ほとんどと言っていいくらいジャズには明るくない聞き手であるにもかかわらず、
矢野沙織のニュー・アルバム
『Bubble Bubble Bebop』に心惹かれたのは、サルサ・ピアノの巨人
エディ・パルミエリの70年代の名曲「Puerto Rico」を、“好きで好きでたまんない♥”、そう言わんばかりの全力投球マナーで、がっつりカヴァーしていたから。原曲にあったスペイン語歌唱のないインスト・ヴァージョンながら、彼女自身が吹くアルト・サックスが目一杯の“歌心”を伝えてくる。そうした風情がなんともうれしく、彼女をこの曲へといざなった心持ちについて、なにはともあれ聞きたくなってくる。こんな奏者がやっているなら、ちょい敷居が高く思えていた“ビ・バップ”にも、親しみをもって近づけるかも……なぁんて思ったりして。
「じゃあ、今日はラテン音楽側からのインタビューなんですね(笑)」
――「Puerto Rico」を取り上げている、というだけで、お話を聞きたくなりました。
「よかった。そう思ってくださって」
――というのも、“ラテン・ジャズ”と一言で括られますけど、じつはラテン音楽とジャズの関係って、わかったようなわからないようなところが聞き手的にはあって。
「私にもよくわからない(笑)」
――その“わからない”感じっていうのが、すごく大事なんじゃないかなあという気がするんです。演奏していえる当事者からすると、ラテンとジャズ、接着しやすいの? とか。
「融合しやすいかと言えば……じつはお互いわりと遠いんじゃないかと思うんですよね」
――ですよね。
「たとえば私が憧れてやまない
チャーリー・パーカーにしても、とっくの昔にラテン音楽の魅力を感じて曲を作ったりしている。
ディジー・ガレスピーが、アフロ・キューバンをやっていたりね。その一方で、ニューヨーク・サルサの
ファニア・オールスターズみたいに、気持ちの上ではジャズをやったりロックをやったりしているつもりの人たちも、カリブ海側にいるわけじゃないですか。私の耳からすれば、どう考えても“ラテン”にしか聞こえないんです(笑)。そこがおもしろいんです。手はつないでいるんだけど、それぞれが立っている位置は遠い、みないな。 私自身について言うなら、いわゆる“ラテン・ジャズ”より、ど真ん中のサルサやアフロ・キューバンのほうが好きなんですよ」
――いいですねえ(笑)。なんて、こんなこと言っていいのかな。
「どうせやるんだったら、どうせ聴くんだったら、ジャズ寄りのラテンではない、カリブ海の音楽そのものに何かがあるんじゃないか。ずっとそう思って、思い切って打診してみたんです」
――接点を持ったのは、今回が初めてだったんですか?
「
大儀見元さん(perc /
サルサ・スウィンゴサのリーダー)はそれほどでもなかったんですけど、ピアノの中島徹さんは前作でもお願いしています。ライヴでも何回も共演していますし」
――中島さんはヴァーサタイルというか、ラテンとジャズ、どっちも行ける感じ?
「ジャズであれだけ流暢なのに、“ラテンね”ってリクエストすると、キューバのラテンを持ってくる。そういう人って意外といないんです。私自身、ピアノの人がラテンやれるのは当たり前って思っていた時期もあるんですけど、じつはそんなことはなくて。徹さんの場合、ハンドルをどっちかに極端に切りがち(笑)。そこが素晴らしい。 私にとってのラテンの魅力を言うなら、否応なしに酩酊状態になれる快感。モントゥーノのパターンが繰り返されるなか、カウベルをカンカカンカカンカカってやってるだけの人がいる。相当数奇な音楽だと思うんですよね(笑)。そんなにたくさんこなしてきたわけじゃないけど、やっぱり好きなんです。で、2、3年前から、中島さんとジャズの現場でご一緒するたびに、“こんなことがやれたらいいんだけど”みたいな話はしていた。でも大儀見さんに向かって、どこから何を言っていいのかがわからない(笑)。まずは交流のあった
高橋ゲタ夫さん(b /
オルケスタ・デル・ソル他)に声をかけて、“ジャズから見たラテン”のライヴを、何回かやってみたんです。その上で、ニュー・アルバムを作る話が具体的になってきた時、大儀見さんに会いに行って。“〈Puerto Rico〉をやりたいんですけど”と言いました」
――具体的に曲名を挙げたんですね。大儀見さん、なんておっしゃってましたか。
「“えっと(驚)”って(笑)。でも、その後“いいと思いますよ”と快諾してくださった。少しでも難色を示されるようだったら、敬意をもって撤退しようと思ってたんですけど、まったくそういうことがなくて」
――70年代サルサど真ん中の名曲に正面から取り組むうえで、矢野さんなりの“色”をどういう風につけ加えていったのか、興味が湧くところです。
「パーカーの象徴的なフレーズを私が吹いてる場面があるんですが、あくまで〈Puerto Rico〉としてのアレンジ、そこにパーカーの色を入れる感じでやりたい、みたいなイメージを言葉で伝えました。それを中島さんが譜面に起こして、アンサンブルを統率するのは大儀見さん。本当に贅沢な経験をさせてもらいました」
――じゃあ、ほかの皆がリフ的に吹いている時、矢野さんがソロを取るパートには、“チャーリー・パーカー感”が入っている?
