もはや毎年この時期に恒例となったビートルズの“新譜”リリースだが、今年は『レット・イット・ビー』スペシャル・エディションが登場する。発売50周年企画という意味では、2017年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、2018年の『ザ・ビートルズ』、2019年の『アビイ・ロード』に続くものであり、昨年2020年に出されるべき作品ではあったものの、新型コロナウイルス感染症の世界的流行という状況もあり、このタイミングでのリリースとなった。
1970年5月8日に発表された『レット・イット・ビー』は、もともと同年に公開された映画『レット・イット・ビー』のサウンドラックという意味合いで制作された作品だが、69年9月に発表された前作『アビイ・ロード』の録音前後のセッションを収めた、ビートルズのラスト・アルバムである。今回は5CD+1Blu-rayのスーパー・デラックスを筆頭に、4LP+1EPのLPスーパー・デラックス、2CDデラックス、1CD、1LP、1LPピクチャー・ディスクの6種のフォーマットで10月15日に世界同時発売となる。それにあわせて42分間の“ルーフトップ・コンサート”を含む、60時間の未発表映像、150時間の未発表音源から再編集された新作映画『ザ・ビートルズ:Get Back』(ピーター・ジャクソン監督)も11月25日から配信公開されることが決まり、10月12日には映画の公式書籍『ザ・ビートルズ:Get Back』も全世界で発売された。この秋はビートルズの魅力をまたとことん味わえるというわけだ。
“全部入り”のスーパー・デラックスに収録されるのは、オリジナル・アルバムのニュー・ステレオ・ミックス12曲と未発表アウトテイク、スタジオ・ジャム、リハーサルの27曲、ミックスを担当したグリン・ジョンズによって69年5月にまとめられ、アルバム・ジャケットまで決まっていたにもかかわらず、発売されずに“幻”となった『ゲット・バック』を新たにリマスタリングした14曲、表題曲のシングル・ヴァージョンの新ミックスと未発表ミックス3曲からなる『レット・イット・ビー』EPで、Blu-rayにはオリジナル・アルバムのニュー・ステレオ・ミックスのハイレゾ(96kHz/24bit)、5.1サラウンドDTS、ドルビー・アトモス・ミックスのオーディオが収められる。さらにポール・マッカートニーの序文をはじめとして、グリン・ジョンズによる回想記やケヴィン・ハウレットの解説、ジョン・ハリスのエッセイといったテキスト、未発表写真、手書きの歌詞、セッションのメモ、メンバーが交わした手紙などの貴重な資料が掲載された豪華なブックレットも付属されるなど、耳だけでなく、目でも楽しめるプロダクツになっている。
Photo by Ethan A. Russell ©Apple Corps Ltd.
全体の新たなミックスは冒頭にも記した既発3作の50周年記念盤と同じく、ジョージ・マーティンの後継者であるジャイルズ・マーティンとエンジニアのサム・オケルが手がけている。『レット・イット・ビー』関連作と言えば、2003年に『レット・イット・ビー・ネイキッド』が出ているが、そちらがリプロデュースを任されたフィル・スペクターが手を加える前のまさに“ネイキッド”な音を活かすことがテーマだったのに対し、今回はスペクター版のオリジナル・ヴァージョンを尊重しつつ、当時のレコーディング・セッションや伝説のルーフトップ・コンサートのテープから摘出された未発表音源を含むトラックに新たな息吹を吹き込もうという意図のもと制作されている。
リリースの情報解禁日となった8月26日には、「レット・イット・ビー」(2021ステレオ・ミックス)、「ドント・レット・ミー・ダウン」(ファースト・ルーフトップ・パフォーマンス)、「フォー・ユー・ブルー」(『ゲット・バック』LPミックス)の3曲が先行デジタル・リリースされ、続く9月17日には、「ゲット・バック」(テイク8)、「ワン・アフター・909」(テイク3)、「アイ・ミー・マイン」(1970グリン・ジョンズ・ミックス)、「アクロス・ザ・ユニバース」(2021ステレオ・ミックス)の4曲も追加で配信となった。
そのうち「ドント・レット・ミー・ダウン」(ファースト・ルーフトップ・パフォーマンス)は、69年1月30日にロンドン、サヴィル・ロウにあったアップル・コアの屋上で行なわれたライヴ・セッションのファースト・パフォーマンス。おそらくジョン・レノンが少し歌詞を間違えたのでボツになったと思われるが、一発目のテイクということもあって、力の入ったフレッシュな演奏が聴ける。曇り空の下、アップル・コアの屋上での情景が浮かび上がってくるかのような生々しさが感動的だ。
グリン・ジョンズがミックスした『ゲット・バック』のB面1曲目に配置されるはずだった「フォー・ユー・ブルー」(『ゲット・バック』LPミックス)は、オリジナルの『レット・イット・ビー』とはジョンの弾くスティール・ギターとポールによるピアノの定位が入れ替わっている。このあと『ゲット・バック』は封印され、フィル・スペクターの編集で『レット・イット・ビー』へと生まれ変わるわけだが、そこに至るまでの紆余曲折を垣間見ることができるトラックだ。それだけにこの曲をはじめ、『ゲット・バック』の全容があきらかにされた意義は大きい。
「ゲット・バック」(テイク8)は“原点に返ろう”という思いで勧められた“ゲット・バック・セッション”の渦中においてレコーディングされたテイク。歌詞もほぼ固まり、ジョンのリード・ギターやゲストに招かれたビリー・プレストンのエレクトリック・ピアノのフレーズも出来上がっているが、エンディングが決まっておらず、スタジオ内で試行錯誤している様子が記録されている。何度も録音を重ねたこの曲の収録の過程が切り取られており、今後のビートルズ研究が進む上での重要な資料となっている。
「アクロス・ザ・ユニバース」(2021ステレオ・ミックス)は、ジャイルズ・マーティンが新たにリミックスしたもの。リミックスの受け取り方は人によってそれぞれだが、ここではうっすらとかかっていた霧が晴れるかのようにひとつひとつの音粒が鮮明になっており、幻想的なこの曲の魅力をいっそう高めている。当時のスタジオのアトモスフィアが実感でき、神々しい女声コーラスとともにやがてそれが宇宙へと繋がっていくさまが感じられ、スペクターが手を加えたオリジナル版の手触りも失われずに、さらに拡がりを見せたミックスになっていると言えるのではないだろうか。
じつに興味深い未発表音源とニュー・ミックスが収録された『レット・イット・ビー』スペシャル・エディションは、“ゲット・バック・セッション”の頓挫とその後の『アビイ・ロード』の発売を経て、ついにエンディングを迎えようとしていたバンドの内情とは別に、まったくフラットに新鮮な気持ちで鑑賞することもできるし、当然ながらオリジナルや『レット・イット・ビー・ネイキッド』、『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』、映画『レット・イット・ビー』などの音と聴き比べることもできる。それに新作映画の『ザ・ビートルズ:Get Back』と書籍にも目を通せば、ビートルズが最後に残したアルバムである『レット・イット・ビー』をさらに立体的に俯瞰できるようになり、より深く、幅広い楽しみ方ができると思う。
文/山田順一