若干19歳。フォークの新星として注目を集める
沖ちづる。5月10日に1stシングル
「光」のリリースツアー“わたしのこえ”の追加公演として、東京・下北沢 北沢タウンホールでワンマン・ライヴを開催。6月10日には1stミニ・アルバム
『景色』がリリースされることとなった。
一瞬で場の空気をひきこむ声、パーソナルながら寓話的な物語性を備えた世界観、聴く者の心象風景をダイレクトに直撃する情景描写、同世代の群像劇を描き出すストーリーテラーとしての才能……。圧倒的な声と歌をもって鮮やかに現われた沖ちづるに、今回は彼女がこの1年の多くを過ごした下北沢について、
北沢タウンホール公演への想いとともに訊いた。そして、歌の端々から伝わってくる〈歌い続ける決意〉の背景にも迫ってみた。
――毎週公開しているネットラジオ『むこうみずようび』でも話題にあがっていましたが、初めて下北沢を訪れたのは高校生1年生の時だったそうですね。なんでも友達の家に大人計画のDVDを持って遊びにいったという。その当時の、下北沢の印象はどうでしたか?
「おしゃれな古着屋さんやカフェがある大人の街というのが、最初の印象でした。ライヴハウスにもあまり行ったことがなかったので、下北沢にいるバンドマンは怖いってイメージもあって。でも、最近はあまりおしゃれ過ぎない雰囲気というか、ひとりで来ても寂しくならない雰囲気を感じています」
――音楽や演劇を志す若者が多い街なので、自然にとっつきやすさを感じるようになったのかもしれないですね。
「洗脳されているのかもしれないですけど(笑)」
――下北沢の雰囲気で気に入っているところは?
「街並に下町っぽい地元感が残っていて、落ち着くところです。かっこつけなくてもいいというか。これからも、このままであって欲しいなと思います」
――下北沢には、地元の人たちが外からやってきた若者たちを受け入れてきた共存の歴史がありますからね。では、沖さんにとっての下北沢らしい情景は?
「下北沢でライヴを終えて、駅の南口に向かう帰り道で見かける商店街の混雑した風景です。夜になっても若者がたくさんいて」
――昼では?
「南口の商店街にあるミスタードーナツとかケンタッキーフライドチキンに行って、ひとりでコーヒーを飲んで、ライヴのセットリストを考えたり、自主制作盤『はなれてごらん』のCDを手作りしたり……。そんな時間が、昼の下北沢では印象に残っています。カフェには友達と一緒だったら行くんですけど、ファーストフードの方が私は落ち着くみたいで(笑)」
――下北沢には古着屋や雑貨屋がたくさんありますが、そういうお店に行くことは多いですか?
「北口の古着屋さんや雑貨屋さんがいっぱい並んでいる通りにあるお店には、用事がなくても立ち寄りますね。新宿や渋谷のデパートに売っているような服も好きなんですけど、やっぱり下北沢で売っている古着は価格が安いので、見定めて買っています(笑)」
――中でも、お気に入りのお店は?
「
HAIGHT&ASHBURY(ヘイト&アシュバリー)という古着屋さんです。私好みの昔っぽくて、可愛い服が多いなあって。ステージ衣装もよくここで買っています」
――具体的に「この時代のファッションやアイテムが好き!」というのを挙げると?
「60年代、80年代のファッションが雑誌とかで特集されていると楽しく読んでいるんですけど、特にワンピースが好きですね」
――ステージでもワンピースを着ていることが多いですよね。
「ワンピースを着て、映画の主人公みたいな気分になりたいんですよ(笑)」
――ワンピースは主人公気分を盛り上げるアイテムだと。
「そうなんです。具体的にどんな映画の、というのはないんですけど、ワンピースを着て、田舎から都会に出てきた主人公のフリをしたいんです。東京の出身なので、逆にそういう気持ちになるのかもしれないんですけど」
――下北沢は“若者がやって来て、育って、大人になって旅立っていく街”とも呼ばれています。“下北沢にやってきた若者”の沖さんですが、そんな情感についてはどう思いますか?
「これまで私は、そういった“若さ”に乗れてきたのかと言われれば、そうではないかも。だから今後、“旅立ち”の情感を味わえるかどうかは、わかりません。ただ、下北沢が若者の街であることは確かで、下北沢に行くと知り合いに会うことが多い。人に会える街でもありますよね」
――過去のライヴのMCでは、中学・高校と女子校にいて、周囲とのズレを感じたり、疎外感を抱いていたという発言がありました。去年までは学校の同級生が身近なコミュニティだったと思います。でも、下北沢で同世代の人達と会うことで、これまでとは違う付き合い方、目線も生まれたんじゃないですか?
