5>
●日時:3月8日(木)〜9日(金)
●会場:CAY(スパイラルB1F)
●時間:開場 18:00 / 開演 20:00
●出演:つるとかめ(澤田勝秋、木津茂理) / 林立夫 / ASA-CHANG / 伊藤大地 / 坂田学
●料金:前売 3,000円 / 当日 3,500円(税込 / 飲食代別途 / 自由席or立見)
※ご予約 / お問い合わせ:CAY 03-3498-5790(平日12:00〜21:00)
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