「やっぱりジャズの人なので、パーカッションがドコチキドコチキやってるとああなっちゃう。吹きながら“あっ、私ジャズの人みたい”って(笑)」
――おもしろいですね。他ジャンルのすごく突き詰めた音楽と対峙すると、自分の本質的な部分が出てくるって。
「そう思いました」
――そこは当事者じゃないとわからない感覚ですね。
「ふふふ」
「私が10代の頃、まだSOIL & HEMP SESSIONSと名乗られていた彼らが、どのライヴでもトリということがすごく多かったんです。私も熱狂とともに“いやあああ〜〜〜っ”(絶叫)って。何よりフロントの方たちとジャズができる、それが観ていてうれしくて。あんなに楽しそうでかっこいいお兄さんたちが、ジャズをやってくれるんだって。以来、一方的なファンだったんですけど、去年別の方のライヴに、タブさんと元晴さんと私でホーン隊として呼ばれて、3人で並んでやったら、とにかくおもしろかった。なんとかもう一度お2人に会いたいなと思って、お願いしたんです」
――演奏にとこか越境的、横断的な感覚があるあたり、共通点を感じたりしませんか。
「そうですよね。ジャズ以外の音楽の好みも、ほんと合いますよね」
――ジャズにも、もともとは輪郭がはっきりし過ぎずに周辺の音楽とリンクし合っていた、そういう時代があったんじゃないかという気がしますけど。
「ジャズの人で尊敬している方たちってもちろんたくさんいますけど、いざライヴで共演となると。この音吹いたらああでしょ、こうでしょって、牽制し合うみたいな雰囲気になることがあるんですよ。そういう緊張って良くないなと私は思っていて。いい緊張感だったらいいけど、お互い押し込め合って音が小さい、みたいなストレスって、聴いてる人にも伝染するじゃないですか(笑)。タブさんと元晴さんと、3人で仲良くブ〜〜〜ッて吹いてる時、そういうストレスが一切なかった。元晴さんたちだったら、サルサに対する抵抗もないんじゃないかな。そういう感覚は大切にしていきたいんです」
――その意味でも、今回踏み込んだ試みをされていると思うんです。私自身、チャーリー・パーカーの音楽って、正直言って“素晴らしい”という以外よくわからないんですけど(笑)、全身の細胞がぴちぴち鳴っているようなああいう音楽って、もはや“チャーリー・パーカー音楽”としか言いようがない気はする。そこに惹かれてビ・バップを志した以上、矢野さんも“矢野沙織音楽”をやるしかないわけですよね。
「チャーリー・パーカーの曲をやった時、あまりに自分とチャーリー・パーカーが違う。パーカーになりたくてやってても、さっぱり似ないんです。今回のアルバムにも彼の〈Confirmation〉を入れてますけど、似ないからこそ、10年でも15年でもパーカーの曲を飽きずに吹き続けられるんじゃないかなって」
――それほどまでに“飽きない”楽しさを、言葉で説明してくださいということ自体、理不尽な要求だと思うんですが(笑)。
「ジャズの歴史を紐解いたとして、ビ・バップって比較的初期の章に置かれていると思うんですよね。でも私にとってのビ・バップって、けっしてアカデミックな、優等生がやっているような音楽ではないんです。40年代、世界中が荒れていた時代に、パーカーが吹くアルト・サックス1本で若い子たちが踊り狂った。どう考えてもおかしいと思うんですよ(笑)。けっしてラグジュアリーとは言えない空間で、みんなが“チャーリー・パーカーだあああっっ!!!”って、大盛り上がりで観ていた。そんな瞬間が一瞬でもあった。一瞬でもパーカーが全米を熱狂させたという事実って、すごいことだと思うんですよね。あんなサックス奏者って後にも先にもいない。 今回の新作全体がそうかもしれないですけど、私の憧れって“昔”にあるんですよね。“古き佳き”と呼ばれるものこそが、私にとっては新しいんです。モダンなジャズ、モダンな生け花でもいいですけど(笑)、そう呼ばれるものより、オーソドックスなものをそのまま現代に踏襲することのほうが、私にとっては“新しい”。盆栽とかもそうですよね。昔ながらの表現が“えっ! ”と思うくらい、斬新に感じられたりする。〈Puerto Rico〉にしても、原曲を演奏しているのはエディ・パルミエリのお化けみたいな楽団じゃないですか。バリトンのすごい人がいたり、トロンボーンの名手がいたり。それをなるべく忠実に再現しようとしても、再現率でいったらそんなに高くはないかもしれない。そもそも歌の部分を私のサックスに置き換えているわけだし。でも、あえて“新しくしよう”と思わず、なるだけ踏襲しようとしていることで、むしろ“2015年”の作品であることは伝わると思うんです。結局私にとっては“新しい”。そこに変わりはないわけですから」
――そうやって作り上げた今回のアルバム。どういう風に楽しんでもらえるのが、一番いい感じですか?
「なんかね。適当に聴いてほしいです(笑)。たとえばネットでこのジャケットを見たとして、“えっ? なんだろう? ”と思ったら、ちょっとでいいから手にとって欲しい。ビ・バップという言葉も、調べたら卒倒しそうな歴史が書いてありますけど、そこに“Bubble Bubble”とつけると、よりかっこよく、キュートに聞こえたらいいな……なあんで、単純に私が好きな単語でもある、ということなんですけど(笑)」