「高校生の頃はライヴハウスで出会った人にもあまり馴染めなかったんですけど、卒業後は20代後半や30代の方とも接する機会が増えてきて。そういった出会いを通じて知り合った同世代には接しやすさを感じています」
――今までの同世代とはノリが違った?
「そうですね。ひとりでいることが好きな子が多いので、集団で固まらない感じが居心地よくて。だからお互いにべったりした仲ではないんですけど」
――1stシングル「光」に入っている「まいにち女の子」では、女の子だけで成り立った閉鎖的な女子校の世界が、俯瞰的な視点から、ユーモアと皮肉を込めた群像劇のように描かれています。“人と違っていてもいいじゃない。そんなに悪口を言うなよ”と。下北沢で得たこれまでとは違うタイプの人達との出会いは、これからの沖さんの歌に影響を与えそうですね。 「あの曲で描いた感情は、女子校の女の子同士だからこそ生まれてしまうものだと思っていたんです。でも、ライヴハウスにいる年上の方でも、やっぱり人の悪口を言う人はいて。そういう場面を見ると、私が勝手に同世代の女の子の話だと決めつけていただけで、実はみんな同じなんだなって気づかされました。悪口を言う人はどこにでもいるし、言わない人は言わないし」
――「まいにちミュージシャン」という曲が書けそうですね。
「やばいですね(笑)」
――今は下北沢に来ることが多いということですが、沖さんにとって理想的な街の姿というのはあるんですか?
「特定の街を嫌いっていう人もいますけど、私は嫌いって思う街があまりないんです。それは、街に執着してないということではなくて、街が自分の感情に寄り添ってくれている存在であればいいのかなと思っていて。例えば、つらい時に新宿の人通りの中にいて混乱してしまうこともあるけど、ずっと混乱しているわけではないし、街にはそういうつらい気持ちにも寄り添ってくれる雰囲気があるので」
――街の情景や情感を取り込んで、その時々の自分の感情に寄り添わせるのが得意なんですね。まるで自分を取り巻く街の空気を演出しているようです。
「はい。さっき言った“映画の主人公みたいな気分になりたい”っていう感情とも繋がっているんだと思います(笑)」
――主人公気分だと、どんなシチュエーションでも街を舞台にすることができますからね。では、下北沢の情感は歌にどう反映されていますか?
「下北沢はカッコつけたいのか、カッコつけてないのかがわからない街で、敢えて“ここがいい”っていうところがないのがいいなあと思っていて。そういう下北沢の素朴さというか、“そのままの感じ”は歌に写しやすいですね」
――ここからは下北沢で行ってきたライヴについても聞かせてください。
「初めて下北沢でライヴをしたのは高校生の時で、
下北沢レッグの昼の部でした。コピーとかも交えて演奏していたバンドだったんですけど、ライヴを終えたらすぐに帰るって感じでしたね」
――今の弾き語りのスタイルはいつ頃から始めたんですか?
「高校時代にバンドをやっていた頃から少しは弾き語りもやっていたんですけど、ちゃんとやろうと決めたのは高校を卒業する頃です。去年の3月25日に
shimokitazawa THREEに出たのが、初めての弾き語りライヴでした。高校時代に
新宿ジャムで出会った女の子の企画イベントで。自分としては受験が終わって、卒業して、再始動みたいな気持ちでした」
――その日の出来はどうでしたか?
「めちゃくちゃ緊張したし、年上の対バンの方々が恐くて震えながら歌いました。そんな記憶しか残ってないです。帰り道でTwitterを見たら“沖さん、すごく緊張してた”というネガティヴな書き込みがあって……。それがすごくショックで、頑張ろうと思いましたね」
――そのライヴから1年、下北沢ではたくさんのライヴをやってきました。
「去年やったライヴの半分以上は下北沢だったんですけど、特に
THREEと
Basement Barにはよくしていただきました。ここで出会ったお客さんも多いんです。今のスタッフの方と出会ってからは
440にも出させてもらえるようになって。440はすごいアーティストしか出られないっていうイメージだったので、出演できて本当に嬉しかったですね」
――昨年の秋に出演した440のイベントのアンコールでは、共演者一同ではっぴいえんど(「風をあつめて」)とボ・ガンボス(「夢の中」)のカヴァーもやっていましたね。「夢の中」は沖さんのリクエストだったんですか? 「そうです。ほかのヴォーカルの人の声に、自分の声を重ねられるというのは、すごく贅沢。楽しみました」
――今年の3月3日には2度目のワンマン・ライヴも440で行ないました。
「初めてのワンマンを1月18日に渋谷の
7th FLOORでやって、私のためにこんなにお客さんがたくさん集まってくれるんだ、本当にありがたいなって。でも、その2ヵ月後だったので集客に不安もあったんですけど、ちゃんとお客さんが聴きにきてくれて」
――ワンマン・ライヴをやってみての感想は?
「私の歌を聴きにきてくれるお客さんしかいないので、伸び伸びと歌えました。お客さんの表情が柔らかいし、温かい空間をお客さんが作ってくれるので、緊張感がほぐれて歌いやすいですね」
――そのライヴも成功させて、ツアーも回って、いろんなイベントで対バンにもまれて……。ライヴへの自信がついてきたんじゃないですか。
「そういった経験を積んだことで、ちゃんと歌を届けようという意識を、ぶれずに持ち続けることができるようになりました。それは、当たり前のこととしてできないといけないんだけど、以前はできなかったので」
――できなかったことができるようになってきた。となると、1回のライヴに臨む意気込みにも変化がありそうですが。
「たとえ小さなライヴハウスだとしても、初めてのお客さんと触れ合える場所だし、以前からのお客さんに“このまま沖ちづるについていっていいんだ”と信じてもらえる場所でもあると思っています。だから伝えられるものをしっかり伝えていかないと。とにかく、たくさんの人に見てもらいたい気持ちでいっぱいです」
――ロック・バンドとの共演が多いですが、ひとりでも負けないぞっていう負けん気も強くなりますね。
「誰にも負けちゃいけないと思いながらやっています。でも、それよりも自分に勝ちたいという気持ちの方が強いです」
――シングル「光」のリリースツアーの追加公演として、北沢タウンホールでのワンマン・ライヴ(5月10日)が目前に迫っています。ここであらためて沖さんにとって“歌う”という行為がどういうものなのか聞かせてください。 「私にはずっと、認められたいという承認欲求があって、その気持ちが人前で歌うという行為に繋がっているんだと思います。ただ、最近はお客さんに伝えられる立場でもあるので、私の歌を聴いたお客さん自身にも“素の自分でもいいんだ”と思ってもらえると本当に嬉しいことだなって。やっぱり誰でも、自分を許せないと心の拠りどころを作れないので、私の歌で“自分を認めること”を伝えていきたいんです」
――自分を認めると同時に、人も認めるというふうに承認の範囲が広がってきたんですね。歌うことにコンプレックスもあったという沖さんにとって、「光」は、歌い続ける決意も込められた大切な曲でもありますが。
「高校3年生の時に書いた曲なんですけど、ちょうどその頃、学校での人間関係に悩まされていたんです。歌うっていう行為をバカにされて、本当に歌っていてもいいのかなと悩むことが多くて。もう無理なんじゃないかと心が折れそうになりました。でも、なぜか歌だけは続けたくて。そういう時に、この曲の歌詞とメロディがぶわっと頭に流れたんです。けなされたとしても、やっぱり自分がやりたいことをやりたいという気持ちが強いんです」
――「光」は自分を貫き続けるための曲として生まれたということなんですね。
「本当にこの曲ができて、自分は歌い続けたいんだと気付けました。過去の自分も、未来の自分も、自分自身が受け入れてあげよう。人からけなされようが、自分自身を受け入れられないと、どんどん窮屈な人間になっていってしまうので。だから今は、堂々と歌い続けることで、自分を認める自信をつけていくしかないんだなって思っています。誰でも、自分のことを嫌いになる時もあるけど、この曲が聴いた人の支えになると嬉しいです」
――実際に、ライヴ会場で「光」を聴いて、泣いている人を見かけましたよ。そういうお客さんのリアクションも含めて、沖さんの中での“自分と他者”との関係性にも大きな変化が生まれていそうですが。
「数年前は壁を作っていて、なるべく人と接しないようにしていました。でも今は、1対1で接することができるようになりました。自分を認められないと他人を認められないし、相手を信用して好きにならないと、自分のことを好いてもらえない。お互いの都合と言ってしまえばそれまでかもしれないけど、それでも、お互いに相手を思う気持ちがないと。そういう思いが自分の中で大きくなってきました。でも、それがいいことなのか、昔の尖ってた私の方がよかったのか。それはまだわかりません……」
――そんな変化の中、“今の沖ちづる”はどういう存在になってきていますか?
「ひとりだけで歌っていた頃とは違って、今は、自分ひとりの歌じゃないし、CDじゃないし、ライヴでもない。沖ちづるという歌う人間の存在が、自分ひとりのものじゃなくなってきています。だから責任感が生まれるし、覚悟をもって進んでいこうという気持ちが強くなりました。その先に見える景色はつらいものの方が多いかもしれないけど、自分で選択して進んでいるっていうことから、誇りや自信が生まれるんじゃないかなと思っています」
――まだまだ長い旅が続きそうですね。
「はい。死ぬまで続きます(笑)」
――それでは最後に。北沢タウンホールでのワンマン・ライヴに向けた思いを聞かせてください。
「北沢タウンホールのような大きな会場で歌えるということは、ほとんどお客さんがいない中で歌っていた1年前からは考えられない状況です。2人とか、3人のお客さんを前に歌っていた景色がすごく印象に残っているので、その頃から支えてくれたお客さん全員に観てもらいたいです。もちろん、初めてのお客さんにも。この日は私、素っ裸みたいな気持ちで歌いますので」
――素の自分を存分に見せると。
「はい。普段、演劇でも使われている舞台なので、生っぽい空気感の中で等身大の私を感じてもらえると思います。今、少しずつでもひとりで舞台に立って伝えられるようになってきた姿を、目に焼き付けて欲しいです」
ライヴレポート(2015年4月14日 下北沢CLUB Que)
4月18日、沖ちづるが
下北沢CLUB Queに出演した。前述のインタビューにもある通り、下北沢は沖ちづるが高校を卒業してからのこの1年間で、たびたび弾き語りライヴを行ってきたホームタウンとも呼べる街だ。この日は5月10日に控える北沢タウンホールでのワンマン・ライヴの前哨戦とも呼べるステージとなった。
ステージは、プリミティヴな躍動感を秘めた「ヤーレンホイラ」で力強くスタート。歌詞のないこの曲。ヤーヤー、ラーラーと祝祭的なかけ声がフロアに響く。静かに歌い始めることで効果的に緊張感をもたらす立ち上がりが多い沖ちづるのライヴだが、いきなりトップギアからのアグレッシヴなスタートも新鮮だ。
続いてコミカルな曲調にシニカルな毒を忍ばせた「土にさよなら」をテンポよく挟み、沖ちづるの特徴である“疎外感”や“周囲とのズレ”がヒリヒリとにじんだ「母にさよなら」で、その世界観に観客を引き込んでいく。
ここから、ステージはクライマックスに。“素の自分を認めてもいいんだ”“死ぬまで歌い続けていくんだ”という決意が込められた代表曲の「光」が凄みをもってフロアに放たれる。沖ちづるにとって「光」は、自分を救ってくれた曲だという。そして今、「光」を聴く人にも“自分を認めること”を伝えていきたいという。
その言葉の通り、以前は自分に向けて歌っているきらいもあった「光」のメッセージを、この日はフロアを見渡しながら、ひとりひとりに伝えようとしているのが伺えた。その様子を見るに、沖ちづるのパフォーマンスは、フロアとの対峙からコミュニケーションへと移行している時期にあるのだろう。
この日のステージは、ミニ・アルバムのタイトル曲の「景色」でフィナーレに。アコースティック・ギターのボディを叩いてのカウントから、スケール感のあるイントロのストロークが奏でられる。
「景色」では、“このさきまつのはやさしい場所ではない”、“このさききれいな日常などない”とネガティヴな先行き=予感される歩みの顛末が、繰り返し歌われる。しかし裏腹に、だからこその歩み続ける覚悟が鬼気迫る迫力で伝わってくる。沖ちづるの中で、「光」に込めた自分を貫く決意が、「景色」での歩み続ける覚悟へと道を進めているのだろう。
「見晴らしがいいと思っていた場所に立っても、そのことで生まれる苦悩があるかもしれない。進んで、進んでいくけれども、その場所に立って、はたしてこれが自分の求めていたものだったのだろうかと思う瞬間があるかもしれない。でも、つらい景色が待っていたとしても、進むことを選ぶことが自分の誇りになると思っています。だからこの曲は、辿り着く場所が楽園じゃないとしても先に進んで行けと、自分の背中を押す覚悟を歌ったものなんです」